ヘレスのタブラオ“Antiguo Canalejas” ライブを終えて。

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_DSC7684_DSC7723_DSC7795_DSC7814_DSC7836_DSC7882_DSC7901みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

お陰様で先週土曜のヘレスのタブラオ「アンティグオ・カナレハス」でのオープニングライブは無事終了致しました。結局本番直前までずっと具合が悪く、数えてみたら10日も全く練習せず、そのうち1週間くらいは寝ている状態で本番舞台に立ってしまいました。こんなに具合が悪くて踊ったのは初めてかなあ。数年前、やはりヘレスのフェスティバルでのペーニャ公演でも高熱を出したまま踊ったこともあったっけ・・・。でもなぜか不思議に落ち着いていました。どうしようと焦る事もなく、なぜか、私は踊りきれるという不思議な感覚がありました。自信というより感覚。なんなのでしょうか。

踊った曲はソレアでした。このタブラオライブに私を呼んでくれたのはヘレスの歌い手モモ・モネオ。「ジュンコにヘレスで踊ってほしい」「ジュンコにソレアを歌ってみたい」と言われていたので。(それまではフィエスタのブレリアでしか歌われたことがなかった。)

フィエスタでのブレリアのビデオはこちら↓

https://www.facebook.com/junko.hagiwara.73/videos/10153872507091228/

本番当日の午前中に他の共演者と事前にちょっと合わせをすることになって、朝8:30セビージャを発ち、9:30にヘレス入り。駅まで迎えに来てくれたモモと朝ご飯を食べて、それからタブラオに向かったのですが、タブラオが開いていない。待っていてくれたのはモモと一緒にこのタブラオライブをオーガナイズしてくれていたモモのお友達だけでした。モモのお友達によると、ライブを主催しているのはモモとお友達だけど、タブラオの場所を借りているだけなので、タブラオのオーナーが開けてくれないとどうしようもないとのこと。それからこのライブ開催にこぎつけるまでのいきさつをいろいろ話してきて、うわー大変だったんだなあと思いました。モモ自身は細かいことは話していなかったけど、そのお友達の話しを聞いて、直前まで日時、場所、共演者もろもろが決まらなかったのも無理はない、と思ったのでした。でも彼らはこんなに朝早くから、しかもセビージャからわざわざ来てくれたのに、本当に申し訳ないとすまなそう。私は待つことに関しては慣れているので全然気にしないのですが。しかも表で待っている間に、歌い手のヘスス・メンデスやパルメーロのチチャロがタブラオの前を車でぶーんと通りすがったり挨拶したりして、私としては「おー、やっぱりヘレスに来たんだー!」と気分が盛り上がっていたのでした。(笑)

そうこうするうちに、だらーんとオーナーの家族がタブラオを開けにやってきて、開けてくれたのはいいのですが、他の共演アーティストがまだ来ない(笑)モモはいろいろと他に連絡することが多いみたいで(オーガナイズ側はやっぱり大変)、ジュンコごめんね、ごめんねと言いながら外で電話しているし、もちろんそれは問題ないんだけど。そのうちふらーっとギタリスト(チャノ・カラスコ)が来たのでとりあえず構成の説明などをしてちょっと合わせてみる。10日ぶりに靴をはいたけど、意外にも足が動く。問題ないようなので、それでおしまい。結局もう一人の歌い手は来なかったので、歌の部分はぶっつけ本番。それはそれでもいいのだけど、問題は歌い手が踊り伴唱に慣れているかといこと。ここ、ポイントなんですね。一人で歌う分には上手いけど、踊りの伴唱に慣れていない人というのもいる。そういう歌い手と仕事をするのはちょっと大変ね。踊りのコンパスで歌わずに、勝手に自分で歌をコンパスに合わせてしまう。(コンパスの感覚がない人もいる。)あと、パルマをたたくことに慣れていない、たたけない人ってのもいる。モモともう一人の歌い手が一体どんな歌い手なのかよく分からないまま、本番を迎えることに。唯一の救いは、チャノが踊り伴奏に慣れているくらい。

しかし、ここからが結構長かった。一応15:00以降に開演ということになっていたのだけど、もっと遅くなるのは元々承知でした。というのも、モモ自身が15:00開演のペーニャ公演で歌うことになっていたから。それが終わってからこっちのタブラオライブが開演になるとのことだったので、結局開演したのが17:00くらいだったかなあ。その前に帰ってしまったお客様もいらっしゃって、それは本当に申し訳ない。でもどうしようもない。私も待ってるし。それからチャノがヘレス・フェスティバルのクルシージョのクラス伴奏に行くといっていなくなってしまって、私はタブラオに一人。その間モモから「一人で大丈夫か?」と安否確認。一人でも全然問題ないのですが、なんとその後私の話し相手にと、モモがタブラオに派遣してくれたのがフィエスタおじいさんのソーリ。なんという気の遣いよう・・・。ソーリとおしゃべりして時間をつぶしてもいいのだけど、ソーリがペーニャ公演を観に行きたがっていたのは分かっていたので、私は一人でも大丈夫、とソーリにはペーニャに行ってもらいました。

一体何時に始まるのかよく分からないまま、しかしあんまりのんびりしていて直前に慌てることも嫌なので、お化粧をし始める。お化粧のタイミングというのも結構私にとっては重要で、あまり早過ぎても顔が疲れるし化粧崩れもする。しかし短時間でパパパっとできる器用人間でもない(いっつも遅いんです。笑)お化粧といえど、ただ化粧をするだけではなく、私の中では本番への意識を集中する儀式みたいなものでもある。まあそんな感じでお化粧を済ませ、着替も済ませたら、コンコンとノックする音。ドアを開けたら歌い手の瀧本正信さんだった。なんでもたまたま通りかかったら、日本人のジュンコが踊るっていうから観に来て下さったとのこと。ありがとうございます。そしたらいつの間にかチャノが戻ってきていて、もう一人の歌い手が来ていた。パルメーロとしてお手伝いしてくれる踊り手のフアン・ファネガ(あまり人前で踊っていなかったみたいだけど、この人の踊り、多分すごい。)もいて、いないのはモモだけ。モモの方はペーニャ公演が終わってこっちに向かっているとのことだったので、もう一人の歌い手が場を持たせるためにカンテ・ソロをしてライブは勝手に始まりました。(笑)

カンテ・ソロの途中でモモ到着。「ジュンコ、本当にごめんね、すごい待たせちゃって本当にごめんね」と何度も謝っていたけど、私は大丈夫なんだって。あなた、もう本番で歌うんだから歌に集中して、と言ったけど、オーガナイズしながら舞台に立つって本当に大変なんだよなあとモモを思いやる。そしてあっという間に私のソレアの出番。もうその時には自分の体調が悪いなんて全然考えていなかったなあ。こんなに頑張ってタブラオライブを開催にこぎつけて、いっぱいいっぱいの中でも常に私を気遣ってくれたモモのことを思ったら、ソレア、踊ったるわい。という、ふつふつした気持ちが湧いてきました。ソレアは私にとって特別な曲。ただ好きなのではなく、これまでの舞踊人生の中で何度という修羅場をくぐり抜けてきた、その時にいつもなぜか踊っていた曲、それがソレア。だからかもしれないけど、絶対に踊れるという信念みたいなものがありました。

舞台の上で初めて二人の歌い手のソレアを聴いて、やっぱり踊り伴唱に慣れていない人達だと。(笑)そんなわけで即興。振付通りに踊ったら長さもレマーテの位置も全然違うからです。とにかく歌とギターを聴く。歌は3つあったかな。普段自分がソレアを踊る時は大体歌2つだけど、今回は3つだった。歌い手達とは事前に合わせをしていなかったからそういうこともある。エスコビージャが始まって、ちょっとパルマが??という部分もあったけどそれも想定のうちでなんとか乗り越え、ブレリア突入。ここからはギターも完全即興。やっぱりヘレスのブレリアのコンパスは特別なんだなあ。エスコビージャを始めようと思いつつ、彼らのコンパスを聞いていたら、あ、やっぱりやーめた、ブレリア踊ろう、とか。自由自在に泳いでいるような気持ちでずっと踊ることができました。舞台の上で自由を感じられるって、本当に幸せだと思う。毎回起こることではないのだけど。

ビデオはこちら→https://www.facebook.com/100011339136150/videos/134271856960785/

あっという間だったのか、長かったのかよく分からないけど、私の踊りは終わりました。よかった、ほっとした。そしてフィン・デ・フィエスタ。件の瀧本さんやペーニャ公演の後かけつけてくれたソーリおじさん、モモのお嬢さん達も加わりました。舞台が終わってもその場に残っているお客さん達がブレリアを続ける。これもまたヘレスならでは。楽しかった。

本当にモモに感謝です。モモの歌、好きだなあと思っていたけど、今回の件で本当にいい人なんだなあと。こんなにまでに私にしてくれた人はそんなにいない。もし歌い手がモモじゃなかったら、あの日、あのソレアは踊れなかっただろうなと思う。フラメンコって不思議。でもそれがフラメンコの底知れずとした力だったりする。改めてそんなことを思いながら、私のソレアにまた1つ歴史が増えたなと思いました。(笑)

写真:アントニオ・ペレス

2016年2月23日  で、セビージャ戻り風邪はさらに悪化する・・・・(涙)

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