Aug 22

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。こちらセビージャは少し涼しくなりました。

一昨日「第14回全国アレグリアス舞踊コンクール」決勝が終了しました。たくさんの方に応援して頂き、本当に感謝しております。誠にありがとうございました!

結果は以下です。

  • 優勝:フアン・ベルムデス(プエルト・デ・サンタマリア)賞金4000ユーロ、タブラオ“コルドベス”出演契約
  • 準優勝:マリーナ・バリエンテ(セビージャ)賞金3000ユーロ、タブラオ“コルドベス”出演契約
  • 3位:ルイス・デ・ウトレーラ(ウトレーラ)賞金2000ユーロ
  • 4位:萩原淳子(日本)賞金1000ユーロ
  • 最優秀振付賞:萩原淳子(日本)

すごい風でした。風というより台風並み。カディスには海風があるのはもちろんだけれど、これは別格。空を見上げていると、音響担当の人が近づいてきました。「昨日からすごい風なんだよ。昨日はコニル(カディス近くの海沿いの村)でフェスティバルがあったけど、風の音がすごすぎてサパテアードの音が聞こえなかったんだよ。音量を上げるとハウリングしてしまうし。そして椅子が飛んで行ったんだよ。風で!」納得。あり得る。この風なら。

そんな中で始まったコンクール決勝。実際踊りの最中も風は吹き荒れ、マントンはあっちこっちに流され、シレンシオの部分ではマイクが風の音をひろい、ぐお〜とうなる。でもなぜか私は落ち着いていました。1カ所だけ「まずい!」と思った瞬間がありましたが。

踊り終わった後、たくさんのアーティスト達やお客さんが「ジュンコ、おめでとう!素晴らしかった!」と声をかけて下さいました。自分では自分の踊りに満足はしていないけど、でも傍目にはよかったのかもしれない。と思い直していると、私に伴奏してくれたギタリストのミゲル・ペレスが私の手を引っ張って小声で言いました。「賞をとるのは◯◯と××だ。ジュンコは賞なしだよ。でも君がどう踊ったか俺は知っている。そして客席にいた踊り手達も皆知っている。そのことの方が価値があるんだ。それを忘れるな。」

客席には、エル・フンコ、スサーナ・カサス、フアン・オガジャ、ピリ・オガジャ、アンドレス・ペーニャ・・・・etcそうそうたるプロフェッショナルな踊り手達がいたそうです。そして今回決勝進出できなかった踊り手達も。彼らのうちの何人かが「ジュンコ、素晴らしかった」と楽屋にまで来て言ってくれましたが、今思うとそういえば彼らの顔が皆曇っていました・・・私が賞なしになるのを彼らは既に知っていたのかもしれません。

そして、表彰式で大勢の観客の前で私がショックを受けないよう、事前に教えてくれたミゲル・ペレスに私は静かに感謝しました。

表彰式。案の定私の名前が最初に呼ばれました。コンクール規定によると賞は3位まで。順に賞金4000ユーロ、3000ユーロ、2000ユーロのはずでした。私は賞なし・・・のはずが、「4位」。不思議に思いながら壇上に上がると、なんと客席からブーイング・・・「tongo!」という声があちこちから聞こえて来たのです。・・・“tongo(トンゴ)”って・・・“八百長”ってこと???困惑気味の私に4位のトロフィーと1000ユーロと書かれた小切手が渡されました。私は全く理解できないまま、でもなんとか微笑みを作ってその場を退こうとすると、今度は別の主催者が「まだその場に残って。あなたには別の賞があるから。」と。別の賞?何ですか?それ?全く意味が分からないまま私は壇上に立ち尽くしました。

すると今度は「最優秀振付賞! ジュンコ・ハギワラ!」最優秀振付賞?そんなのこれまでのコンクールでも一度も聞いたことがない。しかもあの風のせいで半分以上即興で踊ったのに「振付賞」ってことはないでしょう。なんじゃそりゃ?それまで聞こえていた「tongo!」の声が一瞬聞こえなくなり、会場中がシンと静まりました。あの瞬間、会場全体にたくさんの「?」が浮かんでいたと思います。私は全く意味が分からないまま、自動的に振付賞のトロフィーも頂きました。

そして3位が紹介されました。「ルイス・デ・ウトレーラ!」その瞬間、先程の「tongo」の声が会場全体のシュプレヒコールに。「tongo! tongo! tongo! tongoooooooooooooooo!」(八百長、八百長、八百長!!!!)壇上に上がったルイスの目が泳いでいる。そしてそのシュプレヒコールが続く中、ルイスと私はそれぞれ3位と4位のトロフィーを手にし呆然としていました。

2位マリーナ・バリエンテ。笑顔を振りまいてトロフィーを受け取るとカメラ目線で写真に映る彼女。そして最後は優勝のフアン。まばらな拍手。しかしフアンは悪くありません。彼だって私と同じように決勝進出者として一生懸命踊っただけ・・・でもフアンは何が起こったのか察していたのでしょう。トロフィーを受け取るとそそくさと私の横に並びました。顔面蒼白でした・・・。

帰りの車の中。ミゲル・ペレスが激怒している。歌い手のヘロモ・セグーラも。ミゲルの話によると、私が入賞しないようにコンクール側に圧力がかかっていたのだそうです。“私”がというより、正確に言うと“日本人”が、です。私は驚きました。特定の踊り手を入賞させるために私がはじかれたのではなく、日本人である私が賞をとれないよう最初から仕組まれていたとは。しかしこのコンクールではこれまでの歴史の中ですでに2名の日本人が準優勝を飾っているそうです。なんでだ?むしろ日本人に“優しい”(?)コンクールかと思っていたのに。それが裏目に出ました。要するに、これ以上“日本人”を入賞させない、という圧力だったらしいのです。

なぜ、誰が、なんのために圧力をかけたのか、詳細はブログに載せられません。それにより傷つく人がいると思うから。でもその裏事情を聞いた時、私はなるほど、と思いました。よくある話です。これまでに私は日本でもスペインでもたくさんのコンクールに出場してきました。大なり小なり似たような裏事情に翻弄されてきたので、正直、またか、と思いました。

コンクール側はその上で、本来存在しなかったはずの「4位」と「賞金1000ユーロ」を私に与えたのでしょう。そして「最優秀“振付”賞」という微妙な賞も・・・。「最優秀舞踊家賞」は与えられない。「最優秀アレグリアス賞」ってのもだめ。だったらなんで4位なんだ?という話しになってくる。苦肉の策で「最優秀“振付”賞」にしたのかな。もう一つ賞をあげるから4位だけどがまんして、ということなのかな。う〜む、微妙すぎる。それにしても、その賞のトロフィーの踊り手・・・目が切れ長で東洋人みたいなんですけど。私の気のせいでしょうか???しかもそのポーズは私のアレグリアスの最後のポーズと一緒・・・これってすごい偶然???

私はゲラゲラ笑い出しました。今までの私だったら怒り狂うか、大泣きするか・・・でも今回は笑いが止まりません。「tongo!」のシュプレヒコールを思い出して。そんな波乱の表彰式になったのはきっとカディスだったから。カディスには特別のアルテがある。そんなカディスの観客にオレ!だし、そのカディスのコンクール決勝で踊った私にもオレ!4位にされちゃって、でもそれを笑い飛ばしている自分にもオレ!

結局コンクールってなんなんだろう。コンクールの“結果”がその人の人生を変えることもある。人は“結果”のみでその出場者を判断することもある。裏事情が表に出ることもあれば出ないこともある。だからコンクールには絶対出ない!という人もいる。なるほど、それも一つの選択だ。でも私にとって重要なことは、そのコンクールのために準備する“過程”。その“過程”を知る人は少ない。だからこそ重要なのだ。

多くの人や審査員に踊りを見てもらい、順位をつけられたり意見をもらうのもよい、という考えもあるかもしれないが(私もこれまでそう思っていた)でもそれは場合による。踊り手の本当の実力を見極められるのはプロフェッショナルなギタリスト、歌い手。そして自分より実力のあるプロフェッショルな踊り手だと私は思う。そのような人達の前で踊れるのであればそれは貴重な経験だ。そしてその貴重な経験は、コンクールに出ると決心し、いろいろなものと闘いながら準備してきた人間にのみ与えられる。

そしてもっと重要なのは“結果”に流されない自分を持つこと。今までの私のように、納得のいかない“結果”に落ち込んだり、自暴自棄になったりするのは意味がない。それだったらコンクールなんて最初から出ない方がいい。自分自身をだめにするだけだし、周りの人に迷惑をかける。もしくは納得のいく“結果”に溺れ、そこから抜け出せない場合。それも意味がない。自分で自分の道を閉ざすことになる。

今そう思えるのは、これまでに私自身がいろいろなコンクールに出場して、それぞれの裏事情に涙を飲んできたからこそ。そして、それは私だけではない。3位になったルイス・デ・ウトレーラ。ミゲルが言うには素晴らしい踊りだったそうだ。ルイスが本当は優勝を飾るべきだったと。そして今回、決勝進出せずに「バイレ・リブレ賞(バイレ自由部門)」を受賞したパトリシア・イバニェス。彼女だって、きっと納得していないはず。去年のアレグリアス・コンクールで同賞を受賞した(させられた)チョロにしてもそう。あのラファエル・デ・ウトレーラだって、今年のウニオンのコンクールで優勝を与えられなかった・・・

きっとこれからも私はいろいろな波に翻弄されるだろう。努力すればするほど、挑戦すればするほどその波はうずを巻く。でも逆に言えば、その波があったからこそ私は「自分」というものを持ち始めている。人間誰しも落ち込むこともあるし、自分を信じられなくなることもある。でもそれは人間なら当たり前。日本にいようがスペインにいようが、フラメンコをやっていようがいまいが、それはみんな同じ。だから今日も私は波へと漕ぎ出す。

どんぶらこ〜どんぶらこ〜

2011年8月22日 セビージャにて(写真:アントニオ・ペレス)

Aug 19

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

とうとう明日になってしまいました。第14回全国アレグリアス舞踊コンクール決勝。

予選通過からこれまでの1ヶ月間、練習してきたようで、あまりしていません。1ヶ月あれば十分踊り込めると思っていたけれど。途中全く練習できなくなりました。スタジオに行ってもぼーっと立ちつくしたり、闘牛場の牛みたいにスタジオ内をぐるぐるぐるぐる歩き回ったり。

私のアレグリアスってなんなんだろう。私は本当にコンクール決勝進出者としてふさわしいのだろうか。そもそも私はなんで踊っているのだろう。私の踊りに価値があるのか。そんなことずっと考えていました。自分と自分自身の踊りにずっと疑問を持っていました。

ところで私はいつからアレグリアスを踊り始めたのだろう?

大学のサークルでフラメンコを始めたばかりの時に、先輩が踊っているアレグリアスを見て、早く早くたくさん学びたくって、そう思って毎週レッスンを見学していたら、見ているだけで振付をとってしまった・・・ああ!!!踊りたい、もっとフラメンコを学びたい!!!そう恋い焦がれていた時にこっそり踊ったのが、私とアレグリアスの出会いでした。

初めて舞台でアレグリアスを踊ったのは、それから2年後、当時師事していたAMIさん、そして森下祐子さん、長谷川典子さんの舞台「LAS ENAMORADAS DE SEVILLA(セビージャに恋する女性達)」。厳密に言うとアレグリアスを踊ったのはAMIさん、祐子さん、典子さん。私は彼女達の踊りと踊りの合間に、つなぎとしてちょっと踊っただけ。そして最後のブレリア。フラメンコ歴2年のド初心者の私がプロの踊り手の舞台に立つなんて・・・。あのアレグリアスは一生忘れられません。

その数年後私はセビージャに渡り、その約2年後一時帰国した時に都内のタブラオで踊る機会を得ました。「私、セビージャに留学してたんです!」という帰ってきたばかりの留学生独特の、あの高慢な雰囲気。留学してたからって、だからなんなの、と今は思うけれど、あの時はそれを特権のように思っていた私。これ、セビージャで◯◯に習った振付なんです!とばかりに鼻息荒くして踊ったアレグリアス。ライブが終わった後、ギタリストの方が私におっしゃいました。

「振付にしばられている。もっと自由にならなくてはだめだ。」

多分、“私の”アレグリアスは、あの時初めてスタートを切ったように思います。いろいろな先生に習ったたくさんの振付、技術。全部かなぐり捨ててカンテをひたすら聴く毎日。踊ることがどうでもよくなればなる程見えてきたアレグリアス。少しずつ少しずつ“私の”アレグリアスは形成されていったのでしょうか。

それからさらに数年後、スペインで何度も何度も踊るようになったアレグリアス。失敗もあれば喜びもあり。発見もあれば落ち込みもあり。たくさんのギタリストや歌い手達との共演。いろいろな人達との出会いの中で経験してきた、愛情、批判、嫉妬、罠、裏切り、感謝、敬意・・・。そしてバタ・デ・コーラとマントンとの出会い。今やっと、バタとマントンが自分の子供のように思えてきています。私は子供を持っていないけれど、持っているのなら多分同じような気持ちなのではないかな。自分といつも一緒にいて、彼らの自由を見守っていることもあるし、彼らを自分の一部のよう感じる時もある。その重みとその存在をいつも感じている。そしてそこに私は喜びを感じている。

長い年月をかけて私は“私の”アレグリアスを耕してきましたた。明日の決勝ではそれが出るか出ないかだけです。バタとマントンの振付も作ってみたけど、最終的に残るのは“私自身”なのでしょう。振付なんて壊れてしまえばいい。舞台の上で。そうでなければ “私自身” は現れないから。

コンクール決勝、ということは、もういいんじゃないかな。点数も順位も他人の評価も。重要なことはもう、私は私の中に持っている。たぶんね。

2011年8月19日 セビージャにて

Aug 6

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

お陰様で昨日の、ラス・カベッサス・デ・サン・フアンでのフェスティバルから無事セビージャに帰ってきました。いや〜、いろいろなことがありました。20日のコンクール決勝で踊る、マントン&バタのアレグリアスを踊ったのですが、なんとマントンが衣装にひっかかり大変なことに・・・それはマントンでカンテをレマタールして、マントンを舞台上に捨てる部分、私のアレグリアスの一番の見せ場なのですが、その一番肝心な所でマントンがひっかかり、舞台に捨てるはずのマントンが私の身体からぶら〜ん。あれ〜垂れ下がっているよ〜。しかもこんがらがって取れないよ〜。仕方がないのでうりゃ〜と引きちぎり、頭にきてマントンをてぃあ〜と投げ捨てたのです。

その後はしばらく怒り狂ったままの即興バタ踊り。よくもまあ、こんなに適当な振り付けが思いつくもんだよ、と自分で自分に呆れながら、でもなんとか収拾をつけて歌振りを終える事に。その後シレンシオに入ってからはまあなんとか持ち直し、いつも通り可もなく不可もなく踊り終えました。あ〜思い出したくもない。

カベッサスの村のお客さん達はなぜか大喜びでしたが・・・終わってから今度は、ショック〜。練習でもあんなひどいことになったことはなかったのに。ギタリストのミゲル・ペレスからは「あれさえなければすごい良かったのに」と傷口に塩を塗りこめられガーン。やっぱりマントンとバタで踊るってのは難しいよ、と大反省した夜でした。でもある意味、決勝前にこんな大失敗してよかったのかもしれないけど・・・。

そういえば、昔何かのビデオで、マティルデ・コラルがマントンで踊っていた時、マントンが頭につけている花にひっかかって、それを引きちぎったのを観た事がある・・・・あんなに優雅でグラシアとアルテたっぷりに踊るマティルデが、急に阿修羅に変わった瞬間だった・・・でもその瞬間が私にとってはオレ!だったのだけど。

でもそれはマティルデだからよいのであって、私のような凡人はやはり練習をしなければいけない。恐るべし、マントン&バタ。

そして音響もすごかった。時々ぼわ〜んぼわ〜んと響いたり。そりゃないでしょう、という音響・・・ミゲルと歌い手のエバに申し訳なかったな・・・あ!!!そうそう。音響といえば・・・数週間前の別のフェスティバルですごい事件が起こっていたことをエバから教えてもらいました。

前代未聞の音響事件はここから↓

それは私が足を運んだ、数週間前のレブリーハのフェスティバル。昨日私に歌ってくれたエバがそこでソロで歌ったのですが・・・・なぜか歌が盛り上がってくると、照明と音響がぶちっと切れてしまうのです。それが少なくとも5回。お客さんもブーイング。でもエバの味方になって、すぐに静かになり応援の拍手を送っていました。その後に歌ったマカニータやトマス・ペラーテ、そしてペペ・トレースの踊りの時はそんな問題はなかったのですが、なぜかエバの時だけ。レブリーハ出身のエバが自分の故郷のフェスティバルでソロで歌えるなんて、彼女の歌い手人生のせっかくの晴れ舞台だったのにあんな目にあってしまって、エバ、本当に本当に可哀想でした。フェスティバルの後に周りの人に聞いたら、経済危機のためいい音響機材が揃えられなくて、そのために起こったこと、とのことでした・・・・

それもひどい。でも、真相はここから始まります。なぜそんな問題が起こるのか音響の担当者達にも全く分からず、その日のフェスティバルの後機材をチェックしたそうです。その機材は別の音響会社から借りた機材だったらしいのですが、よくよく調べてみると、なんと怪しい装置が仕込まれていたそう。そこですぐに警察に通報。フェスティバル次の日には私服警官が大勢会場を巡回していたそう。その日も同じ。急に音響や照明がぶちっと切れる事件が何度も起こり、そして一人の男が、なぜかしょっちゅうズボンのポケットにもぞもぞと手を突っ込み、手を出し、またズボンに突っ込み・・と不審な行動を繰り返していたそう。それを目ざとく見つけた私服警官がその男を連行。「ポケットの中身はなんだ?」と聞いたそうです。男は「車のキー」と答えたそうですが、警官が素早くその「キー」をひったくり、スイッチを入れると・・・・なんと舞台の音響照明が一瞬にして消えたのだそうです!男は現行犯逮捕。その日のフェスティバルの最後にレブリーハ町長が事情を明かすと、町民から「テロリスト!!!」「恥知らず!!!」「カブ◯ン!!!」「イホ・デ・◯ータ!!!!」と怒号が飛んだそうです。そりゃそうだ。この、おたんこなすめ。お前の母ちゃんでべぞ。(ところで、迫力のある日本語の罵倒語というのはないのでしょうか?)

エバが話してくれた内容に、ミゲルと私はさらにのけぞりました。犯人の男は別の音響会社の人間だったそう。機材を貸したくなかったのか、貸したのだけど自分の希望の値段で貸せなかったためか、とにかく腹いせに、装置を仕込んだ機材をレブリーハのフェスティバルに貸したのだそうです。そして自分はその装置を遠隔操作するリモコンをポケットにしのばせ、フェスティバル会場にもぐりこみ、スイッチ一つで音響照明をぶちっと消していたのだそう。

なんと卑劣な。そんな男にフェスティバルを台無しにされてしまうなんて。ひどいひどい。それにしても前代未聞。ギタリスト50周年を迎えるミゲルも初耳!と驚いていました。

いや〜世の中何が起こるか分からない。私のマントンひっかり事件なんて鼻くそみたいなもんだよ。と、すっかり自分のことは忘れていました。が、忘れちゃいけない。コンクールまであと2週間。ここ最近ちょっとダレていたから、これで気合いが入りました。今日の午後には新しいバタ・デ・コーラが出来上がります。決勝用に意を決して大枚をはたくことにしたのです。こんな形でしかがんばれない私ですが、応援よろしくお願い致します。

2011年8月6日 セビージャにて

Aug 3

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

こちらセビージャは最近はそれ程暑くありません。本当に暑かったのは6月の終わり・・・あの時は道ばたで干涸びている虫を見るにつけ、明日は我が身・・・と思ったものでした。でも何だかんだで生き延びていますよ〜

今週の金曜日に、セビージャの郊外のラス・カベッサス・デ・サン・フアンという町のフェスティバルに出演します。

  • 2011.8.5 //  フェスティバル・デ・ラス・カベッサス・デ・サン・フアン. 22:00H.入場無料
Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • エバ・ルイス
    • ミゲル・ペレス

最近は8/20のコンクール決勝に向けて練習をしているのですが、ちょっとダレ気味。そんなに暑くないとはいえ、やっぱり夏に練習するというのは疲れるのかな・・・8月のセビージャはフラメンコのお教室がほぼ全部閉まってしまうので、留学生はセビージャを脱出してしまいます。みんな海に行ったり旅行に出かけたりバケーションを楽しむ中、ひたすらスタジオに向かう私。なんだか気が滅入るのはそのせいでしょうか?まあ、私も人間ですから浮き沈みがあるのも当然でしょう。金曜のフェスティバル出演で喝!を入れ直し、残り2週間でラストスパートをかけたいものです。

そして同日の日本時間20時から 、第8回少人数制クルシージョ(2011年9月16日〜10月16日。東京・中野にて)の「先行お申し込み」が開始します。(詳細に関しては当HP「クルシージョ」の所でご確認下さい。)「先行お申し込み」はこれまでにクルシージョを受講された生徒さん、お問い合わせ下さった皆さん対象のお申し込みになります。一般お申し込みは8月12(金)以降を予定していますが、「先行お申し込み」開始後すぐに定員に達してしまうクラスもありますので、受講をご希望される場合はお早めにこのHP「連絡先」までメールを下さい。クルシージョ時間割に関する添付ファイルを1点送らせて頂きますので、ファイルを受信できるメールアドレスからのご連絡をお願いしております。

ちなみに毎回必ず、「先行申し込み開始日を忘れて出遅れました〜!!!ショックー!!!」という方がいらっしゃいます。まあ、その方も人間ですからお忘れになることもあるでしょう。ただしそれはご本人の責任になりますのでお気をつけ下さいませ。。。

では皆様もどうぞご自愛下さいね!

2011年8月3日 セビージャにて(写真は本文と関係ありません。グアダルキビル川のほとりでカモと遊ぶ私。)