先週水曜の「フラメンケリーア」公演、金曜の「ペーニャ・フアン・タレガ」公演はお陰様で無事終了しました。
- 「Orillas de Triana」フラメンコライブ
2015年11月25日(水)
フラメンケリーア(セビージャ)
ギター:エウへニオ・イグレシアス
カンテ:モイ・デ・モロン
バイレ:萩原淳子
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「第26回ペーニャ・フアン・タレガ文化週間」
2015年11月27日(金)
ペーニャ・フラメンカ・フアン・タレガ(ドス・エルマーナス)
ギター:エウへニオ・イグレシアス
カンテ:ぺぺ・デ・プーラ、モイ・デ・モロン
バイレ:萩原淳子
無事・・・といっても、水曜のフラメンケリーアではかなり悔いの残る踊りになってしまいました。せっかくお友達やセビージャクラスの生徒さん達も観に来て下さったのに・・・とかなり落ち込みましたが、落ち込んでいる暇もなく、その翌々日のペーニャ公演で踊ることになりました。
よくフィギアスケートとかスポーツの世界で、予選大失敗のスタートになってしまってどうなるんだ、決勝???という状況ってあると思うのですが、ああいうのって他人事ではない。順等に自分の実力を予選で出せれば、あとは油断せずに勢いに乗って決勝に進めばいい。でも最初にこけちゃった場合。これは本当に恐ろしい。マイナスのスタートということは、点数がマイナスなだけでなく、自分の精神状況もマイナスということ。もしかしてまた失敗するんじゃないか、というネガティブ思考を一掃してスーパープラス思考に持っていかなくてはならない。予選で順等に進んでいる他の選手以上に。でないと勝てないのだから。精神力が強くないとできない、だから一流のスポーツ選手って本当にすごいんだなと思う。
で、私の場合はそんな選手達の足下にも及ばないのですが、なんだかそんな状況でもありました。何がマズかったのかは原因が分かっていたので、あとはそれを繰り返さないこと。ただし、フラメンコは自分だけが踊るものではない。カンテがあってギターがある。自分だけが気をつけてもどうしようもないこともある。だから万万が一問題が起きてしまった時のことも想定して、それをどう処理するか。最終的な責任は踊り手にあるから。
いろいろ考えて、そして、スポーツ選手ではないけど、精神コントロールをして翌々日の「ペーニャ・フアン・タレガ」公演に臨みました。
結果的には、とても素晴らしい公演になりました!ありがとうございました!
本当によかった。ギタリストのエウへニオ・イグレシアスと歌い手のモイ・デ・モロンは水曜のフラメンケリーア公演で共演していましたが、ペーニャ公演の方ではもう一人の歌い手ぺぺ・デ・プーラが参加しました。ぺぺとは全然合わせをしていなかったのと、共演も数年ぶりだったのですが、本当にバッチリ。素晴らしい歌い手です。(それもそのはず、私との公演の翌日にはファルキートの公演で歌っていました!)ぺぺとモイの組み合わせもバッチリ。エウへニオとペペもバッチリ。そうなってくると非常に踊りやすい。一人一人がそれぞれ上手くても、お互いのコミュニケーションがとれない、もしくは慣れていないアーティスト同士だとその微妙な空気感が伝わってきて、なんだか踊りにくいこともあります。その点、今回のメンバーは一人一人も最高、3人合わせてもっと最高!でした。
1曲目のタラント。タラントを踊るのは久しぶりでしたが、だからこそ改めて踊り直してみたかった。元々タラントの振付は持っていましたが、改めてタラントとはなんぞや、というところから始まり振付を作り直してみたり。そんなことを9月にセビージャに戻ってからやっていました。タンゴの部分はその時によって構成を変えることが多いのですが、タラントの部分は自分がイメージするこれぞタラントという感じに近くなってきたかな。その意味で今回の公演で発表できてよかったです。またこれからも少しずつ踊ってゆきたいです。
2曲目のアレグリアス。「フラメンケリーア」公演ではマントンを使ったアレグリアスでしたが、ペーニャ公演の方ではマントンなしのアレグリアスにしました。舞台が小さいかなと思って。(でも実際はそれ程小さくもなかったので、バタ・デ・コーラでもマントンでも踊れそうな感じではありましたが)こちらはほぼ即興でした。むしろその方が自分の良さを引き出せるから。本番前にちょっと構成を説明した時もあえて踊りませんでした。だからよかったんだと、今思います。アレグリアスの1つ目の歌はモイが歌ってくれました。何度も聴いたことのあるモイのアレグリアスなのに、すごく新鮮だった。アレグリアスってこんな風に歌えるんだ、モイってやっぱりすごいなあ!と感動に近いものがあった。なんて言うんだろう、アレグリアスって、ただ元気いっぱいに伸び伸び歌う人多いのだけど(踊り手もそうですね・・・ただ笑顔を浮かべてガンガン踊る人等・・・笑。)もっと機微があるっていうか、感情のひだがあるはずなんですよね。昔の歌い手のアレグリアスはそうだった。それを継承している歌い手ももちろんいるけど、踊り伴唱になるととにかく盛り上げることが先決、みたいになっている人が多い気がする。そんな中であの日のモイのアレグリアスは光っていたなあ。私はああいう歌がいい。
そして、その後のぺぺ。これがまたすごかった。なんと、ミラブラスを歌ってきたのだ。ぺぺ最高!ぺぺのミラブラス最高!ミラブラスが聞こえてきた瞬間に、恐らくほぼ同じタイミングで、エウへニオと私で踊りのテンポを少し落とした。そのタイミングも最高。落とし方も最高。ミラブラスを踊ったことは今まで一度もなかったのだけど、多分、あの時の私の踊りは最高だったのではないか、と思う。(ま、気持ちだけかもしれませんが。笑)そう、踊りが上手いとか下手とか、そういう観点ではない、フラメンコの瞬間。舞台の上で本当に幸せをかみしめていました。
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ペーニャ・フアン・タレガは私は初めて踊ったペーニャです。あれからたくさんのペーニャで踊らせて頂けるようになって何年も経ちます。その間スペインは経済危機に陥り、そして今でもその危機は続き、いつ脱出できるのか分からない厳しい状況。何年か前はアンダルシア地方だけで300以上あったペーニャですが、ここ最近では随分減ってきているそうです。フラメンコ愛好家会員の会費によってまかなわれているペーニャですから、会員の経済事情がペーニャの存続につながっているのです。そのような厳しい状況の中でも、このペーニャ・フアン・タレガはこれまでに何度も私を呼んで下さいました。本当に感謝しています。
フラメンコを愛する心と偏見は相容れない。私はそう思います。フラメンコが好きといいつつ、偏見を持っている人というのは、真の意味ではフラメンコを愛していない。利己的にフラメンコを自分のものにしようとしているにすぎないのだと思う。
フラメンケリーア公演の後、モイがこんなことを言っていました。
「オレはファルキートに歌おうがジュンコに歌おうが、同じ気持ちで舞台に立つ。ファルキートだからちゃんと歌って、ジュンコだから手を抜くということはしないよ。もしそういうことをしたら、それはアルテに対する敬意を欠いていることになる。もしそういうことを始めたらそのアーティストはもう終わってると思うし」
・・・そうなんだよね、だからモイはああいう歌い手なんだよね。
そしてそれは観客の側にも言えると私は思う。スペイン人だからいい、ヒターノだからプーロだ、日本人だから大したことない、そう思って(潜在的にでも)舞台に立つ人を観る(もしくは聴く)人というのは、確かにフラメンコが好きだから観に来るんだろうけど、多分その時点でフラメンコを自分勝手に曲解しているんだと思う。それはある意味、フラメンコに対する敬意を欠いているとも言えるんじゃないかな・・・ペーニャで踊らせて頂く度にそんなことを思う。フラメンコへの愛を持っているペーニャ会員。カンテを愛する会員。同じ愛を持つアーティストに、たとえそのアーティストが日本人であっても同じように愛を注いで下さる方々。そのような方々の前で踊ることで、きっと私もその愛の一員になれるんだと思う。そして、今度別の場所で踊ることになったとしても、彼らから受け取った愛は、私の踊りを通して誰かに伝わってゆく。そしてその真価が分かる人がまた誰かにそれを伝えてゆく。フラメンコってそういうものなんじゃないか。
話しはまた元に戻って、さっきの言葉の後でモイが付け加えていたことにも注意。
「でも、同じ気持ちで舞台に立っても、出て来るものが違うのは当然。そりゃ、アルテの問題だから。」
・・・だよね。アルテを引き出せるか引き出せないか。当然歌い手自身にアルテがなければ引き出しようがないのだけど(笑)、それを引き出せるかは本人にもよるし、ギタリストにもよるし、踊り手にもよるし、当然観客にもよる。そういうことをはっきり言うのもやっぱりモイらしくていい。なんでそういう会話になったのかは忘れちゃったのだけど、この言葉は忘れてはならない。
いつもいつも、学ばせて頂いている。素晴らしいアーティストと素晴らしい観客に。
そして、私は私でまた一から出直してみようと思う。
公演写真:アントニオ・ペレス
2015年11月30日 セビージャにて。