遅くなりましたが、8/30に開催された、萩原淳子クルシージョ受講生ライブの写真をアップします。共演のエミリオ・マジャ、エル・プラテアオ、どうもありがとう!そして有志出演受講生のみなさん、お疲れ様でした!人前で踊るということは大変なことです。観るのは簡単、批
評するのもの簡単。でも人前で踊るという責任は全く別もの。一人一人各自の人生の中で、仕事や家庭やもろもろの状況の中で準備してきた皆さん、本当によく頑張ったと思います。お疲れ様でした!
ライブ後、出演受講生お一人お一人にコメントのメールを送りました。フラメンコの捉え方というのは人それぞれだと思うので、私の意見が唯一で絶対正しい、なんてことは全く
思っていません。たくさんの考え方、意見のうちの一つとして役立つようであれば・・・、という感じです。「よかったー、楽しかったー、勉強になったー」というのは内輪で開催するお友達同士のライブの感想。でも今回出演された有志受講生の皆さんはプロとして活動の幅を広げてゆく人、もしくはそれに準ずる舞踊技術を持っている練習生です。その彼女達がさらに少しでも成長できるように、私がお手伝いできることがあれば、と思っています。
技術的に踊れることとフラメンコを踊ることは違う。
それをはき違えると、ただ闇雲に手足やマントンやバタ・デ・コーラを振り回す踊り手になってしまう。これからもそういうことに目を向けて学び続けていってほしいと思います。もちろんすぐには結果は出ませんし、クルシージョ(短期講習会)という形態で教えている以上、私ができることには限りがある。でもその方向性で学んでいくのと、そうでないのでは全く異なると思う。だからその方向性が合っていれば私からどんどん学んで頂きたいし、方向性の合っている別の先生からもどんどん学べばよいと思います。
カンテとギターを聴くこと、理解すること、感じること。
その勉強が足りなければ、当然踊りもその通り。その勉強が足りていても舞踊技術や舞台経験が足りなければ、当然それは踊りにも出てしまう。舞踊技術や舞台経験があっても、そこに安住してしまえば肝心な部分の勉強が足りないまま、時間は過ぎてゆく。そして気付かないうちにその時間とともにこびりつく垢・・・。
今回の有志受講生のお話というよりも、私を含めたほとんど全ての人にあてはまることだと思います。だから何が大切なのかを知った上で、それを学び続けなくてはならない。
*
セビージャに戻ってきてもうすぐ1ヶ月になります。今、とある先生に師事しています。毎日毎日いろいろ学ばせて頂いているのだけど、その先生がおっしゃっていた言葉がいつまでも残っています。
「まともに学んでない人間は当然まともに踊らず、まともでないことをあたかもまともであるように教える。するとまともでない生徒が生まれ、その生徒がなぜかそのうち教えるようになる。さらにまともでない生徒が生まれ、世の中まともでない人間だらけになる。」
・・・・まさにその通り。
いつからこんな世の中になっちゃったんだろう。
そしてこの言葉からさらに思う事。
世の中まともでない人間だらけになると、まともでないことに愚鈍な人は、まともでないことがまともであるように錯覚してしまう。するといつの間にかまともでないことがまともになり、本来まともであることが、まともでなくなってしまうのではないか???
フラメンコが何なのか、学ぶということがどういうことなのか。
私はここで一人掘り下げていこうと思っています。
いや、「ここで」っていう言い方には語弊があるかもしれない。それはセビージャでなくてもスペインでなくてもできること。でも「ここで」しか学べないことというもの確実にある。それは目に見えない。お金では買えない。だから一見分からない、それを学んでいるのか学んでいないのか、持っているのか持っていないのか。でも確実にある。プロフェッショナルなフラメンコの踊り手というのは、それを持っていて、なおかつ舞踊技術と知識・経験のある人。フラメンコ舞踊の先生というのは、その踊り手であり(もしくは以前そうであり)なおかつそれを言葉できちんと説明できる人。私はそう定義しています。
だから学び続ける必要がある。
本当に学ぶことは尽きなくて、学べば学ぶ程学ぶ事が増えて行く。フラメンコ留学生として学ぶことと、自分が教える立場になってから学ぶことも全く違う。大変と言えば大変だけど、こんなにたくさん学ぶことが自分の人生にあるということに感謝しています。そして、その環境は自分で出来る限り作る。何でも少しずつ準備していかなくてはならないと思っています。
さあて、明日からまたがんばるぞ。
公演写真:アントニオ・ペレス
2015年10月4日 セビージャにて。