ホセ・ガランの障がい者フラメンコ教育クラスを受講する②

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

ここセビージャは最近ずっと雨で(ヘレスのフェスティバル期間中もずっと雨でした!)やっと晴れましたが、明日また雨らしいので大急ぎで今日はバタ・デ・コーラも洗いました!

早速ですが前回のブログの続き、(ヘレスのフェスティバルで受講した、ホセ・ガランの障がい者フラメンコ教育クラス)です。

  • ローラのこと。

28827995_10156196772566228_9801924589798420_o_DSC4429_DSC4988今回車椅子の受講生2人のうち1人がローラ。過去のブログでも書きましたが、ローラとはこのクラス受講前からセビージャで知り合っていました。セビージャのとあるお店に入った時、そのお店で買い物をしていたのがローラでした。ショッピングカートが行き来できる大きな店ではありません。人と人とがすれ違うのがギリギリくらいの狭いお店。商品が床にまで所狭しと積んであるようなお店の通路にローラは車椅子で入っていました。身動きが取れないようだったので、商品をどかしたりして彼女が通れるように手伝っていた時になんとなく話し始め、彼女がフラメンコを踊るためにそれまで住んでいたバルセロナを引き払って、セビージャに住み始めたということを知りました。へー!勇気あるなあ!そうびっくりしたのを覚えています。その時にホセ・ガランの公演に車椅子で出演すると聞いて、そのリハーサルと本番を見に行きました。そのローラが今回のヘレスのフェスティバルのクラスにも来ていたので、一緒にクラスを受講することになったのです。

ローラとはクラスの中でセビージャナスを踊りました。車椅子の方とセビジャーナスを踊ったのは生まれて初めて。向かい合って踊るのですが、ローラは踊ることが本当に嬉しそうでした。そして車椅子での回転がうまくいかなくてみんなと同じタイミングでピタッと止まれなかった時、本当に悔しそうな顔をしていたなあ・・・。パサーダ(向かい合ってお互いすれ違う動き)の時に私はいつもの調子でパサーダをしたら、すれ違う時に自分の手がローラの胸をかすってしまった。あっごめん!と言って、ローラはあまり気にしていないようだったけど、そうか、車椅子の人とそうでない自分では高さが違うんだ。見ればわかるようなものでも、自分でやってみて初めて気づく私は本当に鈍感だ。

その後、ローラの車椅子を借りて私が車椅子に乗りセビジャーナスを踊ることになった。車椅子に乗ったのも生まれて初めて。まっすぐ前に進むことはできても、斜め方向で自分が行きたい方にはなかなか行けない。回転なんぞもっての他。すごく難しい。何度か練習するうちにやっと車椅子に座ったまま回転できるようになって、やったーと思った矢先、バランスを崩してバーンと後ろに転げ落ちてしまった。「こんなに難しいことをあなたはやっているのね、すごいね」ってローラに言ったら、ローラはこう答えました。

「私はいつも車椅子に乗っているから」

・・・その言い方がちょっと寂しそうで、私はなんて答えていいのか分からなかった。今でもあの瞬間を思い出すと心が傷む。

でもそれは私の思い過ごしなのかもしれない、とも今は思う。車椅子に乗っていることが「かわいそう」って、実は私は心の中で思っていたのかもしれない、だからそれが寂しそうに聞こえたのかもしれない。本当はローラはただ普通に事実を言ったに過ぎないかもしれない。でも私が勝手に色眼鏡で見ているからそう捉えてしまったのかもしれない。

本当に「かわいそう」な人間は私かもしれない。

  • マリア・ホセとのこと。

_DSC538428827044_10156196771266228_6198294067863968265_oマリア・ホセも車椅子で参加したもう一人の受講生だ。年齢は50代くらいかな。なんという名前か忘れたけど、バルセロナとサラゴサの間の街に住んでいて、そこからヘレスまでやってきたらしい。旦那さまも車椅子の方で、二人で5時間ずつ車を運転してヘレスまで来たとのこと。

皆でタンギージョ・デ・カディスの踊りを習っている時だった。踊りながら横移動する動きがあって、そこで先生のホセ・ガランが皆に質問した。「車椅子の人が同じように横に動くにはどうすればいい?」・・・うーん。車椅子だから車輪が動く方向に動く。前を向いていればパッと横移動することはできない。移動できたとしても車輪の向きを変えて移動して・・・ってやっているうちに他のみんなは反対方向の横に移動している。動きがリズムから遅れてしまう。ちょっと無理かなーと私が内心思った時、マリア・ホセが言った。「斜め横だったら移動できる。」

・・・あっそうか。別に真横に移動しなくちゃいけないなんて決まりはないんだ。

踊りを習っていると、時に日本では先生と全く同じ動きをしなければいけないような感じがする。(そうしないと先生に注意される時もあるしね。)でも一人一人違うんだから、その人ができるようにやったっていいではないか。そうやって踊った踊りがまちがっているなんて誰が言える?

その後また面白いことがあった。振付の中でクルっと素早く回る振付があった。いくら車椅子で回ることはできても、クルっていう感じで一瞬にして回るのは車椅子の構造上いくらなんでも無理だ。でもその、みんながクルって回る同じタイミングでマリア・ホセは、車椅子はそのまま前を向いた状態で、上半身を前に倒し頭をバサバサーっと振ったのだ。うわー!そんな動きは初めて見た!でもなんとタンギージョらしい動きなのだろう!そしてマリア・ホセの独創性!

・・・先生が、もしくはみんながやっていることができないのはマイナスなのだろうか?できないと考えるからマイナスなのであって、違うことをすればいいじゃないか。それがその人が見つけたものだったらなおさら価値がある。先生の通りに上手にできることよりも。

そしてさらにOLEだと思ったは、その動きをホセ・ガランは自分の振付にその場で取り入れたのだ。なんという柔軟性。「それもいいね」と認める先生はいらっしゃるかもしれない。でも生徒の動きを自分の振付にその場で取り入れてしまう先生って少ないんじゃないか。すごいなあホセ・ガラン。そしてそういう先生だからこそ、生徒は自由に自分の表現方法を試せるんじゃないか。

そんなことを思いながら、私は二人のようにかがんで頭をバサバサーっと振ることができずにいた。何でだろう、恥ずかしかったわけではない。いいなあって思いながら、でも何だかできない自分がいた。クルって回ることはいとも簡単にできるのに・・・。

きっとそれが私に足りないことなのかもしれない。本当はそれがあればもっと学べるのかもしれないし、もっと踊れるのかもしれない。もっと踊れるというのは、たくさんのことができたり、上手に踊れたり、ということではない。多分もっとフラメンコの根源的なもの・・・。

クラスが終わった後、マリア・ホセや他の受講生が、車椅子で踊る人の動画を見ていたので、私も覗いてみた。ちゃんとは見えなかったけど、コンテンポラリーダンスを車椅子の人が踊っているようだった。「すごいね」って言ったら、マリア・ホセははっきり言った。「確かにね。でも私が踊りたいのはフラメンコなの。70歳になっても80歳になっても構わない。私はフラメンコを踊れるようになりたい」

きっとなれると思う。マリア・ホセなら。

マリア・ホセの、踊っている時のキラキラした瞳を私は今でもはっきり覚えている。

写真:アントニオ・ペレス

※まだいくつかあるので、またブログは続けます。

2018年3月21日

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