お陰様で無事セビージャに着きました。&日本とアンダルシアのハレオの違い、アフィシオンについて思う。

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_DSC0701_DSC0720_DSC0814_DSC0826みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

お陰様で一昨日無事にセビージャに着きました。今回も、「羽田〜フランクフルト〜セビージャ」と乗り換え1回の楽々便でしたが、セビージャに_DSC0902着いてからはとにかく眠かった。お昼頃に着いて外で久しぶりにタパを食べ、それからシエスタと思ったらどうももう夜になっていたみたい。夫が作ってくれていた、プッチェーロ(鶏、ひよこ豆などの煮込みスープみたいの)を飲んだのは覚えているのですが(最高の味でした!!!)その後記憶がなく・・・起きたら次の日の早朝。ざっと計算してみたら16時間くらい(?)も寝ていました。ビックリ。それだけ疲れていたのでしょうかね?

お陰様で随分元気になりました。時差ぼけもありません!昨日はヘレスの歌い手、フアン・ララとギタリスタ、マヌエル・ヘロのコンサートで久しぶりに骨太で黒いフラメンコの音を聴き大満足。サッカーの試合と重なってしまったこともあり、お客さんは少なかったですが(この国でサッカーの試合にかなうものはない・・・笑)、フラメンコ愛好度の濃い空間。これだよね、アンダルシアのフラメンコは、と心の底から納得。なんというのでしょう、聴くべき時、じっと待つ時には待つ、そしてここぞという時に「ole」が発せられる、しかも皆同時に。ああいう場に自分がいられて、しかも同じように「ole」が出てくると、たまらなく幸せになります。フラメンコを共有するってこう言う事なんだなあと。

日本でも素晴らしいアーティストが来日し、素晴らしい歌やギター、踊りを享受できる機会も増えていますが、この一体感というのがあまり感じられない事も時々あり、それはとても残念に思います。人それぞれ感じ方が違うので、ハレオ(かけ声、もしくは感嘆の声)も異なるのでしょうが、「私、フラメンコわかってます!!!だからこんなにハレオかけてます!!!」というのがミエミエのハレオというのでしょうか・・・フラメンコへの愛情よりも本人の自己顕示欲が強く出てしまっているハレオ・・・申し訳ないけれどどうしても耳障りになってしまうハレオ・・・、それが聞こえてくると、(大体そういう場合はコンサート中ずっと聞こえてくる場合が多い)ああああ〜〜〜とがっかりしてしまいます。もしくは、心から感じていてもそれが表に出てこない場合。あるいは練習生に多いですが、何か一つでも吸収してやろう、という考え方で会場が支配されている場合。間違いではないですし、その気持ちも分からなくはないのですが、吸収したものを自分だけのものにすれば良いとする偏狭な考え方しかないと、フラメンコを共有できない、吸収するばっかりで吸収したものがその人を通して表に出てこない、つまりアーティスト側からするとエネルギーの循環が全く感じられないため、今日のお客さんは冷たいねと取られてしまうことも・・・。

もちろんそのような状況ではなく、ああ、日本でもフラメンコを共有できるんだ〜、と感動する状況もありますが、難しい時もありますね・・・。でも本当は難しく考えず、素直でまっさらな気持ちで、フラメンコへの愛情だけで聴いていればいいんじゃないかなあと思うのですが・・・。フラメンコへの愛情、「Afición(アフィシオン)」。それだと思うんですね、プロでもアマでも、踊りでもギターでもカンテでも、それがないとやっぱりフラメンコではなくなるような気がします。

でもね、彼らヘレスのアーティスト達をセビージャで聴くのか、ヘレスで聴くのかというのでもまた大きな違いがあると思います。で、またその中でも環境にもよるんですね、愛好家が多い所なのか、家族や近しい友人の間で行われるフィエスタなのか、などなど。フラメンコは生き物ですからそういうものにも大きく左右されます。きっと昨日の公演では、セビージャというヘレスとはアルテの全く異なる場所で、しかも少ないお客さんの中で彼らのアルテを出すというのは状況的に難しかったと思うのです。それでもあれだけのフラメンコを聴かせてくれたのだから、そのプロ根性というのでしょうか、そういうのにも個人的には拍手を送りたいです。

まあいろいろ考えることはありますが・・・こんな感じでこちらでの生活を再開しています。

では皆さんまたお会いしましょう!

写真:アントニオ・ペレス

2017年1月30日 セビージャにて。

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