Jul 24
アンへリータ・バルガスのご容態
La Yunko | 新着情報 | 07 24th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先週の金曜日にセビージャ郊外の町、レブリーハのフェスティバル「カラコラ」に行って来ました。そこでお会いしたのがアンへリータ・バルガスのご家族の方。フラメンコ関係者の方はご存知かと思いますが、6月末に脳梗塞で倒れ右半身麻痺と言語障害が残った、フラメンコの踊り手アンへリータ・バルガス。その踊り、存在は“人間国宝”と言えると私は思うのですが、フラメンコを愛する方ならきっと同じように思われるのではないでしょうか・・・・。

アンへリータが脳梗塞で倒れたというニュースは、彼女の姪のフランチェスカさんから伺いました。私は6月29日の自身のセビージャ公演の前、右腕が痛くてスイカが切れない・・・と落ち込んでいましたが、同じ頃右半身麻痺になってしまったアンへリータのことを思い、また、自分の公演のことで頭がいっぱいで、フランチェスカからの連絡があるまで何も知らなかった自分を思い、なんだか申し訳なく、そして自分に対して憤りを感じてしまいました・・・当時はセビージャ郊外の町“ボルムホス”の病院に入院されていたアンへリータ。フランチェスカと一緒にアンへリータのお見舞いに行きたいと申し出たのですが、その後彼女との連絡が途絶え、アンへリータの容態がずっと心配でした。

そんな時に届いたのが、アンへリータ・バルガスのクラスを企画されていた横田万紀さんからの「アンへリータ・バルガス闘病寄金」と題されたメールでした。詳細はこちらをクリック→angelitavargas

また、フェイスブック上でも “Amigos de Angelita Vargas a Favor de Su Rehabilitacion” というグループが結成され、7月24日現在、1724人がアンへリータのリハビリを支えるメンバーとなっています。英語やスペイン語が主ですが、アンへリータに近しい会員達が日々コメントを寄せています。

その後のご容態を、先週の金曜日にレブリーハに住む、アンへリータのご家族のデリアさんから伺いました。アンへリータが倒れた時、彼女は意識を失っていなかった、その間彼女の脳は機能し続け、自分に起こった事を彼女はちゃんと覚えていたそうです。そしてその数日後、医者が「奇跡」という程の驚異的な回復力で快方に向かい始めたそうです。現在は彼女の自宅に戻り、リハビリを精力的に行っているそう。フランチェスカの旦那さん“としさん”(日本人のマッサージ師さんです)が教えるリハビリ体操を、アンへリータは一人の時ももくもくと続けているそうです。そしてデリアは言いました。「アンへリータが脳梗塞で倒れた、という話しを聞いて、皆、『もうアンへリータは終わった』というような気持ちになっている。でも皆が思っているほどひどい状況ではない。ひどい状況とも言えるけど、彼女はそれに打ち克つ強さを持っている。なぜならアンへリータだから。」

その言葉を聞いて私は強くうなずきました。そうだ。アンへリータ・バルガスという踊り手はそういう人間なのだ。

最後に、このブログの「SOMOS JAPON」(東日本大震災復興支援特別プロジェクト)でご紹介した、アンへリータ・バルガスへのインタビューとメッセージ。まだお読みでない方はこちらをクリックして下さい。→¨somos-japon¨-⑤%E3%80%80angelita-vargas

(トップ写真は上記インタビュー時の2011年3月22日、彼女のお誕生日会にて撮影したものです)

アンへリータの信じる神様が彼女を守って下さいますように。

2011年7月24日 セビージャにて。

Jul 9
アレグリアス・コンクール決勝進出!
La Yunko | 新着情報 | 07 9th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

過日のブログでお伝えしました、ペーニャ・ペルラ・デ・カディス主催「第14回全国アレグリアス舞踊コンクール」の決勝に進出します!たくさんの方から応援して頂き、皆様のお陰です!どうもありがとうございました!

8月20日に行われる決勝「GRAN FINAL CONCURSO」に出場するのはまず、ルイス・デ・ウトレーラ、マリーナ・バリエンテ、フアン・ベルムデス、私の4人。(左ポスターの上部の4人)私たちはコンクール決勝進出者としてそれぞれアレグリアスを踊り、順位が決定されます。そして予選の時にアレグリアスとは別に課せられた自由曲の中でバイレ・リブレ賞を受賞したのが、ポスター左下のパトリシア・イバニェス。彼女はコンクール順位とは別に、バイレ・リブレ賞受賞者としてデモンストレーションで踊るとのこと。さらに今年のゲストアーティストになんと、フアン・デ・フアン。(ポスター中央)これ、むしろ観てみたい・・・

  • コンクール主催、「ペーニャ・ラ・ペルラ・デ・カディス」HPはこちら→www.laperladecadiz.es

決勝進出の連絡は主催者側から直接、進出者へ電話連絡があるとの話しでした。最終予選日の後、電話来るかな、来ないかな・・・と気が気で無い毎日。予選で共演してくれたギタリスト(ミゲル・ペレス)や歌い手達(ヘロモ・セグーラ、ハビエル・リベーラ)は「絶対決勝行けるから大丈夫」と言ってくれていたのですが、いや、そんなの本当に私の所に連絡があるまで分からない。でも、彼らが言うなら大丈夫かも・・・いやいや、期待させといて予選落ちだったら私は奈落の底・・・とはいえ目標としていたマントンとバタのアレグリアスを踊ったから、その意味では決勝に残れなくてもいいかも・・・でもやっぱ残りたいよね・・・マンガのふき出しが頭からいっぱい出てきて収拾不可能な状態でした。

連絡はなんとフェイスブックを通してでした。コンクール主催のペーニャがフェイスブックを通して私に写真を送ってきたようなので、どーせ変な顔で映っている予選の写真だろう、と何気なく開いたら、このポスターがどーん。あれ、この緑の衣装の人、私じゃないの?と思った瞬間にわ〜んわ〜ん、とこれまたマンガのように泣いてしまいました。

そしてよく見ると私の名前が「Yunko Hagiwara」になっている。本当は「Junko Hagiwara ¨La Yunko¨」なんだけど。ま、いいか。と思って真ん中のフアン・デ・フアン(Juan de Juan)を見たら「Juan de Juanes」。あれ、複数形になってるよ。ゲスト・アーティストなのに何と失礼な、と思いながらげらげら笑ってしまいました。

そしてちょっと気になるのが、予選通過者が私を含めて4人。でも賞は3位までだから・・・一人は賞なしってこと?う〜む。そうなると一番不利なのは外国人である私かも・・・?まずい。いやいや、こう考えること自体がまずい。とにかく自分の踊りをすることを目指したい。コンクールの結果というのはいろいろな要素が絡んでいるから、実力がそのまま順位に反映されるとは限らない。反映されることもあるし、されないこともある。だからその順位に振り回されるのではなく、自分自身が満足できる踊りを目指したい。

予選では生まれて初めてマントンとバタを使ったアレグリアスを踊りました。多くの方々が「すばらしかった!」とおっしゃって下さったけれど、でも私は知っている。あれは、“まぐれ”に近い。もしくは“ビギナーズ・ラック”。初心者が恵まれる幸運。つまり本当の勝負はここから。他の決勝進出者との勝負ではなく、自分自身との勝負。あと1ヶ月ちょっと。暑いけど、私はここセビージャでがんばります。

緊張の夏 ペルラの夏。

2011年 7月9日 セビージャにて

Jul 2

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

2011.6.29 //  “ミエルコレス・ア・コンパス” カルトゥッハ修道院(セビージャ)21:00開演

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • ヘロモ・セグーラ
  • ハビエル・リベーラ
    • ミゲル・ペレス

お陰様で、水曜日のセビージャ・ソロ公演は無事終了致しました。観に来て下さった皆様、日本から応援して下さった皆様どうもありがとうございました。

金曜日のコンクール予選後に右肩、右腕、右肘、右手が痛み出し・・・多分マントンの練習のし過ぎだと思うのですが・・・痛み止めのクリームを塗ったら全身に発疹が出てしまいました・・・・気を取り直してスイカでも食べるか、と思ったら、今度はスイカが切れない・・・右腕に力が入らない・・・・あ〜あ〜こんな状態で踊るのか〜と落ち込んでいましたが、たくさんの方から応援メッセージを頂きなんとか水曜の舞台に臨みました。

カルトゥッハ修道院が併設された、セビージャ現代美術館の庭。野外に設置された特設舞台。開演21:00。ちなみにセビージャのこの時期の21:00というのは夜ではありません。まだ昼。しかもここ数日は気温40度。こんな時間帯に誰がフラメンコ公演なんて観に来るのでしょうか・・・22:00頃になってようやくあたりが薄暗くなり始め気温も下がり始める頃、セビージャの人はやっとそろそろと町中に出始めます。夏の野外公演というのは、だから開演は早くとも22:00。(なんだかんだで始まるのは実際それより遅かったりもする。)でも私の出演したこの公演は“昼”21:00開演・・・それはなぜか?

経済危機。

crisis(クリシス)と呼ばれる経済危機。ここ数年スペインを襲っているその経済危機とフラメンコ公演の開演時間になんの関係があるのか?公演の場所を貸してくれているのはセビージャ現代美術館。本来、美術館閉館後フラメンコ公演のために職員が残るのであれば残業代が出ます。しかし、その経済危機のために残業代カット。つまりサービス残業では誰も働かないわけです。どう考えてもこの時期に21:00開演でお客さんが入るわけないのですが、美術館職員にはそんなこと知ったこっちゃないわけです。彼らが就業時間内に仕事が終われるよう、フラメンコ公演の開演時間も設定されるわけ。たとえ気温40度を超えていようが、客席がガラガラだろうが、関係なし。

そして開演時間だけではありません。公演の企画団体側でも広告費がカットされたそう。私が踊った日はお客さんは50名ほどしかいらっしゃいませんでした。でも昨年9月から毎週水曜日に行われていたこの公演、もっとお客さんが少ない日もあったとか・・・なんて悲しい・・・そして今年1月からいまだに誰にも出演料が支払われていないそうです。これも経済危機のせい。お金がない。1月に出演した踊り手に今まだ出演料が支払われないのなら、私が出演料を頂くのは早くとも年末???・・・・ありうる。いや、年内に支払われるのならラッキー、お年玉でもラッキー、くらいに考えておかなくては。

でもこれは驚くべきことではありません。フラメンコだけでなくどの職業の人も同じような思いをしています。失業者が増えているのはもちろんのこと、職を持っていてもお給料が支払われていない人もものすごく多い。生活ができない。次の仕事への資金が足りない。そんな状況がここ数年でどんどん目につくようになりました。震災後、日本のとある踊り手さんが「東京ではライブやクラスがキャンセルになっちゃって、もうフラメンコでは食べていけないのかとみんな焦ったんだよ」とおっしゃっていましたが、そんな状態がここではもう数年続いています・・・。そしてどんどん悪くなっている・・・

なんだか暗〜くなってしまいましたが、本当の話です。

で、元に戻ってセビージャ・ソロ公演ですが、そんな中公演を観に来て下さった方々には本当に感謝したいと思います。とても暑かったと思います。そして私も暑かった・・・あの楽屋・・・というか物置・・・鏡も椅子もなく、もちろん冷房も扇風機もないその場所に通された時、私は言葉を失いました。今までいろいろな楽屋に通されたので免疫はついているのだけど・・・・この楽屋はワースト3には確実にランクインされる。これも経済危機のせいなんだろうか・・・お金が払われれば皆働く。でも払われないとわかっていることに誰も労力を費やさない。ここで出演者が着替えることがどんなに大変か想像できるはずなのに。もしくは想像すること自体労力の無駄使いだと思って何も考えないのだろうか・・・すごく悲しくなって涙が出そうになってしまったけど、それよりも出てくるのは汗。大汗。

ま、いろいろありましたが、とにかく踊りました。ソレアとバタ&マントンのアレグリアス。先週の金曜日のコンクール予選の時の方がよく踊れたような気がします。満場のコンクール会場であったペーニャ。本番前にギター・カンテと合わせをしていた時に、ペーニャの台所から年配の女性が顔を出し「アンタのマルカールの音を聞いているだけで、どれだけ踊れるか分かるよ。もう何十年もフラメンコ聞いているから、この耳で。アンタの踊りは楽しみに観させてもらうからね。」と私にウインクしました。なんとその女性は実は審査員だったのですが。

自分が踊る時に感じるエネルギーの循環。自分のエネルギーとギター・カンテのエネルギーとお客さんとのエネルギーと。それがぐるぐるじゅんじゅん回っていく。コンクールで感じたそれが今回はあまり感じられなかったかな・・・広大なお庭にまばらに座っていらっしゃるお客さん。なんだか芝生に向かって踊っている気がして。自分から出ているエネルギーが戻ってこない感じ。踊れば踊るほど虚しくなってきて、でもその虚しさに負けてはいけない、と必死に自分に言い聞かせて。そうしているうちに踊りが終わってしまいました。

せっかくセビージャで踊ることができたのに、残念な気もします。暑い中お越し頂いた方にも申し訳ないような気もします。でもそう思っているのは自分だけで、お客さんは満足していらっしゃる場合もあります。公演後“楽屋”にいらして下さったみなさん、後で携帯メッセージを下さったみなさんからはそんな様子を伺えました。ありがとうございました。

その中でも一番嬉しかったのは、3年前、セビージャのペーニャ公演に私を抜擢・推薦して下さった、とあるペーニャ会員の方がいらしてくれたこと。そしてその方からのメッセージ。「とてもすばらしく踊っていたよ。踊りが成熟してきている。」

ある時にはよく踊れるし、別の時にはよく踊れないこともある。自分がよいと思っても周りの反応は今ひとつだったりする時もあるし、その逆もある。でも長い年月をかけて、いい時も悪い時も見守って下さる方がいらっしゃる。舞台に足を運ばなくても応援して下さる方もいらっしゃる。それはとても有り難いことだと思います。そうやって私は少しずつここで踊り手として積み重ねてきたのだなと思いました。そしてこれからもそうしてゆくのだと思います。

なんでも勉強。全部勉強。一生勉強です。

2011年 7月2日 今日はちょっと気温が下がったセビージャにて。(写真:アントニオ・ペレス)