昨日アップしました、パセオフラメンコライブのリハーサル写真もアップします!(写真:アントニオ・ペレス)
ただいま、鳥取におります。金曜に大阪入りし、9/2(土)・3(日)「第12回大阪クルシージョ」、9/9(土)「うね・じゅん・じゅん2」ライブの開催です!
詳細はこちらHP「クルシージョ」もしくは「ライブ情報」にてご確認下さいませ。
ではお会いできることを楽しみにしています!
2017年8月29日 鳥取にて。
遅くなりましたが、先週水曜に行われたパセオフラメンコライブVol.65 萩原淳子ソロライブはお陰様で無事終了しました。
2017年8月23日(水)
カサ・デ・エスペランサ(東京)
ギター:エミリオ・マジャ
カンテ:マヌエル・デ・ラ・マレーナ
カンテ:マヌエル・タニェ
バイレ:萩原淳子
プログラム:
1,タラント(バイレ)
2、ブレリア(カンテ&ギター)
3、アレグリアス(バイレ)
4ファンダンゴ(カンテ&ギター)
5ソレア(バイレ)
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お越し下さいましたお客様、パセオフラメンコさん、カサ・デ・エスペランサさん、皆様誠にありがとうございました。そして共演のエミリオ、マヌエル、タニェに最大の感謝を。
「萩原淳子ソロライブ」と言えど、踊り手が私一人というだけであって、ギターとカンテがなければ何も意味をなしません。彼らとの共演が決まって、私、そのまんまで行こうと思っていました。目新しいものを探すのも一つの表現方法だし、アーティストとしてそれも必要。でも彼らのギターとカンテを聴いて他に何が必要なんだ?って思った。だから今回は自分の原点に戻ろうと。・・・その意味では「萩原淳子ソロライブ」だったのかなあ。
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それにしても時代が変わった・・・と思います。私がセビージャで踊り手として踊り始めたのはもう10年くらい前。あの頃はスペインの経済はまだ傾いていなくて、外国人が踊って稼ぐというのは珍しかった。だから、アーティストによっては「誰?日本人?なんでオレ(私)が日本人と働かなきゃなんないわけ?」みたいな態度の人も結構いました。直接面と向かって言われたことはなかったけど、陰でそう言われているのを知ったりしてたから・・・。でもあの時は必死だったから、それに対して悲しいとか、憤るとかそんな気持ちはなかったような気がします。もちろん嬉しくはないけど、それよりも、私は踊りで答えを出さなきゃならないんだって気持ちの方が強かった・・・・。1回くらいだったら日本人だからという理由で、興味本位で雇ってもらうこともあるかもしれない。でもそれだけだったら続かない。私には踊りしかないから、後ろ盾もコネも何にもないから、私が持っているのは自分の踊りだけだからって、必死だった。現にいい踊りをすればお客さん(フラメンコ愛好家がほとんどだった)もアーティストも盛り上がるし、その反対の場合は、もう血が凍るくらいの気持ちになった。そんな時はもうこれで終わり、首切られると思って家で泣いたりもした。そんなジエットコースターみたいな日々だったけど、オーナーは私のことを見限らずに呼んで下さった。結局1年半。
今、日本では、スペインの経済危機の影響もあって、たくさんの素晴らしいスペイン人アーティスト達が来日している。プロ・アマにかかわらず、お金を払いさえすればそんな素晴らしいアーティスト達と共演できてしまう時代になっている。それは私たちにとってはありがたいことだし、私もその恩恵を受ける一人の日本人ではあるのだけど、でもそういう時代ではない時代にセビージャで踊っていたこと、あの時に学んだことは私の土台になっている。
お金を払って得るものじゃない。お金を払っても学べないもの。それをたくさんのアーティスト達、フラメンコを知っているお客さん達のお陰で私は学ぶことができた。
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ライブを終えて、たくさんの方々から賞賛やお喜びのお声を頂きました。本当にありがたいし、嬉しいです。でもそれはそれって思う自分もいます。たまたまあの日の調子がああで、ああいう踊りになっただけのこと。逆に何かの歯車が合わずにひどい結果になって、酷評されることもあるかもしれない。もしくは自分としては最高の歯車で回っても、観る人によって酷評される場合もあるし。でもどういう状況においても、自分がこれからやっていくことには何ら変わりないから、賞賛にしろ酷評にしろ、一旦受け止めて、それはそれでおしまい。そこにとどまっていたり、それに左右されたら自分がブレてしまうから。
時代は変わって、自分を取り巻く環境も人も変わった。でも、私は私で自分の原点を忘れずにコツコツやっていこうと思っています。
改めまして、ライブにお越し下さいました皆様、応援して下さいました皆様、ありがとうございました。
写真:アントニオ・ペレス
2017年8月29日
本日8/23(水)20:00
カサ・デ・エスペランサにて、パセオフラメンコライブ出演致します!
エミリオのギター、マヌエルとタニェのカンテを聴いてきます!
お陰様で満席とのことですが、当日キャンセルもあるかもしれないとのことです。(平日ライブなのでお客様も大変ですね・・・)急遽お越しになれるという方は以下まで直接お問い合わせ下さい。
昼(セルバ)☎03-3383-0246
さて、明日はパセオフラメンコライブ、萩原淳子ソロライブです。お陰様で満席とのことですが、当日突然キャンセルされる方もいらっしゃるとのことですので・・・(平日のライブですから仕方ない部分もありますね)もし急遽いらっしゃれる!という方は直接お店の方へお問い合わせ下さい。
お問い合わせ:
昼(セルバ)☎03-3383-0246/夜(エスペランサ)☎03-3316-9493
メール予約:selva@tablaoesperanza.com
ライブ詳細はこちらクリック→公演情報
今日は衣装をチェックして、縫い物などをしていました。そして見つけたんです。
おばあちゃんの糸。
祖母が亡くなった時に、母が形見として譲ってもらった糸だそうです。糸の台紙の部分に懐かしい字で「平成元年 3/8 英子」と書いてありました。この字で「淳子ちゃんへ」と書かれたお年玉やお手紙をもらったんだ、子どもの頃・・・。
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2005年から2007年、私は文化庁「新進芸術家在外派遣研修員」としてセビージャへ国費留学していました。その、あと数ヶ月で留学期間が終わって帰国できるという時に祖母は亡くなりました。留学前、最後に会った祖母はとても小さくなっていました。私のことわかっているのかなあ・・・そんな感じでした。
祖母のお葬式が終わった次の日に、私は父から祖母が亡くなったことを電話で知らされました。国費留学している私が、祖母のお葬式のために帰国すると言い出さないよう、わざと後から知らせたのでした。
ずっと泣いていました。私は何をしているのか、祖母のお葬式にも出られなくて。もう会えない。ずっと泣いて、朝ベッドから起きる気がしなかった。当時はクリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校に毎日通っていました。でもその日は休もうと思った。こんな状態で学校に行ってもどうせ集中できない。今日は休もう。
でもその時思った。祖母のお葬式にも出られなくて、クラスまで休んだら、私は何のためにここにいるんだ?
ガバッと起きて、いつもと同じように学校へ行きました。学校に着いて一番最初に会ったのが当日その学校で教えていたカルメン・レデスマでした。
「おはよう、ジュンコ。今日踊りたい?」
何だかよくわからなかったのですが、「Sí(はい)」って即答した私にカルメンが言いました。「今日は学校を早退しなくてはならない。でも素晴らしいアーティスト達と共演できる機会だから踊りに行きなさい。出演料ももらえるはずだから。」余計に何が何だか分からなくなった私にカルメンは「2曲分の衣装を持って行きなさい。そこでは即興で踊るのよ、事前に合わせはないから。大丈夫、歌い手もギタリストも私が普段共演しているプロだから。」
全く訳が分かりませんでした。私がそんなプロの人達と仕事をするということ???事前の合わせもなしに????当時はまだ私は踊り手として働いていなかったので、ただの一外国人留学生がなぜそんなことになるのか、全く理解できなかった。それでも時間が経つうちに事の大きさがわかってきて、怖くなりました。家に帰る途中、バスの中でガタガタ震えていたのを今でも覚えています。本当にマンガみたい、震えを止めることができなかった。
カルメンに言われた通り2着分の衣装を持ってその場所に行きました。ギタリストのアントニオ・モジャが奥さんのマリ・ペーニャと一緒にいました。「すみません、カルメンに今日ここで踊れって言われたんですけど・・・ソレアとアレグリアスを踊れますが・・・」そうするとモジャは「ソレアか?それともソレア・ポル・ブレリアか?」と聞いてきました。「ソレアです」と答えて、構成を説明しようとすると、シッと言われました。「ここではそんな説明は必要ないよ、ただ聴けばいいんだ。よく聴くんだよ」
・・・本当に本当に即興なんだ・・・説明もさせてもらえないんだ・・・
今考えてもありえない。ただの外国人留学生がそんな状況で踊るなんて。でもあの時踊ったソレアが結局、私の人生を変えることになりました。
初めて、カンテが自分の毛穴から入ってきて、毛穴から自分の踊りがぶわーっと出てくる感覚を覚えました。
カンテって耳で聴くんじゃなかったのか!!!!
ソレアが5つも6つも歌われました。(と思う)当時習っていた先生達の「振付」なんて何も出てこなかった。ただただ聴いて、それに反応していた。いつの間にかソレア・ポル・ブレリアになって、ソレア・ポル・ブレリアもいくつも歌われたかなあ。きっとそれからブレリアになって終わったのだと思うけど、お辞儀して振り返ったらモジャが目を真っ赤にして泣いていた。立ち上がって私をぎゅっと抱きしめてくれた。そして「俺はもうこれ以上弾けない!」と叫んで会場を出て行ってしまった。
何が何だか私には分からなかった。それからモジャが戻ってきてからアレグリアスを踊り、その後カルメン・レデスマがペーニャで踊るという話を聞いて皆でそのペーニャに行きました。
カルメンのソレア。
あれがソレアだ。ソレアとはああいう踊りを言う。
・・・じゃあ私が踊ったのはなんなんだろうって。
そして思った。もしあの時、私がソレアを踊れたのだとしたら、それを踊らせてくれたのはおばあちゃんだったのだ。祖母が私に会いに来てくれて、私に力を与えてくれたんだ。そうじゃなかったら、私があんな踊りできるわけがない。
あの日から私の人生が変わった。在外派遣研修員の任期を終えて、私は当然日本に帰るものだと思っていたけれど、でもあの日あのソレアを踊ったことで全てが変わりました。その場所のオーナーから「日本に帰るな、お前はここで踊ればいい」と言ってもらえたからです。もちろん正式な契約ではなかったけれど、可能性が1パーセントでもあるならここに残ろうと自分で決意したから・・・。
祖母は、私がスペインで踊り手になることを応援してくれていたんだ。なぜか留学先をフランスと思っていたらしく「フランスは遠いからね、日本と違うからね、身体に気をつけて」と言ってくれていたのを思い出す。でもフランスじゃなくて、ちゃんとスペインのセビージャまで来てくれたんだ。
・・・・そんなことを祖母の糸を見つけて思い出しました。
そして、不思議なことに、あの時ソレアを歌ってくれた歌い手の一人がマヌエル・タニェ。あれから結局1年半くらいあの場所でレギュラー出演させて頂くことになったのだけど、10年の月日が流れて明日また共演。人生って不思議だなあ。。。。
写真(Magdalena Stachura撮影)は当時のもの。ちなみに、この黒い衣装を明日着てみようと思って、一生懸命縫っていたのでした。(相当広げましたけど。笑)
2017年8月22日
今朝、姪っ子達は帰って行きました。小さな人が家の中を歩く(走る?)トコトコトコーという音が聞こえなくなってしまってちょっと寂しい。静かな家になりました。
※写真は、アントニオの顔にシールを貼る姪っ子二人(笑)
さて、今回の日本滞在も残り1ヶ月を切りました。ここからがさらに早い。そしてビッグイベントがいろいろあります。エンジンかけてさらにゴー!
今日はエミリオと8/23用のタラントの音楽部分を作ってみました。あーだこーだ話し合わなくても、これとこれのこんな感じと言えば、はいさっさーみたいな感じですぐできるので時間が余り過ぎ。本日非番だったらしいタニェも来てくれたので結局ソロ3曲全部合わせてみました。本番はマヌエルも歌ってくれるし、こりゃ楽しみ。
そして今週の土曜は宇根由佳さんと森脇淳子さんと久しぶりに合体!大阪での「うねじゅんじゅん2」ライブのオープニング振付をします。ボケとツッコミと爆笑で1時間過ぎてしまったという昨年のエンサージョの反省を、今年生かせるのかが当面の課題。(笑)※チケットお申し込み受付中。ticket.layunko@gmail.comもしくはバイレ出演者までご連絡下さい。
ご予約先:
大阪クルシージョ受講生→ osakacursillo@gmail.com
一般→ ticket.layunko@gmail.com
メールタイトルを「うねじゅんじゅん2」として頂き、①ご氏名 ②郵便番号 ③ご住所 ④TEL ⑤メールアドレス(PC)⑥ご希望の部(1部・2部・通し)⑦チケット枚数
をご連絡ください。
Baile | Cante | Guitarra |
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ではお会いできることを楽しみにしています!
2017年8月14日
みなさんこんにちは。お盆休みいかがお過ごしでしょうか?
遅くなりましたが、8/9(水)サラ・アンダルーサでのライブ写真をアップします!
お暑い中、満場のお客様にお越し頂き大変感謝しておりま
楽しかったなあ。あともう1部くらい続けたかったです!
皆様ありがとうございました!!!
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写真(アントニオ・ペレス撮影)は出演順に掲載。
以下は私の勝手なコメントです。みなさんの踊りが素敵すぎて、思わず・・・うふふ。
スピーディーな展開と畳み掛けるレマーテ。ともちゃんの
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2曲目:谷朝子さん(ティエント)
長いブラッソから広がる空間、と同時にぎゅっと内に濃縮
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3曲目:島崎リノさん(アレグリアス)
ちょっと元気ないな・・・という時は、是非リノさんのア
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4曲目:萩原淳子(タラント)
どう踊ったのかよく覚えてないけれど、フラメンコに、タラントに、自分自身そのまんまで向き合えたかなあ。。。
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