Oct 31

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか?こちらセビージャはただいま夜中です。

私は風邪ッピキになってしまいました・・・。昨日、一昨日とひたすら眠り続け、本日やっともそもそ動き始めました。と言っても家と屋上(洗濯物干しのため)しか行き来していません。レッスンがない1日というのは本当に長いです。有吉佐和子の「紀の川」という小説を1冊読んでしまった。アントニオのためにプリンも作り、家の掃除も少し(クイックルワイパーだけ)、それでも時間と余力があったので、来年の東京クルシージョの時間割を組み始めました。

これがなかなか、頭と神経を使うんだな・・・。体調が悪い時にできることではないのですが、まとまった時間がないとできないことでもあり・・・なんとか頑張ってみました。まだ時間割を発表できる段階ではありませんが(だから大変なんだって・・・笑)、開講予定のクラスが見えてきたのでブログ愛読者の皆さまに一足お先にお知らせしちゃいます。

第26回少人数制クルシージョ(東京)

開講日程:2019年12月29日(日)〜2020年2月8日(土)

開講場所:MARUWA財団スタジオ、スタジオアルソル、イベリア

開講予定クラス:

【基本クラス】

①今、見直すべき基本/12拍子系 全10回

②即興への扉/ブレリア編 全10回(前半5回基礎、後半5回歌ギター伴奏付実践)

③バタ・デ・コーラ・テクニカ基礎 全10回

④マントン・テクニカ基礎 全10回

【振付クラス】

⑤グアヒーラ振付

⑥バタ・デ・コーラ・ソレア振付

【クルシージョ開講10周年!特別クラス!】

⑦即興研究(講義)

⑧みんなで歌おう!ブレリア

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今回はクルシージョ開講10周年ということもあり、特別クラスを設けたいと思っています!(まだ予定ですが)

上記⑦、クルシージョ開講当初からじわじわ人気、でもここ最近は少しお休みしていた講義クラスを復活させてみたいと思っています。これまでは「アレグリアス研究」「ソレア研究」「タラント研究」と開講してきましたが、今回は曲種別ではなく、「即興」という観点から講義をしたいのです。歌とギターを聴いて踊るとは?歌とギターに呼応するとは?フラメンコ舞踊において即興で踊るとは?そのような疑問解決の糸口になるようなクラス。私自身のスペインでの舞踊経験からの洞察を、厳選した動画を使って分析・解説したい。

というのは、即興クラスというのをこれまで開講してきて、また個人レッスンなどでもよく依頼されるのですが、そのフラメンコにおける即興というのものが漠然としている生徒さんが結構いらっしゃる。その概念を共有していないと、こちらがどんなに教えても伝わる度合いが薄いんじゃないか。その部分を言葉できちんと説明したい、と思ったからなのです。

そして上記⑧と②、これは日本の教授活動の中では初の試み。カンテクラスと即興ブレリアクラスの融合。⑧のカンテクラスではプロの歌い手さんをお招きし、歌い手さんからブレリアの歌を習います。(私は通訳ですが、同時に学ばせて頂きます)プロになるためではなく、歌を学ぶことによってブレリアの理解を深めるためなので、カンテ初心者も音痴(はい、私です。笑)も全員集合!そしてそこで学んだ歌を②即興への扉/ブレリア編後半5回の中で実際に使いながら、その歌で即興で踊ってみたい。もちろんそれぞれ別に受講して頂いても構わないのですが、両方受講されることによって、さらに理解度、習熟度が高まると思う!

・・・と夜中に一人で興奮してきましたが、(アントニオはプリンを食べて寝てしまった。)今の所はそんな予定です。多少の変更もあるかもしれませんので悪しからず・・・。

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そして、大阪、福岡でのクルシージョは日程と場所のみ見えています。

第17回福岡クルシージョ

  • 開講日程:2020年2月1日(土)
  • 開講場所:グラシアフラメンカスタジオ(小倉)

第17回大阪クルシージョ

  • 開講日程:2020年2月2日(日)
  • 開講場所:スタジオ・ラ・クーナ(堺筋本町)

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あっという間に10年経ってしまった。もちろん短期のクルシージョを年に2回だから、10年間まるまる教えていたわけではないけれど、クルシージョを開講していない期間であっても、セビージャで自分が生徒としてレッスンを受けていても、すべてのことが教えにつながっていっていると思う。どう教えたら伝わるのか、あるいは逆にどう教えたら伝わらなくなってしまうのか、何を教えるべきなのか、教えるべき順序は?どこまで教えるのか、逆にあえてどこまで教えないのか。そんなことを考えながらレッスンを受けたり。舞台の上の失敗だって、全部教えに役立たせることができる。もちろんセビージャでの生活もね。

そうやって自分の身から出てくることを教えているから、もしかするとかなり個人的かもしれない。でもだからこそ、私の真実を教えているんだと思う。私という踊り手、私という人間を通したフラメンコ。それは誰の真似でもなく、絵空事でもない。その時、その時の生のフラメンコと生の私。

これからもそこにこだわっていきたい。それが私がフラメンコを教える原点だから。

うおー!!!(気合の雄叫び)

2019年10月31日 ・・・で、そろそろ寝るか。

 

 

 

Oct 19

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャは少し肌寒くなってきたような気がします。夜は温かいものが食べたいなと思ってうどんを用意していたら、夫アントニオが俺も作る!と言い出し、作ってくれたのがムール貝とアボガドとルッコラのサラダ。さらに赤ワインまで開けている。それらをうどんと一緒に食べるのか?!と本気で心配したのですが、夫は平気な顔をして全部食べてました。(笑)なので、私も(笑)。うどんと赤ワインの組み合わせって一体・・・・ご興味のある方はどうぞお試しください。(笑)

73364279_1781914431939926_5665007158425550848_oDSC_3977DSC_4055DSC_4122前置きが長くなりましたが、一昨日セビージャ郊外のヒターノ居住区「エル・バシエ」に実際に住むヒターナ達が演じる「ベルナルダ・アルバの家」を観てきました。この演劇を観るのは2回目。本当に素晴らしい、大好きなんです。

非識字者の彼女達がセリフも演技も全くのゼロから学び、女優として舞台に立ち、スペイン国内外で様々な演劇賞を総ナメにしてきました。

なんなんだろう、彼女達のあの存在感。
プロの女優が持っていない何か。
演技力という言葉では測れない何か。
それらが舞台を客席を、全ての劇場空間を渦巻いている。
また観たい。何度でも観たい。

そんな興奮を今回も味あわせて頂きました。

※この劇の一部を動画でもご覧頂けます。→TNT El Vacie – La Casa de Bernarda Alba

ちなみにスペインの著名な女優、ヌリア・エスペルトはこの演劇を観て、母親役のロシオ・モンテーロにこう言ったそうです。

「私はベルナルダを演じる。でもあなたはベルナルダそのものなのよ

そういうことなのか。

真実であること。

演じているのではなく、舞台で行われていることが実際の彼女達の生活や人生観と密接に結びついていること。演技だけど、演技ではないということ。

真実にかなうものはない。

もちろん実力のある素晴らしい役者の演技というのも心を打つ。

「迫真の演技」なんて表現もある。

でも、「迫真」って「真実に迫っている」ということ。

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そんなことを思いながら、自分のフラメンコのことも考えてみた。

私達外国人にとってフラメンコが自分達の文化でない以上、それを踊るのはある意味、「演技」みたいなものなのかな。演技とわかっていて、どれだけ「フラメンコの真実」に迫れるか、そういうことなのかな。もちろん外国人だけではない、スペイン人だって、ただ踊りを習って踊っているだけだったらその文化を持っていない、その文化に生きていないのと同じ。上手にカッコよく、それっぽく踊れるかもしれないけど、何かが伝わってこないのはその「真実」がないから何じゃないか。

「フラメンコの真実」ってなんだろう。

それはヒターノ達が持っているもの、だけ、なんだろうか。

確かにヒターノ達だからこそ持っているもの、彼らでなければ持っていないものもある。

だからと言って、それを真似してあたかも持っているような演技(踊り)をすることが「フラメンコの真実」に迫ることとは思えない。それはただの猿マネ。

「フラメンコの真実」ってなんだろう。

自分が彼らの血も文化も持っていないのはもちろん知っている。誰もが知っている。

でも私にとっての「フラメンコの真実」というのもあるんじゃないか。そうでなければ自分がフラメンコを踊る意味が分からない。でも分かる必要もないかもしれない。

分かろうと探しているうちにきっと人生が終わっちゃうような気がするから。

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話は前後しますが、この演劇を初めて見たのは8年前!その時に書いたブログはこちら。

「タンゴ・デ・ペピーコ」

ちょっと笑いたいなという方は是非お読み下さい。今読み返すとあの頃は若かったな(笑)。そしてブログの中で「スペイン人の友達」と称されているのが、現在の夫だったりして(笑)。

舞台写真:アントニオ・ペレス

2019年10月19日 セビージャにて

Oct 14

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

週末の台風は本当に心配でした。前回の9月台風で停電になった両親の家も、東京の妹の家も大丈夫だったとのことで一安心しましたが、各地での被害の様子を目にすると心が痛みます。1日でも早く安心できる日が戻りますように・・・

そしてこの週末はなぜか胃痛。今まで胃なんて痛くなったことがなかったので、これが世に言う胃痛かあ・・・・と。なんでしょう、先週はお友達との外食が続いていたので胃が疲れていたのかな。そしてトドメは土曜の朝ホテルの朝食バイキングに行ったことか?バイキングだと思うとモーレツに食べてしまうこの貧乏性(笑)。普通はそんなに朝ごはん食べないよね?と思うのですが、もう一人の自分が「バイキングだ、食べてしまえー」と脳に指令を出しているのか?(笑)

71935320_193811254970579_2015602811705753600_nそしてその日の夜はペーニャ・トーレス・マカレナでペペ・エル・ボレーコ(Pepe El Beloco)という若手の歌い手のコンサートがあったのですが、ものすごいお客さんの中酸素不足になり、しかもお客さんの体臭なのか何なのか吐き気が・・・1部の後新鮮な空気を求めて表に出たら、今度は外でマリファナを吸っている人たちが・・・(スペインではマリファナは結構吸われていますので。)その匂いでまたオエッとなり、胃痛と吐き気とで耐えられなくなり1部で退散してしまいました・・・。

ああ残念だった・・・。

「ペペ・エル・ボレーコ」はカンテの好きな人ならご存知かと思いますが、プエブラ・デ・カサージャというセビージャ郊外の街出身の超若手の歌い手です。まだ20歳くらい?が、燻し銀のようなその古い声。往年の歌い手「チョコラーテ」によく例えれらますが、いやあ、あの年であの歌だったら将来どうなってしまうんだろう。将来有望なんてレベルを超越しちゃってる、既に。予測がつかない末恐ろしさ。

同世代のやはり末恐ろしい歌い手、「マヌエル・デ・ラ・トマサ(Manuel de la Tomasa」「エル・プリリ(El Purili)」と合わせると、この3人は何かの目的のためにこの世に生まれてきたんじゃないかと思えるほど。

今回はボレーコのコンサート1部しかいられませんでしたが、のっけのマラゲーニャからぞわぞわっとしました。私の近くにいた空気の濃すぎた集団は、ボレーコの故郷「プエブラ・デ・カサージャ」からやってきたボーレコ親衛隊だったようです。親衛隊って言っても私より年上の大の男達(女性もいたけどほぼ男性)で、確かに自分の街からあんな若いしかも底知れない歌い手が生まれたら親衛隊になるよな、と。もちろんフラメンコ愛好家です。もっと言えばカンテ愛好家。あの集団から発せられる「oleeeee」の圧。そして会場にはロタ(カディスの村)やアルヘシーラスなどの他県からも愛好家達が駆けつけていました。そんな皆さんと同じ瞬間に同じく「oleeeee」と声が出てしまう時には本当に幸せを感じます。

そのマラゲーニャの動画をYoutubeで発見!Pepe El Boleco con Antonio García – Peña Flamenca Torres Macarena12-10-2019 – Malagueñas

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スクリーンショット 2019-10-14 8.12.14そして、話は前後してしまうけど、前日の金曜には「トマス・デ・ペラーテ(Tomás de Perrate)」のコンサートに行ってきました。大好きなんです、トマス・デ・ペラーテ。セビージャ郊外のこれまたフラメンコ色の濃い街、ウトレーラ出身。そのウトレーラが生み出した偉大な歌い手「ペラーテ・デ・ウトレーラ(Perrate de Utrera)」を父に持つそれは濃い濃い歌。彼の十八番ブレリアでは往年のウトレーラの歌い手達を彷彿させ涙が出るほと興奮します。それと同時に彼独自の声、音がある所にも惚れる!フラメンコ史に残る偉大な父を持つ歌い手が絶対やらないであろう、ジャズやロックなど他の音楽とのフュージョン。それをやってしまうんだな、このトマス・デ・ペラーテは。その奥行きの深さ。

金曜のコンサートはアルフレッド・ラゴスのギターと二人だけだったので純粋なフラメンコの歌、と思いきや、二人が好きだというピアソラのタンゴも飛び出た!でもトマスの色と味なんだよなあ、本当にすごい。

へレスのギタリスト、アルフレッド・ラゴスの音も心地よかった。でも、カンティーニャスやブレリアの時にどうしてもあのウトレーラの味とは違う音というかコンパスになってしまう。トマス自身がそれらを歌う前に「私の土地ウトレーラでは落ち着いて歌うことが多く、私もそういうスタイルが好きです」と前置きしていただけに、それはちょっと残念だったなあ。現代だったらアントニオ・モジャだろうか、そういう伴奏ができるのは。やはりウトレーラにはウトレーラの、へレスにはへレスのコンパスがある。どっちがいい悪いじゃなくて、単に違うということ。

あとはシギリージャ。私たちがよく聴くシギリージャ(Siguirilla)ではなく、その前の世代のセギディージャ(Seguidilla)と呼ばれていた歌を聴かせてくれた。それから最後は16〜17世紀に結婚式で歌われていたという歌。フラメンコの曲種で「アルボレア(Alboreá)」というのがあって、それが結婚式で歌われるフラメンコの歌と現代では言われているけれど、それとも全然違う。全く違った。トマスがそれを歌う前に「これはフラメンコの曲種にはないけど、ま、俺が曲種にしちゃうけどね」と言っていました。やはりトマス最高。かっこよすぎる。

コンサートが終わった後、フラメンコ通の他のお客さん達が話していたけど、この2曲は彼らも今まで聞いたことがなかったそう。へーやっぱり、すごい貴重な曲を聴かせてもらったんだなあ。

フラメンコの土地に生まれ、偉大な歌い手の父を持っているだけでもすごいのに、それにとどまっていない。フラメンコのルーツのそのもっと前の深いルーツまで研究し歌い、更には現代の音楽ともフュージョン。だからこそ、彼だからこそフュージョンできるという話でもあるか。

あ!そしてあのコンパス!パルマ(手拍子)、ヌディージョ(拳でテーブルを叩いてリズムを刻む)足。足と言っても踊り手みたいな靴を履いてサパテアードをするわけではない、普通の靴でリズムを刻むだけなのだけど、それがすでに音楽になっている。よく歌い手のソロコンサートでは、リズムのある歌の時にパルメーロ(手拍子専門の人)が出てくるけど、あの日のトマスには必要なかったなあ。もちろんいたらいたでいいんだろうけど、トマスが人間打楽器になっているので、多分それ以上の音はいらない。本当に稀有な歌い手。

いい歌は自分の身体の細胞に染み込む。栄養になる。ただ歌を聴く、そういう時間が自分には必要だなと思う。そうでないと枯れてしまう。

ちなみにこのコンサート、セビージャの「Espacio Turina」で開催されていました。宣伝が足りないのかお客さんが結構少なめでした。(少ない割には濃かったですが)調べてみたら今後もフラメンココンサートがあるようです。

詳細はこちら→https://onsevilla.com/ciclo-flamenco-turina-2019-espacio-turina-sevilla

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ブログを書いていたら段々調子がよくなってきた気がします。笑

今週もがんばろー。

2019年10月14日 セビージャにて