ペパ・デ・ベニート

15003219_10154664157556228_2308538520953464092_oみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

先週末、イネス・バカンが言っていました。「叔母の具合が悪いの・・・」

えっ、ペパが・・・・と思ってうっと言葉に詰まってしまいました。イネスと別れた後、夫のアントニオが「もう長くはないんだよ」とポツリと言って、やっぱりそうなのか・・・・と・・・・そしてその2日後、天国に召されました。

ペパ・デ・ベニート。

大好きな歌い手でした。

pepabenito一番最初に彼女の歌を聴いたのは、彼女のソロCD「Yo vengo de Utrera」(写真、CDジャケット)でした。当時習っていたトロンボのクラスではペパのCDを使ってパルマやコンパスを学んでいました。なんという声なのだろう。トロンボにCDのタイトルを教えてもらって、即買いに。あの当時はまだYouTubeなんてなかったような気がします。聴きたけれれば直接聴くか、CDを買うか。そしてあのCDはもう100万回くらい聴いたかなあ。本当に素晴らしいCDですね。

そしてペパの歌を生で聴く機会がそれから数年後訪れました。あの時はもうクリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校に通っていた時でした。もう10年くらい前になるかと思います。文化庁の新進芸術家在外派遣研修員として国費留学をしていた時で、必死の時代。クラスメートにはスペイン人の実力派の若手舞踊家なんかもいて、レッスンのレベルも高かった。毎日毎日3〜4クラスも、振付もどんどん進むし、本当に必死にレッスンについて行って、あとは必死に練習して・・・土日はたまった家事をこなして(当時はもちろんまだ結婚していない)休む暇などありませんでした。

そんな毎日の中、当時その学校で教えていたカルメン・レデスマが声をかけてくれたのです。

「毎日レッスンを受けて自主練習するのも大切。でも本物のフラメンコを観て、聴かなくては」

そう言って、私を含めた日本人留学生数名を、彼女のご家族のフィエスタに招待して下さったのです。ヒターノ(ジプシー)の親戚、フラメンコアーティストがたくさん集まったそのフィエスタでは、当時の私からは想像もつかないようなフラメンコの世界が繰り広げられました。本物の。あちこちで沸き起こるフラメンコ。あの人もアーティスト!この人もアーティスト!という中で皆当たり前のように歌ったり踊ったり。そんなフィエスタに招待して下さったカルメン・レデスマは、なんと懐が広い人なのでしょう。本当にカルメンってそういう人なんです。

_DSC0854そして・・・・そのフィエスタの外れにひっそりといました。ペパ・デ・ベニートが。ペパは両足を椅子の上に投げ出して座っていました。近づいて、「ペパ、私はあなたの歌が大好きなんです、CDを何度も聞いています。」と声をかけると嬉しそうに、ニッと笑ったのを思い出します。「みんなの所には行かないのですか?」と聞くと「足が痛いから」と言っていました。「私、マッサージします!」と言って私は勝手にペパの足をマッサージというか、さすったりしてました。なんでもいいからペパの役に立てればいいと思ったのかなあ、当時の心境はよく覚えていませんが・・・

しばらくして、ペパがフィエスタの中に入り歌っていました。カルメン・レデスマが言った「本物のフラメンコ」、それでした。毎日レッスンばっかりの私達にカルメンはこれを聴かせたかったのでしょう。その後、ペパの歌でカルメンが即興で踊ったり・・・本当に夢のような世界でした。でも、あの時が生で聴いた最初で最後になろうとは・・・いつかまた聴きたいなあと思って、フィエスタを後にしたのを覚えています。でもその「いつかまた」はもう来ない。ペパは亡くなってしまった。

考えてみたら、あの時たまたまそのフィエスタに写真を撮りにきていたのが、今の私の夫、アントニオ・ペレスでした。ペパの訃報を聞いて、アントニオの膨大な写真データの中からその時のフィエスタの写真を二人で探し出しました。懐かしい。悲しい。懐かしい。悲しい・・・このブログの写真(CDジャケット以外)はその時のフィエスタのもの。本当はもっとたくさんの素晴らしい瞬間が写真に収められています。でも全部公開したところでペパは戻ってきません。

時々この写真と一緒にペパのことを思い出そう。そしてペパの残したCDを聴こう。

2016年11月10日 セビージャにて。

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