Jun 4

foto_1275_cartelthみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

先程「Sacromonte」(サクロモンテ)というフラメンコの映画を観てきました。グラナダのヒターノ達の現代に至る歴史のドキュメンタリー映画です。彼ら自身の直接インタビューとフラメンコの映像で構成されていてとても興味深かった!!!映像は現代のグラナダのアーティストによる映像と、昔の白黒の映像。フラメンコを愛する人、グラナダが好きな人は必見です!!!

このリンクでちょっと見ることができるようです。

http://www.aireflamenco.com/noticias/2180-el-flamenco-del-sacromonte-en-la-nueva-pelicula-de-chus-gutierrez

11418340_10205242636438805_504342998_nさて、話し変わって、来週の水曜、6/10(水)にフラメンケリーア(セビージャ)で踊ります。

ギターは数年振りに共演のエウへニオ・イグレシアス、カンテは数ヶ月前にカフェ・シルベリオで共演したロサリオ・アマドールです。

エウへニオと共演した、2009年ウブリケコンクールの予選のビデオはこちら→https://www.youtube.com/watch?v=EUlLGxYx3Hs

ロサリオ・アマドールと共演した、3ヶ月前のカフェ・シルベリオの映像はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=mJH6pW0el_E

改めて比べてみると同じソレアなのに(バタの有無あるけど)踊りが違うな。やはり6年経てば変わってくる部分もあるのだろう、となんだか感慨深いです。とはいえ、3ヶ月前と今もきっと何かが違う。昨日と今日でもきっと違う。生きているから、踊りもその瞬間瞬間に変わってくるのだと思います。たとえ10年前と同じパソをやっていたとしてもね。

当日は恐らくぶっつけ本番。さてどうなるか。楽しみです。

セビージャにいらっしゃる方は是非いらして下さい。

日本にいらっしゃる方、

8/26(水)・27(木)キッド・アイラック・アートホール(東京/明大前)で開催の第3回ソロ公演「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか」

詳細は→こちらクリック

9/6(日)第2回アントニオ・ペレスの仲間たち en Osaka

詳細は→こちらクリック

にて踊りますので、チケットお申し込みは ticket.layunko@gmail.com(ハギワラ)まで宜しくお願い致します。

では本日はお知らせでした。

2015年6月3日 セビージャにて。

Jun 3

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Jun 2

_DSC2671みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

エバ・ジェルバブエナのセミナー6日目、最終日です。今このブログを書いているのはもうセミナーが終わって数日経っているのですが、まだいろいろなことが思い出されます。それだけ内容が深く、自分もたくさん考えたからかなあ。

エバのクラス。これまでのタンゴの総復習。といっても、同じ振付でありながらいろいろな可能性を探ってゆく。パソは一緒でも身体の向きを変える、ブラッソの動きを変える、進む方向を変える。その度に同じパソがまるで違ってみえる。ただしそれがぱっぱっとできる人はエバ舞踊団のロレーナとマリアくらい。その他みんなはあたふた。パソだけでも難しいのに・・・やっぱりエバの元で訓練されている踊り手はすごいんんだなと、いっつもロレーナかマリアの斜め後ろをマークしていた(笑)萩原は感心する。感心している場合ではないのだけど、とにかくエバの意図を汲み取るのが早い、そしてそれをあっと言う間にやってのけてしまう。

エバが教えてくれた何でもないタンゴのマルカへもすごかった。私は気付いてしまった。それは動きではない。タンゴのコンパスの飲みがあるからこそ出る間。その間があることによって、そのマルカへはタンゴになる。ただの足の運びではなく。そしてエバの動きからはそれが如実に見える。感じられる。だからエバのタンゴは素晴らしいんだ。エバが近くで見本をちょっと見せてくれるだけで、おおおおおおおおーとのけぞってしまう。この人はエバ・ジェルバブエナなんだ、ということを改めて思い知らされる。

一番難しかったのは、そのタンゴの難しいパソをしながら、100歳の100kgのおばあちゃんのペソを出すというもの。どうだすのか?とエバに言われて、みんなうーん。ロレーナもマリアもうーん。シンプルなマルカへでペソを出すのはイメージとして分かりやすい。(実際できるかは別として)でも難しいパソや早い身体の動きをしながらそれを出すには?生徒の誰も動けないので、エバがやってみる。

おおおおおおおおおおー (ブログ描写不可能)

・・・・この人はやはりエバ・ジェルバブエナだった。

最後はパントマイムのクラス。これまで通り、クラスの最初に皆自由にスタジオを歩き回る。最初に教えてもらった空間感覚を身につけるために、全体を俯瞰し、常に空きのある場所を歩くようにする。今日はそれにプラスして、先生がストップ!と言った瞬間に止まり、目を閉じる。先生が何人かの生徒に質問する。「あなたの隣にいる人は誰?」「あなたの後ろには何人いる?」「あなたの左側にいる人のTシャツの色は?」「靴下ははいている?」はっとする。全体を俯瞰していたようで、私の身近にいる人に気を配っていなかった・・・。

この能力に長けているのが私の母である。一緒に歩いていると、「さっきの人のネクタイ曲がっていたね」とか「今の人の髪型なんだかもじゃもじゃしてたね」とか、すれ違いざまに全く見知らぬ人を観察しているのである。なんでそんなに観察できるの?と思うのだけれど、いつもこんな調子。電車に乗っていれば座っていても目玉はきょろきょろ、常に誰かを観察している。

そっか〜、私にはその能力が欠けていたのか〜。でもそれは本当は能力だけの問題ではない。それが次のレッスン内容で明らかになる。

今度は先生が受講生を半分のグループに分けて、同じ動きをさせる。フラメンコで言えば群舞みたいな感じ。必然的に背の低い人が前になり、徐徐に後ろに向かって背が高くなる。私は第2グループだったので、第1グループを観察していた。たった一人の動きはただのパントマイムでもそれを全員が行うことによって、全く別のエネルギーが生み出される。それが群舞の素晴らしいところ。みんなすごいなあと感心して、私達の第2グループ。

一人の背の高い男の子が発言した。真面目に。「不公平だ!僕は背が高いからいつも後ろにさせられる!」・・・・・・・・お前、バカか???という雰囲気の元に、彼を除く第2グループの全員が(私も含めて)ゆっくり振り向いて彼を見つめる。割と年配の受講生が「背の高い人が後ろの時もあれば、前に来る事もあるでしょう」と母親が子どもを諭すような口調で静かに一括。パントマイムの群舞が始まる。

難しい。私は3列目。一番先頭の人の動きに全員が合わせるのだけれど、私の位置からは先頭の人が見えない。よって2列目の人に合わせる。2列目の人は先頭の人に合わせているに違いない、という発想の元に。そして時々先生の指示で一番先頭の人が別の人に交代する。その度にその先頭の人に皆合わせる。そして、最後に先頭になったのは前日のクラスで狂っていないのに狂っていると思われている人物をパントマイムした彼女になった。突然彼女は四つん這いになり、スタタタターと斜め前方に走り出した。あまりの突然の変化に皆ついてゆけず、残り(私も含め)は全員呆然となり、なんとか彼女のまねをしようとするが皆揃わない。そして私達第2グループは終了。

マイムの先生がこれを通して教えたかったことはこういうことだと思う。一人でパントマイムをするのではない、自分の他にも一緒にいる人間がいる。その人達のことをどれだけ考えることができるのか、その人達の動き(身体だけでなく心の動き)に機敏にいられるか、相手に大して寛容であるか。自分が自分が、というのではない。その意味では上手にこなした第1グループよりも、私達第2グループの方が反面教師になったのではないかと思う。身長が高い故にいつも後ろにさせられて不満を持っている人、他の人達の存在を忘れて(もしくは無視して)自分勝手に動く人。

しかもこれはマイムの世界の話だけではない。フラメンコにおいても同じことあいえる。群舞だけの話でもない。後ろに座らされて舞踊伴奏をすることに嫌気がさしているギタリスト、歌い手。本当はオレは前でソロで歌えるのに、弾けるのに。というのが見え見え。それは舞踊伴奏をしている時に全部現れている。確かに上手いかもしれないよ、でもフラメンコってそういうことではないんだよ。そういう“オレオレギター”や“オレオレカンテ”との共演はムリ。それから私が、私がっていう踊り手。ギターもカンテもどうでもよくって、パルマをたたいている仲間もどうでもよくって、いかに自分がカッコ良く目立って踊るのかのみを目的としている踊り手。それもちょっと見れば分かる。フラメンコってそうではないんだよ。アーティスト側だけの問題でもない。観客もそうだ。特にフラメンコを知っている人。(と思っている人)なんとか批評してやろうとあら探しをする人、あのパソをとってやろうとか、必死になっている人。あの衣装のデザインを盗んじゃえ、とボランテ(フリル)の数を数えている人。そんなお客さんは悪いけど、何もフラメンコを共有していない。だったら何も知らなくても、歌やギターを聴き、踊りを観て「わー素敵だった!」と言うお客さんの方がよっぱどフラメンコを感じている。共有している。

マイムの最後は、皆で円陣になって各自一人ずつのストレッチ方法を皆で共有する。私は身体の側面を伸ばすストレッチをやった。これは自分の自主練習の時もクルシージョの時にもいつもやっているもの。なぜか笑いが起きる。なぜ笑うのかが分からない。クラスが終わった後、マイムの先生が私に話しかけてきた。「なぜ笑うのか分からなくてもいいのよ。でも人が笑う時には、その奥には『恐怖』が隠れていることがある。そのストレッチができない、という恐怖ね。それをごまかすために笑うのよ。あなたのストレッチはとても興味深かった。あなたがストレッチにかける時間も。私達は(多分欧米人はという意味)そこまで待つことができないの。耐えることができないのよ。あなたにこのセミナーに参加してもらえて私はとっても学ぶことができた。どうもありがとう。」

ちなみにそのストレッチは決して東洋的なものではない。私がフラメンコを学んでいてフラメンコの先生から教えてもらったストレッチを掛け合わせたものだ。だからちょっと違和感を感じた部分もあるのだけれど、それでも先生から「参加してくれてありがとう」と言われたのは初めてだったのでなにか新鮮だった。普通は生徒がありがとうございました、って言うしね。私もマイムの先生から学んだことは数知れない。最初はなんでマイムをやるのかな、フラメンコのセミナーで、と思っていたのだけど、毎日毎日の内容が少しずつつながってきた。そんな内容を話し、最後に、実はマイムの発表でUSBが使えなくて発表できなかったのだけど、あなたに習ったことを元に発表したかったのだ、と伝えました。あのアレグリアスの歌詞も説明して。その瞬間にマイムの先生の目が輝き、私の目の前でそれをやってくれました。猟師と鳩と死に行く人と。私は凍り付いてしまった。そう、そういうことをやろうとイメージしていたけど、でももしやる機会があったとしても私にはマイムの技術がないから先生みたいにはできなかったと思う。そう言うと、先生はこう言っていた。

「重要なことは技術を持っているか持っていないかではないのよ、自分でこうしようと思ったことを本当にやってみること、その直感に蓋をしないこと」

・・・・そういえばエバも何度か同じことを言っていた。

「自分が感じたことはやりなさい、何があってもやらなくてはならないのよ」と。

ここでエバのセミナー6日間が終わりました。きっと時間が経って気付くこともあるでしょう。お読み下さった皆様ありがとうございました。自分が忘れないようにと思ってブログにし始めたのですが、それによっていろいろ考えが広がったり深まったり、自分にとってとてもよかったのだと思います。

そしてセミナー6日間の間、実は家の中がぐっちゃぐちゃでした(笑)時間もないし身体も脳みそも疲れて、全然掃除ができなかった。アントニオには悪いことしちゃったな。・・・というわけでこれからお掃除開始です!

では皆さんまたお会いしましょう!

写真:アントニオ・ペレス(クラス風景の写真はまた後日アップします♪)

2015年6月2日 セビージャにて

Jun 2

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

昨日のブログ「エバ・ジェルバブエナのセミナー2015/5日目①」の続きになります。

その後、また円陣になって座り、いろいろなエバがいろいろな話をしました。今日のクラスの方式はピナ・バウシュがよく使う方法だそうで、そうしてピナは作品を作ってゆくそうです。エバの作品「Lluvia」(雨)も同じ手法で作られたものだということ。ただし、本番の1週間前までそれをずっと繰り返していたので、誰もどのような作品になるのか分からなかったらしい。初演が終わった後、ビデオを通して見て初めて自分たちが何をしたのか理解したそう。

それから舞台作品を作る上での困難さも話していました。ただフラメンコの曲をつなげていくだけのフラメンコ公演では飽きられてしまう。そして、一つの作品を作っても、すぐに次の作品を求められる。自分が作品のイメージや意図を持っていても、舞台監督の意図によって、自分がこうしたい、という希望を貫けないこともあること。その作品がどれだけ売れるか、というプロデューサーの商業的観点も排除はできないこと・・・etc。

確かにいくら自分がアーティストとしてこうしたい、という希望を持っていてもその作品が観客に受け入れられなければその作品が世に出回ることはない。つまりアーティストとして活動できない。でもそれを全て迎合してしまったらそのアーティストとしての存在価値はなくなる。もしかしたら売れるかもしれないけれど。エバは言っていた。どうしたら観客を拍手喝采にできるのか、彼女は知っている。でもそれはあえてやらない。なぜならそれでは簡単過ぎるから、だそうだ。・・・分かる気がする。

それからどう話題が変わっていったのか忘れたけど、エバの言葉で残っているもの。

「舞台の下で他人を幸せにできない人は、舞台の上でも観客を幸せにできない」

そう、本当にそうだと思うのだけど、その瞬間、前日のことを思い出してしまった。それまで、もういいや、って割り切って、すっかり忘れてまでいたことが私の脳みそを支配してしまいました・・・。しばらくそれでまた集中できなくなってしまって、それからのエバの話はあまり耳に入ってこなくなってしまった。

やっと耳に入ってきたのはパントマイムの先生が話し始めた時。舞台を効果的に使う方法なんかをいろいろ教えてくれて、それはエバもメモをとったりしていました。興味深かったのは、エバがパントマイムの先生に「フラメンコにおいて技術の面で足りないところは?」と質問したら、マイムの先生は「自分を解放するところ」と答えたところ。マイムの先生は謙遜してか、「私はフラメンコをあまり観た事がないのだけど」と前置きしていたけれど、あまり観てなかったとしても、重要なポイントは絶対に観ているはずなんだなと思った。そういう回答が出て来るということは。

そしてこんな話しもしていた。「フラメンコは踊り手がただ踊るだけでなく、ギターや歌の助けがある。彼らの出す音や歌や、パルマ(手拍子)、ハレオ(かけ声)も一体になってフラメンコが形成されている。そこが他のジャンルの踊りと異なるところ。パントマイムでは自分の動きしか観客とコミュニケーションをとる方法がない。だからその動きにものすごく厳密にならないと相手にちゃんと伝わらない。そもそも日常生活においても相手に大して怒ったり、嫌な気持ちになるのは、相手とのコミュニケーションが不足している場合が多い。相手が悪い人だから、とかではなく。」

それを聞いてはっとした。昨日のことはもしかして、そのコミュニケーション不足が原因だったのかも・・・やっぱりエバと話そう。もういいやって自分で片付けてしまったけれど、本当はよくない。きっと私はその気持ちに蓋をしたようで、それはいつまでもくすぶり続ける。それは私にとってもエバにとってもよくない。

でも、それでもクラスが終わった後、ちょっと迷っていました。こんなことエバに話すのはやっぱり悪いかな・・・ちらっとエバの顔を見た時にエバを目が合いました。その瞬間にもうエバの方に私は歩き出していました。「エバ、ちょっとお時間よろしいでしょうか?そんなに長くかかりません。昨日私が感じたことをお話したいのですが・・・」と話しかけて、エバから名前を聞かれたこと、「ジュンコ」と答えた瞬間にエバが首を振ったこと、何人かの生徒がクスクスっと笑ったことを伝えました。

エバが「あなたが何て言ったのか聞き取れなかったのよ。ジューコ?ジュンコ?って、どちらか分からなかった。」そう言った時、今まで考えていたことが全てへなへなと崩れてゆきました。そしてこう続けました。「誰かが笑ったのかは気付かなかった。でももし誰かが笑ったとしても私にはそんなつもりはない。あなたがお金を払って時間を費やしてこのセミナーに学びに来ていることは分かっているから、そういう人を笑うことは私はしない」そしてこうも言っていました。「首を振るんじゃなくて、『なんて言ったの?聞こえなかった』とその時あなたに聞き直せばよかったのかもしれないわね。でもあなたもそういうことはその場で言わなくてはダメよ。そんな思いをずっと持ち続けるなんて理不尽だわ。あなたのためによくない」。私が「あの時はびっくりしてしまったし、その瞬間皆の前で言うことはできなかった。」というと、エバは「もう気に知るのはやめなさい」と言って、なんと、私のほっぺたにキスをしてくれたのです。。。信じられない・・・、普段、にこりとも笑わない人が。呆然としてしまったのだけど、エバが立ち上がったので慌てて私も立ち上がり、「ありがとう」と言ってそのまま家に帰りました。

やっぱり直接話してよかった。もし話さなければ私は彼女を誤解したままだった。コミュニケーション不足。たった一つ仕草で、たった一言が出ないだけで。そしてその時に思い切って話す勇気がないだけで、人は人から完全に離れてしまう。人は人を完全に離してしまう。

・・・きっとそういうことが日常生活でもあり、逆に私がクルシージョで教えている時にもあるのかもしれない。特に日本では思っていることを口に出す文化がない。むしろ黙ってしまったり、もしくは相手とも関係性を重視するあまり思ってもいないことを口にしたり。特に私が先生の立場で、相手が生徒さんであれば余計にそれは難しい。きっと自分の知らないうちに誰かを傷つけていることもあったかもしれない・・・。

そんな話を家で夫にしたところ、「それじゃあ、明日写真撮りに行こうかな?」と言っている。「うん、よろしく」

というわけで最終日はアントニオの写真付きです。

2015年6月1日

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