レブリーハのヒターノ「エル・ビア」一族とクリスマス・イブを過ごす。

01via02via03via04via05via06via07via08via09via10via11via13via14via15via16via17via19via20via21via
みなさんこんにちは。

大晦日ですね。いかがお過ごしでしょうか?こちらはまだ12/30、とにかくバタバタしていて年末という感じがしません。(笑)遅くなりましたが、レブリーハのヒターノ「エル・ビア」一族と過ごしたクリスマス・イブの写真をアップします。

「エル・ビア」はレブリーハの有名なヒターノ一族の長老。現在は片足を失って車椅子の生活を送っていますが、元バイラオールでもあります。子供がなんと15人。そして孫達も含めてこれ程の大家族が揃いに揃うというのは、現代のスペインでも珍しいのではないでしょうか。(それでも今年は例年よりも少なかったとのこと。)

なんなのだろう、この世界。ヒターノの家族のクリスマス・イブってのは頭でわかっているけれど、自分がその中にいるのがまるで信じられない。いつも見ている「Rito y Geografia」の映像の中に紛れ込んでいるような・・・でもカラーだよ、2017年だよって頭の中でもう一人の自分が教えてくれている。

昔、フラメンコってなんだろうって答えが知りたくてスペインに旅立った。たくさんの人に出会い、たくさんの先生に習い、たくさんの劇場公演もタブラオもペーニャにも行った。数え切れないほど。「本場」のフラメンコだって、自分はそれを学んでいるんだって思ってた。もちろんそれは今の自分にとっても欠かせない「学び」だ。

でも。

「本場」のフラメンコの中にも、さらなる根っこがある。その根っこを垣間見るというのは本当に難しい。今年のクリスマス・イブはその根っこを肌で感じ、それを吸い込むという本当に貴重な機会を頂いた。人生最高のクリスマス・プレゼント。「エル・ビア」一族の皆さん、本当にありがとうございました。

小さな子供がフィエスタでブレリアを踊る。それはSNSが発達した現代、その動画は一瞬にして世界各国で見ることができる。かわいいし、やっぱりすごいなあと思うけど、その多くはその子達の先生が透けて見える。

アカデミアの踊り。

もちろん私の踊りだってそうだろう。留学生のすべて、そしてスペイン人の大半だってそうだ。もちろんそれは悪い事ではない。アカデミアからたくさんの素晴らしい踊り手が輩出されてきたし、輩出されているし、これからも輩出されるだろう。プロにならなくともいい踊りをする人だってたくさんいる。

でも。

彼らは違う。家族なのだ。小さな子供が踊り始める前にお父さんがいる。お母さんがいる。おじさん、おばさん、いとこ、はとこ、おじいさん、おばあさん。そしてこの世にはもういない、ひいおじいさん、ひいおばあさん、ひいひいおじいさん、ひいひいおばあさん・・・・。その家族がずっとずっと受け継いできたフラメンコ。受け継いでゆくフラメンコ。

ものすごいアルテで踊る5歳の男の子もいれば、ペジスコのある10歳の女の子もいる。家族の誰かが全力で歌って、皆がパルマして、ハレオをかける。恥ずかしがって踊らない子もいる。そんな子が輪の中に入ると必ず誰かが一緒に踊ってくれる。その人はお父さんかもしれないし、お母さんかもしれないし、二人ともかもしれないし、いとこかもしれない。皆が子供を守る。そして年長者が踊り歌う時は年少者は敬意を払う。

そんな中で私はただの外国人だ。スペイン人でもヒターナでもなく、ただの外国人。人によっては外国人だからヒターノの輪に入ってはいけない、と思う人もいるかもしれない。もちろん状況によってはそういう場合もあるだろう。でもそれは勝手にズカズカとフィエスタに入っていく場合のこと。今回の場合は招待して頂いたので、それなのに輪の中に入らないというのは逆に失礼にあたる。輪の中に入らないというのは例えば、そのフィエスタを遠巻きに眺めている、踊れと言われて「いえいえ、私は日本人です」とか「踊れません」とか言うこととか・・・。じゃあだからと言って自分の好き勝手に歌って踊ればいいってものでもない。やはりそこにはフラメンコへの愛情、他人への敬意が必要になってくると思う。それは色々なフィエスタを経験してきて私が思うこと。

この日夫のアントニオと私は別の場所で夜ご飯を食べ、夜中12時過ぎにエル・ビアのお家に行った。そんなの日本では考えられないけど(笑)、イブのあの日はレブリーハではあちこちの家から笑い声や歌い声が響いていた。エル・ビアの家でのフィエスタは朝5時過ぎまで続いていたかなあ、眠くなっている子供もいたし(当たり前か)、元気な子供もたくさんいた。主に女性達がビジャンシーコ(クリスマスの歌)を歌い、男達がブレリアを歌っていた。私は2回ほど引っ張りだされた。私に歌ってくれた人は2回とも同じ男性で、申し訳ないけど正直言って彼の歌は決して上手くはなかった。音程がかなりずれていて、その元の歌がなんなのか知らなければ多分何を歌っているか分からない。だから私は聞きながら、多分あの歌を歌ってるんだろうなあ・・・と想像しながら踊った。プロの歌い手だったらそういうことは有り得ないので、ある意味難しかったのだけど、だからといってそれが嫌だとは思わなかった。その時は深く考えなかったのだけど、フィエスタの後、彼が話しかけてきて納得した。

「俺は歌い手ではないよ、家族の中でしか歌わないんだ。家族の外では歌えないんだ。家族の中だから歌えるんだ。」

家族のフラメンコ。

そういうことなんだ。

私はその家族の一員ではないけど、そこに一緒にいさせてもらえたことでその感覚を共有できたのかもしれない。もちろんそれは私の錯覚にすぎないかもしれないけど、でもあの日感じたことは痛い程私の中に残っている。

そういうことが今年は多かった気がするなあ・・・自分がそれを求めているからなのかなあ・・・。

求めても手に入れることはできないだろう。

というか、手に入れたいと思っていた気持ちが年々薄くなってきているような気がする。

来年はどんな年になるのだろう。

写真:アントニオ・ペレス
http://www.lebrijaflamenca.com/2017/12/una-zambomba-muy-particular-en-casa-de-el-via/ に掲載されました。

2017年12月30日 セビージャにて。

Comments are closed.