Sep 27

013004009021019023026035045049みなさんこんにちは。今日はこれまでのブログの番外編です。

公演宣伝のためにアントニオ・ペレスが日本滞在時に撮ってくれた写真をご紹介します。撮影場所は新宿、渋谷、中野、博多、鳥取などなど。ご協力下さいました皆様、誠にありがとうございました!(写真は是非クリックをして拡大して見て下さいね。結構面白いです!)

今後もアントニオ・ペレスの写真は雑誌「パセオ・フラメンコ」さん、フリーペーパー「ファルーカ」さん等に掲載予定です。またこちらでもご案内させて頂きますのでどうぞ宜しくお願い致します!

「パセオ・フラメンコ」さんHP→http://www.paseo-flamenco.com

「ファルーカ」さんHP→http://www.flamenco-farruca.jp

今回で「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか」公演を振り返るブログは本当に終了!長い間お付き合い下さいました皆様、ありがとうございました!自分の振り返りのためのブログだったのですが、文章にしてみると結構大変で(笑)、そしてこんな長い文章を誰が読むんだろうとも思ったりもしたのですが、意外と「読んでます!」「続きが楽しみです」というメッセージやご感想も頂きビックリ。そしてとても励みになりました。ありがとうございました!

では皆様もどうぞご自愛下さいね。

2015年9月27日 セビージャにて。

Sep 26

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みなさんこんにちは。前からのブログの続きです。今日が最終回。

公演が終わってもうすぐ1ヶ月が経とうとしているところです。公演終了後は大阪でのクルシージョとライブを終え、その後セビージャに戻りました。やっとゆっくり時間がとれて公演を振り返ることができてよかったように思えます。後回しになってしまったけど、夫、アントニオ・ペレスに感謝。ありがとう。

アントニオの写真展とフラメンコ公演の同時開催ということで、私達はお互いに助け合ってきました。スペイン人の夫は日本語ができないし、日本のシステムが分からない。それは当然なので、その部分を私が補わなくてはならない。通訳もそうですが、物事がスムーズに行くために、スペインと日本の文化や考え方の違いを夫に説明して理解してもらったり。でもそれは私がセビージャに住んでいる時に感じる気持ちを、本人も感じているわけで、夫の戸惑いはすごくよく分かる。でも郷に入れば郷に従えということもあるんだよ、と。特に日本では。

でも全部が全部私が一人で荷を背負ってきたわけではなく、その荷を夫が少しでも軽くしてくれるよう、精神的な面でとても支えになってくれました。本当に助かります。自分の一番近くにいる人が一番自分を理解してくれて、自分のやっていることを含めて好きでいてくれる。こんなに有り難いことはありません。そしてこの公演がこの公演の形態になるには、夫の今回の写真展“Nuevas postales, nuevos viajes”が必要だった。もしこの写真展がなかったとしても、私単独でも公演は成立したでしょう。でもきっと違う形になっていた。だからやっぱり二つで一つだったのだと思います。

11921711_10153589109821228_4038117372838351670_n10984288_10153589110206228_2445315462009868954_n写真展に関しては、素晴らしい内容だったと思うのですが、フラメンコのお客様のほとんどは、さ〜っと写真に目を通しておしまいという方が多かったようです。それをアントニオは非常に残念がっていました。私も残念です。時間がなかったのかなあ、写真なんて興味がないと思っていらっしゃるのかなあ?宣伝がイマイチだったのかなあ?・・・・

中には熱心にご覧になったり、ご質問されたり、後からご感想をメールで下さった方々もいらっしゃいました。一昨年、昨年と引き続き写真展にご来場下さるお客様もいらっしゃいますし、アントニオの写真展も観られるから今回の公演観ます、という方もいらっしゃいますので(笑)アントニオ・ペレスの写真ファンが増えていることは確実ですが。皆様、本当にありがとうございます。

(写真展のお写真は、ガイドにいらっしゃった方から頂きました。ありがとうございます!)

本当にいろいろな方にお世話になりました。公演にお越し下さったお客様、会場の外で応援して下さった皆様、ギタリストのエミリオ、歌い手のパコ、キッド・アイラック・アート・ホールの早川誠司さん、工藤大輔さん、お手伝いの皆様、宣伝にご協力下さったフラメンコ関係者の皆様、衣装のピリとピトゥッサ、そしてアントニオ・ペレス。

ありがとうございました!


人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか?

風景は、今、そこに、目の前にあるのに。

でも私は探してしまう。

見つからないと不安になる自分がいるから。

風景は、今、そこに、私の目の前にあるのに。

・・・フラメンコは?

フラメンコを“絵はがき”の中に探す人はだれ?

もしかすると・・・私?

だとしたら自分で破らなくては。

その“”絵はがき”を。自分自身を。

2015年8月 萩原淳子

11915762_527327384084881_3860281534622562801_nこれは公演当日にお客様へ配布したプログラムの中の一節です。この公演を象徴するような、何か詩のようなものをプログラムに入れたいなと思っていたのですが、ずっと出て来なかった。言葉が。公演2週間くらい前だったでしょうか、もうこれ以上遅れたらプログラムの印刷に間に合わない!というギリギリまで言葉が出て来るのを待っていました。というより、長い間自分の中で、なぜ公演をするのかという問いに対する答えが出なかった、答えを出すのを怖がっていたから言葉が出て来なかったのかもしれません。

先が見えないことは不安です。誰もやっていないことをこれから自分でやる、というのは勇気がいります。手っ取り早く無難な道に逃げて「安全な合格点」を手にいれることもできたと思うのですが、それじゃあ何のために生きているのか、生きてきたのか分からない。だからこの公演を通して、私は自分の人生の中に一つの印をつけられたのだと思います。2年前の前作「ハモンは皿に乗せるだけでよい」発表後、私のフラメンコはもう残っていないと思いました。自分にとってこれ以上のフラメンコな公演はないだろう、と。

でも、できた。

それははたから見たらちっぽけな事かもしれません。でも自分にとっては大きな一歩でした。この公演の前と後で自分の時代が大きく変わってくる、そんな気がします。

そして今後。これからもこの写真展&フラメンコ企画は毎年続けられたらなと思っています。その上でこの「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか?」公演を再演したい気持ちも強くあります。たくさんのお客様から「また観たい!」とのお声を頂きました。そして今回ご覧になれなかった方も多くいらっしゃいます。(キャンセル待ちになってしまった皆様、本当に申し訳ございませんでした・・・)そして何より、自分が再演したい。(笑)公演開催には準備、時間、労力、元手(笑&涙)が必要になってきます。はい!公演!という訳にはいかないのでしょうが、また次の目標に向かって少しずつ努力していきたいと思っています。

(最後の写真は、Toshimixさん作、手作りアイシングクッキーの写真です。公演フライヤーをご覧になった時から創作意欲が湧いたそうです。とっても素敵でしかも美味しいクッキーをありがとうございました!他にもたくさんお花やプレゼントや差し入れを下さった皆様、全部ご紹介できなくて申し訳ないのですが、本当に本当にありがとうございました!)

※今回が最終回と思ったのですが、まだ紹介したい写真がありました!次回「番外編」にてご紹介させて頂きます。スミマセン。

2015年9月26日 セビージャにて

Sep 24

_DSC1008_DSC1351
_DSC1325
_DSC0961_DSC1428みなさんこんばんは。

前からのブログの続きです。

公演の反省点。今思い返してみると、踊りが準備不足だったかな、と。・・・ということを毎回反省し、お友達の踊り手さん達からはいつも「自分に厳し過ぎるよ!!!」と半分怒られ、半分あきれられてしまうのですが。でもそう思ってしまうんですよね。もっとこうできたんじゃないか、ああできたんじゃないかといろいろ思えてしまう。練習というものはしてもしても足りないものです。しかも今回は諸々の事情で練習する時間がかなり限られていました。公演のために全ての時間を捧げられるなら、と思うけれど現実はそうではありません。時間は作るものだと言うけれど、確かに正しいけれど、作れない場合だってある。公演そのものや人前で踊ることよりも、自分が行うことに対して見合う時間のなさ、それにストレスをより感じていました。スケジュール調整。これをもっときちんとやっておかなければいけない、それは次回の課題です。

それと心配していたのは体力。ソロ公演を4日間行う。それがどれくらい体力的に支障をきたすのか?正直、やってみなければ分からない所でもありました。フラメンコ公演といってもいろいろあります。自分の名前を掲げていても、舞踊団員やゲスト舞踊家がいる場合は、公演中お休みできる。変な言い方かもしれませんが、自分の踊りの前後に舞踊団の群舞やゲストの他の曲を挟めば、次の自分の踊りの出番まである程度休憩をとり、次の踊りに備えることができます。でも私の場合はほんとにその名の通りソロ公演だったので、踊って引っ込んだと思ったら、ダーっと楽屋まで走って着替え、汗ダラダラのまま(ふいても吹き出してくる。)舞台袖へ。次の曲をまた踊ったらまた走って着替え、踊って・・・という1時間でした。その形式は前作「ハモンは皿にのせるだけでよい」公演の時も一緒。ただあの時は2日間公演でしたが、今度は4日。間に1日公演お休みの日がありましたが、その日は同時開催の夫の写真展ガイドの通訳をしたり、講義を行ったりと踊りはしないけど、休むわけでもない。

ほんとに私、大丈夫なんだろうか・・・実はそれが心配で心配でなりませんでした。最後まで体力が持つのか。4日の公演のレベルを下げずに踊りきれるのか?大体、ソロ公演を4日間やる人なんて聞いたことないし・・・。

そんな頃、日本でシンクロナイズドスイミングの井村監督のトレーニング方法というのがテレビで紹介されていました。指導してきた選手達に次々とメダルを獲得させるスパルタ指導。詳しい指導方法は覚えていませんが、(テレビで紹介されるのも実際の指導の氷山の一角に過ぎないと思う)選手達がハアハアと息があがって死にそうな顔している状態で、休みなくすぐに次のトレーニングを続けさせていました。スポーツとフラメンコは違う。でもこれくらいトレーニングしないと踊れないよね、ソロ公演4日間。と思ったのも事実。そして数ヶ月前に受講したエバ・ジェルバブエナのセミナーの中でのトレーニング・・・あれも相当キツかった。でもトレーニングって、誰かコーチとかがいればできるかもしれないけど、自分一人でやるのって難しい。どうしても自分に甘くなってしまうから。結局スポーツ選手みたいなトレーニングは何一つしなかったけど、練習の際にはいつもそのことが頭にありました。ただなんとなく練習して汗をかくのではなく、それを想定して練習するのでは多分大きく違う。

それと体力を消耗するのは必至だから、どれだけ体力を温存できるか、そして消耗した体力をどう回復するか、それも念頭においておきました。いつ何を食べ、飲むのか、これは重要です。それと呼吸法。どれも当たり前のことですが、おろそかにすると後でしっぺ返しがくる。それと “早着替え”。衣装自体も急いで着替えられるようなデザインにし、一人でもぱぱっとできるように細工をしたり(前日によなべして縫う。笑)。着替えが早く終われば終わるほど、10秒でも20秒でも長く休む事ができるから。

結果的にはお陰様で4日間のソロ公演も無事終了しました。でもそれはやってみなければ分からなかったことで、いろいろなことを準備しているうちは、なんだか一人テンパってきます。自分一人だけ大変な思いをしているような。そしてイライラしたり、当たったり・・・その対象は一番身近にいる人間、つまり夫のアントニオ・ペレス。毎回申し訳ないなあと思うのですが、なかなか自分をコントロールできず、それも毎回の反省点です。

4日間の公演を思い出してみると、同じ出演者で同じ公演内容でも、全然違っていたな、と思います。

11921737_10153600593431228_1305094084643103453_o初日。とにかくテンパってました。初日ですもん。前日の照明合わせからのテンパりが爆発寸前でした。この初日さえ乗り切れば、あとは絶対大丈夫!という気合いだけでした。そして何がなんだか分からないうちに初日が終了。お客様は大興奮。ギタリスタのエミリオと歌い手のパコも大満足したけれど、私だけぽっかーんとしていたように思えます。何が起きて何が終わったんだ????そんな感じ。舞台の初日って吉か凶か。そのテンパりが功を奏す場合もあれば、ダメにしてしまう場合もある。お客様によってはその初日の緊張感がいい!という方もいらっしゃれば、リラックスした2日目の方がいい、という方もいらっしゃる。うーん、私が舞踊公演のチケットを買う時も迷います。どっちがいいのか?でもそれはやってみなければ分からない。出演者にも分からないことなのです。

11144930_10153600621106228_717241539317736348_n2日目。終演後エミリオから「昨日もよかったけど、今日はリラックスしてさらによかったよ!」と言われました。(後日パコからは、「初日のジュンコはすっごい恐かったよ!」と言われました。笑)確かに少しリラックス感が出て来ました。それを自分でも感じられ、前日よりも自分自身が状況を把握できる冷静さがあったように思えます。脳みそが正常に機能していました。(笑)自分の精神状態は前日よりよかったのかもしれないけど、でも実際の踊りがどうなのか?それは別問題でもあるように思えます。切羽詰まった緊迫感が生み出す独特の空気、雰囲気、踊りというものがあり、それはそれで特別なものなので。

11012493_10153600624846228_9386724504182317_o3日目。正直な所、中だるみの日でした。日程的にそうなってしまうのは分かっていたので自分では気を引きしめていましたが、公演は私一人だけで行うものではありません。遅刻してきたり、タイミングを間違ったりと(名前は出しませんが 笑)それを中だるみと呼ぶべきか否か・・・、しかし4日間の公演の中で起きなかったことがこの日に限って連発したのはただの偶然ではないでしょう。その負の連鎖に巻かれないように、精神を強く持つ必要がありました。そういうことを気にしながら踊ったので、4日間の公演の中で唯一私が落ち込んだのはこの日でした。初日、2日目と同様お客様の大歓声の中で実は一人、シューンとしていました。・・・が、不思議なことに、照明担当の方が「今日が一番カッコよかったです!!!」とおっしゃっていました・・・・そう、これも不思議なことなのですが、自分でダメだと思った時ほど観ている人はよかったとおっしゃり、自分で今日はなかなかよかったかな!と思う時は意外と反応が薄かったりする。こうなってくると、もうなんだか分かりません。(笑)
11986417_10153600632161228_1683987510104470889_n4日目。前日の中だるみをビシっと解決させ(ここを曖昧にすると、この日までたるんでしまう)最終日に臨む。これが終わればあとは打ち上げだけだ〜!ってな感じで舞台へ。だからかなあ、最後のソレアの中のソレア・ポル・ブレリアでは大変なことが久しぶりに起きました。あの部分は箱根駅伝で例えると「権太坂」。前日3日目までの公演では気力と体力総動員してその「権太坂」を制覇してきました。ところが、はっと気付いたらやはり最終日の最後の踊りで疲れが出てしまったのか、これはもしかしてエネルギー不足?・・・・マズい!と思う間もないまま、その瞬間にぶわーっとそれが出て来ました。なんだか分からないのですが、それが私を踊らせていました。冷静に客観的に観れば、それは舞踊的におかしな動きだったのかもしれない、自分が持っている振付内での即興ではなかったので、どんな踊りでどんな動きになってしまったのか今でも分かりません。でもそうなってしまったのだから仕方がない。思うに、フラメンコ舞踊の形式や技術というのは、そうなってしまった時に自分を支えるものなのではないか。それがなくてただぶわーっとなってしまうなら、別にフラメンコである必要はないし。

11952989_10153600620511228_5854800539808049594_n11947550_10153600623526228_2259856727179922034_n11952012_10153600630691228_5878682237975669092_n11934943_10153600591841228_1649180317875843325_o11951180_10153600620496228_807232942656468777_n11223633_10153600631126228_8619954629684974075_n

フラメンコを踊るためには“Colocar”を学ばなくてはならない。でもフラメンコを踊るということは“descolocar”である。

これは誰の言葉なんだろう?でもいろいろな先生方がおっしゃるのを何度も耳にしたことがある。“Colocar”(コロカール)とは踊りのポジションや身体(足、腕、手、首、頭等全て)の位置、動きの軌道をきちんととること。そして“Descolocar”(デスコロカール)というのはこの場合、その対義語。位置がずれていること、軌道から外れていること。まず、“Colocar”の方からみてみると、フラメンコを学ぶ上でこれは絶対に外せない。しかし、本当に踊るということはこのポジション通りに踊ることではない。確かにポジション通りに踊れば正しい、見た目も美しい。コンクールでは高得点をとれるだろう。でも何かが足りない。何が?

フラメンコである。

フラメンコを踊っておきながらフラメンコが足りない踊り。

ではそのポジションを外した踊り(“Descolocar”)をしたらどうなるか。それは「モデルノ(現代的)」な踊りと言われ見た目はちょっと新鮮かもしれない。その斬新さがカッコよく見えるかもしれない。でもそれはやはり形だけの表面的な問題だ。そして気をつけなくてはいけないのは、“Colocar”(もしくは“Colocación”。Colocarの名詞形。ポジションの意味)をきちんと学んできた人が“Descolocar”で踊るのと、“Colocación”を学んでない人が最初から“Descolocar”の振付で踊るのは全く異なる。表面的以前の問題で、フラメンコ以前、踊りですらない。目も当てられない。目をあてられる人、気付かずに踊っている人はColocaciónを学んでいない人である。

じゃあ、なんなのか、“Descolocar”って?

つまり、本来の“Colocación”を徹底的に学んだ上で、ある瞬間、感情や内面が爆発することにより“Colocación”が崩れ、“Descolocar”になってしまうこと。

そう、それがフラメンコなのである。

・・・だから今思うに、誰からの評価でも意見でもなく勝手に自分で思うことは、あの瞬間が私にとっての紛れもない真実の瞬間だった。でもそれはいつもあるとは限らない。どういう状況だから起きるという想定もできない。その瞬間に起きた、それだけのこと。

そんなことを、今改めて思い出しました。あの時の感覚と共に。

(・・・つづく。でも、もうそろそろ終わりです♪)

写真:アントニオ・ペレス

2015年9月24日 セビージャにて。

Sep 22

_DSC4492まだまだ続きます。この場をお借りしてお礼を伝えたい人がまだいるから。

Pili Cordero(ピリ・コルデーロ)。私の公演衣装を作って下さっているセビージャのデザイナーさんです。ピリには本当に感謝している。衣装って自分の踊りの一部であり、自分の肌の一部であり、自分自身の一部だから。だからとんちんかんな衣装は着ら_DSC9001
れない。それを来てどこへゆく?何をする?という衣装。私はマネキンではない。踊り手である。私が踊るのはカンテである。カンテの意味する所と衣装があっていないもの。それはとんちんかんな衣装。センスは人それぞれ。それをいいという人も悪いという人もい
11892288_10153600590576228_4885871619768055469_o11951159_10153600621526228_2274562926375277741_n11145236_10153600627036228_844854643374039427_nるだろう。でも衣装の意味をはき違えてはいけない。でないと踊っ_DSC3828_DSC383911986606_10153600625581228_7122084261107081787_n11702861_10153600612856228_3430037748196316529_n11225162_10153600653346228_9222885402521069079_nているのは私ではなく、衣装になってしまう。

その意味で、ピリの衣装は最高だ。

フラメンコの踊りのために捧げられた衣装。とにかく踊りやすい。スペイン人のプロフェッショナルな踊り手達がこぞってピリに頼むのは当然だと思う。特にバタ・デ・コーラ。ピリのバタ。バタのピリ。

大体衣装を決める時、私はピリの工房に行く前に、セビージャの生地屋さんを徹底的に周る。何度も周る。店員に顔を覚えられ「コイツは見てるだけで買わない」と嫌がられるほど(笑)これはどうだ、と思う生地をじーっと見る。素材を確認する。値段も確認する。生地をぱ〜っと目の前で広げてみる。またじーっと見る。布をぎゅっと手で握ってみてしわにならないか確認する。(かなり嫌な客だと自分でも思う)照明があたった時のことを想像してみる。客席からどう見えるのか想定してみる。そうして生地と対話していると、ははっは〜君が変身したい衣装はこんなだな!と分かってくる。ピリに電話する。大体のデザインを伝え、何m必要か確認する。そこで初めて店員を呼ぶ。布を切ってもらう。布を購入する。

ピリの工房へ生地を持ち込み、生地を見せ、デザインを口頭で伝える。その時、ピリの顔がぴかーんと光ってにやっと笑ったら、その衣装はもうできたも同然。(ただし納期に関してはビシっと伝えなくてはならない。)時々私の考えていたデザインとちょっと異なることもあるのだけど、でも自分の意見に固執しなければそれはそれでもOK。結果的にはそっちの方がいいこともあるから。

こうしてできたのがタンゴの黄色い衣装と、ガロティンの黄緑のバタ・デ・コーラ。

今回はただ曲に合わせて衣装を作るのではなく、この公演の中での意味・位置づけもよく考えた。お客様からしたら「あの衣装かわいい」とか「ステキ〜」とか、場合によっては「衣装あんまりよくなかったね」なんて思われることもあるのかもしれないけど、実はいろいろな意味がこもっている。そんなことを何年か前のエバ・ジェルバブエナのクルシージョで学んだ。あれは確か「Federico según Lorca」という名のガルシア・ロルカの詩を元にした舞台だった。その中でエバが緑の衣装を着ていた場面があったが、それもただ緑が好きだから緑にしたわけではないそうだ。その意味をクルシージョで教えてもらって、その時には「へーそんなこと言われなければ分かんないよ〜」と思っただけだったのだけど、舞台作品を創るってそういうことなんだと認識が新たになったのは確かだ。

確かにそういう裏話というかエピソードを知るのも、公演を観る時のもしくは観た後の楽しみかもしれない。でもそれを知ったからといって、その公演が分かった、ということにはならないと私は思う。逆に言えば、分からなくてもいいんだと思う。むしろ自分で感じることだと思う。どうしても“理解”したい人は自分の頭で考えればいい。答えなんていくつでもあるのだから。公演を観た人の数だけ。そうやって観客一人一人が自分自身の問題としてその公演に、踊りに向き合ってほしい、と私は思う。

そのエバの言葉でずっと心に残っているものがある。

「観客がフラメンコをどれだけ理解しているか、よりも
自分がどれだけフラメンコを理解しているのか、問題はそこにある。」

観客がもしフラメンコを理解していないとしても、自分がフラメンコをどれだけ理解しているかによって、その自分から発せられるフラメンコはフラメンコを知らない観客にも届くということを、エバは補足していた。

ほんとうにそうだ。・・・でもそう言い切るには勇気がいる。私の場合は。

人に分かりやすいフラメンコというのがある。拍手をもらいやすいフラメンコというのがある。でもそうではないフラメンコの中に実はフラメンコの真実が隠れていたりする。スペイン人のプロの踊り手だって、評論家と呼ばれる人だって、前者の方を評価する場合もある。実際にあった。だとすれば一般の人は?・・・・想像に難くない。自分が信じているもの、追い求めているものが後者だとしても、それを理解してくれる、感じてくれる人が圧倒的に少なかったら?

趣味で公演を開催しているわけではない。公演というのは、私の人生における芸術表現だ。少なくとも私にとっては。自分が生きていく中で自分自身の人生から紡ぎ出されたもの。紡ぎ出さずにはいられないもの。それらが人生の要所要所で一つの区切りとして表に出てゆく。それは必然的なことであるという意味で自然なもの、自発的なものでありながら、でも何かを生み出すという意味では人造的、創造的なものでもある。

創造すること。

フラメンコの中で。フラメンコの中でその可能性を見つけること。

自分勝手にフラメンコを切り刻み、何かととっかえひっかえして細工することを創造とは呼ばない。それはフラメンコへの敬意が足りない。フラメンコをきちんと学んでいないからそういうことをやってしまう。かといって、プーロ(純粋な、という意味)と呼ばれる、伝統的な踊り手を踏襲しているだけでは、ただのモノマネ。模倣でしかない。しかもその踊り手には決して追いつく事すらない、“三番”煎じ、いや、四番でも五番でも、百番煎じでしかありえない。

だから創造することは難しい。苦しい。出来上がったものを観るのは簡単だ。でもそれを創り出すのは生半可ではできない。創造の苦しみ。でもその苦しみと葛藤の中から自分の手で掴み出したものは、誰とも何とも比較することはできない。それだけで価値がある。それが創造の歓び。

でもその道を、自分の芸術的意義において突き進むこと、他のものは何も見ず、聞かず、まっしぐらに突き進むことが果たして本当に正しいことなのか、その思いもある。

なぜか?観客がいるから。観客があってこその公演だから。

そういうことも考えて公演を創る。かといって観客に100%迎合するわけでもない。あるギタリストが言っていた。

「ジュンコ、オレ達は観客を教育しなくてはならないんだよ」

直訳すると変な感じかもしれない。“教育する”って、別に上から目線で観客を見ているわけではない。要するに、アーティスト側が手取り足取りして観客の誰もが理解しやすい、分かりやすいフラメンコ公演を創ってはならない、ということだ。そうすることで公演の、フラメンコの、芸術の質が下がってしまうから。その言葉もずっしりと私の中に残っている。

そう、だから、いろいろなことが私の中を去来して、結果的にあの公演になった、のだと思う。でも、その去来した悩みや苦しみをお客様にぶつけない。それを転化させたい。公演に来て下さった方が、「楽しかった!」「フラメンコ、やっぱり好き!」「フラメンコ初めて観たけどまた観たい!」「明日からまたがんばろう!」そう思って下さるような、お客様がキラキラ輝くような(私が輝くのではなくて)公演にする、それは最初から決めていました。

そして今改めて思い返してみると、うん、そういう公演になったのではないかな!という満足感があります。もちろん自分の反省点はいっぱいあるけれど・・・

(・・・つづく)

写真:アントニオ・ペレス

2015年9月21日

Sep 16


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みなさんこんにちは。

長いブログになってしまって申し訳ございませんが、これが自分の中で整理できないと、次に進めない・・・。そしてお読み下さっている方、ご感想まで下さる方、本当にありがとうございます。また、前回の続きです。

オープニング。公演にいらした何人かの方から「あのオープニングはどうやって思いついたのですか?」と聞かれました。・・・どうやって・・・なぜあれがひらめいたのか・・・今思い出すに・・・この公演のテーマ、既成概念・固定観念を破る。をそのオープニングでがつんと問題提起する。そのためにはどうするか?ということがまずありました。ただ単にスローガンのように掲_DSC4450
_DSC4468げるのでは芸がない。うーん。公演タイトルの“絵はがき”をモチーフにして何かできないか?

そしてもう一つの私にとっての課題。

観客を芸術家(化)する。

チケットを買って観に来る人は観客。そして演じる人が芸術家。その垣根をとっぱらいたい。観客は観客なのだけれど、観客自身が自分で観客である、という受け身である以上、その芸術は発展しない。つまり、チケットを買って席につき、芸術家が何かやってくれるのを待ち構える、消極的・受動的な鑑賞スタイル。これでは芸術は一方通行だ。ましてや、何か批評してやろうとネタやあら探しをする観客。禁止されて

_DSC4472いるにもかかわらず買ってに録音したり、振付やパソを必死にとろうとして、何か自分の勉強に役立たせようとする観客。あの衣装のデザインはどうなっているのかなど、瑣末的な部分にしか興味のない観客。そのような観客は真の観客ではない。

真の観客。芸術家が発するものを心で受け止める。その世界に全身全霊をもぐりこませる。その豊かな感性と心でもってその芸術を享受できる人。

フラメンコの知識があるかないかではない。あってもなくてもどちらでもいい。その心さえあれば。その心さえ開かれれば。

ではその心を開かせるために私はどうしたらよいだろう?観客がその名の通り“お客さん”にならないためには?彼らもその芸術の一部になってくれるには?その芸術を作っているのは私だけじゃない。彼らでもある。あなたでもある。それに気付いてもらうためには?

ありとあらゆるシナリオを作りました。どれが一番効果的にお客様に訴えられるのか、そして準備の面で大道具や複雑な舞台装置の必要ないもの。たくさんのパターンを想定し、絵や図にしたりワードに打ち込み、そしてだめなものをボツにしてゆく毎日。

Postal51-1964その中からやっと、これだ!これなら絶対いける!という案を一つ選びました。前述ののポスカード会社「RE.CAR.SE」のHPを見て、町中でたくさんのポストカードを集めて来て、今度はその実行に向けて準備をする。もしかしてお客様に理解されないかも・・・という不安をつぶすために細かい部分も固めてゆく。(萩原、演出家も兼ねています。笑)シナリオの細かいタイミング、間、照明等も全部ひっくるめての舞台。

あーでもない、こうでもない。前代未聞のこの演出。夫、アントニオ・ペレスにもこの演出に一役買ってもらいました。キッド・アイラック・アート・ホールの照明担当早川さんにもアイディアを頂きました。仕掛けの準備は同じくホールの工藤さんが担当。エミリオ_DSC9748_DSC9747やパコもなんだかんだ文句を言いながらも(笑)最終的には楽しんで協力してくれたし、ほんとうに皆のお陰です。私一人のアイディアと実行力ではできなかった。

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でもこのオープニングの演出で大丈夫!と一番背中を押してくれたのは、なんと歌い手パコの愛娘のさまらちゃん。(写真は都内スタジオで練習の時のもの)本番前日の照明合わせの時にこの演出を試してみた所、客席で見学していたさまらちゃんが、なんと大笑い!!!!ってことは成功間違いなし。子どもの心には曇りがないから。その子どもが笑ってくれるということは、楽しいから。子どもの心をつかむことができればそれは正真正銘。さまらちゃんの笑顔、ケタケタを笑うその声が、次の日の公演初日への第1歩になりました。ありがとう、さまらちゃん!

(・・・続く)

2015年9月16日 セビージャにて。

Sep 16

Postal57-1973「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか?」フライヤー写真みなさんこんにちは。前回、前々回のブログの続きです。

公演フライヤー用の写真を撮ったのはいいものの、「あれ、この写真ってもしかして著作権法にひっかかる???」と気付いてしまった・・・詳しい法律は分からない。でも実際にスペインで販売されているポストカードを勝手に使っているわけで・・・アントニオ曰く、ポストカードの図柄を全部使っているわけではないので(半分に破っているから)大丈夫、日本での公演だし、とのこと。でも、日本の公演だけど写真をFacebookにアップしたら全世界に広まるよ?訴えられたらどうすんの?!マズい、マズい。という訳でポストカードに記載されている販売元の「RE.CAR.SE」という所をネット検索し、電話でコンタクトをとってみる。どうもポストカードやポスターを扱っているセビージャの会社らしい。

RE.CAR.SE のHP→こちら

事情を話し、お宅のポストカード半分を使ってもいいですか?と恐る恐る、でもびびっているのががバレないようにしゃーしゃーと聞いてみると、「いいよ」とすんなりOKが出た!なんだ。大したことなかった、と一安心。詳しいことは分からないけど、いいって言っているんだからいいのだ。

・・・話変わって、数年前にスペインで婚姻届けを出した時もそうだった。一応スペイン国日本大使館のHP上では、日本人がスペイン人とスペインで結婚するにあたり提出する書類内容が記載されている。戸籍とか住民票とか、その中に「独身証明」というのがある。これは不法移民の多いスペインにおいて偽装結婚による重婚を防ぐためのもの。

在スペイン日本大使館HP「スペインでの婚姻について」→こちら

ただし各都市によって用意する書類は多少異なるので各自確認をしなければならない。セビージャで確認したら、なんと「独身証明」が提出書類に含まれていない。「独身証明って必要ないんですか?大使館のHPには記載されていましたけど」と確認すると担当の人が「そんなのいらないわよ」と一言。え、でも後でやっぱり必要とか言われても困るので(セビージャではよくある)再度確認すると、「いらないって言ってるんだから、いいの!!!」と怒られてしまう。大使館にその旨連絡したら「え!!!独身証明が必要ないってことは重婚できるってことじゃないですか?!」と。「はー、そうなんですけど、セビージャではいらないそうですので、いらないと言われている書類は用意しても意味がないかと。」・・・すると大使館の人もさすがスペイン人事情を察していらっしゃるからか「それもそうですね」とあっけなく会話終了。

そう、だからいいんです。相手がいいって言ってるんだから。そんなわけですんなり婚姻できたし、あのフライヤー写真も使用できました。(ちなみに萩原、偽装結婚でも重婚でもありません。)

まあこんな感じで、数え上げたらキリがない程、公演の準備というのは細々した作業がたくさんあります。公演写真を撮ったらフライヤーのデザインを考えたり頼んだり、宣伝、印刷、チケット販売、チケットお申し込み受付、チケット代入金の確認、チケットのデザイン、印刷、チケット発送・・・・公演のお手伝いさんの手配、連絡・・・どれか一つでも欠けると公演は成立しない。日本でお教室を構えている踊り手さんだったらそれらの事務作業を請け負ってくれる生徒さんがいるのかな?私のクルシージョの生徒さんもお手伝いをして下さる方々がいらっしゃるけれど、やはり何でもかんでも頼むわけにもいかず、ほぼ自分でやっています。

一番肝心な踊りが後回し。自分のソロ公演なのに。

でも、今自分であらゆる分野を把握しておくことはとても重要だと思っています。自分の公演だから。矛盾しているようで、でも正しい。

踊る曲はかなり以前から決めていました。タンゴとガロティンとソレア。そしてフィン・デ・フィエスタ用に1曲。タンゴはほぼ即興だったからよいとして、ガロティン。ただでさえアーティスト達に嫌がられる曲。日本では発表会等でよく踊られますが、ガロティンを好んで歌う人、弾く人はほとんどいない。ガロティンって歌のバリエーションが限られていて、歌詞もそれ程たくさんない。音楽的にもフォークソングといううか・・・いわゆる、まさにフラメンコ!って感じがしない。でもだからこそあえてガロティンを選びました。そのガロティンのイメージをひっくり返そうと思って。

ソレアは公演の王道の曲ではありますが、公演をご覧になった方はご存知の通り、あっ!という構成です。でもソレアそのものです。ソレアを踊るといいつつ、ソレアよりも最後のブレリアの印象で終わらせている踊り手が多い。そうじゃないんだ、ソレアなんだ、という私の意思表明。

フィン・デ・フィエスタは結局グアヒーラになりましたが、これはギタリストのエミリオ・マジャが「パコ(歌い手のエル・プラテアオ)のグアヒーラはいいぞ」とオススメだったので。これは完全即興でした。

_DSC3963 _DSC3933_DSC3947ガロティンやソレアの曲作りも過程が面白かった。ガロティンの途中にサパテアードが入っていますが、3拍子と4拍子が入れ替わり立ち替わり組み合わさっている変則パターン。エミリオのサパテアードの曲に最初は4拍子で普通に足の音をつけていったのですが、次の合わせの時にパコが来て同じメロディーで3拍子でパルマをたたき始めました。それ、おもしろいじゃん!とうことで本番まであと1週間もない時に急遽変更。準備する私は大変だったけど(笑)お陰で唯一無二のガロティンになりました。こういうのは劇場公演だからこその作品。タブラオではできない醍醐味です。そして、エミリオとパコと私の3人が揃ったからこその作品。共演アーティスとが変われば、またがらっと雰囲気の変わるガロティンになるでしょう。

ソレアは苦心もしました。私の中では構成がちゃんとできていて、意義のある構成だったのですが、斬新過ぎたのか、最後の最後までエミリオとパコに理解されなかった(笑)それを理解してもらうのに時間がかかりました。本番直前の合わせでやっと、彼らからのOleが出ましたから・・・

でも一番悩んだのは、オープニング。会場アナウンスから1曲目のタンゴに入るまでの間。踊りでも何でもない所。でもここでどうしたらこの公演のテーマを最初にどーんと投げつけられるのか・・・・、オープニングで全てが決まるだろうと思っていました。

そう、今思い返してみると、やはりあのオープニングあってこその公演だったと思います。

(続く)

2015年9月16日 セビージャにて。

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