Jul 27
続々/コンチャ・バルガスのクラス
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 07 27th, 2012| Comments Off

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

まだ続きます。コンチャ・バルガスのクラス。学ぶことが多過ぎてブログにしないと忘れちゃうよ。でも一番深く学んだことはブログにできない・・・

  • 7月16日(月)

暑い。気温46度の中、20数名の生徒ぎっしり+熱いコンチャ。暑い。18時。セビージャの最も暑い時間帯。そしてスタジオの中には外に面した大きな窓ガラスから西日が・・・しかも冷房がきかない。サウナ状態。何人かが具合悪くなって座って見学。萩原も暑過ぎて意識朦朧。クラスの内容覚えていません。。。。唯一覚えているのは、クラスが終わる瞬間コンチャが叫んだ言葉「これ以上はもうムリ!!!!!」

  • 7月17日(火)ブレリアクラス

今日も暑いが、昨日の反省から今日は集中。ブレリアの最初のジャマーダはファルーコ(現在のファルキートの祖父)のものだと言う。コンチャがこんな話しをしてくれた。

「私はファルーコに習ったことはない。でも2年間、タブラオでファルーコを見ていた。当時のフィグーラはファルーコ、マティルデ・コラル、ラファエル・エル・ネグロ。私はマヌエラ・カラスコとローレと一緒に前座で踊っていた。自分の出番が終わると衣装を脱ぎ、すっ飛んで彼らの踊りを観に行った。毎日毎日。だから私はファルーコのレッスンを受けたことはなかったけど、ファルーコはたくさん教えてくれた。」

・・・『衣装を脱ぎ、すっ飛んで』という部分でところで、コンチャは実際にそういう動作をする。そして『観に行った』というところで、コンチャがかがんでひざに手をあて、ただでさえ大きな目をぎょろっと開く。・・・萩原は思う。この人はアーティストである。踊らなくてもその存在自体がアルテである。

その後、コンチャに「場所はどこだったのですか?」と私が聞くと、コンチャはさらなる話しをしてくれた。「ラ・コチェーラというタブラオ。メネンデス・ペラージョ通りにあった。そこでファルキートが死んだのよ。ファルキートってのは今のファルキートではなくて、ファルーコの息子、今のファルキートの父。彼もコチェーラで働いていた。普段はファルーコと車でブレーネから、ブレーネってのは彼らが当時住んでいた村だけど、そこから車でコチェーラまで来ていた。でもその日ファルキートは『おれはバイクで行く』と言ったそう。当時タブラオは21時頃始まった。でもその時間になってもファルキートは来ない。22時になっても、23時になっても。ファルーコは警察なんかに連絡せずに、自分の車で息子を探しに行った。そして見つけたのよ。道路で死んでいる自分の息子を。」

コンチャは「ミラミラ」と言って、鳥肌が立った自分の腕を生徒達に見せる。そして続ける。

「ファルーコはその後、深刻な鬱病になった。そして何年も踊らなかった。靴を売っていたのよ。生計をたてるために。」

・・・そのジャマーダを教える時に、コンチャは「飛べ!」と何度も強調する。「私はもう年だしひざが悪いから飛べないけど、あんた達は若いから飛べ!」と。今まで私はクラスの中で教わった通りにただ飛んでいた。でもそこにはコンチャがファルーコと生きてきた時間と歴史があったのだ。フラメンコの歴史。

昔トロンボに習った時もファルーコの〝飛び〟を習った。トロンボを通して。あの時トロンボは言っていた。「ファルーコは踊りの中でたった1回しか飛ばなかった。飛べばいいってもんじゃない。1回だけでいいんだ。でも本当に飛べ。」と。

  • 7月17日(火)カンティーニャスクラス

今週から新しい生徒達が入って来た。皆初心者だ。先週まで一緒に受けていたグラナダの踊り手はレッスン代がもう払えない、と来なくなってしまった。彼女がいなくなってしまったこともあり、他の生徒達と私のレベルが違いすぎる。コンチャは彼女達に合わせて、本当に辛抱強く懇切丁寧に教える。

コンチャは私に言う。「私がどう教えるか学べ。」そうなのだ。それは私が時々クラスでこっそりやっていることなのだ。どうしてコンチャに分かってしまったのだろう。つまり、私は自分が教える立場でもあるので、自分が習っている時にその先生がどのように教えるか、それぞれの生徒達のどこに問題点があるか、もし自分が教えるならどうするかという視点でクラスを受けることもある。自分が踊れるようになることと、それを教えることは全く違う。踊るための勉強が必要なのと同じくらい、教えるための勉強というのも必要なのだ。そしてコンチャ自身も毎回のクラスを通して、どう教えたら生徒がきちんと学べるかという点に真摯であるように思える。

そして初心者の生徒にコンチャは数を数える。この点に関しては私ははっきりとした答えを見つけていない。先生によっては動きを全て数で数えて教える先生と、逆に「数えるな」という先生がいる。私は自分が教える時には最初は数えずにリズムやコンパスから教える。パソを教える時には、足よりも先に口でリズムがとれているか確認する。そのために、目を閉じさせて音に集中させることまで徹底している。目を開けていると、音をとるよりも右とか左とか、プランタとかタコンとか視覚的なことに気が散ってしまうからだ。音を先にとってしまえば後は早い。その音にのっとって右とか左とか見ればよい。プランタ、タコン、ゴルペも音を聞けば、それが何なのか分かるはずだから。その上で数えるべき時は数える。・・・これが今までの私の教え方だったけど、コンチャのように一つ一つの動きを数える訓練も積もう。きっとそれは自分が教える時に役に立つはずだから。

でも・・・思う。コンチャにはまずコンパスがあって、それを数えて教える。動きに数をあてはめることを学んでいる。でも多くの生徒は逆だ。生徒にはコンパスがない。そこから数を数えられて教わる。すると生徒はいつコンパスを学ぶのだろう。コンパスが人生の中に、生活の中にない私達はいつコンパスを学ぶのだろう。それが外国人である私が学ぶ時の、教える時の重要なテーマだ。

  • 7月19日(木)ブレリアクラス

踊りの上手な外国人の生徒がコンチャに質問する。前に歩いて行ってジャマーダに入る部分。コンチャはかがんで歩け、と教えた。それに対してその生徒は「どうも上手くできないのでどうしたらよいか教えてほしい」と言う。コンチャに「やってみろ」と言われて彼女は一人でやってみた。確かになんだか変だ。普段の彼女は全体的に踊りはソツなく上手に踊っている。彼女の国では有名な踊り手なのだろうと容易に推測できるくらいの高い舞踊レベルである。でもその部分はなんだか変だ。(萩原、自分のことは棚に上げてます)コンチャは「歩幅をもっと小さくしろ」とか「もっとかがめ」とか教えるけれど、彼女がその通りにやってみればみるほどおかしい。「どうしたらいいの!できないのは私だけ?!みんなはできるわけ?!」と苛ついて教室全体を見渡す彼女にコンチャは言う。

「あんたの踊りにはサルサ(ソース)が足りない。フラメンコはガスパチョと同じ。オリーブオイルじゃなくて、あんんたの踊りにはひまわり油が入ってんのよ!」

・・・・強烈なお言葉。以降彼女は黙ってしまう・・・

・・・・萩原唸る。彼女に向けられた言葉は世の中100万人フラメンコを学んでいる人にもあてはまる。もちろん私にも。もしかするとあなたにも。

  • 7月19日(木)クラスの後で

お友達夫婦が、セビージャ郊外にある日本料理レストランに連れて行ってくれるというので、もちろんついていった。そこで私達が食べたもの。

①わかめとえびの酢の物

②まぐろのたたき

③野菜の天ぷら

④えびの天ぷら

⑤焼き餃子

⑥寿司

⑦刺身

⑧冷酒

⑨抹茶アイス

であった。「おいしい」という噂をかねがね耳にしていた通り、おいしかった。見た目もとんちんかんではない。セビージャ市内にある日本料理レストランとは格が違う感じ。

・・・でも・・・厳密に言うと日本食とは言えないような気がする。日本食と言うには何かが違う。何かが足りない。その点を上記のメニューそれぞれにおいて考察してみた。

①酢の味が微妙に違う。

②タレがない。

③天ぷらではなく厳密にはかき揚げ。しかも野菜が太切り。

④なぜか〝自家製トマトソース〟がついている。

⑤焦げ目がない。

⑥ にぎりを自分の皿にとろうとするとシャリが真っ二つに割れる。軍艦巻は高さがありすぎて食べづらい。無理に食べるとやはり崩壊。(しかも、「食べ方のお手本を見せて」と言われて彼らの前で食べた挙げ句の崩壊。)

⑦切り方が厚過ぎる。

⑧あまり冷えていない。

⑨アイス3玉は多過ぎだろう。しかも全部抹茶は飽きるよ。

・・・そう、でもこれは私が日本人だからの意見であって、スペイン人のお友達夫婦は「うまい、うまい」と食べていた。もちろんそんな事を言ってせっかくの食事に水を差すのもなんなので(しかも彼らの奢りだったので)私ももぐもぐ食べていた。実際おいしかったし。

つまり、こういうことだと思う。日本食を知らない人が日本食を研究してマネしたのがここのレストランの料理だと思う。コックは多分日本人ではない。でも日本人でないのに、よくぞここまで研究したなと萩原は個人的に褒めてあげたい。その研究が中途半端なまま料理にしちゃっているのが、その他大多数のセビージャ市内の日本食レストランでだと思う。だからそれに比べたら、ものすごい研究努力がうかがえる。それがお料理の見た目と味に現れている。スペイン人達が「おいしいおいしい」と噂する理由はここにある。

でも、厳密には日本食じゃないんだよ。それが、お料理としてではなく〝日本食として〟おいしくなるための、肝心な所が足りない。もしくは違っている。日本人以外の人からすればそれは本当にささいな事かもしれない。でもそれがズレていることで、お料理としてはおいしくても〝日本食として〟おいしくならない。

そう、コンチャがクラスで言ったことってそういうこと。フラメンコを知らない人が見れば、その踊りは上手でフラメンコっぽく見えるかもしれない。でもフラメンコを知っている人からすると、どんなに上手でフラメンコっぽく踊ってもフラメンコではない。踊りとしてはおいしくても、フラメンコの味がしない。フラメンコの味になるための決定的な何かが足りないか違っている。例えば、お料理にソースがないように。例えばガスパチョにひまわり油を入れてしまうように。

2012年7月 来週でコンチャのクラスが終わるセビージャにて。

Jul 13
続/コンチャ・バルガスのクラス
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 07 13th, 2012| Comments Off

今月もコンチャ・バルガスのクラスを受講する。ブレリアとカンティーニャス。

  • 7月3日(火)ブレリアクラス

先月から引き続き受講しているのは私を含め3人くらい。その他10数名は今月から。コンチャは先月とほぼ同じ振付のブレリアを教える。なんだ、また同じ振付か、と思う人はコンチャに習わない方がよい。あ、もうその振付知ってる、と思って受講するのもやめた方がよい。自分が知っていると思っているだけで知らないことだらけなのだ。フラメンコは。

コンチャがあるブレリアのパソの所でこんな説明をする。

「ここの部分は、私ならではの部分。コンチャの部分。だから数えることも教えることもできない。できるけどできない。30年教えてきて、ここ数年前からそういう部分を教えるようになったけど、まだ上手く教えられない。」

そう、それは左とか右とか、どの角度でか、とかそういう尺度でとれる振付なのではない。だからそういう質問をする方が本当は野暮というもの。フラメンコはその人自身がその人の人生の中で感じたこと、生きていることが瞬間的に現れるもの。その瞬間を説明しろ、というのは無理だから。

それを一番最初に私に教えて下さったのは、高橋英子さんだ。もう15年くらい前になるかな、英子さんのクルシージョで、あれは確かカーニャを習った。今ではもうカーニャの振付も何も覚えていないけれど、はっきり覚えていることが一つだけある。カーニャの最後のひっこみの部分で英子さんは、あの当時の私が見た事もないような動きをされた。(多分即興で)なんだろう!今の動き!分からないけど、きっと今のがフラメンコだ!と思った瞬間、私は即座に「すみません!今の動きを教えて下さい!」と叫んでいた。すると英子さんはしばしの沈黙の後こうおっしゃったのだ。

「教えたり教わったりするものじゃないのよね。私はこの動きを生活の中から学んだから。」

・・・・〝生活〟から学ぶ・・・・教えてもらえない、ということ・・・????????????

今なら分かる。でもその当時は意味が分からなくて、「なんで教えてくれないんだろう、こっちは一生懸命フラメンコを学びたくて英子さんに習っているのに。」と思ってしまった気がする。でもあの時の英子さんの言葉はずっと私の中に残っていて、その後数年経ってからやっと分かった。そして自分がセビージャに住むようになってもっと分かった。

英子さんは正しかった。そしてコンチャも正しい。

  • 7月3日(火)カンティーニャスクラス

ブレリアクラスが教室まんまんの人数だったのに対し、このクラスはたったの5人。パルマを習う。踊れる人も初心者も皆、パルマを習う。1時間ずっとパルマ。そのせいか、昨日来ていた人で来なくなってしまった人もいる。コンチャはパルマの重要性を説く。

「パルマをたたけなければ踊れない。パルマを学ぶことでどれだけ踊りを学ぶ助けになるか。昨日1時間パルマを学んだ。今日も1時間パルマ。でもその重要性を知る人は少ない。ブレリアのクラスはあんなに生徒がたくさんいたのにこのクラスの人数がこんなに少ないのがその証拠。」

その通りだと思う。そしてやっぱり叫ぶ(!)コンチャ。

「私が教えなければならないことを教えられずに、教えたくないことを教えなくてはならないのは、なんという苦しみ!!!!!なんという悲しみ!!!!!私が教えたいことを教えると、生徒はいなくなってしまう。皆足をぴょろぴょろ動かす踊りが好きだから、1時間座ってパルマなんてやってられないと思う。でも本当に重要なのはパルマなのに!私はペペ・リオスの舞踊学校で最初に毎日パルマを習わされた。6ヶ月間毎日パルマ!!!だからこそこのコンパスがある!!!」

そして続ける。

「皆新しい振付やパソを知りたがる。そんなにたくさん学んでも、一つとしてできていないくせに。そしてそんなことにお金を払いすぎる。学べていないのに払い続けている。悪いけど、特に、ヨーロッパの人はほとんどそう。もちろん私は彼らにパソや振付を教えることはできる。でも『そんなことでは決して学べない』と面と向かって言っている。でも日本人は違う。彼らは学び方を知っている。だからどんどん伸びる。そして 〝Imitan bien.〟( まねるのが上手い。)」

〝日本人が学び方を知っている〟、というのは人によると思うけど、それ以外は全く持って同感。

そして最後のコンチャの言葉。コンチャは〝Imitan bien〟(まねるのが上手い)と言った。その踊りは本物か、イミテーション(Imitación)か・・・

  • 7月4日(水)ブレリアクラス

コンチャの言葉。「私自身が〝Bulería romanzada(ブレリア・ロマンサーダ)〟の歴史である。私が死んだら、いつの日か『あのヒターナが bulería romanzada を踊った』と後世語り継がれるようになるだろう。」

・・・・全くもってその通りである。萩原、感服。

そして今日も叫ぶコンチャ。

「私はヒターナだ!!!私はコンチャ・バルガスだ!!!その私が教えたいように教えさせろ!!!」

一瞬シ〜ンとなった生徒達を前にコンチャはものすごい形相で、うなずきながら自分で拍手をし始める。それにつられて魔法からさめたように拍手をし始める生徒達。(私もですよ)よって、コンチャの好きなように教えるクラスの開始。そう、パルマから。

  • 7月4日(水)カンティーニャスクラス

コンチャがこんな話しをする。「もう21年くらい前になるけど、当時私は妊娠6〜7ヶ月でセビージャのビエナルでカンティーニャスを踊った。本当は踊るつもりはなかった。でもペドロ・バカンに『コンチャ、お願いだから踊って。妊娠している女性が踊ったっていいじゃないか。妊娠しているからこそ踊ってほしいんだ』そう説得されて踊った。とても太っていたの。だから肩から斜めに布をかけてお腹を隠した。赤い衣装だった。そしてこのカンティーニャスを踊った。ギターはペドロ、カンテはエンリケ・ソト。たくさんの人があの踊りを見て泣いた。そして今でも皆覚えている。あの赤い衣装のカンティーニャスを。」

コンチャがその話しをしながら、こう踊ったのよ、とブラッソを動かした。その瞬間、鳥肌が立ち、涙が出た。

  • 7月6日(金)カンティーニャスクラス

コンチャの言葉「私の踊りは何もやっていないようで、全てをやっている。」

  • 7月9日(月)ブレリアクラス欠席・・・

最近忙しい。この間はクラスにぎりぎり間に合うか?というところで自転車をすっ飛ばしてこいでいたら、おじいさんとニアミス。「ごめんなさい!!!!」と謝っておじいさんの顔をよく見たら、歌い手のパンセキートだった。あやうくパンセキートを自転車でひくところだったのか・・・反省。交通安全。

  • 7月10日(火)ブレリアクラス

コンチャの言葉「学び方を知らずに踊りを習ってどうするのか。」

  • 7月10日(火)クラスの後で

一緒にクラスを受講しているグラナダの踊り手〝N〟と、トゥリアーナの女の子〝E〟とピザを食べに行く。すると、そのレストランに、先日私が自転車でひきそうになったパンセキートとアウロラ・バルガス夫妻がやって来る。私達のすぐ隣のテーブルにつく。パンセキートは私のこと覚えているだろうか・・・とちょっと心配。アウロラ・バルガスはアーティストの後光がさしている。

NとEからすごい話を聞いてしまった。なんと、私がブレリアクラスを休んだ昨日、コンチャがクラスで激怒したそうだ。なんでもある生徒が「コンチャがちゃんと教えていない」と学校側に文句を言ったらしい。え〜!!!!驚く萩原。コンチャはきちんと教えているのに!!!しかしすぐに誰がそんな文句を言ったか大体の予測はついた。そしてその生徒は、私の予測通りの人だった。

踊りの上手な外国人の生徒がいた。いつも最前列、コンチャの横に陣取っている。踊りは上手いのだが、自分が上手いことを鼻にかけている。(というのがみえみえ)しかも感じが悪い。ある日、たまたまその人の後ろに位置づいてしまったことがあった。クラス中、その人のピアスが床に落ちていたのでそれを知らせたら、彼女は私を見もせずに、ピアスを拾い耳につけた。もちろん、ありがとうなんて言わない。ありがとうを言ってほしくて知らせたわけではないし、彼女の感じの悪さは分かっていたけど・・・・萩原、開いた口をふさぐのに苦労する。

ブレリアクラスには初心者からプロまで様々なレベルの人が集まっている。しかも7月はバカンスシーズンだから、1週間だけ、数日だけセビージャに来てクラスに途中から入る人もいる。全員が理解できるようにコンチャは最初から何度も繰り返し教えてくれる。しかし、踊りの上手なその〝無言ピアス拾い女〟はすぐにそこそこ振付をとってしまうから、何度も同じ事を教わるのが気に入らないのだろう。明らかに不服そうな態度をクラス中に表していたから。しかし踊りが上手いのは彼女だけではない。彼女よりもっと上手い上級者やプロだっている。でもみな何度でもコンチャに教わっている。振付けだけほしいなら他の先生に習えばいいのに。可哀想な人だと思うけど、先生に対する敬意を欠いているという点で許せない。

Nの言葉。「踊りが上手い(Bailar bien)ことと、フラメンコを踊る(Bailar flamneco)ということは違う。」

  • 7月12日(木)カンティーニャスクラス

最後のブレリアの一部を、「ジュンコ、一人でやってみろ」と言われる。やってみたら、「もう一度やってみろ」と言われる。言われるままにやってみたら、あの、ものすごい形相で、「あんたは私より上手く踊っている」と言われてしまった。そんなはずはない!!!!地球がひっくり返っても!!!!コンチャは言う。「私は腰でレマタールしているけど、あんたは上体でレマタールしている。あんたの方がいい。」・・・・いや、違う。コンチャは皆に教える時には、確かに腰でレマタールしているが、コンチャが一人で踊っている時には上体でレマタールしていた。私は後者をとっただけだ。でもせっかく褒められた(?)から、このレマーテは絶対に忘れない。私のものにしよう。

2012年7月13日(金) セビージャにて