遅くなりましたが、先週水曜に行われたパセオフラメンコライブVol.65 萩原淳子ソロライブはお陰様で無事終了しました。
2017年8月23日(水)
カサ・デ・エスペランサ(東京)
ギター:エミリオ・マジャ
カンテ:マヌエル・デ・ラ・マレーナ
カンテ:マヌエル・タニェ
バイレ:萩原淳子
プログラム:
1,タラント(バイレ)
2、ブレリア(カンテ&ギター)
3、アレグリアス(バイレ)
4ファンダンゴ(カンテ&ギター)
5ソレア(バイレ)
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お越し下さいましたお客様、パセオフラメンコさん、カサ・デ・エスペランサさん、皆様誠にありがとうございました。そして共演のエミリオ、マヌエル、タニェに最大の感謝を。
「萩原淳子ソロライブ」と言えど、踊り手が私一人というだけであって、ギターとカンテがなければ何も意味をなしません。彼らとの共演が決まって、私、そのまんまで行こうと思っていました。目新しいものを探すのも一つの表現方法だし、アーティストとしてそれも必要。でも彼らのギターとカンテを聴いて他に何が必要なんだ?って思った。だから今回は自分の原点に戻ろうと。・・・その意味では「萩原淳子ソロライブ」だったのかなあ。
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それにしても時代が変わった・・・と思います。私がセビージャで踊り手として踊り始めたのはもう10年くらい前。あの頃はスペインの経済はまだ傾いていなくて、外国人が踊って稼ぐというのは珍しかった。だから、アーティストによっては「誰?日本人?なんでオレ(私)が日本人と働かなきゃなんないわけ?」みたいな態度の人も結構いました。直接面と向かって言われたことはなかったけど、陰でそう言われているのを知ったりしてたから・・・。でもあの時は必死だったから、それに対して悲しいとか、憤るとかそんな気持ちはなかったような気がします。もちろん嬉しくはないけど、それよりも、私は踊りで答えを出さなきゃならないんだって気持ちの方が強かった・・・・。1回くらいだったら日本人だからという理由で、興味本位で雇ってもらうこともあるかもしれない。でもそれだけだったら続かない。私には踊りしかないから、後ろ盾もコネも何にもないから、私が持っているのは自分の踊りだけだからって、必死だった。現にいい踊りをすればお客さん(フラメンコ愛好家がほとんどだった)もアーティストも盛り上がるし、その反対の場合は、もう血が凍るくらいの気持ちになった。そんな時はもうこれで終わり、首切られると思って家で泣いたりもした。そんなジエットコースターみたいな日々だったけど、オーナーは私のことを見限らずに呼んで下さった。結局1年半。
今、日本では、スペインの経済危機の影響もあって、たくさんの素晴らしいスペイン人アーティスト達が来日している。プロ・アマにかかわらず、お金を払いさえすればそんな素晴らしいアーティスト達と共演できてしまう時代になっている。それは私たちにとってはありがたいことだし、私もその恩恵を受ける一人の日本人ではあるのだけど、でもそういう時代ではない時代にセビージャで踊っていたこと、あの時に学んだことは私の土台になっている。
お金を払って得るものじゃない。お金を払っても学べないもの。それをたくさんのアーティスト達、フラメンコを知っているお客さん達のお陰で私は学ぶことができた。
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ライブを終えて、たくさんの方々から賞賛やお喜びのお声を頂きました。本当にありがたいし、嬉しいです。でもそれはそれって思う自分もいます。たまたまあの日の調子がああで、ああいう踊りになっただけのこと。逆に何かの歯車が合わずにひどい結果になって、酷評されることもあるかもしれない。もしくは自分としては最高の歯車で回っても、観る人によって酷評される場合もあるし。でもどういう状況においても、自分がこれからやっていくことには何ら変わりないから、賞賛にしろ酷評にしろ、一旦受け止めて、それはそれでおしまい。そこにとどまっていたり、それに左右されたら自分がブレてしまうから。
時代は変わって、自分を取り巻く環境も人も変わった。でも、私は私で自分の原点を忘れずにコツコツやっていこうと思っています。
改めまして、ライブにお越し下さいました皆様、応援して下さいました皆様、ありがとうございました。
写真:アントニオ・ペレス
2017年8月29日