「フラメンケリア」ライブ、志風恭子さんのお言葉と夫アントニオの言葉から考える。

DSC_2037DSC_2069DSC_2073DSC_2030DSC_2184DSC_2213DSC_2219DSC_2225DSC_2232DSC_2253DSC_2276みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先日の「フラメンケリア」ライブでの写真(アントニオ・ペレス撮影)をアップします。ライブではバタ・デ・コーラ(裾の長い衣装)でグアヒーラを踊りました。バタでのグアヒーラをライブで踊ったのは初めて!当日は時間がなくて事前の合わせがほとんどできなかったので、即興の部分が結構多かったかなあ。特に歌の部分はグアヒーラの場合は長さが変わるので、バタで即興というのはやはり難しかったです。アレグリアスやソレアはバタで何回も踊っているので即興でも慣れてきましたが、グアヒーラはそれ程人前では踊っていないので・・・。コンパスを外したりとかそういう問題ではないのですが、歌との絡みがあともう一息だったかな。それは今後の課題。がんばろ。

お客様からはたくさんのお喜びのお声を頂き嬉しかったです。本当にどうもありがとうございました!!!

バタのグアヒーラを今回踊ってみてよかったです。共演の平山奈穂ちゃんがソレア、大井昌子ちゃんがタラントを踊るのは決まっていたので、じゃあ私は明るい曲がいいかなと思って、アレグリアスにするかグアヒーラにするかちょっと迷いました。アレグリアスは鉄板。バタでもマントンでもOK!でも毎回観に来て下さるお客様もいらっしゃるから、今回はよく踊るアレグリアスではなく、グアヒーラにしてみようと。

最初はバタではなく、普通の衣装のグアヒーラを踊るつもりで練習していたのですが、本番数日前から「バタで踊ってみようかな」とふと思ったんです。というのは、前回のヘレスでのライブをご覧になったフラメンコジャーナリストの志風恭子さんのお言葉がずっと頭のどこかに残っていたから。

「萩原はアレグリアス。バタやマントンではなく、普通のワンピース。 抜群の安定感。表情もよく、いうことはない。現時点でできることは全部やってる、という感じ。長年スペインで舞台に立ってきたという自信が、実力。その先に行くのはもっと難しいんだよね。がんばれ!」
(志風恭子のフラメンコ最前線「ヘレスのフェスティバル三日目 オフ・フェスティバル/松彩果と萩原淳子」→http://noticiaflamenca.blogspot.com/2019/02/blog-post_25.html より抜粋)

「その先に行くのはもっと難しいんだよね。がんばれ!」

このお言葉がずっと残っていて・・・。

「その先」というのが自分にとってどこなのか、そしてこれからの残された人生の中で「その先」にどう向き合うのか、どう向き合えるのか、ということを考えていました。今まだ、自分にとっての「その先」というのがうまく見えていないし、分かっていないというのが正直な所。でも今の自分がやるべきことは、今の状況に安住しないこと。なんでもいい、とにかく挑戦すること。それは他人から見たら大したことではないのかもしれないけれど、自分の中で毎回小さな目標を作ってそれに向かっていこうと思ったんです。

もちろんいつも踊っている曲を毎回踊って、それを深めていくということも重要です。でも最近の自分は、いつも踊っている曲なら安心ってどこかで逃げている部分もあったような気がする。だからそれを思い切ってバッサリ断ちたいと思った!

それが今回のライブでは、ではグアヒーラをバタで踊ってみよう、初めての踊りに挑戦してみようということでした。本当に大したことではないですけど(笑)

でもいいんです。

まずは

「隗より始めよ」です。

先述の通り反省点はあるけれど、新しい曲に挑戦するというのは単にレパートリーが増えるということではなく、違うカンテ(歌)を聴くことで、新たな自分を発見すること。その歌、その歌を感じる自分の引き出しが増えてゆくこと。それって素晴らしいことではないかなと私は思う。フラメンコにはたくさんの歌がある。その歌独自の特色がそれぞれある。なぜならその歌によって由来、歴史、土地、コンパス、歌詞などが異なるし、さらには歌い手によっても歌い方が全然変わってくる。だからそこから生まれる踊りというのも当然変わってくる。このフラメンコの豊かさというのが、フラメンコの素晴らしい魅力の一つだと思う。そしてその豊かさを享受できる耳と心を持っていることも幸せなことだと思う。自分が踊る踊らないは別にしても。

そんなことも思いながら、夫が撮ってくれた写真を眺めていました。ご覧頂けるとお分かりになるかと思いますが、一般的な写真とブレているような写真があります。このブレの方はなんなのだろう?と思われた方もいらっしゃるかな?実は、このブレはガラス窓を撮影しているからなんだそうです。フラメンケリアのタブラオは、グアダルキビル川のほとりにあり、タブラオの側面がガラス張りになっていてタブラオの向こうに川が見えるようになっているんですが、そのガラス窓に映った像を撮影している。おそらく防音のためかガラス窓は分厚いはずなので、それによって像がブレて見えるというわけ。だから写真はガラス窓に映っている私(タブラオ内)とガラス窓の向こうのグアダルキビル川の像(タブラオ外)がミックスされて一つの像になっている。ちょっとややこしいですが、窓ガラス越しに、窓ガラスに映った自分と窓の外の風景を同時に見ている感じ。鏡だったら鏡の向こう側の像は見えないけど、窓ガラスだったらそれが可能なわけですね。

夫は言っていました。踊り手のかっこいいポーズの写真だけを撮るのはつまらないと。それはある程度の技術があれば誰にでも撮れる、確かにそれは分りやすいので一般ウケするし、需要があるからプロとしてそういう写真は撮る。でもそこには写真家としての創造性がないのだと。自分が写真を撮るときには、いつもその創造性を発揮させるようにしているのだと。そうでなければ、いつも同じような写真の繰り返しにしか過ぎないのだと。

夫はアーティストだ。

私も見習わなくてはならない。

2019年3月15日 セビージャにて。

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