Apr 28

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

お蔭様で4/25(日)を最後に、第3回「萩原淳子少人数制クルシージョ」を無事終了することができました。どうもありがとうございました。クルシージョ会場の「スタジオ・アル・ソル」さんを始め、生徒のみなさん、たくさんの方々に支えられ、幸せに思っています。毎回出席されている生徒さんや今回初めての方など、とても素敵な出会いがたくさんありました。クラスで教えながら、逆に生徒さんから学ぶことの多い毎日だったように思います。

そして今回特にうれしかったのは、生徒さんがどんどん主体的になっているということ。それは私のクルシージョ開講の目的のひとつでもあるからです。先生が生徒さんにしっかり教えるのは、当たり前。でも生徒さんがただそれを受動的に学ぶだけでは効果がほとんど得られないと思うのです。その時はなんとなく分かったり(分かったつもり)、それがスペイン人のクルシージョだと「アイレを感じた」という気持ちになってしまうけど、でも本当にそこで学んだことは学んだことになっているのかな???というのが、これまでたくさんのクラスやクルシージョを受けてきた私自身の経験から出る正直な疑問なのです。

以前にエバ・ジェルバブエナのセミナーを受けた時に彼女は言っていました。「学び方を知らない人が多すぎる。」と。それをどう解釈するのかは人それぞれだと思いますが、私は自身の経験から、生徒さんが主体的になってこそ初めて学ぶ準備ができると思っています。クラスを受講された方はお気づきかもしれませんが、私は自分のクラスの中でよく生徒さんに質問し、考えてもらう時間を作っています。まず「なぜ」なのか、そして「何」を「どのように」するのか、これを自分の頭を使って知ること、そして体を使って試行錯誤すること、これが学びの原点だと思うからです。

ほとんどの生徒さんが始めは受身です。先生がすべて教えてくれる、それを自分は待っている、受け入れる。それが当たり前になっています。でもそこから逆転の発想で、生徒さんの主体性をひっぱり出すのが私の役割。実際に、瞬間瞬間で自分の頭と体を働かせた生徒さんは、たった1ヶ月のクルシージョでも大きく成長します。それで急に踊りがうまくなるとか、そういうことではありませんが、確実にその変化は感じられます。私も驚きますが、生徒さん自身も、そして生徒さんの周囲の人達もその変化に気づき驚くらしいです。

でも本当に重要なのはそこから。クルシージョを受けて「すごく分かりやすかった」「フラメンコが楽しくなってきた」という声を頂きますが、そこで止まらずに、何かひとつでも私のクルシージョでつかんだことを自分のものにしてほしい。でもそれはきっと段々現れてきているのではないかな。このクルシージョを始めてから1年が経ち、そのように実感をできるようになってきました。少しずつですが。

生徒のみなさんから「次のクルシージョはいつですか?」と質問されるととても嬉しいです。それと同時に責任も感じます。自分の教え方が公平であったか、その人その人に対して忠実だったか、一言一言がその人にとって価値あるものになっているのか、毎回反省をし、少しでも成長したいと思っています。教える側の人間としても。「先生」と呼ばれるといまだに、なんだか変な気分になりますが。「先生」というより・・・・同じ「仲間」だと思うんだけどな~。フラメンコを学ぶ、仲間。

次回は2010年7月を予定しています。詳細はこちらにアップしますが、先に情報をお知りになりたい方はこのHP「連絡先」のフォーラムを使ってメールを頂ければと思います。こちらから直接メール連絡させて頂きます。

ではまたお会いできることを楽しみにしています!

2010年4月29日 箱根にて。

Apr 6
志風恭子さんの批評から 2
La Yunko | ブログ, 論評 | 04 6th, 2010| Comments Off

みなさんこんにちは!ちょっと春らしくなってきたかな?いかがお過ごしでしょうか?

私は元気です。前回のブログをアップしてからたくさんの方から(主に公演にて私の踊りを観てくださった方々)励ましのメッセージと踊りに関するご感想を頂きました。「あの公演で歌い手が一番力を入れて歌っていたのがタラントだった」「歌に対して踊っていると思っていたので、背中を向けられたとは思わなかった」「これからもがんばって下さい」「泣きました」等。以前の公演の私の踊りに対する感想を寄せて下さった方もいらっしゃいました。本当にどうもありがとうございました。

志風さんからもその後個人的にメールを何通も頂きました。(セビージャでだったらバルで飲みながら語り合うのでしょうが。)それらのメールで、逆に志風さんの方が私自身よりも、私の踊りに期待して下さっているということに気づかされました。「スペインで食い込んでいこういう意気込み、それを実現させていく実力と実行力はすごい」(「」内は志風さんからメールからそのまま引用)そして、私の踊りを「あるレベルをクリアしているからこそ、エバやラフィをみるときと同じ視点でみて書いた」 とのことです。(注:エバやラフィ・・・エバ・ジェルバブエナとラファエラ・カラスコのことと思われます。)

そうか、、、そんな風に私は思われていたのか。ただ毎日毎日一生懸命学んできただけ、と自分では思っていたけど。でもその反面、いつの間にか私はセビージャに住み、そこで学び、そこで踊ることに慣れっこになってしまっていたんじゃないか、という気もしてきました。前に前に進んでいるようで、ある意味その現状で安住しちゃっている自分もいたのではないかな、と。自分の踊りを志風さんのような視点でとらえたことがありませんでした。志風さんの方がもっと先を見ていらっしゃる。私の踊りに関して。私が今年ウニオンのコンクールに出場することを志風さんはご存知で、そこでの入賞を意識していらっしゃる。ウニオンでは今回批評の対象となったタラントが審査されるので、それをふまえてあえて私のタラントに関して厳しい批評をして下さったのでした。ウニオンのコンクールに申し込んだのは私ですが、実際、入賞というのを自身では意識していなかったように思います。とりあえず申し込むだけ、申し込んだという感じ。私は自分に甘くなっている。その甘さを批評によってつかれた気がします。

そして、厳しい批評を拝読した時のショックの奥底にあったのは「人に高く評価されたい」という気持ち。そして今回の批評を、私の踊りを観たことのない人が読んだら「私は一体どう思われるんだろう?」という不安。他人の目を気にする小さな自分。さらに、自分が「こうだ!」と感じるフラメンコに関しては全く触れられていない批評を読み、反発の気持ちまで持ってしまった私。自分のフラメンコ観に固執するあまり、他の視点による意見を受け入れにくくなっているのではないか?そのプライドの高さというか自意識過剰というか、頭の固さというか・・・自分の人間としての浅はかさ、未熟さに気づかされました。もっと素直に謙虚になることで、私はもっと学べるはずだ。そう頭では分かっていたはずなのに、厳しい批評を公表されたことで、「なんで私がそこまで言われなくちゃけいないの?志風さんひどい!」なんて思ってしまった私。私の現地での活動を知った上で、そして私の今後のことまで考えて下さってあえて厳しい批評を下さった志風さん。感謝すべき方なのに。ひどいのは私の方ですね。

人間としてまだまだまだだ~。踊り手である前に人間でありたい。そういつも思っていたはずなのに、それがスコーンと抜けていた私。これから何をすべきか、振り出しに戻ってしまいました。でもそこに戻れたことも、そこに戻してくれる人がいるということも、私にとっては大切なことだと実感しています。(でも思っているだけじゃだめなんだ。ちゃんと実行しなくちゃ。)

「次回を楽しみにしています。期待していますよん」とおっしゃる志風さん、そして今回の件で励まして下さったみなさん、本当にどうもありがとうございました。不器用で時間がかかる私ですが、これからもどうぞよろしくお願い致します。

次回は4/16(金)、4/24(土)に恵比寿サラ・アンダルーサで踊ります。今の自分を出すしかありません。

2010年 4月6日 中野にて。