コルドバのコンクールに出場しました

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先週の金曜にコルドバで行われたフラメンココンクール予選に出場しました。結果は予想通り予選落ちです。でも気にしていません。予想通りだったのと、予想外のいいことがあったから!!!

予想通りというのは、ここ数年どんどんひどくなっているスペイン経済危機の影響で、大物アーティスト達がこぞってコンクールに出場することが分かっていたから・・・・普通であれば有名で仕事もばんばんある踊り手達が、あなたも、あなたも、え〜あなたも出るの???!!!ってな感じでコンクールに出ていました。要するに仕事がない。賞金目当てのコンクール出演、もしくはとにかく何でも出て仕事のチャンスをつかみたいという、非常に切実な問題があります。

そんな話を出場前に、別の出場者の踊り手から実名を挙げて出演者を聞かされ、萩原、すでにげんなりしていました。そんな中で私が予選に通るわけないじゃないかと。可能性のないコンクールに出場するということは、ギタリストと歌い手に支払うお金をドブに捨てるようなもの。あー。でもその踊り手は言ってました。「ジュンコ、出ろよ。決勝に残らなくてもいいんだ。コンクールで踊っていろんな人に観てもらうことが大切なんだ。人はいろいろ話す。その話題に上ることが大切なんだ。」

確かにそれも一理ある。その踊り手は言っていました。「コンクール出場は投資」だと。そうなんだけど・・・しかし私は思う。これまでいろいろなコンクールに出て来て確かに話題には上ったかもしれない。でもそれが仕事につながっているのか?この経済危機の中で、そんな甘っちょろいことで仕事はつかめない。私より実力のあるスペイン人踊り手なんて無数におり、その無数のスペイン人達が仕事にあぶれている。この経済危機。

そんなことを考えながら、悶々としながら、でもやはり出場することに決めたコンクール。予選は2曲、それぞれ10分以内。アレグリアス・コン・マントンとバタ・デ・コーラのソレアを踊りました。ギターはいつものミゲル・ペレス、カンテはモイ・デ・モロン。コンクール規定では、「審査員が出演者の実力を十分に審査しできた段階で踊りをとめてもらうこともある」とのこと。つまり「のど自慢」形式。数年前にこのコンクールに出場したある踊り手(セビージャでスタジオを持っている踊り手です)は、出だしのほんの10秒くらいで、ただ舞台に出ただけでおしまいにされてしまったらしい。(予選落ち)ひえー。

しかしながら、今回は予選の2曲とも全部踊りきることができました。といってもそれは私だけではなく、どうも他の出演者全員だったらしい。ただ、ある出演者が言ってました。

「審査員が全然見てなかった」

・・・・・・むむむむ・・・・要するに、最初から審査外ということもある訳か。途中で踊りをきるということは、ある意味、審査員が踊りを見てるから切れるわけで、見ていなければ、勝手に最後まで踊って下さい、という放置プレイ?!ひえー、それもひどい・・・が、日本の新人公演みたいに、審査員が出場者一人一人コメントを発表してくれるなんて話はスペインでは聞いた事がありませんからね。

今回の審査員はハビエル・バロン、メルチェ・エスメラルダ、ホセ・アントニオ、みなさん有名なフラメンコ舞踊家、芸術監督。1曲目はアレグリアス・コン・マントン。かーなーりーひどい出来でした。ギターやカンテとも噛み合ず、内心怒り爆発でしたが、それを踊りには出さないように舞台袖に引っ込みました。待ち合い室で今回決勝進出となったヘスス・カルモナがモニターで私の踊りを観ていたようですが、しかも、私が踊る前に「がんばって!」と声をかけてくれたのですが、ヘススにも挨拶できない程、萩原、怒り心頭。無言で楽屋に戻りました。後で聞いたら、出場者は踊りの後舞台に戻り客席に挨拶していたとのこと。そんなことはつゆ知らず、というより、誰も私に声をかけられなかったのでは・・・と思います。

楽屋に戻って、ミゲルが「どうしたんだ、ジュンコ?」と心配して声をかけてくれましたが、どうしたもこうしたもないだろー、あの踊りだよ。ミゲルとモイが言うには、私が言うようなひどい踊りの出来ではなかったとのこと。しかし、彼らが伴奏した他の踊り手も私と同じようなことを言っていて、しかも私以上に不機嫌で声のかけようがなかった、と言っていました。

コンクールで踊るというのはそういうものなのかもしれない・・・・客席も冷たく、普通に踊るような状況では踊れない。あ!しかも舞台が小さかった、私が思っていたより。コンクール会場はコルドバのグラン・テアトロ(直訳すると〝偉大な劇場〟)、でも舞台は意外と小さい・・・そういえば!マントンでマイクをなぎ倒した〜!!!・・・思い出せば思い出す程、いろいろ出て来る・・・

しかしそんな悠長なことは言ってられない。すぐに着替えて次の踊りの準備をしなければ。怒りの持って行き場に思い倦ねながら、急いで衣装着替。そしてすぐに舞台袖へ。このソレアのバタ・デ・コーラは特別に長い。ミゲルとモイには、マイクをできるだけ後方に動かしてもらうようお願いしました。ソレアの出だし。ミゲルにジャマーダを弾いてもらい、無音になった所で舞台中央までただひたすら歩く。歩いているうちに気持ちの切り替えと心の準備はできました。その無音の時間はとても長いような気がしたけど、モイが「ジュンコ」とハレオのようなつぶやきのような声をかけた瞬間、完全にソレアのスイッチが入りました。

技術的には一カ所失敗したのを覚えています。エスコビージャの部分で足がバタにひっかかってリズムが狂ってしまった。あ!っと思ったけど後の祭りで狂ったものを強引に元に戻し踊り続けましたが、あれは確実に減点だな。でもソレアを踊り終わった後、意外な達成感がありました。

私のソレアを踊った。

世の中には私よりも100000000倍も上手な踊り手は100000000人といる。でも、私のソレアを踊れるのは私だけだ。そして私は〝誰かさん〟のようにはソレアを踊らない。誰のマネでもない私のソレア。それはコンクールの前から気付いていました。だからそれを踊りたい、それが唯一私をコンクール出場に駆り立てた思いだったのかもしれません。

そういえば、あの冷たい客席から、時々「オレ」という声が聞こえた。男の人の声だった。やっぱり伝わるべき人にはちゃんと伝わるのだと、踊りながら意識の遠くの方で感じていました。

予選終了後、ミゲルとモイと3人でピザを食べに行きました。あんなまずいピザ、どうやったら作れるのかっていうくらいまずいピザだったけど、その味を忘れさせるほど素晴らしいことをモイが言ってくれました。

「〝エル・ペレ〟がジュンコの写真を撮ってたぞ」

?????は???? 意味の分からない私は質問しました。

「〝エル・ペレ〟って何?」

「〝エル・ペレ〟知らないのか、お前、〝エル・ペレ〟だよ、歌い手の。」

「あー、その〝エル・ペレ〟!そりゃ、知ってるよ。〝エル・ペレ〟でしょ。グラン・カンタオールでしょーが。写真撮ってた、って言うから〝エル・ペレ〟っていう雑誌でもあるのかと思った」

と言って、3人でゲラゲラ笑っていたのですが。・・・・え、ちょっと待って、あの〝エル・ペレ〟が私の踊りを観てくれていたってこと????あの〝エル・ペレ〟が!!!!!

モイ曰く、エル・ペレは今回のコンクールのカンテ部門の審査員だったらしく、この日は踊りの審査員席のすぐ後ろに座って観ていたらしい。そして私がソレアを踊っている時に携帯で写真を撮っていたらしい。

「・・・・それにしてもなんでエル・ペレが私の写真を撮るわけ?」

すると今度はミゲルが「そりゃー、踊りが好きじゃなければ写真なんか撮らないだろー」

!!!!!!!!!!

えーーーーーーあのエル・ペレが、あのエル・ペレが、私のソレアを気に入って写真を撮ってくれたということかーーー なんて名誉なことーーーーーーあのエル・ペレがーーーー

それは私にとっては、このコンクールの決勝に残る以上に価値のあること。あんなに素晴らしい歌い手が、そして魂の全てを根こそぎ揺さぶるようなあのソレアを歌うエル・ペレ。そのエル・ペレに私の踊りを観てもらえて、しかもソレアの写真を撮られていたとは!!!こんなことが世の中にあっていいのか!!!!

エル・ペレのソレアに関しては、以前ブログにしています。後にそのソレアは「魔法の瞬間賞」を受賞したそうです。

萩原淳子のセビージャ・ビエナル鑑賞記2012年 9月3日出演:マヌエラ・カラスコ、パンセキート、エル・ペレ、ファニート・ビジャール、エンリケ・エストレメーニョ他

踊りの審査員達が私の踊りを観ていたのかどうかは分かりません。私は舞台上から審査員を見なかったし、(そこにいる、というのは目に入っていたけど)もしかすると「全然見てもらえなかった」という他の出演者同様、最初から審査対象外で見てもらえなかった可能性もあるかも。でもそんなことはどうでもいい。エル・ペレに観てもらえただけでも、今回コンクールに出場した価値はある。大あり。大大大大大あり。

感動、という言葉では現せない気持ちに今も満ちあふれています。「だから、なんだ」と言われればそれでおしまい。でも本当にフラメンコを愛する人ならば、カンテを愛する人ならば、これがどんなに素晴らしいことか分かってもらえると思う。いや、別に分かってもらわなくてもいい。私の宝物だから。

ちなみにコンクール決勝出場者はコンクールHPに既に発表されています。ご興味のある方はこちら

萩原は予選落ちということでもう関係ありませんが、明日からエル・ペレのエネルギーを内に秘め、また頑張りたいと思います。

ありがとう、エル・ペレ。

2013年11月17日 急に寒くなったセビージャにて。

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