ホセ・ガランの障がい者フラメンコ教育クラスを受講する①

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日本から戻ってきてアッという間に1ヶ月が経ちます。早い早い・・・

アップが遅れましたが、ヘレスのフェスティバル期間中に受講したホセ・ガランのクラス写真をアップします。非常に非常にいろいろなことを考えさせられたクラスでした。以前にもブログにしましたが、ホセ・ガランという踊り手は障がいを持った人たちにフラメンコを教えたり、彼らとフラメンコ公演をしたり、という活動を続けている踊り手です。

以前のブログをお読みになりたい方はこちら→(http://www.layunko-flamenco.com/JA/2017/12/日本語-萩原淳子のフラメンコ鑑賞記%E3%80%802017-3/

上記のブログはホセ・ガランと障がい者たちの公演リハーサルに関してですが、その本番やまた別の公演もセビージャで何度か見る機会がありました。私自身、フラメンコを始める前から「教育」に関して興味があり、今回のヘレスのフェスティバルでは、そのホセ・ガランが身体・知的障がい者を対象にクラスを開講するとのこと、また障がい者教育にたずさわる健常者、もしくは興味のある健常者も参加可能とのことでしたので、申し込んでいました。

でも、最初に言いますが、私、とっても勘違いしていたんです。

私は自分が健常者だから、どうやって彼らにフラメンコを教えるのか、というのを学ぶのかと思っていました。場合によってはホセ・ガランの助手みたいなこともするのかな?なんて想像もしていました・・・・。

違ったのです。

私が教えるんじゃなくて、私が教わったのでした。

クラスは最初の1時間15分が知的障がい者対象クラス、休憩を挟んでその後1時間15分が身体障がい者対象のクラスで、私は両方に申し込んでいました。フェスティバルが主催する他の公式クラス同様、6日間ありますが、私は初日と2日目に他のリハーサルと本番が入っていたので、3日目から参加しました。たったの4日間しか受講できなかったわけですが、本当に濃かった。毎日毎日感動の波が押し寄せてきて、泣きそうになりながら我慢してクラスを受講していました。

断片的になると思いますが、思い出しながらブログにしたいと思います。

  • ペペとのこと。

クラスに着いて初めて挨拶した受講生はペペでした。年齢は30代後半から40代前半くらい。彼は右手が不自由のようでした。全て左手で物事を行っているようなので、「お手伝いしましょうか」と声をかけましたが、その一言に私は後からすごく後悔します。気さくな彼は「いいよいいよ、大丈夫」と笑顔で言って左手と口を使ったりして器用に物事をこなしていました。そんな彼を見て、それから彼の様子を観察しました。そして私、気づいたんです。

なんでもかんでも「お手伝いしましょうか」なんて声かけるもんじゃない。その人にはできないこともあるかもしれないけど、できることだってあるんだ。障がいを持っているからって、自分が健常者だからって、知らず知らずのうちに線引きしているんじゃないかって。

そしてまた思った。

もしかして・・・「お手伝いしましょうか」って言う自分に、自己満足しているに過ぎないんじゃないかって。そういう言葉をかけさえすれば、自分はいい人のような気がするからではないか。自己満足のために言ったわけじゃないけど、自分では気づかない深層心理にそういうのがあったんじゃないか。本当にその人のために何かしたいのであれば、別の声のかけ方があったんじゃないか。もしくは声をかけずに見守るということも必要なのではないか。

さらに追い討ちをかけたのは、その後ペペがフラメンコを靴をはく時でした。ペペは靴に足を入れると、すっと横から他の受講生の女性が二人彼の足元にかがみ、彼の靴紐を結び出したのです。

その光景を見て私、本当にびっくりしました。一瞬呼吸が止まったくらい。そうか・・・例えば靴紐を結ぶということはペペにはできないんだ・・・。でもそれを自然に受け入れて彼の足元にさっとかがんで靴紐を結ぶ他の受講生と、その光景を見て固まっている私・・・。

なんなんだ私・・・。

あの時のショックから、今度は私がペペの靴紐結ぼうって心に決めて、別の日に私もさっとかがめるようになったけど、今思い出しても恥ずかしい。これまで障がいを持った人達と直接関わることが一度もなかったからかもしれないけど、自分の無知さというか愚鈍さというか、そういうものを思い知らされた最初の「事件」でした。

  • マリ・カルメンのこと

マリ・カルメンは50代くらいの女性。両手が不自由のようでした。もしかしたら言葉も。付き添いの女性2人と参加していました。マリ・カルメンに初めて会った日「Hola」と挨拶したけれど、マリ・カルメンは無表情で(そう私には見えた)私をじっと見つめただけで何も言わなかった。クラスでセビジャーナスを始めた時、クラス半分のグループに分かれて、半分は見学、半分は二人組みになって向かい合って踊る。マリ・カルメンが他の受講生と組みになって踊り始めた時、私は見学していた。マリ・カルメンは両手が不自由だから、みんなのように腕を動かすことができない。他の組がさっとパサーダ(向かい合っている二人がすれ違う)できてもマリ・カルメンはさっと動けない。ああ、どうやってマリ・カルメンはセビジャーナスを踊ればいいんだろう、って私は思って見ていた。そうしたら、よく見ると、マリ・カルメンの片手がひらひらと小刻みに揺れている。そのひらひらの動きがあまりにも美しく、私は息を飲んだ。

フラメンコ舞踊において美しい手の動きとは、手首や指をしっかり動かすことではなかったか。腕をできるだけ大きく、長く使うことではなかったか。肋骨を閉めて腹筋や背筋をしっかり使うことではなかったか・・・・そう叩きこまれた舞踊基礎中の基礎がガラガラと音を立てて崩れてゆくような、そんな美しさだった。そして、1番、2番、と毎回終わる度にマリ・カルメンは相手のほっぺたにキスをした。・・・そんな感動的なセビジャーナスを私は今まで見たことがなかった。

そしてマリ・カルメンの番が終わり彼女が私の隣に座った。他の人達がセビジャーナスを踊っている間に流れていたCDの歌を、マリ・カルメンは口ずさんでいた。そっと横顔を見たらやはり無表情に見えた。でも口ずさんでいた。「上手に」セビジャーナスを踊れる私は、そのセビジャーナスの歌詞を知らなかった。当然口ずさめなかった。

別の日には皆で即興でアレグリアスを踊ることになった。4隅にいる人達が一人ずつ即興で踊り、それを皆が真似る。その中でイニシアチブをとって踊る役がマリ・カルメンに当たった。マリ・カルメンは棒立ちになっていた。踊りの流れがそこで途切れてしまい、みんな一旦休止。その時にマリ・カルメンの付き添いの人達が、こういう風に踊れば?というように動きをいろいろやって見せた。よくあるフラメンコの動き。

でもそれを見た時私の中でバーンと何かが弾けた。いや、違う、そんなんじゃない。そういうことじゃない!!!そしてその次の瞬間言ってしまった。「マリ・カルメン!あなたが手を動かす、あの動き、とっても綺麗よ!私は大好き。それでいいと私は思う!」マリ・カルメンは私をじっと見つめた。付き添いの人達も周りの受講生もみんな黙っていた。・・・しまった、私、出しゃばってしまった・・・と後悔した。でも今思うと言ってよかったのだと思う。クラスの最終日そのアレグリアスをまた即興で踊った時、またマリ・カルメンの番になった。みんなが固唾を飲んで見守る中、マリ・カルメンは手をひらひらと動かしたのだ。あの動き。そしてクラスのみんなも手をひらひらと動かした。

クラスで伴唱してくれていたマラ・レイのアレグリアスの歌を聴きながら、私は少し泣いた。

写真:アントニオ・ペレス

2018年3月21日 次回に続く。

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