イネス・バカンへのインタビューとフアン・バカンのソレアを聴く。

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みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

昨日はCuervo(クエルボ、スペイン語でカラスの意味)という町でレブリーハの友人がイネス・バカンにインタビューをするというのでそれを聞きに行ってきました。またまた放心状態になり・・・少し落ち着いてきましたけど、なんだかああいうフラメンコそのものをどーんと目の当たりにすると、「エネルギーをもらえた、私もがんばろう」という気持ちには全くなれません・・・。エネルギーを根こそぎ奪われてしまうというか、そもそも自分にはそんなエネルギーがあるわけがなく、その自分の空洞さを改めて思い知ってしまうというか・・・。

インタビュー内ではイネスは歌も歌われるとのことで、伴奏ギタリストのアントニオ・マレーナとその息子さん、そしてイネスの兄弟のフアン・バカンも同席していました。インタビューの冒頭で、イネスとフアンのお父さん、バスティアン・バカンのシギリージャの録音が流されました。その歌声に目を閉じこうべを垂れて聴き入るイネス。目をカッと見開き、天を仰いだまま聴くフアン。その二人を見ながらバスティアン・バカンのシギリージャを聞いていたら、涙がぼうぼう垂れてきた。

なんというフラメンコなんだ・・・・

それから幼い頃のイネスの話、家族との思い出、フェルナンダ(デ・ウトレーラ)の話などイネスの口からぽつぽつと語られるそれに、私はただただ呆然と耳を傾けていました。

なんというフラメンコなんだ・・・

家族から家族へと語り継がれ、歌い継がれるフラメンコ。そんなの当たり前のことだし、みんな知っていると思うのだけど、それを知識として知っているのと本物の生き証人の言葉を直に聞き、それが身体の細胞に直接取り込まれるのとでは全然違う・・・。

もちろん私はその家族の一員ではない。その時代に共に生きていたわけでもない。でも本物の生き証人の口から語られるその思い出を聞き、その時代に、その時代の人々に思いを馳せることができるのは本当に貴重でありがたい経験だと思う。

37memoriaそしてフアンの歌うソレア・・・・

なんというフラメンコなんだ・・・

フアンはプロの歌い手ではない。そして時と場所を選んで歌う(本当に心で感じた時だけにしか歌わない)のでも有名な人だ。私がフアンの歌を生で聞いたのはこれで3度目。初めて生で聞いたのは数年前、レブリーハの劇場で開催されたイネスとフアンの兄弟で偉大なギタリストのペドロ・バカンへのオメナへ公演、2回目はペドロ・バカン協会の会議の後のフィエスタ。そして昨日。いずれもソレアだった。

フアンの歌うソレア・・・・

なんというフラメンコなんだ・・・

確かに音程が不安定な箇所があるかもしれないし、届くべき音域まで届かない時もあるかもしれない。でもそれがわかっていたとしても、フアンのソレアの中にある「何か」を感じずにはいられない。また涙がぼうぼう垂れる。もちろんイネスの歌も素晴らしい。でも昨晩のあのフアンのソレアは尋常ではなかったように思う。

Vivencia(ビベンシア)という言葉がある。生きること。共に生きて一緒に経験すること、分かち合うこと。それがフラメンコの根底にある。それが彼らの歌と共に生き続ける。彼らの歌は単なる歌やミュージックでない。彼らの家族のそのまた昔の家族から代々大切な思い出と記憶として伝えられ、これから伝えてゆくものなのだ。

だから私のような外国人がフラメンコを学ぶには、その根底に敬意を払い学ばなければならないと思う。どんなに上手にスペイン人っぽく歌うことができても、それがただCDのコピーだとしたら・・・・?どんなに上手にフラメンコっぽく踊れたとしても、それがただ習った振付に過ぎないとしたら・・・?Youtubeの動画からパクッたパソのつなぎ合わせだとしたら・・・?

そういうことに何の疑問も感じない人が増えてきた現代だからこそ、イネスやフアンのような人達が持つ「Vivencia」は語り継がれなければならない。彼らの口から彼らの言葉で。なぜなら彼らがフラメンコの生き証人で、彼らがフラメンコの歴史だから。それを絶やしてはならない。

そして、私は私なりに感じたものを生徒さんに伝え、そして踊っていきたいと思う。

500x500最後になってしまったけど、もしバスティアン・バカンやフアン・バカンの歌を聴いてみたいなあという方、アントニオ・モジャが監修した「Flamenco en Vivo desde Lebrija Qué nos queda」という珠玉のCDがありますので是非聴いてみて下さい。

CDジャケケット写真中央で座っていらっしゃるのがバスティアン・バカン、その後ろに立っている男性が若かりし頃のフアン・バカンです。

今はもうこの写真の中で生きているのはフアン・バカンだけになってしまいました・・・。でもこのCDにぎゅっと詰まっているレブリーハの古き良き伝統はフアンを始め、彼らの子孫につながっているはず。だって今、レブリーハのフィエスタに行く時に聴ける歌と何ら変わりがないから。

このCDを聴くと本当にレブリーハにいる気がするんです。

写真:http://www.lebrijaflamenca.com/2018/07/celebracion-de-la-memoria-flamenca-en-la-choza-imaginaria-de-juaniquin/ より抜粋しました。

2018年7月5日 セビージャにて。

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