みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。
今日はセビージャのロペ・デ・ベガ劇場でフラメンコ公演を観てきました。数日前に生徒さんから「ファルキートが踊るらしいですよ」と教えてもらい、全然知らなかったので公演前日にチケット購入。端の席でしたが5列目。何の公演かもよく分からないまま会場に着いてプログラムを見ると、公演名は「GALA ASOCIACION SEVILLANA DE ESCLEROSIS MULTIPLE」。説明を読むと、どうも中枢神経系の難病患者を支援するセビージャの協会が主催しているガラ公演らしい。出演者はアントニオ・サンティアゴ、マリア・ホセ・サンティアゴ、フアン・アンドレス・マジャ、ファレーテ、エスペランサ・フェルナンデス、アウロラ・バルガス、パンセキート、ファルキートというそうそうたるメンバー。
いやー、素晴らしい公演でした。20:30ちょっと過ぎに始まり終わったのが夜中12:00。途中休憩があったにしろ3時間半の公演。でも全然長く感じなかった。みんな素晴らしかったけど、特に私が好きだったのはファレーテとアウロラ・バルガス。ファレーテはフラメンコというよりもコプラ(スペイン歌謡)歌手。生で聴いたのは初めて。ピアノの伴奏も素晴らしかった。あんなに感情がほとばしる歌とピアノを聴くのは初めてでした。萩原、大興奮していると隣のおばちゃん(見ず知らずの人です)が「あのピアニストは土曜17:00からカナル・スル(テレビのチャンネル)にいっつも出てるよ」と教えてくれました。今度見ようっと。
そしてアウロラ・バルガス。あなたはアルティスタだ。この人はいつ見てもアルティスタだ。今日もおったまげた。なんであんなにすごい人が世の中にいるのかな。確か去年の今頃だったか、、、、彼女と彼女の旦那さんのパンセキートとトゥリアーナのピザ屋さんでばったり出くわした。一緒にいた私の友達がアウロラに「あなたを先日のフェスティバルで見ました。素晴らしかったです。」と声をかけるとアウロラは「ありがとう。あなた達はフラメンコを学んでいるの?」と聞いて下さった。私達が目をキラキラさせて「ハイ!」と答えるとアウロラはこうおっしゃったのだ。「あなた達が素晴らしいフラメンコを学べますように。」あー。なんて有り難い言葉をかけて下さったのだろう。感動。あの時のアウロラも今夜のアウロラも後光が差していた。
今夜の公演の踊り手は2人だけ。グラナダのフアン・アンドレス・マジャとセビージャのファルキート。非常に対照的で興味深かった。フアン・アンドレスは長い手足を生かした型が持ち味。身体のラインは非の打ち所がない。舞台の使い方をよーく熟知している。そしてそれ以上に熟知しているのは観客が喜ぶパソと振付。それらをこれでもかこれでもか、とアピールし観客の拍手をさらう。会場を湧かせるエンターテイナー。それに対してファルキートはあくまでもギターとカンテを聴く。聴く。聴く。お客さんにずっとお尻を向けていてもである。そして自分の内部の声を内部の音、それに耳をそばだてている。それが沸き起こるまでは決して無駄な動きはしない。その瞬間を探っている。その爆発の先が観客である時もあれば自分自身の時もあるし、ギターや歌の時もある。フアン・アンドレス・マジャとファルキート。どちらがフラメンコかというのは分からない。フラメンコは好みでは計れないから。私に分かるのは対照的だったということ。
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そして家に帰って公演タイトルの一部でもある「Esclerosis Múltiple」という難病の意味を調べる。日本語では「多発性硬化症」という意味らしい。
多発性硬化症・・・・wikipedia はこちら→ http://ja.wikipedia.org/wiki/多発性硬化症
欧米に比べるとアジアやアフリカでは患者が少ないらしい。そんな難病があったのは知らなかった。私が公演チケット代として払った25ユーロはこの難病と闘っている人達の役に立つのだろうか。役立ってほしい。・・・と思いながら、上記wikipediaの情報を読んでいると衝撃的な事実を知ってしまった。
林家こん平が多発性硬化症だった!!!
知らなかった。そういえばこの間の一時帰国の時に「笑点」を見ていて、あれ?こん平がいないな。と思ったのだ。あのオレンジのこん平。でもその時はあまり気にしていなかった。しかしこのwikipedia情報によると、こん平は2004年に笑点を一時降板し、2005年に「多発性硬化症」であることを公表している。全然、全然知らなかった。私は2002年からセビージャに住んでいる。とはいえ、もう何年もこん平の近況に関して無知だった。別にこん平ファンでもないし、笑点ファンでもない。だけど、芸能人がだれかと付き合っているとか別れたとかどうでもいいゴシップは知っているのに、なぜこん平のことを知らなかったのだろう。しかも、普段私は練習していて、なぜか笑点のテーマ曲(大喜利が始まる前の曲ね)を即興でサパテアードで打ってみたりする癖がある。あのセンティードをどうサパテアードで表現するか無我夢中になっている自分にふと気付く時もある。笑点ファンでもないのに、そこまで笑点にアプローチしていたのは(知らず知らずのうちに)、それはもしかしてこん平が私を呼んでいたのか?!さらには!!!今日ロペ・デ・ベガ劇場に着ていったワンピースの色は、なんとオレンジだった!!!!こん平のトレードカラー!!!偶然にしては一致し過ぎている・・・
さらに調べると、こん平は公式HPを持っている。その名も「チャラーン!林家こん平です!」→http://hayashiya-kompei.main.jp/kompei/goaisatsu.html
そして、本も売っている。→チャランポラン闘病記――多発性硬化症との泣き笑い2000日-林家-こん平
ご家族とお弟子さんが投稿するブログもある。→http://blog.hayashiya-kompei.main.jp
こん平はリハビリに励んで元気でいるようだ。上記ブログのこん平の写真を見たら、どうももう70歳を迎えたようである。信じられない。でもよく考えたら子供の頃テレビで見ていたこん平はあの当時で恐らく30〜40代だったとすると、なるほど70歳か。
「こん平」と呼び捨てにしているが許してほしい。当時私の周りで「こん平さん」とさん付けしていたのは大喜利のメンバーだけだった気がする。私の家族は皆「こん平」とか「楽太郎」とか「歌丸」とか全員呼び捨てにしていた。呼び捨てにすることで愛着を持っていたのではないか。
「こん平」には元気でいてほしい。「こん平」だけでなく、同じ難病と闘っている人達も。がんばってリハビリを続けてほしい。
2013年6月1日 セビージャにて。