May 30

みなさんこんにちは。

東日本大震災復興支援特別プロジェクト“SOMOS JAPON”。スペインのフラメンコ・アーティストへのインタビューと、彼らからの応援メッセージの第24回。

今日は、ラモン・マルティネスへのインタビュー&彼からのメッセージです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第24回 ラモン・マルティネス

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】幸運なことに私は健康に恵まれている。自分の人生の中で最悪だったことは、自分の近くにいた人・・・・ずっとそばにいた人・・・・・・が病気になったこと。そしてその人はもういない。

【答え②】どんなにつらいことからも学ぶ事ができる。毎日毎日が新しいんだ。いつも夢を持つんだ。今日はいる。でも明日はいるかは分からない。生きる気力を持つ事。「物」ではないんだ。「物」でないものが幸せなんだ。それはお金で買うことができないんだよ。

【答え③】毎日幸せでいること。

【メッセージ】津波や放射能で日本は苦しんでいる。でも同時に、誇りを持つ事ができる。世界に、そのすばらしい人間性を示すことができたから。

私はエル・フラメンコ(萩原註:東京にあるタブラオ、フラメンコレストラン。ここではスペイン人アーティストが半年の契約で出演する。)に出演していました。日本が大好きなんだ。日本には借りがあるんだ。たくさん助けてくれたんだ。いつも感謝している。日本人が持つ、フラメンコに対する愛情、敬意、物ごとをきちんとおこなうこと。長い時間をかけて日本はフラメンコの世界の中で重要な位置を築いてきたんだ。震災によってフラメンコ界は喪に服したんだよ。

写真の中のメッセージ:希望

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今日の私は幸せだったのだろうか。

・・・・・・・・・少し考えた後、

今日生きていたことだけで幸せだったのだと気付きました。

2011年5月30日 セビージャにて。

 

May 29

みなさんこんにちは。

東日本大震災復興支援特別プロジェクト“SOMOS JAPON”。スペインのフラメンコ・アーティストへのインタビューと、彼らからの応援メッセージの第23回。

今日は、前回協力して下さったエル・フンコの奥様で同じく踊り手のスサーナ・カサスへのインタビュー&彼女からのメッセージです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第23回 スサーナ・カサス

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】兄の死。その時私は「Por un sueño」(萩原註:スサーナと彼女の夫であるエル・フンコによる舞台作品)の練習中だった。日曜日の夜、私は兄にさよならをしたの。その時がもう最後だと思った。そして水曜日の朝、兄は亡くなった。9月9日だった。その日セビージャに戻ったけれど、舞台の練習中だったし、8ヶ月の子供を残しておくこともできなかった。だからすぐにカディスに戻らなければならなかった。泣く事ができなかった。練習や舞台に悲しい雰囲気を持ち込むことはできなかったから。落ち込みは1ヶ月後に来た。兄の子供達が兄の遺灰をウエルバの防波堤に捨てたの。私はその遺灰を探しに行った。その時初めて私は泣いた。

【答え②】自分の子供の存在を感じること。そして踊り。ソレアを踊って私は泣いたわ。

【答え③】踊り続けること。今出演しているタブラオや舞台を続けること。でも野心はないの。来た仕事をを引き受ける。楽しむことね。

【メッセージ】日本は長い間スペインを助けてくれた。だから借りがあるのよ。私は日本に行きたい。

写真の中のメッセージ:あなた達が力強さ、勇敢さと根性を持った人種であることを、あなた達は示し続けるはずです。一人のセビージャ女性からのたくさんのキスを。 スサーナ・カサス

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女性は子供を持つと強くなるのだろうか、子供が女性を強くするのだろうか、私が子供を持ったらどうなるのだろう。

2011年5月29日 セビージャにて。

May 27

みなさんこんにちは。

東日本大震災復興支援特別プロジェクト“SOMOS JAPON”。スペインのフラメンコ・アーティストへのインタビューと、彼らからの応援メッセージの第22回。一時帰国中は一時休止していましたが、日本ではたくさんの方から「何度も読み返しています!」「涙が止まりません」・・・たくさんのお言葉を頂きました。どうもありがとうございました。みなさんから頂いた感謝のお言葉は、そっくりそのまま協力して下さったアーティスト達に贈りたいと思います。

なお、これまでのインタビューとメッセージはご要望にお応えし、第1回から全て1カ所にまとめました。このブログ右側の大きい日本の国旗をクリックして下さい。今後は少しずつ継続してゆきたいと思っています。

さて今日はエル・フンコへのインタビュー&彼からのメッセージです。フンコはこのインタビューに是非協力したい、と私がセビージャに戻るのを待っていてくれていました。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第22回 エル・フンコ

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へメッセージをお願いします。

【答え①】自分が外国にいる時に家族の問題や死に直面すること。アーティストはほとんど海外公演をしていることが多い。その時にその知らせを受けるのは本当につらい。家族から離れているから。最期を看とる事ができないから。人生というのは家族の結びついていること。その時自分が何もできないというのは本当につらいことなんだ。私の祖母が亡くなった時、私は何もできなかったんだ。

(私に向かって)君はここにいて、フラメンコを学び人生を楽しんでいるだろう?でも同時に家族から離れている。私たちと同じ状況だよね。だから分かってもらえるね?(深くうなずく萩原)

【答え②】踊り。観客からの拍手。自分の仲間。痛みの感情。全てが乗り越えるのに役立ってくれる。そういう時の踊りは特別なんだ。踊りは癒しでもあるんだよ。踊ることで自分を落ち着かせることもできるんだ。

【答え③】最新舞台作品の「mirando al pasado」を続けること。ロリ・フローレス、ラファエル・ロドリゲス、ガジ、フアン・ホセ・アマドール、ミゲル・イグレシアス。(萩原註:以上、フンコの共演アーティスト。他の共演舞踊家は、フンコの奥様であるスサーナ・カサス)彼らと共に海外公演をしたいんだ。本当の踊りの公演だよ。舞台芸術や照明などでカモフラージュさせた踊りじゃなくて、いいギター、いいカンテ、踊りだけ。他のものはいらないんだよ。それが本当の踊りなんだよ。それによって即興もしやすくなるからね。そして学び続けること。来た仕事を引き受けること。

【メッセージ】9月に日本に行くことになると思うよ。日本に行く事を恐がるのではなく、私達が行く事で今まで通りのフラメンコの動きに戻していかなくては。日本の人達を元気にしたいんだ。

写真の中のメッセージ:日本を、君たちをとても愛しています。たくさんのキスと愛を持った力強さを。エル・フンコ

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文化庁新進芸術家海外派遣研修員として国費留学をしていた時のことです。任期完了まであと1ヶ月を切った時に、あと少しでやっと2年ぶりに日本に帰れる時、私の祖母は亡くなりました。その次の日に踊ったソレアを私は生涯忘れることはないでしょう。そして祖母のお葬式にすら出られなかったことも。

2011年5月27日 セビージャにて。

May 24

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先週はセビージャで素晴らしいフラメンコ公演が4つもありました。17日ロシオ・モリーナ(ロペ・デ・ベガ劇場)、同日ファルーカ(セントラル劇場)、18日レオノール・レアル(ドゥーケ劇場)、19日イネス・バカン&トマス・ペラーテ(カハソル劇場)。経済危機でフラメンコ公演が減っている中、なぜか今週は4公演も。私が観た公演はファルーカ以外の3公演。ファルーカも観たかったけれど、同日のロシオの公演のチケットをすでに買っていたから断念。3公演についてちょこっとメモしてみます。

  • 5月17日(火)ロシオ・モリーナ公演「ビナティカ」/ロペ・デ・ベガ劇場
  • 踊り:ロシオ・モリーナ
  • ギター:エドゥアルド・トラシエラ
  • カンテ:ホセ・アンヘル・カルモナ
  • パルマ&コンパス:エル・オルーコ

ロシオ・モリーナといえば今をときめく超絶バイラオーラ。若干27歳にして数々の賞を受賞し、現代フラメンコアーティストの中で傑出した存在。人間はここまで踊れるものなのか、と舌を巻かずにはいられない。これまでの舞台作品の中で、「フラメンコではない。」「コンテンポラリー・ダンスだ。」という意見もあるけれど、本人は「私はフラメンコ」と話していますよ。いずれにせよ、同じように揶揄される他の、踊りの上手なアーティスト達から明らかに一線を画している。その彼女の新作。タイトルの「ビナティカ」は「vino(ビノ)」(ワインの意味)からきているらしい。年月とともに熟成して香りや味が変わっていくワインを人生に例えたそうです。

前回のビエナルでの彼女の公演よりもずっと好きだ、と思いました。なぜか考えてみたら、あの時ロシオの公演で歌っていた歌い手が今回は出ていない。どうもその歌い手は私は苦手だ。ロシオの踊りよりも歌が気になってしまって・・・でもプログラムを見たら、今回はその歌い手は音楽監督になっていたようです。

パルマとコンパス担当のオルーコ。彼は踊り手で、公演の中でロシオとリズムの掛け合いをやった場面がありました。ファルキートのパソをしっかりコピーしているオルーコ。彼のリズムもすごいのだが、ロシオと比べてしまうと「あれ?」っと思ってしまう。それほどロシオがすごいということか・・・恐るべし、ロシオ。

この公演を通して、とにかく、ロシオ・モリーナってすげ〜。すごい、じゃないくて、すげ〜。とあんぐり口を開けて観ていた私でした。。。。同じ人間なのに、なぜこうも違うのだろう・・・。100万光年くらいかけ離れているので、比べる私がおバカということなのでしょうが。

  • 5月18日(水) レオノール・レアル公演/ドゥーケ劇場
  • 踊り:レオノール・レアル
  • ギター:ミゲル・イグレシアス
  • カンテ:ヘロモ・セグーラ

レオノール・レアルを一番最初に見たのは、6年前、私がクリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校の生徒だった時。ある日、クラスの代教にレオ(彼女の愛称)はやって来ました。「この人誰だろう?」と思って始まったクラス。あっと言う間に、クラス全員がレオのとりこになっていました。そんな、人間としても踊り手としても魅力にあふれた人。「この人は絶対世に出る!」と確信したあの時。ああ、やっぱり!!!と思ったこの日・・・。

レオのトレード・マークになっている短い髪の毛。レオが言っていました。「ハビエル・バロンはもう私を彼の舞台には呼ばなくなった。私の髪の毛を見てからね。彼は保守的だから。」ハビエル・バロンでなくてもびっくりするだろう。ショートカットのプロのフラメンコ舞踊家なんて今まで見た事ない。あの髪でフラメンコ踊るの?!と思う人は少なくないはず。でも踊りが始まってしまうと、髪なんてどうでもよくなってくる。そのくらい素敵な踊り。そして彼女の踊りは斬新だ。一般的には男性の踊り、と言われているファルーカを、女性の踊り手の象徴であるバタ・デ・コーラで踊ってみせたり、はたまた、喜びの意味を持つアレグリアスを全身黒のシャツ×ズボンで踊ったり。踊りの一つ一つを見ても、これをやればフラメンコ!という印籠のようなポーズはない。「モデルノ(現代的な)」という言葉では片付かない何かが彼女の踊りの中にある。他の踊り手が同じことをすれば、奇をてらっているとしか思えないことも、彼女がやるとなぜかニヤリ、としてしまう。思わず「オレ!レオ!」とつぶやいてしまう。同じ雰囲気が小さい劇場を包み込み、最高のレオの公演となった。前日見たあんなすごいロシオ・モリーナの公演の後なのに全然見劣りしないレオ。すごいな。これからもがんばってほしい。レオ。

  • 5月19日(木)イネス・バカン&トマス・エル・ペラーテ /カハソル劇場
  • カンテ:イネス・バカン、トマス・エル・ペラーテ
  • ギター:アントニオ・モジャ

「ジュンコ、鏡を見た方がいいよ」。公演が終わった後、知り合いのフラメンコ関係者に言われました。家に着いて自分の顔を見てみたら・・・マスカラが落ちて「パイレーツ・オブ・カリビアン」(ジョニー・デップ)の目みたいになっていました・・・。いや〜泣いた、泣いた、泣いた・・・

イネスとトマスは、前回のブログでも紹介した“レブリーハ”の歌い手。そしてアントニオ・モジャはウトレーラのギタリスト。ウトレーラとリブリーハはアーティスト同士親戚関係が多く、フラメンコにおいて非常に結びつきの強い土地です。モジャのギター。モジャのギター。モジャのギター。アンダルシアの「oooooooleeeeeee」を引き出すあの音。若手ギタリストがカッコいいファルセータやリズムを探すのに躍起になって、それに合わせてカッコいい振付けをするのが流行っている昨今、是非聴いてほしい。モジャのギターを。モジャのギターなしに彼らの歌はない。

トマスの最後のブレリア。レブリーハのブレリア。待ってました!とばかりに会場が沸く。一斉にかかるハレオの中に自分もいる時、ああ、フラメンコの瞬間を共有しているんだ〜と思い、幸福になる。カンテが好きな、つまりフラメンコが好きな人たち。その中にちょこんと混ぜてもらっている私。フラメンコと出会えてよかったと思う瞬間。

盛り上がりに盛り上がった所で、2部のイネス登場。彼女が登場しただけで涙が出て来てしまう。彼女が歌いだしたら、波が止まらなくなってしまった。そうだ、これが聴きたかったのだ。そうなのだ。その気持ちを涙の一粒一粒が確認している。彼女は特別だと思う。神がかっている時もある。存在自体が神々しい。

「これがフラメンコで、あれはフラメンコではない」と断じるつもりはない。そんな資格は私にはない。どちらが良いかとか、正しいか、とかということではなく、“違う”のだ。単に。前々日に観たものとも、前日に観たものとも、明らかに“違う”。でもその“違い”が明らかに私の涙になっている。

私は思った。もしこれらの公演を被災地で行ったらどうだろう。ロシオやレオの公演は人々をびっくりさせるだろう。世の中にはこんな踊りがあったのか!と。そして夢のような一時を過ごせるだろう。「素敵だった!素晴らしかった!元気が出た!」と言われるかもしれない。それに対して、イネスとトマスの公演はどうだろう。派手さはない。見栄えもしない。スペイン語がわからなければ何を歌っているかは分からない。でも、そうだとしても、彼らの歌とギターは人々の心に伝わるのではないか?心を貫くのではないか?

それを聴いたからといって、何かに直結する訳ではない。失ったものは戻ってこない。何も解決はしない。でも。それは必要なのではないか?イネス、トマス、モジャだけではない。必要とされるものを持っているアーティストはきっと他の土地にもいる。そのフラメンコの本質を持っているアーティストはたくさんいる。

私はその土地のものではないし、その文化を持っていない。何年セビージャに住んだとしてもそんな年数は何ともないほどフラメンコの根というのは深い。その私がここで、フラメンコを吸収することができるのだろうか。そして私は私の根で私を育てることができるのだろうか。そうする、と思ってここで生きているけれど。

いつの日か、そうして生きている私のそのままの踊りを被災地の人に届けられたらいいと思う。

2011年5月24日 暑い熱いセビージャにて。

May 16

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャは暑いです。すでに日中の気温が35度にもなっています・・・

先週末はセビージャ郊外の町、「レブリーハ」に行ってきました。セビージャから電車で50分ほど。セビージャ県の中にありながら、ここセビージャとは全く違う趣。大地がずっとずっと続いている、そんな感じ。「レブリーハ駅」から見える景色もこの通り。町中も。平屋の家が多く、のんびり。町というより、村かな?

代々受け継がれているレブリーハのフラメンコ。レブリーハの歌は特別。カディスのアレグリアスが海の香りがするなら、レブリーハのカンティーニャスは大地の香りがする。ヘレスのブレリアもいいけど、レブリーハのブレリアもいいね。フラメンコの素晴らしい所は、その土地その土地で、その土地なりの傑出したフラメンコがあること。そしてそんなフラメンコな土地のうちの一つがレブリーハ。ここに来るとなぜか落ち着く。懐かしい感じがする。私の大好きな土地です。

そのレブリーハのペーニャで2年前に踊ってから、レブリーハの人達と知り合いになり、今年はレブリーハが全スペインに誇る、「クルーセス・デ・マジョ(Cruces de mayo)」に招待されました。「え!ジュンコ、『クルーセス・デ・マジョ』に来た事ないの?!」「絶対来て!!!」昨年から言われ続け、でも昨年はその時期に確か日本にいたのかな?予定が合わず昨年は断念。今年こそは!と楽しみにレブリーハにお邪魔したのです。

そもそも「クルーセス・デ・マジョ」って何なの?日本語に直訳すると、「五月の十字架」。まるで意味が分かりません・・・聞いた話しによると、お祭りみたい。セビジャーナスを一晩中踊るみたい。でもそれはフェリア?いや、フェリアは別に夏にあるらしい。そしてそのセビジャーナスもセビージャのとはちょっと違う。レブリーハのセビジャーナス。そうだ!カルロス・サウラの昔の映画「セビジャーナス」で見た、あれだ!

YouTubeの映像はこちら→watch?v=OS58XjbiQcc

さらに詳しく由来を聞いてみると、昔は「アルボル・デ・マジョ(árbol de mayo)」というものだったそうです。収穫を祝ってレブリーハにある大きな木(アルボル)の下に皆で集まり、自然に対して感謝を捧げたという風習が由来だそうです。ところが、カトリック教会が「収穫への感謝は『神』にしなければならない。木(アルボル)を崇めるのではなく、十字架(クルス。複数形はクルーセス。)を立てなければならない」と言い出し、それが「クルーセス・デ・マジョ」になったとか。さらに時代はさかのぼり、現在では家族や近所の人達の集いの場になり、また女性が主体のお祭りになったそうです。男性優位主義の歴史を持つ(今でもまだあると思います・・・スペイン人に言うと怒るけど・・・)土地において、女性が自由に外に出て歌い踊れる日。実際に数十年前は男性はこの日は外出禁止だったそう。今は男性も参加していますが、ほとんどが女性です。そしてこのクルーセスで歌われるセビジャーナスの歌詞もほとんど女性にまつわるもの。誰かが、セビージャのトゥリアーナ地区の歌詞を歌ったら「ここはレブリーハだよ!!!」とつっこまれていましたよ。

町中の広場などに手作りの十字架が30カ所も飾られているそう。私を招待してくれたアラセリさんは、ご自宅の屋上に手作りの十字架を飾り付けました。そこで歌い出す親戚の子供達。歌っているのはルンバ、ブレリア、セビジャーナスなど。小さな子供達なのにカホンをたたき、パルマをたたき、歌い・・・やっぱりすごいね。フラメンコって。そんな午後をお茶をしたりして楽しんだ後は、「クルーセス・デ・マジョ」の本番の始まり。

アラセリさんのお友達のセビジャーナス楽隊がやってきました。年配のご婦人中心のこのグループ。レブリーハのセビジャーナスで使われる楽器はタンバリン。そして金属製のすり鉢とすり棒。アルミレスと呼ばれるそれは、この日のためにレモン汁でぴかぴかに磨き上げられます。そして楽器に早変わり。タンバリンのたたき方も独特。教えて頂きましたが、全然できなかった・・・教えて下さった方は、私ができないのを見て笑っていらっしゃいましたが、やはり最初はできなかったとのこと。年季が入っていらっしゃるんですね。さすが!

いやーみなさん、すごい。歌う。歌う。踊る。また歌う。歌う。これは説明のしようがないので、アラセリさんがアップしたYouTube の映像をご覧下さい。すごい女性パワーです。これが夜中まで続きます・・・・

YouTube の映像はこちら→ watch?v=Xc8mFhmjJ-Q&NR=1

しかし、ここからがさらなる本番。今度は町中に繰り出す。歌いながら。この日のレブリーハは眠りません。町中にある十字架の場所をあちこちまわるのです。

YouTube の映像はこちら→ watch?v=bfRlZsCuSOk&feature=related

レブリーハは小さな町(村)。ちょっと歩けばみんな知り合い。出会った人達とともに歌い出す。踊り出す。そして、驚くべき事に、その十字架のある場所に住む家の人達は、訪れる人達のために飲み物や食べ物を用意して下さっているのです。しかも無料!一晩中!私もチョリソ(豚の腸詰め肉)や、ゆでた空豆、レブリートと呼ばれるマンサニージャ(サンルーカル産のワイン)と炭酸水で割った冷たい飲み物を頂きました。レブリーハの歴史の中で、これが有料だった時代もあったそう。でもそれでは、レブリーハのクルーセス・デ・マジョではない!ということで、最近はまた無料に戻ったそうです。

決してお金持ちとは言えない国で、その国の小さな村で、そんな伝統を大切にすることって、素晴らしいことなんじゃないかな。私みたいな外国人にまで親切にして下さり、本当にいろいろ御馳走になりました。ありがとうございました。

たくさんのお金を持っている人は、なぜそれほどお金に執着するのだろう。どうしてそのお金を自分だけのものとしか考えられないのだろうか?どうしてお金のあるなしで人に媚びたり人を見下したりするのだろうか?お金を持てば持つ程幸せになると考えているのだろうか?実際の幸せは本当にお金と比例しているのかどうか考えたことはあるのだろうか?お金は必要だ。全くないのも問題だけど。。。

「クルーセス・デ・マジョ」って何?と一番最初に聞いた、レブリーハのパン屋の女の子はこう言っていました。「家族や近所の人と集うの。みんなで一緒に過ごすの。普段会えない人達ともみんな会えるの。クルーセス・デ・マジョのないレブリーハなんて存在しないわ。私の母、祖母、ひいひいひいひいばあちゃんの時代からずっーとずーっと続いてるの。」誇らしげに語る彼女の顔を見ながら、子供の頃、毎年必ずお盆とお正月に田舎に帰っていたなぁ、と私は懐かしく思い出していました。

ありがとう。レブリーハ。

2011年5月16日 セビージャにて。

May 13

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先日のブログでお伝えした機内での“珍事件”です。↓

2011年5月10日のことだった。場所は成田発チューリッヒ行き“スイス・インターナショナル・エアラインズ” LX161便、機内。乗客全員が搭乗し、あとは離陸を待つのみ。私はエコノミークラスの前から2列目、窓側の席に座っている。機内中央、真ん中の列の一番前に座っていると思われる日本人男性がブツブツとつぶやいている。

【登場人物】

  • 男の隣に座る男性
  • 日本人女性若手客室乗務員 以下「若ス」(チュワーデス)
  • 日本人女性先輩客室乗務員 以下「先輩ス」(チュワーデス)
  • 若手警官
  • ベテラン警官
  • 刑事
  • 私の隣の乗客
  • 他の乗客
  • 萩原(私)

男:「死ね、ハゲ、ハゲ、死んでしまえ。」(ブツブツつぶやいている)

若ス:「お客様、お静かにお願い致します。」(直立不動、完璧な笑顔)

男:「死んでしまえ。だって、話しているんですよ。私は注意しただけです。この人達しゃべってるんです。このハゲ、死ね!」(声がどんどん大きくなる)

萩原、伸び上がり斜め前方で何が起きているか観察。窓側の席からのためよく見えないが、確かに男の隣に座る男性の頭部はつるりとしている。その“つるりさん”に男はののしっている。

若ス:「お客様、機長に相談させて頂きます。」(同じく直立不動、完璧な笑顔)

若ス、機内の連絡用電話で話し始める。その間、男は隣のつるりさんに「死んでしまえ」と罵倒し続ける。つるりさんの顔面につばを3度吐く。つるりさん無言。微動だにしない。しばらくして先輩女性客室乗務員(以下、「先輩ス」)登場。

男:「隣、トーキングしてたの。私が注意したのに、このハゲ、逆ギレしたの。イフ・アイ・・・アイ・アム・ミート(自分を肉と仮定してどうする?すかさず心の中でツッこむ萩原)●△×★÷*%・・・・(その後意味不明の英語)

先輩ス:「お客様、英語の方がよろしいですか?」

男:「イエス・アイ・キャーン!」

先輩ス:「Aaodifu fdji aeruio afdiouoi popoivcx・・・ペラペーラ、ペラペーラ。」(流暢な英語でまくしたてる。早すぎて萩原には理解不可能)

若ス:「お客様ー、他の方は皆様お静かにされていますからねー。大声出されているのはお客様だけですよー。」(やたらと語尾を伸ばす。そして相変わらずの完璧な笑顔)

男:「だから、日本語わかる人呼んでよ!!!」

先輩ス:「他200名のお客様にご迷惑がかかりますので、降りて頂けますでしょうか。さ、参りましょう。」

若ス:「飛行機遅れていますからねー。」(語尾を伸ばすのは作戦か?)

男:「警察呼べ!!!」

若ス:「呼んでますからねー。」(やはり作戦らしい)

先輩ス:「参りましょう。お名前は・・・ハセガワ様ですね。さ、ハセガワ様、参りましょう。」

男:「警察呼べ!!!」

先輩ス:「呼んでますから。他のお客様を定刻通り出発させる義務が私にはあります。そのためにはハセガワ様を降ろさなくてはなりません。行きましょう。行きましょう!!」

男:「暴力ふるう気か!」

先輩ス:(冷静に)「さわっていません。」

若ス、完璧な笑顔に冷たさが加わり、直立不動のまま男を見下ろしている。というより、見下している。先輩スとともにその場を離れる。代わりに外国人男性客室乗務員が見張りに来る。顔はいいが、非常時にはあまり役に立たなそう。萩原、時々腰を浮かして男の様子を伺うが、あーよく見えない。男の独り言だけ聞こえる。

男:「オレが降りたらこの飛行機は墜落、ツ・イ・ラ・ク〜♪チューリッヒでどかーん!!!降りててヨカッタ〜♪」(それも困るな、といらぬ心配をする萩原)

しばらくして警官登場。若手警官2人と年配の警官1人の計3人。制服には「千葉県警 POLICE」とある。

萩原:「うわっ、ほんとに来た!」

思わず声が出てしまった私に、私の隣の男性乗客が笑いかける。年の頃は50か。左薬指に指輪。ワイドショーに出て来る“所なんとか(ジョージじゃなくて、太郎?確か芸能リポーター)”さんに似ている。

先輩ス:「話しをする余地がないので降ろして下さい。」

男:「私一人だからしゃべれないでしょー。隣の人がしゃべってたらおかしいでしょー。私がしゃべれないでしょー、15時間も。おかしいでしょー。」(最後は泣き声になっている。そして急に普通の声になって)「私悪くないんです。暴力ふるってないし。」

若手警官:「申し訳ございません。移動して下さい。」

いつの間にかその場にいた別の外国人客室乗務員が、先輩スに男の氏名を英語で質問する。質問に答える先輩ス。アキ◯◯・ハセガワ(◯◯の部分はよく聞こえなかった)そして「うちの旦那を同じ名前だわ」つぶやき、ハハっと笑う。若ス、やはり笑顔で男の手荷物をまとめる。

今度は刑事(デカ)登場。って、本当にデカかどうかは分からないのだけど、一目でこの人、絶対にデカ、と思わせる「何か」がある。あの、テレビドラマに出て来る取調室にいる刑事だ。「殺ったのはお前だな!」とバンと机をたたくあの人。本当にこんな人が実在するんだ。しかもその人が私のすぐそばにいる!萩原、感動。(ちなみに服装はジャケットにノーネクタイ。クールビズである。)

刑事:「あなたの一方的な言い分を聞いてあげますから。」

男:「あなたの部下が訳の分かんないこと話してたら、あなた、叱るでしょ?」

刑事:「お話しを注意するだけならいいの。でもそれ以上やっちゃだめ。つば吐いたでしょ。」

男:「つばに見せかけた水。」

他の乗客:「飛行機遅れてるんだよ!そいつに弁償させろ!」

「いい加減にして下さい!」

「降りろ、降りろ、降りろ」(シュプレヒコール)

私の隣の“所”さんが突然、「ところで先程から何を書いているんですか?」と私の手元を覗き込む。え、この会話です。こんなこと、人生でそうそう起こることではないので。」手短に答え、速記メモに専念する萩原。

他の乗客:「逮捕してその男を引きずり降ろして!!!」(女性の金切り声)

ベテラン警官:(落ち着き払って)「被害届がないと降ろせないんです」

・・・・・・・シーンと静まりかえる機内・・・・・・・

隣の“所”さんが小声で私に話しかける。「『民事不介入』ってやつですな。」「ミンジフカイニュウ・・・」おうむ返しする私は、萩原“官房長官”。

男:(勝ち誇ったように)「警察はダメだねー。マニュアル通りにしか動けないからな。マニュアルー。バカだねー。」

刑事:「バカとはなんだ!あなたが降りればいいんだ!」

ベテラン警官:「話しをしっかり聞きますから」

刑事:「常識ないんじゃないの?大人なんだからさ、分かるでしょ!」

他のの乗客:「誰も、警察が不法逮捕したなんて思わないから。大丈夫!」

「連れてけよー」「公務執行妨害ー」

そして事態は急変する。突如、デカが男の身体をがっとつかむ。

刑事:「あんまり警察をバカにすんじゃねーよ!!!このやろう!!!」(やはりドラマと同じ口調。)

本当に一瞬のことだった。男が連行されていく。すごい早業。ドラマで見た、あの、現行犯逮捕の瞬間。やはりデカだ。正真正銘の。機内から拍手が起こる。

そして全てが終わったと思った瞬間、最後に残ったベテラン警官が私たち乗客に向かってこう言った。

ベテラン警官:「どうもお騒がせ致しました!」(敬礼!)

ここにも正真正銘の警官が一人。真っ白になっているその頭が、深々と下げらる。拍手さらに大きくなる。ベテラン警官の姿が小さくなり消えて行く。

ー完ー

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