Aug 25
8/26〜9/2まで夏期休暇頂きます
La Yunko | 新着情報 | 08 25th, 2012| Comments Off

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

こちらセビージャも毎日暑く・・・いつだったかの52度ほどではなくなりましたが、やはり暑いですね。セビージャ一暑さに強い(自称)私ですので、なんとか元気に練習に励んでいます。10月7日と14日、日本での公演。あっと言う間にその日になりそうです。そう思いながら、でも時々だらりとしながら今日まで来ました。うむ、中間地点くらいまで来ているのでしょうか。自分のやりたいことの。

だからという訳ではありませんが、明日から9/2まで1週間、夏期休暇を頂きます。

実はこの8月の間に、決まりかけていた仕事が2つもパーになってしまいました。2つとも9月からセビージャで始まる2年に1度の、世界最大のフラメンコの祭典「ビエナル」での仕事。

1つはもともと雲行きが怪しかった所に光明がさし、よし!と思った後、す〜っと消えてゆきました・・・もう1つは、ああああああああああ、すごく悔しい。ビエナル併行公演。セビージャのとある劇場での公演に出演できるはずだったのに。しかも6日間!!!!信じられない素晴らしいアーティストとの共演で、ではあとは契約書にサインするというところで、サインに伺う日時まで約束していたのに!!!それがサインの日の朝、ドタキャンされてしまいました。

でもこんなことはしょっちゅう私の身に起きています。またか、と思う反面、大した実力もなく実績もない踊り手が何かのコネでぽんと簡単に舞台に立っている現実。フラメンコ界によくある現実。そして近年の経済危機がさらにそれに拍車をかけている気がします。もちろんコネもカネもないのは私だけではない。しかも私よりもっともっと実力と実績のあるアーティストが同じ目にあっている。そんなアーティストがごまんといる。

不公平だ。

でも世の中が公平だ、なんて誰が言った?

あまりの理不尽さに悔しくて涙が出てしまうこともある。どうしてよいか分からずただぼーっとしてしまうこともある。思わず近しい人間に当たってしまうこともある。その怒りが何かに昇華して踊りのエネルギーになることもある。いろいろな気持ちがごちゃ混ぜの毎日だった8月。それでも自分が集中すべきことに集中する。難しい8月だった。自分の踊りがどう変化したのかは分からないけれど、きっと何らかの変化があったに違いない。ぽんと簡単に舞台に立ってしまえる人には絶対手に入れられない何らかの変化が。

だからという訳ではありませんが、明日から9/2まで1週間、夏期休暇を頂きます。

(その間ご連絡頂くメールへのご返信は9/3以降とさせて頂きます。ご迷惑をおかけしますが宜しくお願い致します。)

では!

2012年8月25日 これから家中をぴかぴかに掃除するのだ。 セビージャにて。

Aug 2

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

あっという間に8月になってしまいました。コンチャのクラスも終わってしまい・・・今頃コンチャはクルシージョでアメリカを横断中とのこと。私はといえば、濃密な時間を残してくれたコンチャのお陰で暑いけどそんなのへっちゃらで練習しています。というよりそんなに暑くないような・・・先月はコンチャがセビージャの気温を上げていたのかもしれない・・・。

さて、先月最後の週のコンチャのクラスはこんなでした。↓

  • 7月24日(火)アレグリアスクラス

先週で夏期休暇が終わり帰国してしまった留学生が多い。アレグリアスクラスは初心者のニューヨークの人と私の二人だけ。一人欠席すると休講になってしまうらしい。休むわけにはいかない。しかもセミ・プライベートレッスンだよ。なんという贅沢。

クラスの後でニューヨークの彼女が私の個人レッスンを受けたいと言う。コンチャのクラスの内容を教えてほしいとのこと。「コンチャの個人レッスンは受けないの?」と聞いたらコンチャは私がいない時に、クラスの初心者の生徒達に「私のクラスの復習をしたい人はジュンコに習え」と言って下さったそうである。なんという光栄。

  • 7月25日(水)クラスの前で

その個人レッスンを行う。ニューヨークの彼女は私と同じくらいの年齢かと思っていたら、45歳だそうだ。子供が二人いらっしゃって、23歳と13歳。子供が大きくなったのでこれから第2の人生としてフラメンコをきちんと習うことにしたのだそう。何て素敵な人なんだろう!その生き方!私の方が人として教わったことが多いように思う。

  • 7月25日(水)アレグリアスクラス

アレグリアスの最後のブレリアで「これはミラグロス(・メンヒバル)の動きからとった」という振付を教えてくれた。私は以前ミラグロスに習っていた。ほんとだ!確かにミラグロスの動きだった!あの素晴らしいミラグロスの動きはミラグロスが踊るから素晴らしいと私は思っていた。でもコンチャ・バルガスを通したミラグロスの動きというのも素晴らしい!ミラグロスの動きを通したコンチャ・バルガスも素晴らしい!

コンチャはクラスの中でよく「これは◯◯の動き」と教えてくれる。コンチャ自身もたくさんのアーティストを見て学びとっている。誰が見てもはっきりその出自が分かる動きもあれば、言われてそう言えばあの人の動きだというものもある。でも全部コンチャの踊りになっている。その差なんだよな。他人の動きをとってただのコピーで終わる人と、自分のものにして自分の踊りになっちゃう人。

そして誰もが知っていることに、あまりにも知られ過ぎていて逆に目にとまらないことに焦点を当てられる人。そしてその焦点の対象とされた人。どちらもすごい。例えばコロッケと美川憲一。そしてコンチャとミラグロス・メンヒバル。

そんなミラグロス・メンヒバルのアルテに関してコンチャがグィートから聞いたという、こんな話をしてくれた。

「昔、グィートが若かった頃。彼はいつも楽屋を散らかし放題にしていた。服も靴も脱いだら脱ぎっぱなし。ある日、さあこれから本番という時にグィートが叫んだの。『オレのボタ(男性用フラメンコの靴)が片一方ない!!!!』もうあと数分で舞台に立たなくてはいけないという時に、なぜか片一方だけどうしても見つからない。彼は血相を変えて楽屋中を狂ったように探しまわった。周りのアーティスト達も。もう本当に今から舞台に出なくてはいけないというまさにその直前に、楽屋にいたミラグロス・メンヒバルが言った。『あんたのボタはここにあるよ』そして彼女は彼の目の前にそのボタを突きつけた。『ど、ど、ど、どこにあった?!』と聞くグィートにミラグロスはこう言った。『私が隠したのよ。』絶句するグィートにミラグロスは言う。『靴を脱いだらちゃんと揃えて自分の場所にしまいなさい。』

本物のアーティストは、踊らずにしてもアーティストなのだ。

そしてそれからというもの、グィートがきちんと靴をそろえるようになったのは言うまでもない・・・(コンチャ談)

  • 7月26日(木)ブレリアクラス

フラメンコを始めてたった2週間という日本人女性がクラスに入ってきた。コンチャは彼女に言う。「このクラスの内容は始めて2週間の人には難しいかもしれない。でも例えばマルカへとかをとってごらん。(その時コンチャはマルカへをする。アルテ!!!)何より重要なことは〝アイレ〟を感じること。」スペイン語がよく理解できない彼女に他の日本人生徒が訳してあげる。〝アイレ〟が上手く訳せないけど、彼女は理解したようだ。

ところで〝アイレ〟って。スペイン語〝aire〟直訳すると空気とか風とか。その人が持つ雰囲気、フラメンコの香る風、フラメンコをまとっていること・・・etc。私も上手く訳せない・・・。でも確実にそれを持っている人と持っていない人がいる。そしてそれは持とうと思って持てるものではない。フラメンコを学ぶ人は誰しもそれを持ちたいと思うのだけれど。

ちなみに彼女は昨日お友達とクラス見学していて、クラスの後に私に質問したのだ。「これがいいフラメンコなのかどうか分からないので、クラスに入った方がいいのかどうか・・・どうでしょうか?」私は即答した。「フラメンコを始めて2週間でコンチャ・バルガスに出会えるなんてラッキーです。絶対始めた方がいいです!」

・・・彼女に勧めた手前、ちょっと気になってクラス中に彼女の様子をうかがう。なんと、にこにこしてブレリアを踊っていた!すごい!彼女も、コンチャも!

  • 7月27日(金)ブレリアクラス

今日がコンチャ最後のクラスだ。クラスの中でコンチャが数名を指名して一人で踊らせる。指名されるのは初心者の人達だ。皆緊張して間違えたりコンパスを外すことが多い。でもコンチャは温かく見守って、楽しんでいる。実は私も初心者の人の踊りを見るのは好きだ。ものすごく勉強になる。

ちなみに上手な人の踊りを見るのも勉強にはなるが、人によってはただ上手く手足を動かしているだけで面白くない。どこかで見た事あるような踊り。どう動くか想像がつく。ひどい時にはその上手さがあざとく見えることもある。そういう時に私はなるべく見ないようにしている。見ているようで見ない。でも計らずして見てしまった時。そういうものはなかなか記憶から消えてくれない。自分の中に沈殿してしまう。そしてそういう機会が増えれば増えるほど今度は自分がそれに浸食されてしまう。自分の気付かないうちに。だから気をつけなければいけない。目も耳も心も全てそう。

話はそれたけど、初心者の人の踊りというのはそういう手あかにまみれた部分がない。中途半端な知識や偏見がない分、学んだことがストレートに出る。それが技術的に上手くなくても、ひょんな時にものすごいアルテに変貌する瞬間もある。本人は気付かないだろうけど。だから間違っていいのだ。「私はまだまだ」とか「できない」とか変な謙虚はしない方がいい。日本人同士だったら「そんなことないですよ」「いやいや・・・」「やってみては?」「・・・そうですか・・・ではできないと思いますが少しだけ・・・」なんてやりとりがあるのかもしれないけど、ここではそんなのない。本人が「できない」と言えば、それで終わり。本人ができないと言っているのだからできないと思われるのだ。

私も指名されて踊る。生徒の一人がカンテを歌ってくれる。コンチャがクラスでいつも歌うレブリーハのブレリアとは違う。当然踊りも変わる。コンチャの振付を使いながらも、そりゃ変わってくる。コンチャがこれまでのクラスの中で「これは私のものだから教えられない」と言った動きが瞬間的にひらめく。生徒の誰もクラスでできなかった動きだ。コンチャ自身もそれができる時とできない時がある。技術的に難しいからではなく、ある種のインスピレーションがわいた時にしかできない動き。それがわかなければ形だけ追ってもウソになる動き。その動きがひらめいた瞬間と同時に、コンチャの動きとは違ってしまった!と思ったけど、いいやそのままやっちゃえ〜と脳みその半分で思い、残りの半分で身体が動くまままかせたその瞬間。

踊り終わった後コンチャと、クラス見学をしていたコンチャの息子(クーロ)に言われたことは忘れられない。自分では何が起きたのかは分からないけど、起きたことは分かる。そしてその感覚がある時、フラメンコを愛する人達から確実にoleが出る。そしてその瞬間を彼らと共有できたことに感謝する。コンチャとクーロのその言葉は私の宝物だ。だからブログには載せません。ごめんなさいね。

いつだったかコンチャから「あんたはもっと前から私に習うべきだった。」と言われたことがある。皆に驚かれるけれど、セビージャに10年住んでいてコンチャに習ったのが今回が初めてだ。実は、以前に何度もコンチャに習おうと思ったことがあった。でも私の中の何かがそれを押しとどめて目を反らさせていた。それは今思うに、偏見。コンチャの踊りは素晴らしいけど、私の踊りのスタイルとは違う、そんなことを思ったり。私が以前踊っていた場所にコンチャがよく見に来ていて、その時のコンチャの私を見る目つきが怖くて、この人に習うのはこわいと思ったり。でも今考えると自分の踊りのスタイルなんて決めつける方がばかばかしいし、目つきが怖いと思ったのは、コンチャじゃなくて自分に問題があったのかもしれない。(そもそもコンチャはその当時の私のことを覚えてないのだろうから、自意識過剰もいいとこだ。)そういうもろもろのことが年月を経て、自分の中からはがれていった。なぜか分からないけど、ここ数年それをはっきりと感じる。だから今回コンチャに習えた。もちろんコンチャの言うようにもっと前に習うこともできたのだろうが、でも当時の私ではきっと学べるものも学べなかったのではないかと思う。だから時間がかかったけど、今の私でコンチャに学んだことを嬉しく思う。

そしてそれはコンチャだけではない。セビージャに10年住んで、やっと私は学べるスタートに立った。どんなに時間がかかっても、自分の足で立ち自分でつかんだことに価値がある。

これからだ、私は。

2012年8月2日  明日タリファに行きます。     今日のところはセビージャにて。