「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか?」公演を振り返る④


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みなさんこんにちは。

長いブログになってしまって申し訳ございませんが、これが自分の中で整理できないと、次に進めない・・・。そしてお読み下さっている方、ご感想まで下さる方、本当にありがとうございます。また、前回の続きです。

オープニング。公演にいらした何人かの方から「あのオープニングはどうやって思いついたのですか?」と聞かれました。・・・どうやって・・・なぜあれがひらめいたのか・・・今思い出すに・・・この公演のテーマ、既成概念・固定観念を破る。をそのオープニングでがつんと問題提起する。そのためにはどうするか?ということがまずありました。ただ単にスローガンのように掲_DSC4450
_DSC4468げるのでは芸がない。うーん。公演タイトルの“絵はがき”をモチーフにして何かできないか?

そしてもう一つの私にとっての課題。

観客を芸術家(化)する。

チケットを買って観に来る人は観客。そして演じる人が芸術家。その垣根をとっぱらいたい。観客は観客なのだけれど、観客自身が自分で観客である、という受け身である以上、その芸術は発展しない。つまり、チケットを買って席につき、芸術家が何かやってくれるのを待ち構える、消極的・受動的な鑑賞スタイル。これでは芸術は一方通行だ。ましてや、何か批評してやろうとネタやあら探しをする観客。禁止されて

_DSC4472いるにもかかわらず買ってに録音したり、振付やパソを必死にとろうとして、何か自分の勉強に役立たせようとする観客。あの衣装のデザインはどうなっているのかなど、瑣末的な部分にしか興味のない観客。そのような観客は真の観客ではない。

真の観客。芸術家が発するものを心で受け止める。その世界に全身全霊をもぐりこませる。その豊かな感性と心でもってその芸術を享受できる人。

フラメンコの知識があるかないかではない。あってもなくてもどちらでもいい。その心さえあれば。その心さえ開かれれば。

ではその心を開かせるために私はどうしたらよいだろう?観客がその名の通り“お客さん”にならないためには?彼らもその芸術の一部になってくれるには?その芸術を作っているのは私だけじゃない。彼らでもある。あなたでもある。それに気付いてもらうためには?

ありとあらゆるシナリオを作りました。どれが一番効果的にお客様に訴えられるのか、そして準備の面で大道具や複雑な舞台装置の必要ないもの。たくさんのパターンを想定し、絵や図にしたりワードに打ち込み、そしてだめなものをボツにしてゆく毎日。

Postal51-1964その中からやっと、これだ!これなら絶対いける!という案を一つ選びました。前述ののポスカード会社「RE.CAR.SE」のHPを見て、町中でたくさんのポストカードを集めて来て、今度はその実行に向けて準備をする。もしかしてお客様に理解されないかも・・・という不安をつぶすために細かい部分も固めてゆく。(萩原、演出家も兼ねています。笑)シナリオの細かいタイミング、間、照明等も全部ひっくるめての舞台。

あーでもない、こうでもない。前代未聞のこの演出。夫、アントニオ・ペレスにもこの演出に一役買ってもらいました。キッド・アイラック・アート・ホールの照明担当早川さんにもアイディアを頂きました。仕掛けの準備は同じくホールの工藤さんが担当。エミリオ_DSC9748_DSC9747やパコもなんだかんだ文句を言いながらも(笑)最終的には楽しんで協力してくれたし、ほんとうに皆のお陰です。私一人のアイディアと実行力ではできなかった。

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でもこのオープニングの演出で大丈夫!と一番背中を押してくれたのは、なんと歌い手パコの愛娘のさまらちゃん。(写真は都内スタジオで練習の時のもの)本番前日の照明合わせの時にこの演出を試してみた所、客席で見学していたさまらちゃんが、なんと大笑い!!!!ってことは成功間違いなし。子どもの心には曇りがないから。その子どもが笑ってくれるということは、楽しいから。子どもの心をつかむことができればそれは正真正銘。さまらちゃんの笑顔、ケタケタを笑うその声が、次の日の公演初日への第1歩になりました。ありがとう、さまらちゃん!

(・・・続く)

2015年9月16日 セビージャにて。

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