アンダルシア舞踊団公演「Imágenes」en レブリーハを観ました。

BFA_cartel01bfa04bfa02bfa06bfa12bfa13bfa05bfa08bfa09bfa10BFA11BFA14bfaみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

もう1ヶ月以上経ってしまいましたが、先月末にレブリーハでアンダルシア舞踊団20周年設立記念公演「Imágenes」を観てきました。9月に日本でも公演した作品なのでご覧になった方も多いかと思います。セビージャでは昨年のビエナルで初演されましたがその時には行けず、今回レブリーハまで足を運びました。幸運ことに、公演のゲネプロ(公演直前の劇場でのリハーサル)を見学することができました!すごく興味深かった!結論を先に申し上げると、本当の公演よりもこのゲネプロの方が面白かったです。アンダルシア舞踊団設立20周年記念ということで、これまでの歴代の監督振付作品をモチーフにしたオムニバス形式の公演。確かに素敵な公演ではあったけど、新監督ラファエラ・カラスコの采配をゲネプロで目の当たりにして、もう、脱帽。本当に凄い人なんだな、ラファエラ・カラスコは。指示に無駄がない。限られた時間の中で、どの指示に時間を割いて確認まできっちりするか、またどの指示を指示だけにして後は舞踊団員の自主性に任せるか、その判断を瞬時にしている。そしてその指示は舞踊団員にだけでなく照明、音響、映像、小道具など全てに行き渡っている。同じ舞踊団公演でも箱(劇場)が異なれば全てが変わってくる。それも一瞬のうちにしかも同時にいろいろな状況をチェックし即座に指示し采配してしまう。しかも口調がキツくない。テンパってヒステリーになんて全然ならない。独特のユーモアもあって、でもラファエラの声かけに舞踊団員からの返事がなかったりすると「私の言っていること、ちゃんと伝わっているかな?」とびしっと確認したり。すごいわ、この人。フラメンコ好きのレブリーハ在住のお友達と行ったのだけど、実はそのお友達は劇場公演というものには元々興味がない人で私についてきただけだったのですが、そのお友達も舌を巻いていました。しかもラファエラは舞踊手としても舞台に立っていたし。もちろん自分の出番はリハーサルでは踊らず、監督業に専念。本当にすごいわ、この人。

今回の作品には以前から興味を持っていました。というのは舞踊団員のオーディション内容を耳にして面白いな〜と思ったから。世の中いろいろな舞踊団のオーディションがあると思いますが、ごく一般的なのは決められた振付をその場で時間内に覚えてそれを審査員の前で踊るというもの。でも今回ラファエラ・カラスコが新生舞踊団員に求めたのは「フラメンコ」でした。オーディション用に準備していた歌い手とギタリスタと数分間打ち合わせをして、即興で数分以内のシギリージャを踊るというもの。へーと唸ってしまった。これで、踊りは器用に上手に踊れるけどカンテやギターを理解していない踊り手、コミュニケーションできない踊り手を一挙に振り落とすことができる。しかもシギリージャという曲。アレグリアスやソレアなど多少踊れる人なら誰でも持っているレパートリーではなくシギリージャ。ソレアを得意とする踊り手でもシギリージャは難しかったりするもの。それをオーディションで課すとは・・・。そこにラファエラ・カラスコの新生舞踊団に対する意気込み・方向性を見たような気がして、早く公演を観たいなあ!と思っていたのです。

ただこのオーディションで外国人舞踊家の一人が選ばれ舞踊団員になったことに関しては、いろいろあったみたい・・・。私はいいと思うのだけど・・・。アンダルシア舞踊団というのはアンダルシア州政府がアンダルシアの地名度やイメージアップのために出資している舞踊団。逆に言うとアンダルシア州がアンダルシアの宣伝のためにアンダルシア舞踊団に公演させている。だから舞踊団員はアンダルシア州に雇われた公務員みたいな存在ともいえるでしょうか。という事は当然、アンダルシア舞踊団員に支払われる出演料(お給料)はアンダルシア州民の税金からもまかなわれている。人によっては(アンダルシア州民によっては)オレが払った税金でなんで外国人舞踊家が食ってるんだ、という話になるらしい。まさかそんな考え方があるとは思いもよらず、ビックリ。オーディションで正々堂々と選ばれたのだから、アンダルシア人だろうがスペイン人だろうが、外国人だろうがいいと思うし、私は素晴らしいと思うけどなあ。外国人といっても、見た目は他のスペイン人舞踊家と遜色がない。(その点東洋人や肌の色の違う人種の踊り手は確実に不利。)ひいき目で見ていたせいもあるのかもしれないけど、実際舞台を客席から見ても彼女は光っていたと思う。フラメンコがユネスコの無形文化遺産に登録されてもう数年経っているけど、まだまだフラメンコの世界は狭いのかもしれない。フラメンコの世界というより、ある種の考え方が・・・・。

公演に関しては今回のようなオムニバス形式ではなく、一つのまとまった作品を観てみたかったというのが正直な感想。でも、まあ、舞踊団設立20周年記念公演としてこの「Imágenes」は重要な意味を持つものだったのだと思います。その20年間の中で私自身が観た作品もあればそうでない作品もある。観た事のないものは探して観てみたいなと思ったり、観た事のあるものは、ああ!!!と思ったり。でもフラメンコの舞踊団って難しいんだなと思う。フラメンコとしてみればある意味面白いけど、劇場作品にすることでフラメンコの本質が薄くなってしまう部分もある。その意味で物足りなさも感じる。舞踊団として見た時には、例えば他の国の舞踊団のレベルと比べると舞踊としてのレベルを考えるとどうなんだろう・・・と思ってしまったり。舞踊団員が一人でフラメンコを踊る時のレベルが高くても、それを国際的に活動する舞踊「団」のレベルに引き上げるのはやっぱり難しいのかなあ。あんなにすごい采配のラファエラ・カラスコでも・・・

そんなことを今回のレブリーハでの公演を観ながら思ったのだけど、じゃあ自分はそこまで踊れるのか?と言われたら、自分のことは棚にあげるしかない・・・(笑)ラファエル・カンパージョが言ってったっけ。

「批評家は踊らない」

自分が踊らないから、よくも悪くも批評できるということ。自分が踊る立場だったらそんな批評はできっこない。踊る人間にしか分からない裏の努力と苦しみもあり、踊る人間にしか持てない観点がある。だから他人の批評の前に、しっかり勉強して自分も努力しなくちゃ。

そして公演に来ているお客さんを見て思った。レブリーハのフラメンコを継承しているアーティストも、伝統的なフラメンコ愛好家もきっとほとんど誰もいなかったように思う。来ていたお客さんは恐らくレブリーハ在住の文化的なことに興味のある人、ダンスを学んでいるらしい女の子達等。フラメンコといっても、いろいろな種類、方向性がある。伝統的なフラメンコは分からない、嫌いだけど舞踊公演を観るのは好きという人もいれば、自分たちが持っている、もしくは愛している伝統的なフラメンコしかフラメンコと認めない人もいる。私はどちらも理解できるしどちらも好きだけど・・・どちらが好きかと言われれば個人的には後者の方だけど、でも踊り手として前者にも興味があるしたくさんのことを学べると思う。どちらかに属していなければいけないような雰囲気があるフラメンコの世界の中で私はなんでも吸収したいと思う。その意味で、吸収できる土台というか考え方を持てていることは自分にとってプラスだと思うし、これまでいろいろなものを吸収してきた中での「嗅覚」みたいなものも育ってきているような気がする。

それらがこれから先何年か後にきっと形になるんじゃないかな・・・。そう思うのだけど思っているだけでは形にならない。だからやはり努力が必要になる。ブログを書くことはその努力のうちには入らないと思うけど(笑)、自分の考えを整理する上で非常に役に立つ。もちろんあえて書かないこともあるから、自分の考えが全てブログに反映されている訳ではないのだけど。いずれにしても、私もがんばらなくちゃな、と思う。学ぶことも努力すべきこともたくさんあり過ぎるから。

公演写真:アントニオ・ペレス

2015年11月2日 雨降るセビージャにて。

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