「ペペ・エル・ボレーコ」と「トマス・デ・ペラーテ」のコンサートに行きました

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

週末の台風は本当に心配でした。前回の9月台風で停電になった両親の家も、東京の妹の家も大丈夫だったとのことで一安心しましたが、各地での被害の様子を目にすると心が痛みます。1日でも早く安心できる日が戻りますように・・・

そしてこの週末はなぜか胃痛。今まで胃なんて痛くなったことがなかったので、これが世に言う胃痛かあ・・・・と。なんでしょう、先週はお友達との外食が続いていたので胃が疲れていたのかな。そしてトドメは土曜の朝ホテルの朝食バイキングに行ったことか?バイキングだと思うとモーレツに食べてしまうこの貧乏性(笑)。普通はそんなに朝ごはん食べないよね?と思うのですが、もう一人の自分が「バイキングだ、食べてしまえー」と脳に指令を出しているのか?(笑)

71935320_193811254970579_2015602811705753600_nそしてその日の夜はペーニャ・トーレス・マカレナでペペ・エル・ボレーコ(Pepe El Beloco)という若手の歌い手のコンサートがあったのですが、ものすごいお客さんの中酸素不足になり、しかもお客さんの体臭なのか何なのか吐き気が・・・1部の後新鮮な空気を求めて表に出たら、今度は外でマリファナを吸っている人たちが・・・(スペインではマリファナは結構吸われていますので。)その匂いでまたオエッとなり、胃痛と吐き気とで耐えられなくなり1部で退散してしまいました・・・。

ああ残念だった・・・。

「ペペ・エル・ボレーコ」はカンテの好きな人ならご存知かと思いますが、プエブラ・デ・カサージャというセビージャ郊外の街出身の超若手の歌い手です。まだ20歳くらい?が、燻し銀のようなその古い声。往年の歌い手「チョコラーテ」によく例えれらますが、いやあ、あの年であの歌だったら将来どうなってしまうんだろう。将来有望なんてレベルを超越しちゃってる、既に。予測がつかない末恐ろしさ。

同世代のやはり末恐ろしい歌い手、「マヌエル・デ・ラ・トマサ(Manuel de la Tomasa」「エル・プリリ(El Purili)」と合わせると、この3人は何かの目的のためにこの世に生まれてきたんじゃないかと思えるほど。

今回はボレーコのコンサート1部しかいられませんでしたが、のっけのマラゲーニャからぞわぞわっとしました。私の近くにいた空気の濃すぎた集団は、ボレーコの故郷「プエブラ・デ・カサージャ」からやってきたボーレコ親衛隊だったようです。親衛隊って言っても私より年上の大の男達(女性もいたけどほぼ男性)で、確かに自分の街からあんな若いしかも底知れない歌い手が生まれたら親衛隊になるよな、と。もちろんフラメンコ愛好家です。もっと言えばカンテ愛好家。あの集団から発せられる「oleeeee」の圧。そして会場にはロタ(カディスの村)やアルヘシーラスなどの他県からも愛好家達が駆けつけていました。そんな皆さんと同じ瞬間に同じく「oleeeee」と声が出てしまう時には本当に幸せを感じます。

そのマラゲーニャの動画をYoutubeで発見!Pepe El Boleco con Antonio García – Peña Flamenca Torres Macarena12-10-2019 – Malagueñas

———–

スクリーンショット 2019-10-14 8.12.14そして、話は前後してしまうけど、前日の金曜には「トマス・デ・ペラーテ(Tomás de Perrate)」のコンサートに行ってきました。大好きなんです、トマス・デ・ペラーテ。セビージャ郊外のこれまたフラメンコ色の濃い街、ウトレーラ出身。そのウトレーラが生み出した偉大な歌い手「ペラーテ・デ・ウトレーラ(Perrate de Utrera)」を父に持つそれは濃い濃い歌。彼の十八番ブレリアでは往年のウトレーラの歌い手達を彷彿させ涙が出るほと興奮します。それと同時に彼独自の声、音がある所にも惚れる!フラメンコ史に残る偉大な父を持つ歌い手が絶対やらないであろう、ジャズやロックなど他の音楽とのフュージョン。それをやってしまうんだな、このトマス・デ・ペラーテは。その奥行きの深さ。

金曜のコンサートはアルフレッド・ラゴスのギターと二人だけだったので純粋なフラメンコの歌、と思いきや、二人が好きだというピアソラのタンゴも飛び出た!でもトマスの色と味なんだよなあ、本当にすごい。

へレスのギタリスト、アルフレッド・ラゴスの音も心地よかった。でも、カンティーニャスやブレリアの時にどうしてもあのウトレーラの味とは違う音というかコンパスになってしまう。トマス自身がそれらを歌う前に「私の土地ウトレーラでは落ち着いて歌うことが多く、私もそういうスタイルが好きです」と前置きしていただけに、それはちょっと残念だったなあ。現代だったらアントニオ・モジャだろうか、そういう伴奏ができるのは。やはりウトレーラにはウトレーラの、へレスにはへレスのコンパスがある。どっちがいい悪いじゃなくて、単に違うということ。

あとはシギリージャ。私たちがよく聴くシギリージャ(Siguirilla)ではなく、その前の世代のセギディージャ(Seguidilla)と呼ばれていた歌を聴かせてくれた。それから最後は16〜17世紀に結婚式で歌われていたという歌。フラメンコの曲種で「アルボレア(Alboreá)」というのがあって、それが結婚式で歌われるフラメンコの歌と現代では言われているけれど、それとも全然違う。全く違った。トマスがそれを歌う前に「これはフラメンコの曲種にはないけど、ま、俺が曲種にしちゃうけどね」と言っていました。やはりトマス最高。かっこよすぎる。

コンサートが終わった後、フラメンコ通の他のお客さん達が話していたけど、この2曲は彼らも今まで聞いたことがなかったそう。へーやっぱり、すごい貴重な曲を聴かせてもらったんだなあ。

フラメンコの土地に生まれ、偉大な歌い手の父を持っているだけでもすごいのに、それにとどまっていない。フラメンコのルーツのそのもっと前の深いルーツまで研究し歌い、更には現代の音楽ともフュージョン。だからこそ、彼だからこそフュージョンできるという話でもあるか。

あ!そしてあのコンパス!パルマ(手拍子)、ヌディージョ(拳でテーブルを叩いてリズムを刻む)足。足と言っても踊り手みたいな靴を履いてサパテアードをするわけではない、普通の靴でリズムを刻むだけなのだけど、それがすでに音楽になっている。よく歌い手のソロコンサートでは、リズムのある歌の時にパルメーロ(手拍子専門の人)が出てくるけど、あの日のトマスには必要なかったなあ。もちろんいたらいたでいいんだろうけど、トマスが人間打楽器になっているので、多分それ以上の音はいらない。本当に稀有な歌い手。

いい歌は自分の身体の細胞に染み込む。栄養になる。ただ歌を聴く、そういう時間が自分には必要だなと思う。そうでないと枯れてしまう。

ちなみにこのコンサート、セビージャの「Espacio Turina」で開催されていました。宣伝が足りないのかお客さんが結構少なめでした。(少ない割には濃かったですが)調べてみたら今後もフラメンココンサートがあるようです。

詳細はこちら→https://onsevilla.com/ciclo-flamenco-turina-2019-espacio-turina-sevilla

————

ブログを書いていたら段々調子がよくなってきた気がします。笑

今週もがんばろー。

2019年10月14日 セビージャにて

Comments are closed.