Oct 19

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

昨日はペーニャ公演でした。・・・・って、ペーニャ公演があることをお知らせしていませんでした!!!事後報告になってしまい・・・すみません。ここ1〜2週間ほど猛烈な忙しさで、すっかり告知し忘れていました・・・・。

2013.10.18// 「ペーニャ・カリスト・サンチェス」ソロ公演 (セビージャ)

 Insutituto Martinez Montañes講堂, Calle Fernández de Ribera 17, Sevilla

21:30H. 入場無料

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • フアン・デ・マイレーナ
  •  エル・フィティ

なかなかいい公演でした。ペーニャ・カリスト・サンチェスはセビージャ市内にある高校の講堂を借りてフラメンコ公演を行っています。こじんまりとした小劇場という感じで雰囲気が素敵。ソレアとマントンのアレグリアスを踊りましたよ。フラメンコの前に同じ舞台で演劇があったので、舞台を見ずにぶっつけ本番でした。1曲目のソレアで大体舞台の大きさと天井の高さをなんとなく目ではかり、どうしようかな・・・マントンなしで踊ろうかな・・・ええーい、マントンで踊ってしまえ!!!と強行突破してしまいました。結果よければ全てよし。

それにしても、サパテアードの音がほとんど聞こえない。床は木の床なのですが、踊り用の床ではありません。ここのペーニャ会場は、フラメンコの舞台を想定したものではなく、高校の講堂です。普段は恐らく講演会などを行うような場所であろう所で踊っているので、元々音を鳴らすことは想定されていない。その割には小講堂なので客席は広く天井も高い。あー、これは最悪の状況です・・・またフットマイクもついていないので、こりゃー、お客さんに全然足音が聞こえないだろうなーと思いつつ、でもそれでも頑張ってフンガフンガーとサパテアード炸裂(自分では)させましたが、あの床じゃだめだろうな・・・終演後、得体の知れない疲労感に包まれてしまいました。。。

しかし、それにしてもフィティのギターは相変わらず素晴らしい。ギターそのものもいいし、踊り伴奏もいい。踊りに張り付いてきます。踊りとギターの丁々発止の度合い、バランスが絶妙。さすがのベテランです。たまに、ギターを弾くのは上手でも、自分本位なギタリストがいらっしゃいます。「どうだ、オレって上手いだろ」という〝オレオレギター〟。もしくは、可もなく不可もなくただ伴奏者としての自分の仕事をこなしているだけの、〝一応ギター〟。・・・・困ります。オレオレ様にギターを弾かれると、私としては「はいはい分かりましたよー、上手いですねー」と思うだけで、そこで踊る気が削がれてしまう。一応様に弾かれると何のインスピレーションも湧かない。本当に困ったものです。その点フィティはバランスがとれていてとてもいいギタリスト。共演できてよかった。ギターソロの時も素晴らしく、あーもうちょっと聴いていたい、というくらいでした。

歌い手は初共演のフアン・デ・マイレーナ。フィティ同様、日本でも有名なマリア・パヘス舞踊団で活躍中の歌い手です。若い、そして上手い。いやー、上手いなーと感心して聴きながら踊っていました。フィティのギターとフアンの歌と私の踊りと、3者が一瞬にしてぼ!っと燃え上がった瞬間がいくつかありました。いい瞬間でした。客席からのoleも聞こえてきて、やはりフラメンコを感じるお客さんの前で踊れることに感謝です。

そして今日は二人ともマリア・パヘスと共にパナマで公演だそうです。「朝5時起き」と言っていたので、もう今頃は飛行機の中のはず。忙しい中、私との仕事もしてくれてありがとう!そしてセビージャ市内とはいえ、中心地から少し遠いこのペーニャ。お越し下さった皆様ありがとうございました!

ペーニャの皆様にももちろん感謝です!セビージャで30年の歴史を持つペーニャ・カリスト・サンチェス。ここでは歴代のフラメンコアーティスト達が舞台に立ってきたそう。経済不況の中、なかなかペーニャ公演を開催し続けるのは大変なこと。つぶれてしまったペーニャだってたくさんあります。ペーニャ会長のベルナルドさんがおっしゃるには、本当は9月から今シーズンの公演を開始したかったそう。でも結局10月からということに。ベルナルドさんから最初に日程の打診があった時、別の予定が入りそうで出演できるか答えかねていたので、では私は11月出演でお願いします、と言いました。すると「ジュンコの踊りで今シーズンを開幕したい」と言われ、その熱意に押され、萩原、別の予定を断りました。開幕投手ならぬ開幕ダンサー。大変光栄です。

お陰様で充実した時間を過ごすことができました。そして自分のこれからの課題も見えてきました。やはりスタジオで練習しているだけでは分からない部分もあります。本番でないと。また来週からがんばります。

本当は今日から頑張りたいところですが、萩原、別の仕事をかかえているため、今日はその仕事に集中。ペーニャ公演が終わったので本腰を入れられます。その仕事とは雑誌「パセオ・フラメンコ」さんの連載記事執筆でーす。ちゃんと入稿できたら詳細をお知らせしますね。

さーて、あともう一息で文章完成!締切は明日!

2013年10月19日 夫はモロッコに撮影旅行。のんびりセビージャ自宅にて。

Oct 12
スペインでオーディションを受けるの巻。
La Yunko | ブログ | 10 12th, 2013| Comments Off

皆さんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

昨日、小島章司先生とハビエル・ラトーレの新しい舞台「FATUM」の舞踊団員募集のオーディションを受けてきました。オーディション会場はコルドバの劇場内の練習場。結果は予想通り、落ちました!ははは。

オーディションがあるというのを聞いて、履歴書を送ってみたら書類審査に通ってしまったのです・・・。後日送られて来たオーディション受験者の一覧を見るとなんと160名ほどの名前がずらっと。あ!この人!え〜!この人も受けるの〜!という著名フラメンコ舞踊家の名前もちらほら。日本人らしき名前は、というより珍しい外国人の名前は私くらいだったかな?こりゃ、落ちるわ、と最初から思ってはいたのですが、万が一ということもあるかもしれない。可能性0,0000000000000001%でもあれば、受けてみるべし。というわけで昨日はコルドバに行きました。

約160名の応募者を名字のアルファベット順に15名ずつグループ分けし、10:00〜14:00までが前半グループ、14:15に前半の結果発表、休憩を挟んで17:00〜20:00までが後半の部でその結果発表後、受かった踊り手が次の日(本日)の最終審査でまたオーディションされるというわけ。

私は前半グループの4番目、10:50〜11:30が〝準備運動〟時間、11:40〜12:20がオーディション時間でした。セビージャを朝8:30に出て10時過ぎにコルドバ駅着、タクシーで劇場まで着いたのが10:30前だったかな。ちょうどオーディションとオーディションの合間だったようで、ちらっと会場を覗いたら、小島章司先生とハビエル・ラトーレ、志風恭子さんがいらっしゃったのでご挨拶。着替えて〝準備運動〟会場まで行くと、すでに踊り手2人が会場前で着替えて待っていました。そのうちの踊り手一人が言うには、〝準備運動〟時間といってもストレッチをするのではなく、そこでオーディションの振付を学ぶとのこと。それを10分後のオーディションで踊るそうです。・・・・なるほど、それでこの二人の踊り手は恐らくかなり前の時間から〝準備運動〟会場の前で待機していたわけか。つまり、〝準備運動〟会場ではハビエル・ラトーレのお弟子さんが前のグループのオーディション受験者にその振付を教えている。扉は閉まっていて中は見えなくても、振付で使われる音楽(CD)は聞こえるし、その音楽に合わせてお弟子さんが「タカタカタカター」とかリズムを刻んで教えている声も聞こえてくる。それを事前に何度も聞いていて、自分たちの時間になって振付を習うのと、時間ギリギリに到着して初めて音楽を聞き振付を習うのでは大きく違う。〝準備運動〟時間とはいえ、もうそこから、いや、そのもっと前からオーディションは始まっているというわけだ。そんなことを思いながら、私も先の二人の踊り手と一緒に扉の奥の音に集中する。

しかし恐いのは、二人は表面的にはニコニコ会話をしている。扉の奥の音を聞いているくせに、いや私は聞いていませんよみたいな何食わぬ顔。すごい、この二人はオーディションのプロに違いない。萩原は会話に参加すると音が聞こえなくなってしまう。音に集中すると眉間にしわが寄り、会話に参加できなくなる。完全なオーディションど素人である。そうこうするうちに他の踊り手達も数名到着。〝準備運動〟時間になってやっと振付会場に入ったのですが、なんと私を入れて6名だけ。本当は15名いるはずなのに。でも時間なので振付開始。鏡の前に立ち、知ってはいたが改めて直面される現実。見た目。自分が東洋人であるということ。日本では派手顔で通る私でも、スペイン人の中に入ればのっぺり顔。そして身体が華奢すぎる。骨格も肉付きもまるで違う。身長も低い。スペインの舞踊団員の見た目要素は何一つ持っていない。そしてさらに恐ろしいことが始まる。お弟子さんが振付をちょっと踊った瞬間に皆振付を一発でとる。その瞬間にもう踊っている。全然戸惑わない、間違わない。お弟子さんは何度か繰り返してくれるが、それは教えてくれるのではなくて、すでに振付をとった受験者が確認できるようにするため。1回で振付をとれない人(私です)は自力でとるしかない。フラメンコのクラスのように、先生がゆっくりパソを繰り返してくれたりはしない。振付をとれなければそれでおしまい。舞踊団で踊る実力がない、ということ。多分30分かそこいらの時間で、終わってしまった。私からするとかなりの量。それほど難しくない振付だったけれど、短時間でそれを覚えて今すぐに踊るのは厳しい。でも舞踊団員に求められるのはそれ。練習して上手に踊れるのは当たり前。そうではなく舞踊団員は短期間で舞台公演に備えなくてはならない。必要なのは即戦力。そして当然、群舞で踊るための見た目。分かってはいたものの、改めて現実を突きつけられ気持ちの整理がつかないまま、そして振付もうろ覚えのままオーディション会場へ・・・

オーデション会場では小島章司先生、ハビエル・ラトーレ、舞台監督など数名が審査員となり、スタジオに一列に座っていらっしゃる。受験者は上半身に番号入りの大きなゼッケンをつけてまずは全員で踊る。(もちろん、その時点ではお弟子さんは一緒に踊ってくれない。)その後ラトーレから指示された番号の受験者が数名ずつ踊る。先の二人のオーデションプロの踊り手はやはり全部踊れる。踊りが上手いかというと特筆するものはないが、そこそこ上手に踊っている。他の二人はあまり上手ではない。でも振付は間違えずに通して踊れる。残りの二人、セビージャでフラメンコを教えているプロのフラメンコの踊り手と私は全然ダメ。振付をちゃんと覚えられなかったので踊れない。あーこんな私のために審査員達の時間を割かせてしまって申し訳ないと思い、オーデション終了後審査員席に向かって頭を垂れた萩原でした・・・

というわけで元々想定はしていたけれど、これで落ちることは確定。しかしながら「バカ・愚鈍・間抜け」のオンパレードの自分が情けなく悲しくなってきました。落ちることは分かっていてもその3拍子オンパレードを審査員の前にさらしてしまったのも恥ずかしい。落ち込む権利もないのですが一丁前に落ち込んでいると、先程のオーデションプロの踊り手一人とそのお友達と思われるグループが近づいてきました。気を取り直して彼らとお茶でもするか、と思い一緒にバルへ。聞いてみたら、彼らはマドリッドのコンセルバトリオ出身だそうです。

「コンセルバトリオ」・・・・。それは私にとっては未知の世界。それはスペイン舞踊を6年間総合的に学ぶ、専門教育機関。フラメンコ=(イコール)スペイン、スペイン=フラメンコ、と思われる方も多いかもしれませんが、フラメンコは数あるスペイン舞踊のうちの一つ。コンセルバトリオでは、ホタ、クラシコ・エスパニョール、クラシック・バレエ、などの科目のうちの一つとしてフラメンコ舞踊も学びます。卒業した段階で、スペイン舞踊のプロとしてオールマイティーに踊れる状態。日本でおなじみのスペイン国立バレエ団などの舞踊団員はこのコンセルバトリオ出身者がほとんどなわけです。もちろん他の舞踊団の舞踊団員として活躍する人も。今回のオーディションにも彼らが応募していたのでした。

一人の女の子が言っていました。「私達は小さい頃からずっとレッスンレッスンで準備しているの。普通の人が行く学校にだって行けない。コンセルバトリオのレッスンがあるから。通信教育で高校の単位をとりたいと思っても仕事の日と試験日が重なったら仕事を選ぶしかない。私に替わる踊り手なんてゴマンといるから試験を理由に仕事を断ったら、もう仕事は来なくなる。だからまだ高校も卒業できていない。でも、コンセルバトリオを卒業したからといって仕事が保証されている訳ではない。あとはオーディションを受けまくって舞踊団員の仕事を自分で掴むしかないのよ。」

・・・・なんという違い。中学・高校を普通に卒業して、大学のサークルでフラメンコを始めて、18歳で初めてセビジャーナスを習って、会社員として働きながらレッスンと自主練を続け、やっと貯めたお金でスペイン留学し10年経った私。そして彼らが学ぶスペイン舞踊全般を私は学んだことがない。私が学んでいるのはフラメンコだけ。ただそれだけでも、一生かかっても学びきれないというのに・・・。

どちらがよくてどちらが悪い、ということではない。元々全然違う道なのだ。コンセルバトリオで学び舞踊団員になる踊り手と、フラメンコを学びフラメンコ舞踊家として独り立ちする踊り手と。もちろん両方を兼ね備えた踊り手というのもごく稀だが、いないこともない。そういう踊り手は本当に傑出している。星の数ほどいる上手なプロの踊り手達の中のトップレベルだ。しかしほとんどの場合がどちらか。フラメンコしか学んでいない踊り手は舞踊団員として通用する要素に欠ける場合が多い。コンセルバトリオ出身の踊り手というのは、フラメンコの「振付」は踊れても、その踊りが「フラメンコ」かどうか、というと疑問を持つ場合が多い。今回少なくとも前半のオーデションを受けたフラメンコのプロの踊り手達が軒並みオーディションに落ちて、受かったのがコンセルバトリオ出身の踊り手だったというのが、その証拠だ。

もちろんさっき一緒にお茶していたコンセルバトリオの女の子達は全員受かっていた。数時間お茶してただけだけど、彼女達の小さな頃からの苦労を思い浮かべ、私はなんだか嬉しくなり「おめでとう!」と一人一人に言いました。でも、セビージャやカディスから集まったフラメンコのプロの舞踊家達は皆憮然とした顔。立場的にどちらかといえば私は後者の方の部類なので、彼女達の気持ちが分からないでもなく、萩原、複雑な心境・・・。

そう、もしオーディション内容が例えば、即興のカンテとギターででフラメンコを踊れ、とかいう内容だったら確実に結果は逆転していただろう。それぞれ学ぶ道が違うから。舞踊団が求める要素を兼ね備えた踊り手が選ばれるのだから。ちなみに今回オーディションで使われたCDの曲の続きはアレグリアス・デ・コルドバのカンテ(歌)のようだった。その出だしでCDの音源は切られていたけど、ああ、そっちを私は自由に踊りたかった、と心から思った。もし時間が許されるなら、その続きを踊らせてほしいと。多分そっちの方が私の本来の踊りだろうから。オーディションに落ちても審査員が見ていなくても、その続きを聞いて踊りたかった。未だに、カンテの歌い始まった所でぶちっと切られた音源が、その瞬間がまだ耳にこだましている・・・。

いろいろな事を考えた。私はスペイン舞踊という観点からしたら「バカ・愚鈍・間抜け」のオンパレードかもしれない。でもフラメンコの観点からしたら、どうなんだろう。もちろんフラメンコの観点からしても同じオンパレードになるかもしれない。東洋人というネックもある。それでも自分が選んだフラメンコという道を一心不乱に進んできて、これからも進んでいくだろう。そのオンパレードは一生続くかもしれないけれど、それでも進んでいくだろう。

スペインにいる限り壁は強固だ。昨今の経済危機、それがなくても東洋人であるというということ。でもあえてその環境の中で踏み留まるからこそ得るものがあるのだと思う。そしてその場の成果にはつながらなくても、その経験はきっと私の血となり肉となり踊りになる。そう信じている。

日本にいれば日本にいることでメリットもあるだろう。そのメリットを十分活かして成長するのも一つの生き方だと思うし、そのようなアーティストも日本にはいらっしゃると思う。でも私の場合、日本という土地で成長するためには、スペインで必要とされる精神力とは別の精神力を持たなくてはならない。その精神力を持たないと、私は井の中の蛙になってしまう。それは危険だ。大変危険だ・・・。

私は大海の一匹の魚でありたい。大空を飛ぶ一羽の鳥でありたい。それが今の私には必要なのだと思う。

2013年10月12日 戻って来たセビージャにて。

Oct 5
自主練習をするということ。
La Yunko | ブログ | 10 5th, 2013| Comments Off

_DSC8129 copia 2みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

あっと言う間に10月になってしまいました。こちらセビージャは少し秋らしくなったものの、日中はまだ暑いです。今月も受講しているマヌエル・ベタンソスのクラスでは、マヌエルが体調が悪いとのことでエアコンなし、しかもガロティンのクラスなので帽子をかぶってクラスを受けています。ウサギの毛の。あっついよ〜。

先月はマヌエルとソラジャ・クラビホのクラスを受講して大変勉強になりました。二人ともそれぞれ踊りの持ち味が違うので、私にとってはちょうど補い合っていたようでよかった。

あ、そのソラジャのクラスの模様の動画があります。萩原、青いファルダ(スカート)で一番手前で踊っています。習ったばかりの振付で結構間違っていますが(笑)。どうぞご覧下さい♪

ソラジャ・クラビホのクラス(ティエント)

ソラジャのクラスも引き続き受けたかったのですが、今月は今までの自分の踊りを改めて踊りこみたいと思い、クラスは引き続きマヌエルのガロティンクラスを受講、あとはひたすら自主練習しています。

それにしても自主練習というのは難しい。クラスを受けていると先生や他の生徒の存在もあって、盛り上がって踊って学ぶことができる。もしくはその気に浸れる。でも一人でスタジオで鏡に向かって黙々と練習するというのは厳しい。まず精神的に強くならないと。一人だと、どうしても、なんか疲れちゃった〜とか、今日は気分が乗らないとかいろいろ理由をつけてだらだらしてしまうこともある。誰もお尻をたたいてくれないので、そこを自分でフンガー!!!と張り切らなければならない。それができるようでできないんだなー。

よく周りの人から、萩原淳子はすごい自主練習をしている、と思われているようで、「どうやったらそんなに練習できるんですか?」とか「萩原さんの自主練習内容をクラスで教えて下さい!」とか言われるのですが、そんな大仰なものではないです。そもそも私にとって自主練習というのは仕事の一環なので、サラリーマンが会社に勤務するようなもの。といっても毎日8時間自主練習というのはキツいかな。

今週の練習スケジュールはこんな感じでした。

8:00        目覚まし時計が鳴る。

(が・・・起きれない)

8:30        やっとこさ起床。朝ご飯。メールチェック。

9:30        家を出る。

(徒歩で移動)

10:00〜11:00 マヌエル・ベタンソスのスタジオで自主練習。主にサパテアード。

11:00〜12:00 マヌエル・ベタンソスのガロティンクラス受講。

(徒歩で移動)

12:30〜14:00 アンヘル・アティエンサのスタジオで自主練習。ガロティンの復習とアレグリアス・コン・マントンの踊りこみ。

(徒歩移動、帰宅)

15:00〜      昼食準備、昼食

16:00〜16:15 シエスタ

17:00〜19:00 シルビア・デ・パスのスタジオで自主練習。ソレア・コン・バタの踊りこみ。

(帰宅)

19:30〜      洗濯物の取り込み、また洗濯、洗濯物干し、食器洗い、家中片付け、夕食準備

23:00       夕食

24:00〜      メールチェック、パソコン仕事

2:00       就寝

うーむ。本当はもっと練習したい。しかしよく考えると、この練習時間を100%有効活用しているのだろうか・・・と疑問に思う。その時間にスタジオにいても本当に集中している時間はいったい何分だ????

しかし、ただ自主練習といっても、やみくもに身体を動かし汗を流せばいいというものではない。そうすると練習した気にはなるのだけれど。

マヌエル・ベタンソスのクラスを受講し続けることにしたのには理由があります。まず、これまでマヌエルにほとんど習ったことがなかったから。そしてマヌエルがクラスで注意する視点というのが私の踊りには足りなかったから。昔何度かマヌエルのクラスを見学した時には正直、私には合わないな・・・と思っていた時期がありました。多分自分が持っているもの、求めているものを教えてくれる先生には共感しやすいけれど、逆の場合はピンと来ないことが多い。しかし、実はそれが自分の足りない部分だったりするわけです。

例えばソラジャが教える「フラメンコ」の部分はすっと自分の中に入りやすい。入ってすぐに私は自分の踊りにしてしまうことができる。振付の表面的な形をとるのではなく、その中にある本質のフラメンコの部分をぐわっと素手で掴み、それを自分の中に飲み込む。そしてそれを消化すればするほど自分の踊りになってゆく。誰かの真似ではない私の踊り。でもそれは私が今まで自分が求めてきた確固とした「フラメンコ」があるから。だから極端な話、踊りのレッスンを受講しなくても道を歩いているだけでも「フラメンコ」は学べる。重要なことは、その本質を嗅ぎ分ける嗅覚と、嗅ぎ分けた瞬間に掴む瞬発力。躊躇しない意思。

しかしマヌエルのクラスで教わっていることは、鏡に向かって訓練しないと身に付かない。というわけでガロティンはガロティンで勉強になるけれど、クラスで教わったことをこれまで踊ってきた自分の踊りの中でも使ってみる。すると・・・出てくる出てくる。これでもか・・・という「気付き」が。

うーむ。足りない所だらけ・・・・。

でも今自分が持っているいい所というのは持ち続ける。それはそれで伸ばしていかなくてはならない。そのバランスをうまくとれる自主練習、というのが今月の目標。

がんばるぞー。

(写真:アントニオ・ペレス)

2013年10月5日 そろそろ衣替えできるかな。 セビージャにて。