先週末、大阪での「うね・じゅん・じゅん」公演&「第10回大阪クルシージョ」の後、恒例の鳥取旅行に行ってきました!恒例の、というのは今年で少なくとも5回は行っている?日本国内で最も旅行に行っている土地、それが鳥取であります。なぜ鳥取?・・・そう聞かれることがほとんどなのですが、なぜかと言えば、元々、夫のアントニオ・ペレスが鳥取出身の写真家植田正治さんの大大大大ファン。鳥取砂丘をテーマに、題材に、背景にした写真の数々は世界的に有名で、恵比寿にある写真美術館の入口にどーんと壁画になっている写真も植田正治さんのものであります。
植田正治写真美術館HPはこちら↓
日本に行ったら必ず鳥取に行きたい、というのが結婚する前からの口癖で、初めて二人で日本に来た時から、夫は毎年鳥取に行っています。私の方はそのうち1回だけ一緒に行けなかった年もありますが、その年以外は全て同行。最初の頃は「えー、また鳥取?」と思っていたのですが、(鳥取の方、すみません。)ここ最近は1年に1度鳥取に行かないとなんだか物足りなくなってきました。(笑)
大阪からバスで3時間、電車だと2時間半。東京からは飛行機で2時間。意外と近く、便利です。今年はアントニオの友人で、鳥取在住の方が車で浦富海岸、東浜海岸などちょっと離れた所にも連れて行って下さいました。浦富海岸は「山陰の松島」とも呼ばれるくらいで、ほんと、絶景。東浜海岸は、なんときれいな海なのか。沖縄並み、もしくはそれ以上?の美しさです。(次回は必ず水着持参のこと。)それからぶーんと鳥取を抜けて兵庫まで。関東のものからすると、えええええ?!・・・というより単に私は地理に弱いからなのでしょうが、鳥取の東となりは兵庫だそう・・・。兵庫県の余部(あまるべ)という所まで連れて行って頂きました。
そこからまた鳥取に戻り、帰り際に鳥取市内の「砂の美術館」へ。この美術館は砂と水だけで作られた砂の彫刻が展示されている美術館。ものすごいスケールでした。館長さんから直接ご案内して頂きましたが、1つ1つの彫刻は世界各国から集まった砂の彫刻家(そんなアーティストがいるのも驚き)が彫っているらしいのですが、3週間程でできあがるそうです。なんだ、そんなに時間がかからないんだ〜と思いきや、実は大変なのは、その彫る前の巨大な土台作りだそうです。そしてその土台は地元の方々が、なんと2ヶ月もかけて作られるそう。・・・・な、なんと。彫刻家の名前と顔写真は、各彫刻の前に掲示されています。でもその地元の方々の名前も顔写真も私達は知ることはない。本当に大切なものは観光客には見えないんだ・・・。
そして砂丘は本当に素晴らしいです。要するに、ただ砂の山があり、その向こうに海がある。人は砂丘のてっぺんまで上り、そこから海を眺め、そしてまたその砂丘を下りて帰る。それだけのことです。でも暑いし、砂の山をのぼっていくから結構大変。なぜかサラリーマン姿の男性も砂丘でよく見かけるのですが、この間見たサラリーマン二人組は砂丘の入口まで来て、砂丘を見て帰って行きました。こんな感じの会話でした。
サラリーマン①「のぼりますか?」
サラリーマン②「・・・・」
サラリーマン①「私はまあ、4〜5回のぼりましたけどね。のぼりますか?」
サラリーマン②「ちょっとキツそうだなあ」
サラリーマン①「決めるなら今ですけど・・・」
サラリーマン①は多分、内心のぼりたそう。そして②にものぼってほしいと思っている。でも②は目の前に広がる砂丘を前に、迷っている感じ。ここでなぜかアントニオ登場。
アントニオ「ダイジョウブ、ダイジョウブ、ノボル、ノボル」
サラリーマン②「・・・・」
サラリーマン①「じゃ、また今度にしましょうか・・・」
あああああああ、結局あのサラリーマン2人は砂丘をのぼらなかった。きっとサラリーマン①はのぼりたかったのだろう、そして②にものぼってほしかったのだろう。どんな関係なのか①と②は?②は取引先か?先輩か?いずれにせよ①は②に強く言えなかったのだ。あああああ、のぼればよかったのに。
これは声を大にして言いたい。もう一度言うが、要するに、ただ砂の山があり、その向こうに海がある。人は砂丘のてっぺんまで上り、そこから海を眺め、そしてまたその砂丘を下りて帰る。それだけのことである。でもそれだけではない。それをやったことのある人にとっては。だから
鳥取砂丘は、一生に一度はのぼるべき所である。
ちなみに私は、のぼって砂丘の頂上から海を眺めた後、砂丘の反対側の海までおりています。結構な絶壁で、おりるのはまだいいですが、その後のぼるのが人によっては至難の業かもしれません。ロッククライミング並みの傾斜だけど、ロックじゃないですからね、つかみ所のないサンドクライミング(?)でも私はやってしまう。そのほぼ絶壁を下りると海。目の前全部日本海。誰もいません。まずそのほぼ絶壁を下りる人はほとんどいないのと、海は波が強いので遊泳禁止だから。自分の前に海しか広がっていないのです。海の前には自分しかいないのです。自分と海。海と自分。一体これはどういうことなのか、としばらく考えて、そのうちに砂丘の頂上に戻るのですが、そのサンドクライミングの途中も素晴らしい。特に夕暮れ。夕暮れの太陽が砂にあたって、砂が輝くのです。そして砂の凹部が濃い、それは濃い影となってその輝きとのコントラストを生み出す。そして辺り一帯にはやはり誰もいない。この絶壁の中腹で座って、また海を見る。やっぱり誰もいない。砂丘の頂上には人がいるのだろうけど、絶壁の中腹から上はまだ見えない。前も右も左も上も誰もいない。その中に自分一人でしばらく考え事をする。これは筆舌尽くし難い。もちろん写真なんか撮りません。だから人に見せるものは何もないのだけど、その分自分の中にしっかり刻みこまれる。こういう時間がないと、きっと私はダメなんだろうなと思います。それは鳥取であるかもしれないし、セビージャかもしれないし、東京でもあるかもしれない。でもきっと必要なんだと思う。だから自分の思考では分かってなくても、自分の中の何かがそういうのに反応して、本能的にそっちに進んでしまうのだと思う。
この絶壁を下りる方は、あまりおすすめしません。人によっては危ないと思うから。でも改めて言う。
鳥取砂丘は、一生に一度はのぼるべき所である。
2016年8月27日 さようなら鳥取。また来年。