Dec 10

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

早速ですが、先日ご案内しました、以下東京でのクルシージョのお申し込みが昨日スタートしました。早々にたくさんのお申し込みを頂き誠にありがとうございました。

【第24回少人数制クルシージョ】2019年1/26(土)〜2/17(日)開講
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【お申し込み先】layunko@gmail.com(ハギワラ)
【詳細は以下クリックして下さい。】
【定員に達したため、キャンセル待ちをお願いするクラス】
  • 1/26(土)「バタ・テクニカ基礎1」
  • 1/27(日)「バタ・テクニカ基礎2」
  • 2/9(土) 「バタ・テクニカ基礎3」
  • 2/10(日)「バタ・テクニカ基礎4」
  • 2/16(土)「バタ・テクニカ基礎5」

上記以外のクラスも定員まで数名のクラスもありますので、ご希望の方はお早めにお申し込み下さい。今後の空き状況はこちら「クルシージョ」 にて随時更新致します。

なお、現段階でお申し込みご連絡を下さった方には全員ご返信させて頂いております。ご連絡を下さった方で万が一こちらからのメールが届いていない場合は、お手数ですが上記アドレスまでご一報下さい。

なお、2/1(金)・2(土)開講「第15回福岡クルシージョ」お申し込みは、12/14(金)20:00からになります。詳細はこちら「クルシージョ」 にてご確認下さい。

では取り急ぎのご連絡でした。

2018年12月10日 セビージャにて。

Dec 8

スクリーンショット 2018-12-01 13.28.56みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

早速ですが、本日12/8(土)13:00より「第15回大阪クルシージョ」お申し込みが開始しました。早々にたくさんのお申し込みを頂きありがとうございます。現在の空き状況は以下の通りです。

2/3(日)開講「第15回大阪クルシージョ」空き状況

「今、見直すべき基本」空き1名
「グアヒーラ振付」空き3名
「マントン・テクニカ基礎」空き3名
「バタ・デ・コーラ・テクニカ基礎」空き3名

今後の空き状況はこちら「クルシージョ」 にて随時更新しますので、ご確認の上、ご希望の方はお早めに、osakacursillo@gmail.com まで連絡くださいませ。

なお、現段階でお申し込みご連絡を下さった方には全員ご返信させて頂いております。ご連絡を下さった方で万が一こちらからのメールが届いていない場合は、お手数ですが上記アドレスまでご一報下さい。

なお、

「第24回少人数制クルシージョ」(東京)

12/9(日)13:00お申し込み開始

「第15回福岡クルシージョ」

12/14(金)20:00お申し込み開始

となっております。詳細はこちら「クルシージョ」にてご確認下さい。

東京でのクルシージョは今回は通常よりも期間が短いこと、また土日のみの開催になりますので、お申し込みが殺到する可能性もございます。受講ご希望の場合は上記日時以降、お早めのご連絡が確実です。お忙しい所恐縮ですが宜しくお願い致します。

福岡でのクルシージョお申し込みもお待ちしております!!!

取り急ぎのお知らせでした。

では!

2018年12月8日 セビージャにて。


Dec 7

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みなさんこんにちは。

先程のブログの続きです。レブリーハのフアニートくんのことをブログにしておこうと思います。

フアニートくんは多分30代前半くらいかな。レブリーハのフィエスタには欠かせない存在。若手愛好家のリーダー格で、そのパルマとハレオでガッとみんなをまとめることも盛り上げることもできる。そして踊りがすごいんです。フアニートくんはプロの踊り手ではありません。でも何かある、きっとアカデミアとかに通っていたらいい踊り手になったのではないか・・・そんな気がします。フアニートくんのお母さん曰く、小さい頃から踊りが好きで、誰に習う訳でもなく勝手に踊っていたとのこと。ああ、そういう踊り。フアニートくんの踊りを見ると、ああ、レブリーハだなって。レブリーハのコンパスがそのまま息づいている。フアニートくんが踊ることでレブリーハのコンパスがより濃くなる。くっきりとコンパスが目の前に描き出されるように。だから私はいつもフアニートくんの踊りを見るのが大好き。いつも変わらないはずなのに、でも何かが変わっていてワクワクさせてくれる。踊り終わった後、あー終わっちゃったーって思うんだけど、なんだか幸せな気持ちになる。私だけじゃなくて、多分周りのみんなも。その雰囲気も全部ひっくるめてレブリーハ。それがフアニートくんの踊り。

私が初めてレブリーハのヒターノ達のフィエスタに行った時、仲間に入れてくれたのもフアニートくんだった。私はフィエスタの輪のちょっと「外」にいた。そのフィエスタの中心にいたフアニートくんがフィエスタの輪の「中」に呼んでくれたんだ。そして自分の隣に座るようにって。その場所は何か樽のようなものだった。その縁に座っていたからお尻が痛かったのを覚えている。遠慮してじっと座っていた私に(嬉しくて顔はニヤニヤしてたけど。笑)、フアニートくんは「パルマ!」って叫んだ。私にではなくみんなに向かって。でもそれは本当は私もパルマ参加しなよ、というのを遠回しに教えてくれたんだと思う。私がパルマを叩き始めるきっかけになるように、この一見さんの東洋女がパルマを叩き始めても、フィエスタのみんながえ?っていう雰囲気にならないように。踊った時もそうだった。私が踊りやすいように周りのみんなにそっと促してくれていたのを私は知っている。フアニートくんという人はそういう人。だからきっとみんなフアニートくんについてゆくんだな。ただ踊りやパルマがうまいだけじゃない、私から見たフアニートくんはそういう人。

そのフアニートくんの踊りを今年も一昨日のサンボンバで見られると思って私は楽しみにしていた。

でも、今年は違った。

パルマを叩いているのは同じだった。ハレオをかけているのも同じだった。端っこの方に座っていてもみんなの中心だった。でも今年は違った。

リハーサルの休憩で立ち上がった時に、フアニートくんは松葉杖を両手でついていた。あ、足怪我しちゃったのかな、今年は踊れないんだ・・・・と思って、「足どうしたの?」と声をかけた瞬間、私は息を飲んだ。それは捻挫や骨折といった怪我じゃないってこと、近くで見て初めてわかった。両脚がぐんにゃりしてた。膝と足首が違う方を向いていた。マリオネットの脚を床につけたみたいに。どうしたら脚がそのようになるのか、私の頭は混乱し、フアニートくんが「脚が悪いんだよ」と短く答えて行ってしまうまで、思考も体も固まったままだった。

友人に聞いたら、骨の病気のようなことを言っていた。詳しい病名は分からない。そこまで根ほり葉ほり友人に聞くのもためらわれた。ただ、最近それが見つかって、どんどんそれはひどくなっていく病気なんだと・・・・。あのフアニートくんが、もう踊れなくなってしまうのか?踊れないどころか、もう自分の足でも歩けていない・・・・フアニートくんの気持ち、お母さんの気持ちを想像したら、胸がとても痛くなった。

これからフィエスタの収録本番が始まるという時、みんながバラバラと休憩から持ち場につき始めた時、フアニートくんの何人かの仲間がパルマでコンパスを繰り出した。そしてその時、私は見た。フアニートくんがブラッソ(腕)と上体で踊ったのだ。それは踊りというよりも、そのコンパスをしめるための、短いレマーテだった。その上半身の動きだけのレマーテで私は一瞬呼吸が止まるかと思った。

これぞレマーテ。レマーテとはこれ。

ほんの瞬間だった。でもその瞬間を逃さなかったことを私は何かに感謝した。その後フィエスタの収録中にフアニートくんが踊ることはなく、収録は終わった。今年私が見ることのできたフアニートくんの踊りは、そのレマーテだけだった。でもフアニートくん、踊ってたよ!!!すごかったよ!!!ちゃんと私はそれを見たよ!!!、って心の中で叫んだ。本人には何て声をかけていいか分からなかったから・・・・。ただの身体機能としては「踊れる」私がかける言葉というのは、どんな言葉であれ今のフアニートくんにとってはただ苦しめるだけになってしまうだろうから・・・。

手術すれば治るのだろうか・・・手術できるものなのか・・・何とか治ってほしい。前みたいに踊ってほしい。・・・でもそれは当の本人が一番望んでいることなのだ。

人生は不公平だ。

私の身に起こる不公平は、どうでもいい。

フアニートくんは踊り続けるべき人なのだ。

2018年12月7日 セビージャにて。

Dec 6

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

表題ブログの前に、ちょっとお知らせです。

本日、12/7(金)より先日ご案内しました2/7(木)パセオフラメンコ萩原淳子ソロライブのお申し込みが開始しております。固定ファンも多い毎回人気のパセオライブ。ご予約順にお席が決まりますので、ご希望の方は以下までお早めにご連絡下さい。ライブ詳細は→こちら「公演情報」 にてご確認下さい。

47388895_1917713864943736_8764917375024758784_oさて、以下表題のブログです。

昨晩はセビージャ郊外の街、レブリーハに行ってきました。12月に入ると毎年、レブリーハの地方テレビ局「レブリーハTV」がクリスマスイブに放映するサンボンバ番組の収録をします。サンボンバとはこの場合、クリスマスソングをフラメンコのリズムに合わせたもの。へレスのそれが有名ですが、レブリーハでも実は盛んなんです。レブリーハのフラメンコ愛好家たちがこの収録のためにサンボンバの練習に励みます。そして彼らとゲストアーティスト達によるフィエスタが録画され、イブの日に放映、レブリーハの住民はほぼこの番組を毎年家族で見てイブを過ごす、というレブリーハの恒例行事。

この収録に呼んで頂いて今年で4年目になります。私はフィエスタの時にブレリアを踊るのですが、今年はなんと、レブリーハを代表する踊り手、コンチャ・バルガスも参加!そしてゲストアーティストの歌い手はレブリーハの隣町クエルボの歌い手ホセ・オルモ、そして今年のラ・ウニオンコンクールで優勝したマリア・ホセ・カラスコ、そのお嬢さんのなんと若干12歳(!)の歌い手レジェス・カラスコ、セビージャの若手シルビア・レイナ。豪華なメンバーとなりました。

ブレリアといえばへレス(・デ・ラ・フロンテーラ)が有名ですが、レブリーハのブレリアにも格別な味があります。へレスとは全く異なる味。へレスよりももう少しテンポがゆっくりめで大地に吸い付いている感じ。リズムはブレリアの12拍子ですが、歌自体が異なるのはもちろん、アクセントやノリ、パルマの叩き方ももちろん異なってきます。どっちの方がいい悪いという問題ではなくて、どちらも格別。私からすると。もちろんへレスの人にとってはへレスが一番だし、レブリーハの人にとってはレブリーハが一番。それは自分の土地にそれだけ思い入れがあるからですね。だからこそ、その土地その土地の味がフラメンコに染み付いて全く異なる光を放つ。へレスとレブリーハは電車に乗ったら1駅しか変わりません。それなのになんという個性なのでしょう。そこがフラメンコの素晴らしさだと私は思っています。

縁あってそのレブリーハのヒターノ達のフィエスタなどに呼んで頂くことがあります。全然違うんですね。レブリーハのブレリアだよってお教室で習うものと、彼らのフィエスタで歌い、踊られるものと。こんなにも違うのかって、初めてそのフィエスタの中に入れて頂いた時は頭がクラクラしました。これがレブリーハのブレリアなら、私が習ったものはなんだったんだろうって。もちろん習ったものは間違いではないと思う。でもそれとは全く異なるものがこの世に実在していた。ヒターノ達のフィエスタ、彼らの家族や友人の間のフィエスタにおいて・・・。

そんな出会いから数年経って、このサンボンバ番組のフィエスタでこれまで3度踊らせて頂いたことがあったのですが、テレビ番組の収録だけに、フィエスタと言っても、フェイスタの形式を取りながら、でもフィエスタ収録中に司会者がそっと寄ってきて、「次の歌い手で踊れ」とかこっそり指令が出されるわけです。だから次の歌い手が誰かもよくわからないまま、その指令の下の「出番」で踊る。本来のフィエスタだったら、自分が感じた時に感じた歌の時に自発的に出る(もしくは思わず出てしまう)というところなのでしょうが、番組進行上そうはいかないわけです。そしてこれまでの3年間、私が踊る時に指定された歌い手はレブリーハの歌い手ではなく、その年のゲストアーティストだったり、別の土地の歌い手でした。去年はセビージャの歌い手、一昨年とその前もへレスの歌い手だったかなあ。だからきっと、レブリーハの歌い手にはレブリーハの人が踊って、私はそれ以外の土地の歌い手で踊るものなんだろうなって思っていました。暗黙の了解みたいに。

でも今年はちょっと違ったのです。今回は番組司会者がまるでタッチしていませんでした。ああ、今年は自由に踊っていいのかなって。そしてその時歌い始めたのが、昨年もこのサンボンバに出演し、私が踊った時に歌ってくれたセビージャの若手、シルビア・レイナでした。シルビアの歌は分かりやすく踊りに適している。だから私も出て行こうかなってちょっと思ったんです、実は。でもシルビアの歌で私は昨年も踊っている。シルビアが大体どういう歌を歌うのか私は知っている。シルビアの歌で踊るのはものすごい「安全」だ。クリスマスイブの日、レブリーハの全住民が見ていると言っても過言ではない程のテレビ番組で、すっとこどっこいなブレリアなんて披露したくない。誰だってちゃんと踊りたいに決まってる、それは私だって同じだ。だって恥なんかかきたくない・・・、「安全パイ」を取ろうか・・・と迷った瞬間、もう一人の自分、私の中にいる「ミニ・ジュンコ」が私に言ったんだ。

「それじゃ去年と同じだろうが、バカめ」

そうだよ、去年と同じことを繰り返してどうすんだよ?同じことっていうのは同じ振付でってことじゃない。同じような状況で、できるとわかっていることを繰り返して、それがなんになる???もちろん何もならないよ、私がブレリアをどう踊ろうが、世界は何一つ変わらない。でも自分の中でそれはやっちゃダメだって、もう一人の私「ミニ・ジュンコ」に私はハリセンで殴られたのだ。・・・・私はぐっとこらえた。そして私がぐっと堪えている時に、誰かが出てきて踊って、シルビアの歌は終わった・・・。

でもその後とんでもない展開に・・・。かの有名な歌い手クーロ・マレーナの妹、イサベル・カラスコが歌っている時に、フィエスタの中にいたコンチャ・バルガスが3〜4つ離れた椅子の距離から、私に踊れって合図を出してきたのだ。ま、まさか・・・、私?ちょっと迷っていたらコンチャの隣もその隣もそのまた隣も、私の反対側の隣の方からも合図と目線が送られてきた。私が踊るのか???イサベル・カラスコの歌で???

イサベルはプロの歌い手ではない。しかしその円熟味ある深い深い味わいはそんじょそこらのプロにも出せない歌。特にイサベルのソレアは鳥肌ものだと私は思う。レブリーハのプロもアマも皆イサベルには敬意を表す、そんな存在。だから私にとってイサベルの歌は聴くものであって、踊るものではない。私にとってだけではなく、きっと誰にとってでもあると思うんだけど・・・現に、彼女のお嬢さんと妹以外にイサベルの歌で踊っている人を私は見たことがない。もちろんお嬢さんも妹さんもプロではない。家族の中でお母さんが歌って娘が踊る。姉妹で歌ったり踊ったりする。そういうこと。根っこからの正真正銘のアーティスト一家なのだ。・・・で、そのイサベルが歌っている時に、コンチャが踊れって合図を出してきた・・・。

こういう時に「いえいえ、私なんてとてもとても・・・」なんて言ってられない。もう意を決して出て行くしかない。イサベルを見て、イサベルの歌を聴いて、私はマルカール(リズムを刻む動き)をしていただけだった。でもそしたら、どんどんイサベルの歌が私の身体に入ってきたような気がした。内臓に届いて行く感じ。内臓の中でも具体的に、それは・・・「子宮」に入ってきたような感じ。子宮が充満して、身体が充満して、そこから末端に伸びていく感じ。わあ、これがレブリーハのコンパスなんだ、ってこれまで自分が聴いていたものはこれだったんだって、それを私の身体が初めて確信してくれたみたいだった。

多分。

でもイサベルの歌は難しかった。難しいというのはどこでレマタールしたらいいのか、分からなかったからだ。レマタールというのは、歌の流れの中で落ちていく部分を一緒に踊りで強調すること。(もちろんギターやパルマで強調することもレマタールという)聴いて、聴いて、探して、待って、待って・・・・ここだ!と思ってレマタールした所もあれば、そうでない所もあった。難しいと思う頭と、コンパスが充満していく身体と、それが私の中で同居していた。

もしイサベルの歌ではなくて、レブリーハの歌でも「踊りに適した歌」を歌ってもらっていたとしたら、全然違っていただろう。歌い手のほとんどは、自分一人で歌う時には好きなものを歌うが、誰かが踊り出したら踊りやすい歌にする。だからその範囲内であれば私は踊れると思うし、逆に、そういう歌が来た時を狙って踊り出す人がほとんどだ。(もちろんそれを判断する耳も必要だ。当たり前だけど)でもイサベルの歌はそうではない。家族の中でずっと歌われてきたもの、代々引き継いできたもの。お教室で「レブリーハの歌」として習うものでも、誰かのCDの中に入っているものでもない。そして、それは、私にはないもの。お金を払って習うものでも、Youtubeから取るものでもない。彼らの土地と彼らの家族の中で、長い年月をかけて醸造されたもの・・・・。

収録が終わって、イサベルが声をかけてくれた「私が歌って、あなたが踊って、あなたが踊っているのものを私が歌って、という瞬間があった」って。多分それは、私の子宮に彼女の歌が入って、私の子宮から彼女の歌が出て行った、あの感覚を持った時のことだと思う。そうでなければお互い同じことを思うはずがない。周りの人たちが、「君がレブリーハの歌で踊るのを見たかったんだよ、レブリーハの歌で踊るべきだったんだよ」って言ってくれて、ああそうだったのか、って思った。

その後コンチャに挨拶しに行った。自分が思ったことをそのまま言った。「イサベルの歌は私にとって聴くものであって、踊るものではないとずっと思っていたから、まさか踊れって合図されるとも思わなかったし、自分がイサベルの歌で踊ることになるなんて思ってなかった。すごく難しかった」そしたらコンチャは、私が踊っていた時の心境をそのまま読み当てた。やっぱりプロだ。やっぱりコンチャだ。コンチャには全てお見通しなんだ。そして私にアドバイスをして下さった。私がこれからどうやって学んでゆけばいいのかということを具体的に。そして、自分もそうやって勉強してきたんだ、だからお前はもっと学べ、と。

その時、私は思った。だからコンチャはわざとイサベルの歌で私が踊るようにしたのかな・・・もし他の歌い手の踊りやすい歌で私が踊ったとしたら、それはそれで「無難に」こなしていたかもしれない。恥をかくこともなく私は「バイラ・ビエン!」(上手に踊るね)とレブリーハの人達に褒められめでたし、めでたし。今年も楽しかったです!というブログになっていただろう。

でもそうじゃないんだよ、って私に教えるために、コンチャはあえてイサベルの歌で踊るように合図出してきたのかな・・・本当のところは分からない。それはただの考え過ぎかもしれない。でもコンチャにはすごく感謝している。そしてあんなに素晴らしい歌を聴かせてくれた、そして私なんかを踊らせてくれたイサベルにも。

そして、そのコンチャといえば、あのフィエスタ収録のコンチャの踊りといえば・・・・

それは「宇宙」だった。

コンチャ自身が宇宙そのものだった。出て行く瞬間にもう空気が変わった。というよりコンチャが空気を変えた。コンチャが動いても動いてなくても、そのコンチャの存在だけで時空が「コンチャ時間」に変貌した。歌もギターもパルマを叩いている私たちも、テレビカメラもマイクも建物も夜空も全部がコンチャの宇宙の一部になった。彼女の土地レブリーハで、レブリーハの人間と、レブリーハの観客と・・・その中で踊るコンチャ。いや、コンチャがその中で踊っているんじゃない。コンチャの踊りの中に私たちが飲み込まれていった。

あの時のコンチャの踊りと、そしてコンチャの教えを思い出すと、なんだかとてつもないものを私は頂いてしまったのではないか・・・・という気がする。ちょっと恐いくらいに。あまりに大きすぎて・・・私はそれを本当に学ぶことができるのか・・・そもそも受け取ることができているのか・・・

それと、もう一つ、ブログにしておかなくてはならないことがある。→②に続く。

写真:アラセリ・パルダル

2018年12月6日 セビージャにて。

Dec 3

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

早速、先程のブログの続き、今度はリナーレスのフラメンコのお話です。ちょっとお勉強も入りますので、勉強したくない方は読み飛ばして下さい。(笑)

IMG_20181202_123815_779このブログ読者のほとんどの方がフラメンコを習っていらっしゃる方だと思うのですが、フラメンコの人でリナーレスといえば、「カルメン・リナーレス」。現代女性フラメンコ歌手を代表する素晴らしい歌い手、カルメン・リナーレスもその名の通りリナーレスの出身。(実はすごいリナーレス。隅み置けなくなってきた。)

写真は、先程のブログで紹介したラファエル博物館と同じ建物内にある博物館で紹介されているカルメン・リナーレスの写真です。

そしてカンテの好きな人ならきっと思い出す、「タランタ・デ・リナーレス(リナーレスのタランタ)」そうそう、そのリナーレスでもあるんです。

タランタといえば、鉱山の歌、スペイン語では「カンテス・デ・ラス・ミナス(鉱山の歌)」もしくは「カンテス・デ・レバンテ(東方の歌)」の一つになります。

おっと、この辺から私のクルシージョで以前開講した講義「タラント研究」の内容とかぶってきました。受講された方は思い出して下さいね。受講されてない方は、以下ブログで予習して、次回お申し込み下さいませ。(笑)

スペイン地図さて、話を元に戻して、まずなんで鉱山の歌なのかといえば、そのまんま、鉱山のあった土地で生まれた歌だから。このリナーレスもそうですし、同じアンダルシア州のアルメリア県もそう、そしてアンダルシア州の隣の州、ムルシア州あたりも昔は鉱山でした。(場所は地図で確認して下さいね。)

鉱山の歌の発祥に関しては説が分かれるようです。このリナーレスのあるハエン県や、先のアルメリア県、要するにアンダルシア州の鉱夫達がムルシア州に移住した際に伝えられた彼らの鉱夫の歌が、ムルシア州において現在の鉱山の歌のカンテの形式になったという説。そして、ハエン県やアルメリア県のアンダルシア州は関係なく、ムルシア州が発祥だという説。ここら辺はフラメンコ研究家の間でも説が分かれるようなので、どちらが正しいと私が言うことはできませんが、そういう説があるということは知っていてもいいと思います。

IMG_20181130_122421_190IMG_20181202_151519_510で、リナーレスに話を戻しますが、リナーレスも鉱山で栄えた町でした。リナーレス郊外の駅から町中に入っていく中で、こんなもの(写真左)を見つけました。バスの中からカシャっと撮ったのでちょっと見えにくいのですが、この鉄塔のようなもの、なんでしょう???詳しい人ならすぐに分かりますね!スペイン語だと「Pozo」(ポッソ)。直訳すると井戸という意味ですが、この場合、地上と地下300メートル以上にもなる鉱山内をつなぐエレベーターのようなもの。もちろん現代のエレベーターのような形ではなく機能が、という意味です。現在リナーレスでは鉱山は閉鎖されているためpozoは機能はしていませんが、鉱山として栄えた町のシンボルとして歴史的建造物扱いで残されているとのことです。町中を歩いていても、石畳の図がこのポッソだったり。(写真右)これには夫のアントニオもへーっとビックリしていました。というわけでこれもカシャっ。(写っている足はアントニオのものです。笑)

IMG_20181202_124608_486IMG_20181202_124118_300リナーレスのフラメンコの歴史ですが、他の土地と同様に、カフェ・カンタンテと呼ばれる、現在のタブラオ(食事をしながらフラメンコを観たり聴いたりできる場所)のような場所が1868年から1918年の間、18か所も開かれていたということです。これは当時スペイン全土の中でも抜きん出た数。(これはすごい数ですよ?現在のセビージャだってたくさんタブラオありますけど、18もあるかなあ???)というのも鉱山で経済が潤ったということが前提にあります。またそこでは苦しい鉱山での仕事を忘れるため、現実逃避のために鉱夫たちが階級の差なく、そのカフェ・カンタンテに集ったそうです。

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そしてリナーレスの人が誇りにする彼らのタランタ。その歌の原型、ファンダンゴ・ミネーロ(鉱山地区のファンダンゴ)は鉱夫達の労働の苦しみ、鉱山内での日常と密接に結びついていました。鉱夫たちの生活や人生は健康から全く程遠いところにありました。事故の危機から逃れられない毎日。彼らを襲う病気。短命。それにもかかわらず全く見合わない賃金。そんな彼らの人生観とは、「今日を楽しもう。明日は生きてはいないかもしれないから」。
そんな彼らから出る心の叫び。死、悲劇、神の慈悲、苦しみ、そして愛情や希望などが当時のカフェ・カンタンテで歌われ、彼らそこで日々の苦しい現実から逃れていたのでした。だからこそ、そこから生まれたタランタはこの街リナーレスのアイデンティティーとなっているのです。(以上、リナーレスのフラメンコの歴史とタランタ説明写真はリナーレスの博物館より。)

やはりフラメンコはその土地その土地でだからこそ根付いている。そういう歌というものがある。フラメンコにおけるリナーレスとはそういう土地なんだなあ、と。来ようと思って来た訳ではないのだけど、私、こういうことを知りたかったんだ、本やネットの情報じゃなくて、その土地に自分で行って、その土地のことを自分で学びたかったんだ、セビージャにはセビージャの、ヘレスにはヘレスの、レブリーハにはレブリーハの、ウトレーラにはウトレーラの、カディスにはカディスの、グラナダにはグラナダの・・・・etc土地をあげればキリはないけど、同じようにリナーレスにはリナーレスのフラメンコがある。もちろん今回リナーレスにちょっと訪れただけでリナーレスのフラメンコを全部知ることなんて絶対にできないのだけど、(セビージャに16年住んだってそれはできないのだから)それでも、ほんの、ほんの、ほんのちょっとでも、ああこういうことなんだなあって自分の体験として知ることができたというのは、本当に有難いことなのだと思う。アントニオに感謝しなくちゃ。

ちなみに、アントニオの授賞式会場に行く途中に、「Cabrerillo(カブレリージョ)」ペーニャ・フラメンカを見つけました。ペーニャ・フラメンカとは、フラメンコ愛好家が会費を払って運営している場所。舞台を設置しているので、そこでアーティストを呼んでコンサートを楽しんだり、自分達愛好家だけでフィエスタをしたり勉強会をしたり。バルもあるので食事したり。ペーニャによっては会費を払っている会員しか入れない所もあるのですが、このカブレリージョ、ドアが開いていたので、私、すっと入ってしまいました。リナーレスのペーニャにいきなり東洋女性が入ってきて、会員の皆さんぎょっとされてましたけど。(笑)セビージャやへレスのペーニャに東洋女性がいても全然珍しくないですが、さすがにリナーレスではびっくりでしょうね。しかも、「今日か明日の夜にカンテありますか?」とか質問する東洋女(私ですよ、笑)。そのカブレリージョではその晩コンサートがあったそうですが、さすがに40度の熱を出している夫をホテルに残して自分だけペーニャでカンテを聴くわけにはいかないので、残念ながら諦める。でもペーニャ会員の人が、次の日の夜にもリナーレスの他のペーニャでフラメンコがあることを教えてくれました。そのペーニャの名は「Plomo y Plata(プロモ・イ・プラタ)」訳すと「鉛と銀」。さすが鉱山の町リナーレス。そこで採れていたものがペーニャの名前になるという。結局次の夜も夫の調子がまだ良くならなかったのでそのペーニャにも行けなかったのですが、先程の会員の方がおっしゃるにはリナーレス市内には5つのペーニャがあるとのこと。5つ?5つも?リナーレスに???多分セビージャのペーニャの数と同じくらい。結構な数ですよ!!!要するにそれだけフラメンコが愛されているということ。フラメンコが根付いているということ。もっと言うと、カンテです、カンテが根付いているんです。ああ、リナーレスのペーニャでタランタを聴きたかったなあ。プロの歌い手でなくてもいい、愛好家の歌でもいい。ああ聴きたかったなあ・・・・・。

鉱山が栄えた時代に生まれたカフェ・カンタンテ。そこで歌われた鉱夫たちの歌が時代と共にタランタとなる。鉱山は閉山し鉱夫達はいなくなって、でも歌は残る。その歌を、フラメンコを愛する愛好家達がそれを引き継ぐ。なんという歴史なんだろう。

IMG_20181202_141111_486そのペーニャ・カブレリージョで、あ!という踊り手さんの写真を見つけました。実は私、今回のリナーレス滞在中にこの踊り手さんの個人レッスンを受けようと思っていたんです。数年前、セビージャに留学していた友人がリナーレスまでこの踊り手さんのレッスンを受けに行ったという話を思い出して、その踊り手さんの連絡先を伺っていました。彼女と直接連絡が取れたのですが、現在彼女はリナーレスではなくグラナダ在住とのこと。残念だったなあ。でもこの写真を見て、彼女を初めて見た時のことを思い出しました。まだ私がスペインに行く前。「ガルロチ」じゃなくて「エル・フラメンコ」だった時代に日本で踊っていた踊り手さん。ペパ・マルティネスそう、彼女もリナーレス出身。

あの時のペパの踊り、その踊りを観にエルフラに通った当時の自分の気持ちを思い出しながら、今自分がいるリナーレスという土地、その土地のカンテを一つずつ結びつけていったら、ああ、だからペパの踊りってああいう踊りだったのかなあって、思った。20年以上も経ってから。

たかだか数日で分かろうなんて無理だよ。無謀だよ。フラメンコってそういうものじゃないんだからってこの写真が教えてくれたような気がする。

きっといろいろなことが、少しずつ、少しずつ、積み重なって繋がっていく。それってきっと今の時代には逆行してるよね?・・・・でもそれでもいいんだ、って思った。

・・・なんか涙出てきた。

2018年12月3日 セビージャにて。

Dec 3
リナーレスに行ってきました。
La Yunko | 新着情報 | 12 3rd, 2018| Comments Off

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みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先週末はリナーレス(Linares)という町に行ってきました。リナーレスは私の住むセビージャと同じアンダルシア州に属していますが、ハエン県というかなりマイナーな県の町。セビージャからは電車で3時間ちょと。コルドバを通過したその先にあります。地理的にはグラナダの北の方。リナーレスもそうですが、ハエン県自体、初めて訪れました。

47015835_10156868217481228_3079114010721779712_oなぜそんな所に行ったのかというと、夫である写真家のアントニオ・ペレスがハエンの地方銀行が主催する写真のコンクールで賞を頂いたから。その授賞式が先週の金曜にリナーレスで行われるとのことで、夫からは詳しくは聞いていなかったのですが、「とにかく来い」と。せっかくの授賞式だし、交通費もホテル代もコンクール主催者側が支払ってくれるとのことなので(大体スペインは夫婦同伴が普通なので、それはよくあることみたいです)、じゃ、行くか、と。ハエン県にも行ったことないし、というわけで、金曜からリナーレスに2泊してきました。

ところが、リナーレスに着いた途端夫が体調を崩し、40度近い高熱を出すという・・・。確かにセビージャを出た時から体調があまりよくなかったのですが、急にそんな熱が出てしまってびっくり。急いで薬局に行って薬を買ったり、近くのスーパーで果物やジュース、食料を買い込み、ああ、なんてこった、今日が授賞式だというのに・・・。ホテルのベッドでウンウン唸っている夫に水まくらしたり、ホテルの部屋の冷蔵庫に入っていたコカコーラのビンで身体を冷やしたり、部屋の中をパタパタ・・・・。結局その日は外に出られないということで、なんと私が代理で授賞式に出席するということに・・・。本当に申し訳ない、主催者のみなさん・・・と思ったけど、誰かが行かないとまずいし、というわけで私が出席、賞は抜かりなく(笑)頂いてきました。

コンクールの詳細結果はこちら→https://www.fundacioncrj.es/entrega-de-premios-del-xi-certamen-de-fotografia-fundacion-caja-rural-de-jaen-naturaleza-y-economia/?fbclid=IwAR03d8gRlxWSEqYb_kq0bHcASOKQYTkwm4Qs9lMZEOwI8TcpqzDA90X8pu0

Caja Rural Jaénという銀行が主催している今年で第6回目のコンクール、テーマは自然と経済。アントニオは、ガーナのパソコン廃棄場をテーマにした「君たちが廃棄したものから俺たちが銅をリサイクルする」で準優勝となりました。

審査員の中でアントニオの作品を優勝にするか意見が分かれたそうですが、結局審査基準により厳密に沿った作品が優勝になったそうで、来年からはそのようなことがないよう審査基準を変えるという話をされていました。(審査基準まで変えてしまう男、アントニオ・ペレス。笑)

コンクールってどの世界でもいろいろあるんだなと。でも本人は準優勝の方が優勝よりもいいと言っているので、まいっか。私の中ではアントニオはいつでもナンバー1だし!!!

47290735_10156875483251228_8840427740516581376_o47575860_10156875483421228_887948629766045696_o47289371_10156875483581228_5764110054152208384_o47398344_10156875483681228_188712882937004032_o賞の写真は掲載するなとの本人のお達しにより、授賞式の翌日行ったラファエル博物館の写真を掲載します。ラファエルは現在75歳くらい?バリバリ現役のスペインの国民的歌手。リナーレス出身だそうです。

なんとかこの写真に写っているくらいまでには回復しました。アントニオ。ああよかった。

2018年12月3日 セビージャにて。

 

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