Feb 8

何から始めてよいか・・・・みなさんこんにちは。

久しぶりに内蔵からoleが出ました。涙も出ました。ミラグロス・メンヒバルの踊りを観てきました。なんという踊り手なんでしょう。なんというアルティスタなのでしょう。今日の夜のことは決して忘れることはないと思います。

家に帰って早速、自分の中に残っているミラグロスを再現してみました。素晴らしい公演を観た時には、「よかったね!」と周りの人と共有したい気持ちがあります。でももっと素晴らしい公演に出会った時には、アーティストが自分の中に残してくれたものをひっそりと、でもしっかりととどめておきたいものです。今日観たミラグロスの踊りは後者でした。もちろんミラグロスの踊りのまねなんてできない。観たものをそのまま再現できるのは、漫画「ガラスの仮面」の北島マヤくらいなのでは?(確か1巻で、マヤは自分が観た演劇の全ての台詞を再現しています。)ま、そんなことはともかく、何でもいい。ミラグロスが私に残してくれたものが刻み付けられさえすれば。

舞台袖から舞台に立っただけで、そしてブラッソ(腕)を、マノ(手)をほんの少し動かしただけで、ole が出る。涙が出る。そしてあのバタ・デ・コーラ。ミラグロス本人とカンテとギターと一体になったバタ・デ・コーラ。あのアルテ(芸術性)を感ぜずに一体何があるというのか、この世の中に。

バタ・デ・コーラ。裾の長い衣装で、それは女性フラメンコ舞踊家の化身とも言えます。その扱いは難しい。そしてそれを舞台で踊るのはもっと難しい。でもスペインではプロフェッショナルな女性の踊り手ならバタで踊れる技術を持っていて当たり前。小学生が学校で九九を学ぶのと同じ。バタが好きか嫌いかの好みは別として、できて当たり前のレベルにしてプロフェッショナルと言える。その意味でバタで踊る踊り手はたくさんいる。でもその多くが、バタをただ履いて床掃除をしているだけか、バタをスポーツ化してぶんぶん振り回しているだけかのどちらかだ。

ミラグロス・メンヒバルは派手な大技はほとんどしない。でもバタにおいて一番肝心な部分は決して外さない。というより、ぶんぶん派手な大技をしかける踊り手が絶対に持っていないものを持っている。これはきっとバタを学んだことのある人、バタで踊る人にしか分からない。多分。

なんて素晴らしいのだろう、ミラグロス・メンヒバル。

そしてバタだけではない。意外と知られていないけれど、実は彼女のサパテアードというのも素晴らしい。ミラグロスというとバタ、上体やブラッソ・マノの動きで有名だ。だからミラグロスのサパテアードはそれ程語られることはない。でもすごい。何がすごいって、あの質。私が思うに、現代、男も女もみんなうるさすぎる。とにかく音を出せばいい、音をつめればつめるほどよい、リズムが変わっていれば変わっているほどよい、そんな傾向がある気がする。どれだけ難しいことをやるかばかりを追い求めて、その音楽性というのが見失われがちになっていると感じるのは私だけか???

フラメンコの靴は靴ではない、楽器なんだよ!!!ミラグロスのサパテアードを聴け!!!

そして萩原個人的な見解として、さらにミラグロスの素晴らしさを上げるとすれば、ミラグロスはカンテを、ギターを踊ることである。彼女自身がカンテでありギターである。彼女のバタ・デ・コーラがカンテでありギターである。カンテの歌詞を演劇のように演じるのではない。ギターのメロディーに合わせて振り付けし、それを遂行するのでもない。彼女は舞台の上で生きている。カンテとギターとともに。彼女の踊りがカンテとギターに命を吹き込む。吹き込まれたカンテとギターは新しい生命力を持ってミラグロスの踊りにさらなるエネルギーを与える。そしてその命とエネルギーはいつ舞台の上で生まれるのか誰も分からない。生まれた瞬間にしか分からない。だからその瞬間 ole が出る。内蔵からの本物の ole が。

ギターはラファエル・ロドリゲス、歌はマノロ・セビージャとフアン・レイナ。ミラグロスが素晴らしいということはカンテとギターも素晴らしいということである。踊り手の公演で伴奏ギタリストにoleが出る公演というのはほとんどない。でもラファエルのギターにoleが出ない人はいない。白髪のマノロ、同様に大ベテランのフアン・レイナ。彼らの歌が素晴らしいのもさることながら、二人とも公演中ずっと立って歌っていた。その姿勢の美しさ。精神性。「疲れるから」という理由で立って歌いたがらない若手の歌い手も多い昨今、これは特筆すべきことではないのか。

この公演のもう一人の出演者、ルイサ・パリシオ。ミラグロス秘蔵っ子の若手舞踊家だ。美しい。ところが踊っている最中に転んで文字通り尻餅をついてしまった。あ!と思った瞬間に立ち上がってまた踊り始めた。きっと悔しいだろう。つらいだろう。本当のところは本人にしか分からない。でも想像するに余りある。しかしお客さんはみんなルイサの味方だった。ルイサが踊り始めた瞬間に自然とわき起こった、客席からの応援の拍手。なぜ?ルイサの踊りが皆好きだから。がんばれルイサ。元気を出して!!!

今日、ミラグロスのアルテをシャワーのように浴びれた事に感謝する。

ミラグロスもフラメンコも偉大だ。

2013年2月7日 気づいたら私の公演まであと2ヶ月。私もがんばる。   セビージャにて

Feb 2

萩原淳子在西10年記念フラメンコ公演 「ハモンは皿にのせるだけでよい」

  • 17:30開場 18:00開演
  • 川崎市アートセンター アルテリオ小劇場(小田急線「新百合ケ丘駅」北口より徒歩3分)
  • SS席7500円(両日ともに完売御礼)/S席 7000円/A席6000円車椅子席6000円/お子様抱っこ席6000円/小中学生席 3000円
Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • モイ・デ・モロン
  • ミゲル・ペレス

チケットご希望の方は ①ご氏名 ②郵便番号 ③送付先ご住所 ④お電話番号 ⑤メールアドレス(PC)⑥ご希望日 ⑦席種 ⑧枚数 を ticket.layunko @gmail.com までご連絡下さい。

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

過日すでに4月6日・7日公演チラシWEB版をHPにアップしましたが、印刷用のチラシ両面もできましたのでアップします。こちらのチラシ、今後フラメンコスタジオやお店等置かせて頂きます。置きチラシを快諾して下さいました皆様、誠にありがとうございました!そしてお手伝いをして下さるクルシージョ受講生有志の皆様もどうもありがとうございます!ブログをお読みの皆様、このチラシをお見かけになりましたら、是非お持ち帰り下さいね。

このチラシは、スペイン人デザイナーのマリア・ホセ・トーレスと私で作りました。(写真はおなじみ、夫のアントニオ・ペレス)日本で頼む時はどのようにするのでしょう?写真と文章をデザイナーさんに渡せば、あとはお任せで作って下さるのかな?日本では頼んだことがないのでよく分かりませんが。今回は私がデザイン案を起こし、後はマリア・ホセ・と一緒に作業しました。実はそれが結構大変なのです。マリア・ホセはもちろん日本語が分からないので、どこに何を配置してよいのか、どのくらいの大きさにしてよいのか全く分からない状態。なので私が一つ一つの意味を翻訳して意味を理解してもらいました。一番大変だったのは、チラシ裏面(白黒の方)の出演者プロフィールの部分。文章の意味が分からないのでマリア・ホセはどこで文章を区切ればよいのか分からない。日本人なら「はぎわらじゅんこ」という字を見れば「はぎわら じゅんこ」と区切れるけど、意味が分からないので「はぎわらじ」「ゅんこ」なんて区切ってしまっても何がおかしいかが分からない。(これでは、私は「わらじ」になってしまう・・・)そして区切る所を説明するのも一苦労。「ら」までといっても通じない。「の」を説明するのに、「あ、そこの、その丸っこいの形の“しるし”」とか。「字」と言っても彼女にはそれが「字」には見えず、全部何かのシンボルに見えるみたい。だから“しるし”。「コ」を説明するのに「そのホッチキスの針みたいな“しるし”」とか、「し」は「バストン(杖)を逆さにした形」・・・もう自分でもなんだか分からなくなって最終的にはゲラゲラ二人で笑っていましたよ。

なんとかやっとこさっとこできたチラシを劇場の川崎市アートセンターアルテリオ小劇場さんにチェックして頂くと、結構厳しかった・・・それをもう一度マリア・ホセに修正してもらい、ようやく出来上がりました!!!!

1枚のチラシ、よく見るけど、実はいろいろ大変なんだな、と。前回の公演(昨年10月の新宿エル・フラメンコと恵比寿アンダルーサ)ではチラシができる前にチケットが完売してしまったので、ちゃんとした日本での公演のチラシを作るのは今回始めて。いろいろ勉強になりました。

現物は、私、まだ見ていないんです。クルシージョ受講生有志の方が日本で印刷をお願いして下さったので。スペインにも数部送って下さるとのことですが、もしかすると皆様の方が早くご覧になるかもしれません。置きチラシもそうですが、2月号のエスペランサ通信(タブラオ“カサ・デ・エスペランサ”のライブ情報)に同封させて頂き、また、本日明日に行われるマルワ・コンクールの予選会場、23日の本選会場でも劇場入り口にて配布させて頂きますので是非ご覧下さいませ。(マルワコンクール出場の皆様がんばって下さい!!!!!)

ちなみにチケット情報は、両日ともにSS席チケットは完売御礼となっておりますが、S席(7000円)、A席・お子様抱っこ席・車椅子席(6000円)はまだ空きがあります。小劇場で座席はひな壇形式になっていますので舞台がよく見えますよ。照明音響機材設置の関係で見えにくくなるお席は販売しておりませんのでご安心下さい!※お申し込み順によいお席を確保させて頂きます。

チケットご希望の方は ticket.layunko@gmail.comまでご連絡下さいね。お待ちしております!

他にもいろいろニュースがあるのですが、今日はこれにて。皆さんまたお会いしましょう。風邪など引かぬようどうぞご自愛下さいませ。

2013年2月2日 今日は公演の衣装をを頼んできました!素敵な衣装が出来そうです。セビージャにて。

Feb 1
ファルキートのクラス
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 02 1st, 2013| Comments Off

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

あっと言う間に1月が終わってしまいました。先月はファルキートのクラスを受けていましたよ。火曜と木曜の週2日で、数日ファルキートがお休みし、私も自分の予定でクラスに行けない日もあったので、今月は数回しか受講できませんでした。でもなんだかずんと心に残っているな・・・

フラメンコを習っていらっしゃらない方もこのブログをお読み下さっていると思うので、簡単にファルキートの説明を私なりにしようと思います。ファルキートのおじいさんはファルーコ。ファミリア・ファルーコ(ファルーコ一家)と言えばフラメンコ・アーティストの中でも生粋のヒターノ(ジプシー)。その血に流れているフラメンコは他のアーティストとは明らかに一線を画し、神聖視されています。ファルーコが亡くなり、ファルキートのお父さんも亡くなり、ファルキートは若くして一族をしょって立つ立場になりました。その血と才能に恵まれた素晴らしいアーティスト。そんな中、数年前に起こしたひき逃げ事故のせいで世の中にはファルキートを敵視する一般の人もいます。もちろん彼は服役をし罪を償いましたが。

最も純粋で最高級の、誰一人としてその隣に並ぶことはできない。その意味で唯一のアーティスト。でもその陰にはきっと想像を絶する絶え間ない努力と、葛藤やしがらみ、責任や重圧をかかえているのかもしれません。もちろん本当のことは本人にしか分からないのでしょうが。私がこんなことをブログにするのは僭越なのかもしれません・・・

そのファルキートのクラス。これまでセビージャで彼は1週間(実質5日間)のクルシージョ(短期講習会)を時々開講していました。今までに何度も習ってみたいと思っていましたが、なんだか恐れ多くて。。。そしていつもすぐに定員いっぱいになっていたので、ずっと習う機会がありませんでした。

でも1月から毎週2回クラスを開講すると聞き、意を決して申し込み。中級と上級の2クラスがあり私は中級クラスに入る事にしました。上級クラスも試しに受講してみましたが、パソ(フラメンコの靴音を出すステップ)が難しく早かったりで、それを追いかけるだけで1時間が終わってしまいそう。中級クラスはパソがもっとシンプルな分、いろいろな勉強ができると思ったので。

そう、パソは簡単。フラメンコ初級者なら誰でも必ず習ったことのあるパソ。伝統的で、悪いけれど何の変哲もないパソ。でもそれなのにファルキートがそれをするとなぜあんなにも違うのか。音がまず違う。音の質が。彼がちょっと足音を出しただけで「なんじゃ、今の音は!!!」と唸る。そして音量も桁はずれ。スタジオにひしめき合う生徒達よってたかって15人分くらいの音よりもファルキートのサパテアードの音の方がずっと大きい。でも音量だけじゃないんだ。さっき言った音の質。

重要なことはパソではない、それをどうやるか、だ。

そしてファルキートは言っていた。

パソだけやって後からブラッソ(腕の動き)をつけるのはばかげている、と。

なぜならブラッソをつけることで、身体の向きを変えることでパソが変わってしまう。また一からやり直さなければならない、そして後から付け足したものは自然ではない。だったら最初から、最初は苦労しても一緒に学ぶべきだ、と。

さらにこんなことも言っていた。「世の中いろいろなパソがある。複雑なリズムがあり、それを遂行できる踊り手は世の中たくさんいる。

「でもその音がソレアに聴こえる人は何人いる?大部分がただの4分の3拍子のリズムだ。」

そうなのだ。そこなのだ。ほしいのはフラメンコの音だ。音楽の音ではなく。

そして今日は萩原の天と地がひっくりひっくり返った。

今日学んだのはソレアの誰もが知っているパソ。12拍子系の踊りを習ったことのある人なら初級者でも知っているパソ。(先生がきちんと基本のパソを教えていれば、の話ですが)経験のある人なら、あ〜それ知ってる〜、と流しがちなパソかもしれない。それを私は「1」から始めるものだと思っていた。そう誰からも教わっていた。ところがそれを「12」から始めてみる。普通のフラメンコ教室では「入るところが違う」とか「78910、ウン・ド〜!!!」と先生に大声で号令をかけられるところ。でもあえて「12」から始めてみる。

同じパソなのにセンティードがまるで違う。

ファルキートは言った。

「パソをどこから始めなくてはいけない、なんて書いてある本はない。」

でもじゃあ、わざとずらせばよいのかというとそういうことではない。クラスの中でファルキートは生徒達にやらせてみる。できる人もできない人もいる。でもできる、というのは立ち止まらずに続けられる状態のこと。ファルキートのセンティード(感覚、ニュアンス)はやはりファルキートしか持っていない。同じことを生徒がしても心地よくは聴こえない。ファルキートがやる時だけ光るのだ。音の一つ一つが。

そして、さらに衝撃的なのは、ソレアのマルカール。ものすごく自然で、これも何の変哲もないように見える。でもなぜそれを見ているだけで涙が込み上げてくるのだろう。生徒達もみんなそこそこ踊れるから振りはとれる。でも全然違うのだ。ファルキート、すごすぎる。それを思い出し今ブログにするだけで鳥肌が立つ。

ファルキートは言う。

「でもこのマルカールは例えばこういうソレアのカンテには合わない。コンパスは合うけどね。」

“Tu pena y mi pena son dos penas….”

その彼が歌い出したそのソレアは、数年前、ヘレスのフェスティバルで彼がソレアを踊った時に歌われた歌だった。

いまだにはっきり覚えている。あの日私は高熱を出して意識朦朧のまま劇場に向かった。でもはっきりとあの瞬間だけは覚えている。いくつかのソレアの歌の後、ファルキートがジャマーダをしている最中に歌い手は我慢しきれずにそのソレアを畳み掛けたのだ。その瞬間ファルキートはジャマーダを止め、カンテに対して踊りだした。いや、踊ったのではない。カンテをaguantar(我慢する)。あの瞬間を私は決して忘れることはない。

そのファルキートにソレアを習えるなんて。

でも以前の私だったらその価値が分からなかったかもしれない。ファルキートが素晴らしいアーティストだということが知識として分かっていても、そこ止まりだったかもしれない。

2013年2月1日 セビージャにて。

Entradas Recientes / Next »