Nov 27

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

昨晩のラジャ・レアル公演は本当に充実していました。お越し頂いた皆様、誠にありがとうございました。ちょうど同じ日にペーニャ・トーレス・マカレナにてペペ・トーレスの公演があり、先週に比べてお客様は少なめでしたがフラメンコ好きな人達にお集り頂いた濃い空間となりました。

2011.11.25 //  サラ・ラジャ・レアル – セビージャ.
Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • エバ・ルイス
  • エル ・リソス

しかしながら、このラジャ・レアル、とってもフラメンコな空間なのに昨晩がフラメンコ公演最終日でした・・・残念!どうも公演企画側とラジャ・レアル側との間に問題があったようです。今後の公演予定も入っていただけに突然の終了宣言をされてしまってびっくりでしたが、その分昨晩の最終公演は盛り上がりましたよ。それにしても、昨晩が最終公演って、その前日に決まったらしいですよ。やはりそこがセビージャか・・・。(会場写真:萩原撮影)

.

.

.

.

.

.

.

.

.

歌い手のエバののどの調子が悪かったので、カンテソロなし、1部ギターソロ・踊り(ソレア)、2部踊り(ロメーラ)・フィン・デ・フィエスタとなりました。ソレア踊っている時に、「オォォォレェェェ」と、あの独特のカンテを愛する人の声が。これはいい。お客さんがフラメンコだ。空間がぐっと凝縮されていくのを感じました。先週に引き続き観に来て下さった私の生徒さんは「先週よりすごくいいです!先生のソレアやばいです!」と1部終わって興奮していました。(この場合の「やばい」という使い方についてのブログ発見→article_12.html)そうかなあ、自分としてはなんだかいまいちだったのだけど・・・まあ、気を取り直して2部へ。

2部はロメーラ。その生徒さんに振付けているロメーラをバタなしで踊ることに。今日のエバのロメーラはどんななのだろう。そのエバがロメーラを歌い出した時でした。お客さんの中から小さなどよめきが。やっぱり今日のお客さんはカンテが好きな人たちだ!ロメーラだと分かって聴いている。もりもりエネルギーが漲ってきました。すると、あれ、今日は随分短い。きっと喉の調子が悪いから伸ばして歌えないのだろう。生徒さんに勉強してもらおうと、わざとその振付を踊ろうとしましたが、結局即興になってしまったかな。そして2つ目の歌振り。カンティーニャス・デル・ピニー二。まさにそのカンテをレマタール!!!自分でもオレ〜!と思った同じ瞬間にお客さん達の「オレ〜!!!」 。会場全体の叫び声でした。そしてその中で、一際甲高い声で「オレ〜!」を叫んだのは私の生徒さんだったのです。

嬉しかった。「オレ〜」と言われたことではなく、その生徒さんが地元のカンテの好きなお客さん達に混じって同じ瞬間に「オレ〜」と叫んでいることが。数週間前から振付けを始め、その時生徒さんはカンティーニャス・デル・ピニーニを知りませんでした。その後私達はそのカンテを聴きに、ウトレーラの歌い手、マリ・ペーニャの公演に行ったのです。セビージャ郊外の村までバスに乗って。(郊外学習?)まさにそのウトレーラの歌い手のピニーニを生で聴いた生徒さんは大興奮でした。そしてそれからずっと聴いていると。舞踊テクニカもバタ・デ・コーラも振付も彼女は学ばなくてはいけないし、私も教えているけれど、本当に私が彼女に学んでほしいことはそっちの方だったのです。フラメンコそのもの。それがなくては技術も振付もバタも何ら意味がない。あ〜、教えていてよかった、心の底から感じた瞬間でした。

その後のフィン・デ・フィエスタも楽しかったです。次回の私の公演で共演してくれるギタリストのイダンと、先週のライブで共演した歌い手のエバ・ピニェーロ(彼女は「ジュンコの踊りを前から観てみたい」と言って本当に観に来てくれました。ありがとうエバ!)、生粋トゥリアーナの男の子二人が飛び入り参加したブレリア。トゥリアーナの男の子2人のパルマはすごかったな。あれは習ったものではない。いや〜いいパルマしているな〜と萩原、うきうき。みんなそれぞれ歌って踊って弾いて・・・etc 終わりました。(ライブ写真:生徒さん撮影。ありがとうございました!)

本当に素晴らしいライブでした。皆様誠にありがとうございました!

次回ライブは12/13(火)セビージャ「カハ・ネグラ」にて。お待ちしております。

2011.12.13 //  カハ・ネグラ- セビージャ. 22:00H. 入場料5ユーロ
Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • エバ・ルイス
  • イダン・バラス

2011年11月26日 セビージャにて

Nov 25

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先週のライブではたくさんのお客様に来て頂きました。誠にありがとうございました。病み上がりで踊ったので技術的にはいまいちだったと思うのですが、なんだかんだで楽しませて頂きました。たくさんの方から「楽しかった」「素晴らしかった!」と喜びのお声を頂き大変嬉しく思います。ありがとうございました!

さて、明日また同じ場所で踊ることになっています。

2011.11.25 //  サラ・ラジャ・レアル – セビージャ. 22:30H. 入場料8ユーロ
Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • エバ・ルイス
  • エル ・リソス

今回の共演アーティストは先週と同じギタリストのエル・リソス、歌い手はエバ・ルイスです。そして今回はいつものソレアと、なんとロメーラを踊ることになりました。初!!!ロメーラ!!!

実は今日二人との合わせがあったのですが、その前に、今振付をしている生徒さんのロメーラの伴奏も練習でお願いしていました。アレグリアスと違ってロメーラの場合は歌い手によって伸ばし方が違うので、カンテを知ってよく聴いていないと踊る事はできません。それをきちんと生徒さんにはお伝えして、ロメーラのCDなども渡し、講義もしたのですが、いざ合わせてみるとやっぱりカンテを聴かずに振付通り踊ってしまう生徒さん・・・やっぱり難しいみたいでした。う〜む。そうだよな〜難しいよな〜。どのようにカンテをレマタールしているのか、どこで待っているのか、それをクラスで教えて振付けても、やはりすんなりはいかない・・・。教えるって難しい。「カンテを聴きなさい」といえばそれで済んでしまう訳なんだけど・・・(写真:左からリソス、生徒さん、エバ、私)

で、その次に私との合わせ。本当はいつもの通りアレグリアスとソレアを踊る予定だったのですが、せっかくだからアレグリアスじゃなくてロメーラにしよっか、ということになったのです。実はエバもあまりロメーラを歌っていないのでこの際練習したいとのこと。(って、ライブは明日です。)リソスも、「アレグリアスはみんな踊るけどロメーラ踊る人はあまりいないからやってみようよ!」と。ふむ。それじゃあ、やるか。

そう、みんな勉強。なんでも勉強。

ロメーラについてあ〜でもない、こ〜でもないとエバと話していて、ちょっと見解が違ったり。で、結局どうなんだろうと思ったり。フラメンコってなんでも人によって言う事が違いますよね。ただ、自分が知らないというだけで「そんなのはない」と断言する人もいます。でも勉強する側からするとそれだけを鵜呑みしちゃだめだと思うのです。たくさんカンテを聴いていろんな人に聞いたり、失敗したり、恥かいたり、時には泣くこともあったり・・・そうして勉強していくのではないかな。このロメーラにしてもそう。生徒さんも私も、エバもリソスもみんな同じように学んでいくのだと思います。

私のロメーラがどうなるのか分からないけど、それはもちろん大失敗する可能性も含まれているのだけど、私は学びたい。振付の寸法通りに歌い手に合わせてもらうのはイヤだ。それでは勉強にならないし、歌い手の自由を奪っている。そして決められた通りに歌われた時(もしくは弾かれた時)の私の踊りはよろしくない。多分。

そして明日はボケロンに聞いていよう。ロメーラについて。ボケロンはいつも踊りを観に来て下さるベテランの歌い手。「亀の甲より年の功」だと思うのです。

あ〜。カンテ、カンテ、カンテ。

2011年11月24日 セビージャにて。

Nov 18
トロンボのクラス1週間②
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 11 18th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

前回に引き続き、トロンボのクラス1週間です。今週は月〜木の4日間だけ。トロンボは金曜にブラジルに行ってしまうのです。1ヶ月間。その後はクリスマスがありロス・レジェス・マゴスというスペインの1月の休日もあり、多分1月中旬くらいまでトロンボに会えないのではないかな・・・トロンボの空気をいっぱい吸い込みたい4日間です。

  • 11月14日(月)

パコ・デ・ルシアのロンデーニャを聴きながら身体をafinarさせる。フアナ・ラ・デル・ピパのカンテに合わせて先週使った2本の棒を使ってコンパスを刻む。今度はカホンと2つ縦に重ね、それを台にしてヌディージョでコンパスを刻む。(手をこぶしにして指の関節や爪を使ってコンパスを刻む)ビセンテ、カプージョ、フェルナンダ、カマロン、ルイス・デ・ラ・ピカ。どんどん聴く。彼らのカンテのコンパスを刻む。チャケータのブレリアも聴いた。アントニオ・エル・チャケータ。カディスの巨匠。昨日ちょうど自分の講義「カンティーニャス研究」で生徒さんとチャケータのロメーラを聴いたところだった。なにかつながっている。

今日のトロンボの言葉:「踊り手の価値は踊る場所で決まるのではない。金はどこでも金である。」

そして今日はクラスが途中で終わってしまった。なんとトロンボの友達のバレータ(歌い手です)が刺されたらしい。トロンボとヒターノの子達は、「俺たちのbarrioに戻るぞ!」とバイクでぶ〜んと帰って行きました。バレータ無事だとよいのですが・・・

  • 11月15日(火)

今日はアレグリアス特集だった。カディスの歌い手ばかり。ペルラを聴き、カマロンを聴き、アウレリオを聴き、チャノを聴き、フアン・ビジャールを聴く。そしてパルマをたたく。嬉しかった。なぜなら私の大好きな歌い手ばかりだから。そして私のクルシージョで行っている講義「アレグリアス研究」でも同じ歌い手達のカンテを生徒さん達と一緒に聴いていたから。(ちなみに私の講義ではランカピーノとペリコン・デ・カディスも聴いた。)トロンボが持っているアウレリオのカンテは特に素晴らしかった。「誰が歌っている?」とトロンボが聞いた。誰も答えない。私は答えた。「アウレリオ」。トロンボは言う。「彼女がアフィシオナーダだ。」

「アフィシオナード/ダ(“ド”だと男性、“ダ”は女性)」という言葉がある。平たく訳すと「愛好家」という意味。この場合はフラメンコを愛する人。でももっと言うと、カンテを愛する人、である。よく一緒に働いていた歌い手達が、他の歌い手のことを「あいつはアフィシオナードだ」とかいう言い方をよくしていた。つまり、ただ歌がうまい歌い手と、歌をフラメンコを愛して歌う歌い手と、プロの歌い手の中にも2通りいる。歌がうまくても歌をそこまで愛していない歌い手もいれば、前者に比べて歌はそんなに上手くなくても、歌に対して愛が溢れんばかりの歌い手もいるということだ。

踊り手やギタリストの場合も一緒である。

愛をどんどん深めたい。これから先、年をとって身体が動かなくなっても、耳さえあればフラメンコと一緒にいることができる。

今日のトロンボの言葉:「フラメンコには4つの言葉がある。①アンダルシアの言葉 ②ヒターノの言葉 ③町中の言葉 ④フラメンコの言葉」

・・・で、昨日刺されたバレータですが、その情報はガセだったようです。トロンボ達がバレータの家に行くと、刺されたはずのバレータが、なんと台所でトルティージャ・デ・パタータを作っていたそうです。

  • 11月16日(水)

なんと今日はクラスを休んでしまった・・・この大切な時に熱を出す私は大バカ。昨日、雨の中強引に自転車に乗っていたのが悪かったか・・・やはりバカ。無理してクラスに行く事もできたけど、明後日は踊りの仕事が入っているし、個人レッスンの生徒さんの振付けを今月中に仕上げなければならない。それは休むわけにはいかない・・・う〜・・・で結局、トロンボのクラスを休んでしまった・・・

というわけでyoutubeでも見てみる。こんな時くらいしか見る時間がない。数年前のトロンボのパルマクラスの映像を見つけました。↓

watch?v=t8_PmiL3A2U

何の変哲もないオーソドックスなパルマ。でも明らかに生徒のたたくパルマとトロンボのそれは雲泥の差がある。トロンボだけたたいているとそれは普通に聞こえるけど、比べてみると恐ろしい程の差だ。たたいている生徒も別に下手ではないのだろう、要するにトロンボが傑出しているのだろう。この映像では皆座っているけど、今のクラスではみなちゃんと立っていますよ。

ついでに2年前のトロンボのパルマと踊りの映像もあった。お腹が出ていてズボンが短いのがちょっと気になります。でもやっぱりトロンボ。彼がコンパスを持っているのではなく、彼自身そのものがコンパスなんだよね。↓

watch?v=ifGpN0LKrtA&feature=related

その後に踊ったと思われるボボテのブレリアもいいね。↓

watch?v=5cSYngaAmDk&feature=related

最後に、YouTubeにアップされている、今日のトロンボの言葉↓

watch?v=gdmtJsO5m6w

「“SILENCIO”(沈黙の意味。その言葉を指差して)そこが音楽が始まる所。それだけ、その短いメッセージだけ。」

  • 11月17日(木)

今日はとりあえず熱は下がったので調子はイマイチだったけどクラスに向かう。今日がトロンボがブラジルに行く前の最後のクラスだから。・・・しかしトロンボは来ていなかった・・・一足お先にブラジルに行ってしまったというわけか。これまでにも時々そういうことがあったので、やっぱりという気持ちと、でもせっかく来たのにぃ〜という気持ちと。

で、私のように来てしまった生徒達と自主練習をする。ハイメ、アンヘル、サラ、エイミ、私の5人。(ペテーテーとポレーテはもちろん来ていない。トロンボが来ない事を事前に知っていたのだろう。)レベルがてんでバラバラの5人。でもみんな輪になって教え合ったりして楽しい。そこにギタリスタのリソスが登場。明日私が出るライブで共演するギタリストだ。みんな大歓迎。トロンボはいなかったけど、楽しい2時間だった。来て良かった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日私は踊る。体調はいまひとつだけど、トロンボのお陰で気持ちはとってもフラメンコです。トロンボ、ありがとう。

2011年11月18日 セビージャにて

Nov 17

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

フラメンコ文化協会「サマルコ」が企画する“ラジャ・レアル”でのフラメンコ公演に、今週金曜日に出演します。

前回のライブではお客さんとしていらしたボケロンやアーティスト達もフィン・デ・フィエスタに参加!今回私はアレグリアスとソレアを踊ります。お待ちしております!

2011.11.18 //  サラ・ラジャ・レアル – セビージャ. 22:30H.

※入場料は通常8ユーロですが、セビージャのフラメンコ学校や、サンルイス通りにある「FLAMENCO Y MAS」というお店でチケットを事前に購入されると3ユーロになるそうです。

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • エバ・ピニェーロ
  • エル・リソス

 

Nov 8
トロンボのクラス1週間
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 11 8th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

私はちょっと風邪気味ですが、まあ元気です。数日前からトロンボのクラスにまた通い始めました。これで何度目だろう。そして通算何年習っているのでしょうか。スペインに来たばかりの時に2〜3年習い続けて、その数年後にも何回か。今回で5回目くらいかな?トータル4〜5年くらい???・・・光陰矢の如し。

しかしその割には、毎回クラスに出席する度に全くダメな自分を再確認します。根本的にダメだなと。それは分かっていてもでもそこに目を向けてしまうと何もできなくなってしまうので、今まで目をそらしていたのかもしれない。でもやっぱりそこから学び直さなくてはと、再びトロンボのクラスに戻ることを決意したのでした。

朝10時〜12時までのクラス。最初の1時間はコンパス、残りの1時間は踊り、ということに一応なってるみたいですが、毎日異なります。

  • 11月4日(金)

トロンボ自身が作ったビデオでコンパスの重要性やトナーの講義が行われました。2時間ぶっ続け。そして最後に、たまたまその日遊びに来た歌い手のカンテに合わせてテーブルをこぶしでたたきコンパスを刻む練習。小さなテーブルにトロンボと生徒のエネルギーが凝縮。うわ〜このコンパス。

・・・とここまでがクラス。その後生徒二人のヒターノの男の子達(ペテーテとポレーテ)がクラスのパソの練習をし始めました。ポレーテはトロンボに習ったパソがなかなかできなくて四苦八苦している様子。エスコビージャなのですが、トロンボが歌い出しました。エスコビージャがただの足の音の羅列にならないように、そこにセンティードや宿させるために歌うトロンボ。アレグリアス、ブレリア・・・・etc。

そのうち「トロンボ、見てみて!」とか言って始めたパタイータ合戦。あまりにもすごすぎて笑えてきました。なんてコンパスなんだろう。パソはそんなに難しくない。多分、日本の若手の踊り手の方がよっぽど難しいことをやっている。でもあのコンパス!あのコンパスはきっと誰も持っていない。そのうちトロンボも参戦。・・・この人の音を聞いたら、他の音は聞けなくなってしまうかもしれない・・・

今日のトロンボの言葉:「いくつかのオレンジだけを持て。そしてそのオレンジをきちんと搾れ。きちんと搾ればオレンジ3つで1杯のジュースができる。でもきちんと搾らなければいくつオレンジがあっても足りない。だからオレンジ1袋買って、しかもその大半を腐らせてしまうんだよ。」

  • 11月7日(月)

いかにコンパスが重要であるか、という短めの講義から始まり、この日はアルカンヘルのCDに合わせてパルマ。やはりトロンボのすごいコンパス。そしてペテーテとポレーテも。CDに録音されているサパテアードの音にパルマをどう合わせていくかというのも勉強。音の流れ、パソが訴えていることを聴き取りパルマで寄り添う。そして別のトナーのCDに合わせて歩く練習。これがまた難しい。でもすごいアルテ。

今日のトロンボの言葉:「周りがどんなに早く歩いていっても、私たちはゆっくり歩くんだ。カンテを感じるために。」

  • 11月8日(火)

パコ・デ・ルシアのロンデーニャに合わせて、重心移動をする練習。重心のある方の足の重要性。マヌエル・パリージャ、ディエゴ・デル・モラオのブレリアのファルセータに合わせてパルマをたたく。ヘレスのギターの2流派の違いを聴き取りパルマで表す。私のパルマはただのパルマだったけど、トロンボの目的はそこ。次はペペ・アビチュエラのギターに合わせてパルマ。うねるうねる。トロンボのパルマの波長に合わせる。今度はグアディアーナとシガラのカンテに合わせてパルマをたたく。どこでどうカンテをレマタールするのか、どうレマタールしたら命を吹き込めるのか。レマタールした後またコンパスに戻るのにあたり、どんな戻り方があるか。

トロンボと一緒にパルマをたたいていると、あたかも自分がそのコンパスを持っているように錯覚してしまう。そう、それは錯覚である。それを分かっていながら、彼のコンパスの波長に合わせることを幸せに思う。

ブレリアのパソをトロンボが教えてくれる。一度習ったことがあるパソだし、その一部を私は自分の踊りの中に使っている。でもやはりトロンボがやるのを聞いてハッと気付く。私にはある部分のセンティードが足りない。頭では分かっているけれどそれを音にすることができなかった。でもいつの日か近づく。最後にペテーテがハレオ・エクストレメーニョを歌い、トロンボがそのパソを合わせる。なんて二人だ。・・・パルマをたたいている私は何者か?

今日のトロンボの言葉:「テクニカはいくらでも難しくすることができる。でもアルテはシンプルなものの中にこそある。」

  • 11月9日(水)

CDに合わせて歩く練習。しかしそれがいつの間にかマルカールになっている。次々と繰り広げられるトロンボのマルカールはシンプルでフラメンコに溢れている。なんのために人はいろいろごちゃごちゃ動いてマルカールを振付にしてしまうのか。マルカールは振付ではない。コンパスを刻むということ。

なぜかスティングのCDを聞いてパルマをたたく。そのうちそれがボブ・マーリーになっている。「フラメンコではない」という意見もあるのかな。フラメンコの音楽で踊るからフラメンコなのかな。フラメンコっぽい動きをするからフラメンコなのかな。どうなのでしょう。トロンボ自体がフラメンコのかたまりなので、何をやろうがフラメンコになっているのです。

今日は昨日と違うブレリアのパソを教えてくれました。このパソも私は持っている。でも持っているだけではだめだからこのクラスにいる。昨日パルマをたたいたマヌエル・パリージャのファルセータに合わせてそのパソをやってみる。トロンボがやるとすごいかっこいい。ファルセータもパソもお互いが光輝いている。本当にその場にパリージャがいたらオレ!が出ているはずだ。すごいな〜トロンボ。でも私がやると・・・間違っているわけではないんだけどなんか違う。たった33秒のファルセータに生命を吹き込めるか。ぼけっとしていると33秒なんてすぐに過ぎてしまうよ。でもその33秒で全てを変えることもできる。フラメンコは一瞬だ。

ペテーテとポレーテがブレリアをそれぞれ歌う。この歌もまたすごい。今度は生のカンテに合わせてそのパソをやるトロンボ。というより、パソの前のジャマーダですでに私は射抜かれた。なんだ、あれ。そう、あれをジャマーダという。今まで私が聞いていたもしくは自分がやっていたジャマーダはただの足音だったということに気付く。ジュンコもやれ、と目で促されたけど、もぬけの殻にになっている私は反応できない。何回目かでやっとトロンボから「ole」が出た。

今日のトロンボの言葉:「踊りに合わせて歌ってくれる歌い手を雇うな。自分が歌を踊れ。」

  • 11月10日(木)

今日はトロンボが教えているヒターノの子供のお父さんがクラスにやって来た。

セビージャの中心から離れた所に「トレス・ミル・ビビエンダス」という地域がある。その地域にはスペイン人も住んでいるが、ヒターノ達も多く住んでいる。麻薬やアルコールなどの社会問題を抱えた地域でもある。(もちろんそこに住んでいる人全員が問題をかかえているわけではない。)トロンボはその地域のヒターノの子供達のために毎週何度かフラメンコや音楽を教えに行っている。トロンボが教えていることはただの踊りやリズムではない。子供達が将来、麻薬やアルコールに溺れないよう人間的な教育を目的としている。フラメンコを通して。

その生徒のうちの一人のお父さんがクラスにやってきた。息子さんはとても恥ずかしがり屋だそうだ。トロンボにその子が映っているクラス風景の写真を見せてもらったら、のび太くんみたいな眼鏡をかけたひょろっとした小さな子だった。周りの男の子達の陰に隠れてパルマをたたいている。え、この子がヒターノなの?と私はびっくりしてしまう。その子がなんと、初めて昨日の夜お父さんに踊りを披露したそうだ。「トロンボありがとう!昨日息子はクラスから興奮して帰ってきた。そしてその夜初めて私のために踊ったんだ!」

それを伝えにお父さんはわざわざトロンボのスタジオに出向いたのだ。私は感動しました。その子が踊ったのもそうだし、それを見たお父さんの気持ち、その前日トロンボがどんなクラスをしたのかを想像して。電話でもメールでもなく、わざわざ会いに来てトロンボを抱きしめるお父さん。素晴らしい。それこそがフラメンコだ。

そのお父さんもクラスに参加する。そのうちフラメンコ愛好家らしいおじいさんとその付き添いの男性がクラスを見学にきた。いつの間にか受講生の見学者も垣根がなくなっている。みんなトロンボの一員。老いも若きも男も女も人種も国境も関係ない。そこに線引きをしてしまうのはその人の頭。フラメンコは無限だ。トロンボはそれを知っている。

今日はおじいさんの言葉:「沈黙の音を聴けるようになった時、人は初めて自身の内面の声に耳を傾けることができる。」

  • 11月11日(金)

ソレア・ポル・ブレリア(CD)に合わせて、マリオ・マジャが教えていたというマルカールや歩き方、ブエルタを学ぶ。マリオの話しから舞台の使い方、照明との関係などの話しにも及ぶ。

スタジオの奥にある棒を一人2本ずつ持たせるトロンボ。普通はトマトなどがぶら下がってなるように畑に立てるものだ。フアナ・ラ・デル・ピパのカンテ(CD)に合わせてその2本の棒でコンパスを刻む。アクセントを入れたりコントラにしたり。意外と難しい。その2本の棒を使っていろいろなコンパスや動きを生み出すトロンボ。彼の創造性には感嘆する。

ブレリアのパソを教えてくれる。毎日違う。今日はコントラやシンコペーションを多用したリズムで難しい。それがいつの間にかパルマの講義になり・・・トロンボのクラスはいつもその時によって川の流れのように動いていく。変わっていく。その場その場で即興でクラスが行われているのだが、でもよく考えると全てがつながっている。どれ一つとして無駄なものがない。

今日のトロンボの言葉:「教えることを愛して教える人と、食べるために教える人がいる。」

「生徒は待つ事を知らなくてはならない。そして学ぶ事を知らなくてはならない。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

来週は木曜までしかクラスがない。金曜日にはブラジルに旅立つトロンボ。1ヶ月間、ブラジルのフラメンコの先生達に教えるそうだ。パソや振付けではない。その先生達が何を生徒に指導すべきか、トロンボはそれを教えに行く。

「先生」と呼ばれる人達には責任がある。何を指導するかで生徒達は変わる。振付とパソだけを教えてお金だけとっている先生に習った生徒は同じように、そのようにしかフラメンコを見る事ができないし踊れない。そうしてそこそこ踊れるようになった人はやはり同じように教え始め、その生徒もまた同じようにフラメンコを見る。

私も教えている以上、肝に銘じなければならない。

2011年11月10日 セビージャにて