みなさんこんにちは。
地震のことをスペイン時間の朝、クラスに着いた時に同じ日本人の受講生から知らされました。その瞬間、何も言わずにドアをバン、と閉め、外に飛び出していました。家族は・・・私の家族は・・・。こんな時に限って、充電していた携帯を宿泊先の友人宅に忘れてしまった・・・・。公衆電話はどこ?・・・見つかったけど、電話がつながらない。近くのネットカフェはまだ開いていない。宿泊先の友人宅までは歩いて40分。タクシーを拾おうにもタクシーはどこ?セビージャだったらすぐにタクシーがつかまえられるのに。走って走って・・・・やっと友人宅に着いて。置き忘れた携帯にセビージャの友達からのいくつもの留守電が。私の家族からの連絡はない。急いでパソコンを立ち上げ、妹に安否確認のメールを送る。テレビをつける。信じられない光景。しばらく呆然とテレビを見、セビージャの友達に電話をし、妹からの返信を待ち、もう一度両親に電話してみる。そんな私を、友人夫婦の子供、ゴンサロが見ている。いつもだったら私にちょっかいを出してくるけど、今日は何も言わない。無断で、彼が見ていたお気に入りのディズニーチャンネルから、ニュースに切り替えてしまった。でも何も言わない。2才の子供に地震は理解できないだろう。でも私がいつもの状態でないことは理解しているみたいだ。ゴンサロ、ごめんね。
クラスには1時間半遅刻した。先生のハビエル・ラトーレが心配して私の家族の安否を尋ねてくれた。でも連絡がとれていない。ラトーレはそうか、と言って私を抱きしめた後、「舞台は明日だから、集中して」と言った。そうだ、舞台は明日なのだ。私がいない間にブレリアの最後の部分の振付けがほとんど終わっていた。一生懸命遅れを取り戻そうとしても集中できない。何も頭に入ってこない。こんなのではだめだ、そう自分に言い聞かせているうちに、残りの1時間があっと言う間に経ってしまった。
クラスの後いつも何人かのお友達とご飯を食べていたが、その日はやめる。それぞれ家に帰る。その時、同じクラスの日本人受講生のご実家が倒壊してしまった、という話しを聞いてしまった・・・
本番当日。午前中のクラスは舞台上で行われた。クラス兼、通し稽古。前日振付けられたばかりのブレリアがぐちゃぐちゃだ。みんな「覚えられない」と焦っている。私はもっとだ。今まで大丈夫だった部分まであやふやになってきてしまった。集中しなくてはならない。そんな中、ギターがコンパスを外す。これまでの練習中から微妙にずれていたギター。今日はソレアの歌振りで完全に外す。3度も。舞台上で立ち尽くしてしまう私たち。「ちゃんと歌っているわよ!」歌い手が怒鳴る。「何やっているんだ!」ラトーレもまでも。「いい加減にして!こんなギターでどう踊ったらいいの?!」一人の受講生が私に訴える。その通りだ。でもみんなの前で「ギターがおかしい」なんて言えない。なぜ皆、気づかないのだろう・・・。そんな調子で自分も周りもおかしなまま、通し稽古は終わってしまった。本番まであと6時間。大丈夫なのだろうか・・・?
そしてその本番はあっという間に終わってしまった。ラトーレの弟子のスペイン人の踊り手3人とハビエルがそれぞれソロを踊った後が私たちの出番。暗転し幕が降りる。その間、自分の立ち位置につく。その時思った。私は踊る。間違えてもいい。転んでもいい。(超スピードの2回転があった)とにかく踊るのだ。日本にいる人達のことを想って。
舞台終了後、ラトーレが観客に挨拶する。「この1週間、合計たった15時間のクラスで学んだことを今日発表しました。皆よくがんばり、素晴らしい作品に仕上がったと思います。そして今回特にがんばったのは8人の日本人受講生。昨日のクラスは彼女達にとっては本当につらいものでした。クラス中、携帯で家族の安否を確認したり。そんなつらい中、よくがんばってくれました。」私は涙が出そうになった。そんな私の肩を隣にいたジョランダが抱きしめてくれる。彼女は昨年のラトーレのクラスにも参加しており、一緒にアレグリアスを踊った。楽屋でもフランス人のマリアが「日本に帰れない人、私の家に泊まって。」と私たちに声をかけてくれる。そしてラトーレ。厳しい状況の中でも群舞作品を仕上げなければならない。集中できない何人かの日本人に叱咤するのはつらかっただろう。
通し稽古が終わった後、実はラトーレは舞台上で観客に言ったことと同じ事を受講生全員にも言っていた。でもその時は8人の日本人受講生の名前を一人一人言ったのだ。「キョウコ、カナコ、サチコ、ノリコ、コトエ、フユカ、サトミ、ジュンコ」。私たち日本人だけではない。ラトーレは20数名いた受講生全員の名前を覚えていた。たった1週間のクラスなのに。もう会うことはないかもしれないのに。そんなところに、私はラトーレの人間性がにじみ出ているように思う。
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この1週間、私は自分の身体の小ささを気にしていた。大柄な欧米の受講生の中で、私は明らかに小さい。そして華奢だ。線が細い。彼らの中で私は埋もれている。そんな自分を鏡の中で発見する度に、落ち込み、それをまず精神的に乗り越えることに労力を要した。ラトーレの弟子のスペイン人達は身長が高く、手足が長い。そしてその恵まれた身体を存分に使うことに長けている。舞踊団に所属する人、独特の踊り方。舞台で大きく美しく見せることを第一目標として教育されている人達。それをもって、フラメンコとするか否かは別として、私が持っていないものを彼らは持っている。もちろん、彼らが持っていないものを私は持っている、と思う。でも重要なのは、どちらが優れているか、という問題ではなく、学ぶことだ。どうしたら私は大きくなるのか。身体のポジション、筋肉の使い方、動かし方、そういった技術的なものをラトーレの弟子達から学び取った。そう、そんなことは誰も教えてくれない。自分でつかまなくてはならないのだ。
でももっと重要なことは、その踊り手が内包するエネルギーだ。どんなにスタイルがよく、身体能力に長けていても、そのエネルギーがなければ、もしくは足りなければ、その踊りは観客の心には伝わらない。感心はしてもらえるかもしれないが、感動はない。そのエネルギーがほしい。そのエネルギーが自分の身体から押し出されなくてはならない。観客だけではない。そのエネルギーが日本にまで伝わってほしい。
私の家族は無事だった。東京に住んでいるお友達も、つくばの国際美学院の先生方も、仙台に住む踊り手の藤井かおるちゃんも。でも無事ならそれでいいのか、周りのスペイン人達がそれで安心するように。毎日一刻一刻とニュースを見て、胸が痛くなる。私の国で起こっていることなのだ。
私が踊る意味って、何なのだろう。私ができることは・・・。
2011年3月14日 帰って来た、セビージャにて。 (写真:アントニオ・ペレス)