「セフェリーノ」2016 en ウトレーラに行ってきました。

13243696_10154184763761228_872181270832539113_o13237594_10154184763646228_7165004983583593692_nみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先週の日曜に「セフェリーノ」というヒターノの守り神とでも言うのでしょうか・・・・その像を教会に奉るお祝いに行ってきました。毎年大体5月に行われ、年によってその像が奉る場所、教会が変わります。一昨年はウトレーラ、昨年はレブリーハ、そして今年はまたウトレーラでした。教会ではミサが行われ、その年に表彰されるヒターノに表彰メダルが贈られます。そしてヒターノ達が集まるお祝い事の後にはお食事があり、その後は当然の成り行きでフラメンコのフィエスタが行われます。全てのヒターノ達がフラメンコを踊って歌えてギターを弾けて、という訳ではないのですが、やはりフラメンコは彼らの文化。今回のようなお祝い事、誕生日、クリスマス、結婚式などなど、家族親戚が集まる時には自然とフラメンコが涌き起こるんです。その自然発生的なフラメンコ。大好きです。私達外国人が馴染んでいるのは劇場やタブラオなどの商業施設のショーとしてのフラメンコ。もしくはお教室で習うフラメンコ。もちろん私もそこに属していますが、それだけだとなんだか足りない。もちろんどれも素晴らしい。とっても勉強になる。でも何かが足りない。何が?

フラメンコのルーツです。

フラメンコはそもそも流浪して来たヒターノ達が各土地の音楽を吸収しつつ、スペインの南アンダルシア地方にたどり着きました。そしてアンダルシアに定住し始めた彼らは、彼らがこれまで培ってきた音楽や舞踊と、アンダルシアの土地のそれを、彼らなりに取り込み、表現したんです。そしてそれは彼らの家族の中で歌い継がれてきた。そう、彼らの生活の中で、そして今でもそれは続いている。おじいさんおばあさんが歌うカンテを子ども達が聴き、歌ってゆく、踊ってゆく。誰もフラメンコ教室なんて行かない。(そんなものはないし)だって日々のフィエスタの中で彼らはそれを自然に身につけてゆくから。現代のヒターノ達の中ではプロフェッショナルなフラメンコアーティストになろうと思ってフラメンコ教室の扉をたたく人もいます。でもプロになるとかならないとか、趣味とか習い事とかじゃなくて、彼らの文化なんですよね。それがフラメンコのルーツだって私は思っていますけど、どうしても現代の生活だと、フラメンコを学んでいると言っても、そのルーツから完全に遠のいていることに気付きます。まあ、最初から遠のいているのは当たり前ですが。私はヒターナ(ヒターノの女性形)ではないのだから。

だからこそ、こんな特別な機会があって(彼らには当たり前のことだけど)せっかく誘われたのだから有り難く伺わせて頂く。私達(夫、カメラマンのアントニオ・ペレスと私)が着いた時にはすでにミサが始まっていて、その時には祭壇近くにいた人達が既にフラメンコの歌を歌っていました。ブレリアとかトナーとか、メロディはフラメンコなんだけど、歌詞が「セフェリーノ」を讃える内容なんですね。遅れてきたので私は後ろの方にいたのですが、夫は写真を撮る関係でずんずん前の方へ。そのうち祭壇近くのフラメンコが盛り上がってきて、ブレリア・ロマンサーダと呼ばれる、ウトレーラ(もしくはレブリーハ)特有のちょっとゆったりしたブレリアが始まると、教会の参列者達がわらわら出て来て踊り出す。祭壇の前で。もちろん彼らは踊り手なんかじゃありません。普通のヒターノ達です。周りの参列者がわーっと前の方に駆け寄ってきて、私はほとんど見えなくなってしまったけど、でもみんながパルマたたいたり、ハレオかけたりしている中でちょっぴりパルマたたいてみたりして、なんだか幸せになりました。後からアントニオに「なんで前に来なかったの?見えなかったでしょ?」と言われたのだけど、やっぱりそれはできなかったなあ。確かに見たかったけど、これは彼らの儀式だから。彼らの家族にとって大切な日だから、それを差し置いて私が彼らの前に立つことはできない。だからここでのフラメンコはみなさんと同じ、ああ、こういうことが行われたのかと、アントニオの写真を見て初めて知ったのでした。いいのいいの。見えなくても。音を聞いていてあの同じ空間の中に入れさせてもらえただけで十分なの。

13227492_10154184768961228_633530316080649267_o13254884_10154184769101228_6086810110025113176_o13235452_10154184768996228_7814232119081929311_oそしてその後は近くの公演へ昼食。テーブルと椅子が用意されていて、各グループごとに好き勝手に座る。各自みんな食べ物を持参していてなんかピクニックみたい。食べ物持参というのを私達は知らなくて手ぶらで来てしまったのでどうしよう!と思ったのですが、ウトレーラのヒターノ信心会の人達が「パパ・アリニャー」と呼ばれるジャガイモのサラダみたいの(茹でたジャガイモをオリーブオイル、にんにく、パセリで混ぜる)とガスパチョ(アンダルシアの冷たい野菜ドリンク)、飲み物を用意して下さっていた。ありがたや〜。しかもシンプルなお料理なのにすごく美味しい。新ジャガだからか?それともみんなで食べるからか?よく晴れた日に公園で食べるからか?なんだか分からないけど、ガスパチョもすごく美味しい。セビージャのバルだったら結構マズい所もあるのに。(ひどい所なんか、スーパーでパックで売っているメーカーのガスパチョを出すところだってあるんですよっ!)私達はレブリーハの人達のグループに混ぜてもらってみんなで食事。本当に美味しかったなあ。

そして食事が終わると当然のように始まるのがフィエスタ。各テーブルであちこちフラメンコが聞こえる。私達はレブリーハのグループだったので、彼らがブレリアを歌い出し、なんやかんやで踊らされる。レブリーハのフィエスタにはよく行っているので、私が踊るのは知られているみたいで、踊れ、踊れ、と。ここがまたちょっと難しい所なんですが、こういう時に「いえいえ、私踊れません」とか「私はヒターナではないですし・・・」とかは全く通用しません。日本の感覚で言うと、そう遠慮するのが普通だし礼儀とも言えるのかもしれないし、そうして自分の謙虚さを表す人も多いと思う。でもここでは違う。発想が逆。その場に一緒にいて、同じ空間を共有しているのに、彼らからの招待を断ることこそ、無礼。昔はそれが分からなくて、いつも断っていたら、そのうちにある人から本当に怒られたんです。「さっきからみんなあなたに踊れって言っているでしょう?なぜ踊らないの?もうこれが最後通牒だからね、これで踊らなかったらどうなるか私は知らん」みたいなことを言われて、ああそういうことなのかと初めて気付きました。だからそれからは、踊るようにしています。とはいっても、強制的に今踊れ、みたいな時もあって、ちょっとそれも踊りにくいんだけどな〜という本音もありますが(笑)

その時のビデオがこちら→http://www.lebrijaflamenca.com/2016/05/video-ceferino-jimenez-malla-utrera-2016/

そしてこのビデオの中で踊っている車椅子のおじいさん、この方がレブリーハのヒターノ一族の長、「エル・ビア」さんという方です。昔は相当の踊り手だったとか。息子さんがそんな話をして下さいました。仕事から帰ってくると、洋服ダンスの扉を開け、その内側についている鏡の前で何時間も何時間もサパテアードの練習をしていたそうです。そして身体がぐらつかないように、ガラス瓶に砂を入れて頭の上に乗せていたとか・・・。もちろん今は車椅子なのでサパテアードはできませんが、ブラッソをちょっと動かしただけでも、おおおおおおっというものがあります。すごいなあ。

13248477_10154184769206228_8432285512931114159_o13255910_10154184769416228_6851782822710472411_nそれから、フアナにも会いました。彼女の踊るブレリアは国宝級。初めて見たのは昨年のレブリーハのフィエスタで。もう呼吸が止まるかと思うくらい彼女の一挙一動に釘付けになってしまいました。ああ、こんなブレリアを踊る人が世の中にいたんだって。そのフアナに今年もフィエスタでお会いしたので、図々しくもご挨拶させて頂きました!そして彼女からいろいろ家族のお話、フィエスタのお話を伺えて感動!まるで夢みたい。(その後、一緒に写真を撮って頂くはずが、別のお一方もなぜかお入りになり、私が真ん中になってしまうという微妙な図・・・)

 

 

 

 

 

13247789_10154184769436228_6971264682487603147_o13243976_10154184769551228_4891063890085322388_o13244230_10154184769791228_6158873711907143823_oまた別のグループのフィエスタもあって、そこはルンバが中心。長老みたいな方が中心となってどんどん歌われる、踊られる。そこでもやはり踊れ踊れとひっぱり出されて踊ることに。ルンバはあんまり踊れ慣れていないんだけどなあ。でもみんないい人達ばかりで暖かいフィエスタでした。なんて言うのだろう、みんながみんなでその同じ空間と時間を共有して楽しむ感じ。上手に踊ってやろうとか、失敗しないようにしようとか、そういう発想が全くない。もちろん誰が一番上手いかとかそういう競争みたいのもない。普通なの、それが延々続いていって、皆どんどん幸せになっていく、そういう感じでした。

本当はフラメンコってそういうものなんだ。だからセビージャに戻って、次の日フラメンコのクラスに行ったら、そこで学ぶことがあまりにもあの日自分が体験したこと、感じたこととかけ離れていて、何がなんだか分からなくなってしまった。心と脳みそと身体がばらばら。全くつながらなかった・・・それはとても悲しいことなのだけど、仕方がない、だって私はヒターナではないから。彼らの文化の中に時として入れてもらえることはあっても、その文化に属する人間ではない。その文化と共に生まれ育って、生きて死んでゆく人間ではない。だから私なりのフラメンコの接し方、学び方というのを受け入れなければならない。それでいいんだと思う。彼らの文化に土足で入り込むことはできないし、やっていはいけない。それが彼らに対する、彼らの文化に対する敬意なのだと思う。だからこそ、あの日のような経験をさせて頂いたことに感謝して、学び続けたいと思う。

クラスで習うパソってすぐに忘れちゃうんだけど、こういうことは絶対に忘れない。だって、私の細胞が覚えているから。これがフラメンコだって。

写真:アントニオ・ペレス

2016年5月25日 セビージャにて。

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