「KIZUNA〜絆〜」バダホス公演終了しました!舞台裏のお話。

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怒涛の日々がやっと終了しました。

過日の大阪クルージョの後すぐに東京に戻り、荷造りをし、日本を出発。火曜の夜にセビージャに着き、夜中にバダホス公演行きの荷造りをし直して、翌日の朝7:00にセビージャを出発。10:30にバダホスに着いたらタクシーで記者会見場に直行、その後またタクシーでリハーサルスタジオまで。(朝ごはんを食べる余裕もなかった)16:00頃お昼ご飯をやっと食べて、その後も練習、翌日も午前&午後練習、そしてその翌々日が本番!次の日はフラメンコ講演会があるとのことでホテルチェックアウトして、結局講演会はなく、セビージャに戻ってきました。夕方着いて、翌朝までひたすら眠り続けていたという・・・笑

こんなスケジュールでよく倒れもせずに踊って、無事セビージャまで戻れたなと思います。よく頑張った、萩原(自分で自分を讃える。)そして同じスケジュールでバダホスまで同行してくれた夫のアントニオ!ありがとう!絶対倒れるからついて来るなって言ったのに、「死んだら一緒にいられない!」と怒ってついてきてくれました。本当にありがとう。

前置きが長くなりましたが・・・

お陰様で無事「KIZUNA」バダホス公演が終了しました。皆様本当にありがとうございました。

「KIZUNA」
2018年9月14日(金)
ロペス・デ・アジャラ劇場(バダホス)
踊り:ヘスス・オルテガ
   田村陽子
   永倉麻貴
   水野眞那
   萩原淳子
ギター:ラモン・アマドール
カンテ:マヌエル・パハレス、フェフォ
パーカッション:ディエゴ・アマドール

昨年日本で開催された同公演に出演された踊り手さんが出られないとのことで、急遽代役として出演のお声をかけて頂きました。日本での公演・教授活動でスケジュールいっぱいいっぱいの中、群舞の振付をビデオで一人学ぶのは本当に大変でした。音と映像がずれていたり、細かいパソがよく見えなかったり・・・一度習った振付を忘れないようにビデオに撮っておく分にはいいですが、全く知らないものをそのビデオで学ぶというのは厳しかったです・・・。多分その場で教えてもらえればすぐに分かることもで、ビデオを解読するのに結構な時間がかかりました。ただでさえ時間がないのに、練習する時間がさらに減る・・・毎日毎日焦って、でも日本でのクルシージョや生徒さんの発表会をないがしろにはできないし・・・

なんか同じようなことが昔もあったなあ・・・確かもう20年以上も前、まだ練習生で会社員だった頃、AMIさんの公演に出演させて頂くことになり、公演1ヶ月程前にAMIさんから振付られて、あと1ヶ月あるでしょ!と言われたけど、会社員だった私にとっては練習日は4〜5日しかなかったという・・・。働いている時には踊れませんからね・・・。

今回の公演はあの時と同じくらい準備期間がなかった。あと1週間でも2週間でも早くお声をかけて頂いていれば・・・と正直思ったけど、いろいろご事情もあったのでしょう。仕方がなかったのかもしれません。とにかくそんな状況の中、なんとか振付を覚えてきた頃、振付が増え(!)そしてソロでアレグリアスを踊って欲しいと言われたのだけど、マントンとバタで、と言われ、えーマントンとバタのアレグリアスを踊るのは7年ぶり(!)と思ったけど頑張ってみた。そしたら今度は増えた振付が変更!なんなんじゃー。最初にお引き受けした時の条件からどんどん変わっていって、さすがの私もこれはダメかもと思いました。ヘススは気遣ってくれて覚えられる所だけでいいよ、と言ってくれたし、そんな私をずっと見ていたアントニオも「ジュンコにはハンデがあるんだから、他の踊り手と同じ事をする必要はないよ。」と言ってくれたけど・・・。確かに他の踊り手さんは同じ公演を昨年日本で3回踊っているわけで、私は1回も参加せずに一人ビデオだけで学んでいるから・・・でもそんな事はお客様には分からない。舞台の上に乗れば全員同じ!お二人のお心遣いだけもらっておいて、結局は全部覚えることに。

スペインに戻る前に東京のスタジオで、ビデオで学びきれなかった部分を、共演の水野眞那さんが教えて下さいました。2時間一緒に練習させて頂いただけだけど、すごくよく分かった!やっぱりその場で教えてもらえるのとビデオから取るのでは全然違う。。あの2時間がなかったら今回の公演は有りえない・・・本当にありがたかった。

バダホスに着いたら着いたでフォーメーションを覚えなくてはならないし、(ビデオだとイマイチ立体感がないのか、フォーメーションが分かりづらい。)それから自分でできたと思っていた部分でも細かい部分が違ってたりして、それは永倉麻貴さんが細かくご指摘して下さったのでそれも助かりました。(ちなみに、バダホスに着いてからもいろいろ変わってたしね。笑)

そんなこんなで舞台に乗せる上で、自分が目指す完成度には到達しない踊りになってしまった部分は否めない。仕方がないと思う反面、もし、自分にもっと実力があれば、もっとパッパッと振付を取ったり、フォーメーションを間違えなかったりしたのかな?とも思います。プロだから、そのくらいの変更なんかも当たり前くらいの気持ちでいないとね。最終的には、毎回変わるから、あ、また変わった、くらいの気持ちにはなりましたが(笑)

でも、今回その変更があったからこそ学べたことがあります。それはクリスティーナ・オヨスと旦那様のフアンが公演のアドバイスに来て下さったこと。当初の出演条件から追加された部分とさらにそれが変更になった部分は、クリスティーナ・オヨスの案によるもので、ヘススが私たち4人の日本人舞踊手にクラスをすると言うオープニングのシーンでした。どうも、もともとクリスティーナがそのシーンの振付をヘススにビデオで送って下さったらしく、それをヘススが学び、田村陽子ちゃんに教え、そのビデオが私を含む他の踊り手に送られてきました。なのでそれを私たちは学んでバダホスでクリスティーナと旦那さまのフアンに見て頂いたのですが・・・・

ご覧になってクリスティーナの渋いお顔。「私はヘススにそう教えたわけじゃないんだけど・・・変えてもいいかしら?」内心私は、(ひえーまた変わるの?←ちなみに本番2日前。)と思ってしまったのですが、田村陽子ちゃんの「とりあえずやってみましょう。」の一言で変えて頂くことに。(即答できる陽子ちゃんはさすが、小松原庸子舞踊団で揉まれてきただけある!すばらしー!)

そしてその変更の仕方が素晴らしかった。感服した。感動した。

その変更にはちゃんと意味があった。振付た人の単なる好みとかその時の気まぐれによる変更ではなく(そういうことする人もいる・・・)、その意味があっての変更。そしてその意味をきちんと説明して下さった。だから私たちは納得した上でその変更に対応できる。むしろ理にかなっているから、変更後の方がすんなり身体に入る。

さすがクリスティーナ・オヨス!

そしてさらにすごかったのは、変更の塩梅。クリスティーナはもっといろいろ変更されたかったみたいだけど、旦那さまのフアンさんが、変更はそのくらいにしておけ、と一言。本番2日前にしてその変更の塩梅、バランスをフアンさんがとって下さる。お二人の掛け合いが素晴らしい・・・・

でも私は知っている。フアンさんは私達の習熟度を見て、変更や手直しを随時追加して行ったことを・・・きっと初見でフアンさんはどこを直さなければならないか全部お見通しだったはずだ。でもそれをいきなり全部一度に指摘しないで、状況に応じて直された。全部一度に注意しても私たち(少なくとも私)の頭がパンパンになってしまうことを、最初から読まれていたのだろう。本当にすごい。

クリスティーナのお手本の動きも素晴らしかった。やはりビデオで学ぶのとは全然違う・・・・雲泥の差。雲泥の差。雲と泥!!!!動きも、彼らのアドバイス一言一言も全てが宝石のようでした。クリスティーナは「レッスン料をもらわないとね!」と冗談でおっしゃっていましたが、(もちろん徴収されていません)それぐらいの、いや、お金には換算出来ない価値のものでした。あの時間、あの場にいられただけでも、この公演に出演できた甲斐があるというもの。あの時、それまでの苦労が全て吹っ飛んだ。舞台に立つ前に私はもうそれだけで感謝していました。

そしてその後はクリスティーナとフアンさんも交えてビールを飲みに。クリスティーナとフアンさんの横に座らせて頂き、凄まじいお話もたくさん・・・。

まずは私が前日日本からセビージャに着いて、すぐにバダホス入りしたことを気にして下さり(なんとお優しい方々なのか・・・)、それから彼らが現役時代にどれだけご苦労をされたかというお話になりました。遠征費用がなくて、5回も飛行機を乗り継いだ話、当時共産国で踊るということは、首を斬られることにもなりかねない、にもかかわらず踊られた話・・・・そんなお話を伺って、私の苦労なんて「く」の字にも値しないと思った。恥ずかしい。ドイツで公演されたその日にベルリンの壁が崩れたお話も感動的だった。フラメンコには何かそんな力があるんだ!って勇気が湧いてきた。そして彼らは踊りを通して、人生を通してそういう勇気や感動を全世界の人に与えてきた方々なんだ、そんな彼らの隣で一緒にビールを飲ませていただいている私は、なんとちっぽけ、でもなんて幸せなんだろうって。今私ができることはそんなことをブログにして、読者の方々とそれを分かち合うことだけ。でも、それでもいつか私も踊りを通してそんなことができるのかな。世界を駆け巡ることは難しいかもしれないけれど、自分の近い人を少し幸せにすることはできるかもしれない!

・・・そんなこんなでバダホス入りした日から私は予期しなかった感動で胸いっぱい。ホテルに戻ってアントニオと、クリスティーナとフアンがどれだけ素晴らしいかを語り合った。

そしてバダホス2日目、公演前日。この日も午前、午後と練習。みんなに「時差ボケ大丈夫?」って聞かれたけど、はー?時差ボケ?そんな時間すらありませんよーという感じでした(笑)でも身体はかなり疲れていました。当たり前か。でも、実際疲れているよりも、多分脳が疲れていると思わせない指令を出していたのだと思う。じゃないとやってられない。人間の脳ってのはすごいなと思う。そして公演前日の夜は田村陽子ちゃんの旦那様のおごりで(日本からの応援、ありがとうございました!)、素敵なレストランでお食事を頂いた。本当はもっとガンガン食べて、飲みたかったのだけど(バダホスのワイン、美味すぎ!)明日本番だよーという、また脳みその指令が・・・(涙)泣く泣く抑えてホテルに戻る。

公演当日。今まで私だけギタリストと合わせをしていなかったので、当日の午前中にソロのバタとマントンのアレグリアスを合わせる。これもまた先述のクリスティーナとフアンさんにも見て頂けた。緊張したのか、ボケてたのか、回転したら前後がわかならなくなって、しばらく前後逆で踊ってしまった(笑)終わった後、「どこか直す部分があればアドバイスを下さい」とお伺いに行ったら、なんとお二人にお褒め頂いた!!!そしてクリスティーナからは

「ブラッソもとても美しいわよ」

!!!

クリスティーナ・オヨスのブラッソ(腕の動き)がどんなに美しいか、それはフラメンコを知らない人でも知っている。20年以上も前、クリスティーナは「徹子の部屋」に出演されていて、その時に黒柳徹子と話しながら動かしていた彼女のブラッソに私は釘付け、硬直したのだ。そのクリスティーナにそんなお言葉を頂けるなんて・・・もうこれで本番なくてもいいと思うくらい、また感動(涙)。

そして本番。自分の踊りはさておき、舞台袖のヘススに今度は感動した。みんなのソロが終わる度に一人一人を抱きしめたり、暖かい言葉をかけてくれたり、なんて優しい人なんだろう。自分の踊りだけできればいいんじゃないんだ。そしてさらに感動したこと。ソロの踊りでモニョ(フラメンコ式の髪型。)のネットが舞台上に落ちてしまった踊り手さんがいた。その踊りを舞台袖で見ていたヘススが「ネットが落ちっちゃったな」と一言。あ、ほんとだ、と私は言っただけだったのだけど、その踊り手さんは次の踊りまでに早替え(急いで次の衣装に着替える)しに舞台袖まで戻った後、ヘススが私に言ったのだ。「ネットとピン、余分に持ってる?」・・・え?と一瞬思ったけど、考えている暇はなかった。はい!持ってます!私は楽屋に飛んでいき、予備の自分のネットとピンをヘススに渡す。・・・まさか、今からモニョを作るの??!!!先の踊り手さんの後、次の私たちの群舞の間は、歌い手2人がそれぞれマルティネーテを1曲ずつしか歌わない。だからその踊り手さんは早替えになるのだけど・・・その二人目歌い手の、もうその曲が後少しで終わっちゃうよ!!!という所で、ヘススはその踊り手さんのモニョを結い出したのだ。私は心臓が飛び出そう、そして泣きそうだった。私は間に合っている。でも彼女が間に合わなかったら???いや、間に合う!絶対間に合う!祈るような気持ちで、ヘススにピンを一本一本渡した。

間に合った!

ジャスト!

本当に歌が終わった時に、モニョが完成したのだ。

こんな奇跡があるのか!!!ヘスス、すごい!!!

日本で一人、ビデオで学んでいた時は全然分からなくて、ギリギリまで不安だった群舞のマルティネーテ。でもその舞台袖で、私の不安はどこかにぶっ飛びました。改めて本番のビデオを見れば、私はたくさん失敗もしているかもしれない。でもあのマルティネーテは特別だったな、私にとっては。

そして私の日本の師匠AMIさんにも感謝した。初心者で発表会に出た時から、AMIさんはおっしゃっていた、「モニョは絶対崩さない!」「ピンとネットは必ず余分に用意しておくこと!何があるから分からないから!」 そうやって口酸っぱく教えこまれて来たから、今の私がある。

その後の私の出番はソロのバタとマントンのアレグリアス。自分ではイマイチの出来だと思った。タブラオやペーニャのような場所では踊り慣れていても、広い劇場舞台というのはあまり慣れていない。そういうこともあったかもしれない。踊り終わった後、どうだった?ってヘススに聞かれてそれを答えて、だからこそ、今回のような機会を与えてくれてありがとうと伝えた。意気消沈して楽屋に戻ったら、眞那さんが「お客さんの拍手がすごかったよ」と教えてくれました。全然聞こえなかった・・・自分では分からなかったけど、お客様が喜んでくださったのなら、それは嬉しい。

フィナーレのタンゴは、すごく楽しくて、というのもそれまで緊張されていた踊り手さんがものすごい笑顔で、その顔を見たら私まで喜び爆発!そしてタンゴのレトラ(歌詞)でさらに爆発!

“Yo he venío de Badajoz
con mi niño de la mano
ese que camelo yo”

あー私、本当にバダホスで踊っているんだ、そしてバダホスでこの、エクストゥレマドゥーラ地方のタンゴを聴いているんだ、本当なんだって、涙出そうだった。

その後嬉しすぎて、他の踊り手さんやヘススにハレオをかけたりして(そういう設定ではなかったと思うのだが、思わず出てしまった。)さらには興奮しすぎて振付を間違ったりしたのだけど(本当にすみません)、でも最後だから。フィン・デ・フィエスタ的なものだからいいんじゃない?だって人間だよ。完璧にキレイに踊ったって心がなかったらそんなのフラメンコじゃない。もちろん状況によって間違えずに踊るも必要あるけど、フィナーレだから。

バタ・デ・コーラの巨匠ミラグロス・メンヒバルが言っていた。バタがひっくり返らないように注意して完璧に踊るよりも、ひっくり返ったってエネルギーがある方がいいって。重要なのはエネルギーだって。

・・・そういうことにしておこう。(笑)

後から参加した私をいろいろと助けてくれた陽子ちゃん、まなさん、まきさん、本当にありがとう。
みんなは日本ですでに3公演しているから、私が分からないこととか当たり前だったのだと思うけど、それでも辛抱強く助けてくれました。
大切な公演に呼んで下さったヘススありがとう。
たくさんの素晴らしいお言葉を下さったクリスティーナとフアンもありがとう。お客様もみんなみんなありがとう。あんなに疲れ果てていたのにこんなに素敵な舞台写真を撮ってくれたアントニオもありがとう。

たくさんの苦しかったことが、バダホスに来て全て流れてゆきました。でも苦しかったからこそここまで来れたのかな?諦めないでよかった。

これからもがんばろ。

次回は10/30(火)セビージャ「Laberinto(ラベリント)」で踊ります。詳細は後日!

舞台写真:アントニオ・ペレス

2018年9月17日 セビージャにて。

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