Mar 22
ラファエル・カンパージョのクラス
La Yunko | ブログ | 03 22nd, 2014| Comments Off

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

あっという間に3月が終わってしまいそうです。今月はラファエル・カンパージョのタンゴ(初級)クラスとアレグリアス(中級)クラスを受講しています。最近タンゴがすごく好きで、タンゴに定評のあるカンパージョに習いたかったのです。あと1週間で終わってしまうので残念ですが、この3週間でも本当によく学べたなー。クラス中、カンパージョにはよく見て頂き、たくさん注意もして頂きました。本当にありがたいです。毎回注意を受ける度に、「本当にその通りだな、ほんとに」と唸ってしまうほど。毎日それをすこしずつ直してゆくのですが、それでも今度はこっちを注意され、それを直したと思ったらあっちを注意され・・・自分にあきれて笑ってしまいますが、納得できる注意を受けられるというのは、学ぶ側として本当にありがたいこと。

決して難しいことではない。「当たり前」のことで、同じことを私自身生徒さん達に教えているから自分では分かっているはずなのですが、カンパージョの求めるレベルというのがものすごく高い。「当たり前」のことをそこまで突き詰めるのか、そうでないのか、そこに差があるように思えます。スペイン人の一流舞踊家だから。そうでなければ一流にはなれない。

初級でも中級でもクラスの始めに、プランタやタコンの練習をします。初心者でも知っているサパテアード(靴音)の組み合わせ。でもそれをどこまで突き詰めてやるのか。音量は?音質は?足の打ち方は?高さは?角度は?リズムは?コンパス感は?そして誰でも知っているマルカール(フラメンコのリズムを身体で刻む動き)。誰も突き詰めていない、クラスの生徒は。ただなんとなくやっている。もしくは意味を分からず一生懸命やっている。そんな調子なので、振付が始まると皆、目の色が変わるのだけれど、カンパージョの動き・音の微妙なそして絶妙なタイミングをキャッチできない。表面的にその動きや音はとることはできても、その〝妙味〟からはほど遠い。全く別ものになってしまう。うーむ。カンパージョの耳と同じ耳を持つ必要がある。まずはそこから始まる。

カンパージョははっきり言った。フラメンコ舞踊を踊るのに50%以上の確率で重要なのは「耳」だ。

必要なのはイルカのように超音波が聞こえる聴力ではない。フラメンコに感応する耳。耳を〝フラメンコ化〟してゆかなくてはならない。そうすることで初めて聴こえてくる音がある。聴こえて来る「間」がある。「聞く」のではなく。それがなければフラメンコは踊れない。〝フラメンコ風〟の舞踊は踊れても。カンパージョがクラスを通して教えているのはそういうことなのではないかと、私は私なりに解釈している。

難しい。環境も大切だ。美味しいものを食べることで舌が肥えるように、いいフラメンコを聴かなくては耳は肥えない。その環境をできるだけ自分で作ること。待っていても誰も作ってはくれない。

カンパージョはクラス中でこんな話しもしていた。タンゴのクラスで、皆が歌に対応できなかった時のこと。つまり習った振付通りには踊れても、歌が即興で長くなったり短くなったりした時に、オタオタと急に踊れなくなった生徒が続出した時のこと。

「俺の家族はフラメンコアーティスト一家ではない。妹(注:アデラ・カンパージョ)は踊り手だし、弟(注:フアン・カンパージョ)はギタリストだけど、小さい頃から自分の祖父や祖母がフラメンコを歌ったり踊ったりという家系ではなかったし、そんな環境はなかった。父が俺にしたことは、サパテアードの練習の時に身体が動かないよう、頭に重しを乗せたくらいだ。俺はアカデミア(フラメンコ教室)でフラメンコを学んだ。今の君たちと同じように。カンテを学ぶために何度もCDを聴いた。CDを聴いてどうやって踊るのかというのを何度も試した。俺ができたのだから、君たちができないわけがない。

・・・・・さて、どうするか。

今日はここでブログおしまい。

2014年3月22日 セビージャにて

Mar 7

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

2月28日、ヘレスで踊った後セビージャでも踊ったのですが、その時の写真をアップします♪(写真:アントニオ・ペレス)

プライベートフィエスタで、ホテルのでの夕食を楽しまれた後にフラメンコ鑑賞、という設定でしたので、明るく、ガロティンとバタ・デ・コーラ(裾の長いフラメンコ舞踊衣装)のアレグリアスを踊りました。

2014.2.28// ホテル・アル・アンダルース ( セビージャ)

23:00H. 
Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • モイ・デ・モロン
  • ハビエル・リベーラ
  •  ミゲル・ペレス

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次回セビージャ公演は6月6日(金)、サラ・ガルーファにて。何を踊ろうかな???

2014年3月7日 セビージャにて。

Mar 3

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  • 2月24日(月)Los Invitados ベレン・マジャ舞踊団 ビジャマルタ劇場

いやーすごかった。ベレンの舞台作品って、マイテ・マルティンとの「Flamenco de Cámara」以外は今まであまり好きではなかったのだけど。これはすごかった。正直言って、最初にプログラムを見た時のゲストアーティスト達の名前でうへっと思ってしまった。マヌエル・リニャン、カルメン・リナーレス、ホセ・バレンシア、トマス・デ・ペラーテ、ホセ・アニージョ。一般的にゲストアーティストって、一人か多くても二人でしょう。しかも難しいのはゲストアーティストの扱いによっては、そのゲストに主役が食われてしまうこともある。特上のゲストアーティストをずらっと並べちゃって、ベレン大丈夫かな・・・なんて心配したのですが、杞憂でした。

この公演で踊られたベレンの踊りはこれまでの舞台でも踊られていたものが多い。前述のエバの公演の時のように「ああ、観た」「それも前に踊ってたよね」とちょっと思ってしまった部分もあったけれど、それを完全に払拭する舞台作り。やっぱりパートナーかな。ベレンの人生のパートナー「ダビ・モンテーロ」。この人が舞台監督となっている。やはり舞台作品というのは、ただ踊り手がいいだけではダメなんだよね。舞台は総合芸術だからどのように見せるのか、その裏方ががっちり踊り手と組むことができれば素晴らしい舞台作品になる。でもそれが難しい。なぜならまず舞台監督というのは、フラメンコの舞台を創るのであれば、フラメンコを理解していなくてはならない。フラメンコを愛していなくてはならない。そして主役の踊り手の踊りも理解しなくてはならない。その踊り手が何をやりたいのか、それも理解して具現化してゆかなくてはならない。それを全部兼ね備えた人、それがその踊り手にとっての理想の舞台監督。

・・・自分にとってのそんな人がいるのか?特に日本で。だから難しい、日本でフラメンコの舞台を創るのは。話が日本になってしまったけど、その意味でダビ・モンテーロというパートナーを持つベレンは恵まれている。やっぱり舞台は総合芸術。

そしてこの公演の素晴らしいのは、その総合芸術としての舞台が素晴らしいだけでなく、ゲストアーティストによるフラメンコを存分に出し尽くしたところにある。このバランスというのが難しい。舞台作品としては面白いかもしれないけれど、フラメンコ性に欠けるよね、という舞台はよくある。アーティストはいいんだけど、舞台作品としてはイマイチだよね、というのもよくある。だからこのバランスは本当に難しい。でもこの「Los Invidtados」はやってのけてしまった。バランスをとるどころか、両方を最高の状態で兼ね備えてしまった。だから素晴らしい。

マヌエル・リニャンのバタ・デ・コーラとマントンのカラコレス。これ、こんな風に踊られちゃったらもう誰もバタとマントン使えないよね、ってくらい素晴らしかった。バタとマントンは女性の踊りでしょ、と伝統を重んじる方はおっしゃるのでしょうが、これだけ踊られたら脱帽です。バタで有名な主役のベレンでさえかすんでしまう程・・・でも二人での踊りは趣向が凝らされていて素敵だった。同じコンセプトの踊りをマヌエル・リニャンの替わりに別の女性舞踊家がベレンと組んで踊っていたのを観たことがあるけれど、全然違って見えた。やはりマヌエル・リニャンだからこそ、ベレンと二人で輝き合うのだろうなあ。

ホセ・バレンシア。またまたこの歌い手。この日はシギリージャ。「Ole」が涙声になってしまった萩原でした。それ以外に言葉なし。

そしてゲスト・アーティスト扱いではないけど、ゲストに引けをとらない、もしくは最高に輝いていたのがラファエル・ロドリゲス。この人のギターは一音がすでにフラメンコなのだ。1曲弾く必要がない。1音だけでよい。極上のフラメンコの音。

最後に登場したスペシャル・ゲストアーティストはカルメン・リナーレス。ベレンのお母さんである亡き、カルメン・モーラの映像から(そこにはカルメン・モーラに歌う若き日のカルメン・リナーレスも映っている)、本物の、現代の、舞台上のカルメン・リナーレスへ。タラントとタンゴ。それは母の十八番でもあり、娘の十八番でもある。私が最近観たベレンの舞台が、亡き父マリオ・マジャに捧げた舞台だった。今日の舞台は母カルメン・モーラへの舞台でもあったのかなあ。

  • 舞台上のベレン・マジャとカルメン・リナーレスの映像は こちら
  • ちなみに、舞台公演中で使われたカルメン・モーラの有名なタラントの映像は こちら① こちら ②

何度観たことか・・・この素晴らしいカルメン・モーラのタラントとタンゴ。ベレンはきっと、もっともっともっと観たんだろうな。お母さんのタラントとタンゴ。フラメンコ史上その名をとどろかすカルメン・モーラのタラントとタンゴ。そんなことを思いながら、舞台上で踊るベレンのタラントタンゴを観て感動した萩原でした。

これだけのアーティストを全員日本に連れてゆくのは金銭面で難しいと思う・・・・だから日本公演というのは難しいんじゃないかな・・・。でも今年のセビージャのビエナル(セビージャで2年に1度開催される世界的に有名なフラメンコ・フェスティバル。期間中は毎日セビージャ内の劇場等でたくさんのフラメンコ公演が上演される。今年は2014年9月12日から10月5日まで。ビエナルHPは こちら)で再演されるような気がする。これだけの素晴らしい舞台がヘレス・フェスティバルで終わるわけがない。もし、このブログをお読みになった方で、セビージャのビエナルにいらっしゃる方はこのベレンの「Los Invitados」という公演は要チェックです。萩原、もう一度観たいです。ここまで舞台作品としても、フラメンコとしても完璧に近い舞台作品はそんなにお目にかかれないから。

おめでとう、ベレン!!!!

写真:Miguel Angel Gonzáles

2014年3月2日 セビージャにて。

Mar 3

写真:アントニオ・ペレス

2014.2.28// サラ・コンパニア( ヘレス) 13:30H.  ハビエル・ラトーレ クルシージョ受講生による公演

構成・振付・監督:ハビエル・ラトーレ

Baile Cante Guitarra
  • ハビエル・ラトーレクルシージョ受講生
  •  ビセンテ・ヘロ
  •  マヌエル

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Mar 2

10latorreみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

はー、やっと怒濤の日々が過ぎ、セビージャに戻りました。今日は一日中洗濯に明け暮れ、今やっと最後の洗濯が終わるのを待っている所です。過ぎてしまえばなんてことないですが、大変だったな、ここ数日。

  • 2月16日 東京にて生徒さんのスタジオコンサート(大成功のうち終了!)
  • 18日 成田を発つ
  • 19日 セビージャ着
  • 22日 ヘレス入り(ヘレス・フェスティバル第1週目)
  • 22〜27日 ハビエル・ラトーレのクルシージョ受講
  • 25日 セビージャに一旦戻り、28日セビージャ公演の合わせ→またヘレスに戻る
  • 28日 11:00 ハビエル・ラトーレクラス受講生によるヘレス舞台公演、最終リハーサル
  • 同日  13:30 同上公演本番
  • 同日  14:30 公演終了
  • 同日  16:15 ヘレスからセビージャへ移動
  • 同日  17:30 セビージャ着→仮眠
  • 同日  20:15 セビージャ公演会場ホテル・アル・アンダルース着
  • 同日  21:00 合わせ
  • 同日  23:00 本番
  • 3月1日  01:00 自宅着

いやーよくがんばりました。今年もヘレス・フェスティバルで開講されるハビエル・ラトーレのクラスを受講しました。他にもたくさんのアーティストがフェスティバル期間中にクラスを開講していますが、私は可能な限りハビエル・ラトーレのクラスを受講するようにしています。今年で3回目。何が他のクラスと違うかというと、期間中6日間のクラスで学んだ振付を最終日に劇場公演として発表すること。たった6日間で学んだ振付・・・そしてそれだけではない、群舞としてのフォーメションなども同時に学んでゆきます。だって、ヘレス・フェスティバルの公式プログラム内の劇場公演として発表するんだもの。そんな無謀なことができるのか?と普通の人は思う。私も思う。でもやってしまう。それを指揮してしまう、それがハビエル・ラトーレの恐ろしい程の素晴らしさ。ハビエル・ラトーレだからこそできる。みんなついていってしまう。ハビエル・ラトーレでなければこれはきっとできない。

Captura de pantalla 2014-03-02 a la(s) 10.16.59その公演の動画は こちら。Taller con Javier Latorre , Festival de Jerez 2014

私にとって重要なのは舞台で踊るということよりも、その短期間でいろいろなレベルのクラス受講生達をどのように群舞としてまとめてゆくか、どのように舞台公演としてみせてゆくのか、そのラトーレの手腕を学ぶこと。これまでに2回、同様のクラスを受講してきたけれど、とにかく振付とフォーメーションを覚えるのに精一杯で、そこまでは学べなかった。。。。しかし!今年は分かってきたぞ。ラトーレの手腕が。ほんのささいな動きで、一瞬にしてその受講生のレベルを見分ける眼力。狭い舞台の中で、25人の受講生を群舞としてどのように動かすか、そのためには適材適所というのが必要になってくる。そしてラトーレの構想の中には群舞としての流れ、音の流れは一環としてある。それをできるだけ忠実に今そこにいる受講生で組み立ててゆく。無駄な動きがない。シンプルでありながら、全体的な構想としてまとまっている。説得力がある。美がある。しかし、それを絶対として固執することはしない。時として、受講生を動かしてみてベストな方法を選ぶ柔軟性もある。でもかといって受講生をむやみやたらに動かし、惑わすことはしない。気分や思いつきじゃないのだ、しっかりとした経験に基づく感性と知性によって人を動かす。

これはすごいよ。一人の人間がそれを行うってのは、相当頭がよくなくてはならない。物事を、踊りを、舞台を、音楽さえもマクロで観る目。そして一人一人を実は気遣ってもいるミクロの心。それを兼ね備えているのがハビエル・ラトーレ。だからこそ皆彼についてゆく。だからこそ素晴らしい舞台作品になる。

そして、私も将来そうなりたい。時間をかけて踊り手として、人として学び、経験を積んでゆけば、きっとできるはずだ。

このクラスは一応、「プロフェッショナルクラス」ということになっているけどレベルは様々。プロフェッショナルの定義は各自それぞれ異なるということなのかな。以前は確か、プロフェッショナルクラスに申し込む人は自分の踊りの映像をフェスティバル側に提出して、それで事前選考されていたように思うけど、今はそういうのはないみたい。そんな背景もあってかレベルは様々。もちろん私達は学んでいるからこそクラスを受講するのだし、「プロフェッショナル」の定義はそれぞれ異なるし、私がプロフェッショナルであなたは違うでしょ、と言うつもりはない。でも、明らかにどう見ても初中級のレベルの人がクラスにいるというのは先生に対して失礼なのではないかな。どうなんだろう、こういう考え方は。

・・・なんてことも少し思ったけれど、クラスには代教のプロの踊り手が3人いた。ハビエル・ラトーレの娘であるアナ・ラトーレ、コルドバのアナ、ムルシア出身のシンティア・カーノ。ちょうど、前者から身長が高い→中くらい→低いとなっている。背の低い私は、同じくらいの身長のシンティア・カーノの隣で踊ることが多かった。この若い、恐らく20代前半くらいの踊り手、舌を巻く程上手い。まず、早い。ラトーレが振付ている瞬間にもうパソ(足の動き)や振付をとっている。次の瞬間にはすぐ踊りだし、その次の瞬間には自分なりの味付けで自分の踊りにしていく。そして踊りと踊りのつなぎ。うまい。隣で、うーんとうなりながら振付をとっている私だったけど、とりながら、何度もシンティアの動きを研究した。私が持ってない動き、やらない動きというのが随所に出て来る。そうか、そういう音の感じ方もあるのか、そういう表現方法もあるのか、と非常に勉強になった。自分の動きにその場で取り入れた部分もあり、いつか使おうとポケットにしのばせたものもある。いずれにせよ、とことん学ばせて頂いた。それにしても、シンティア級の踊り手なんて、スペインにはゴマンといるんだよね。日本にいるとなかなかそういうことに気付かない。やっぱり受講してよかった。そしてシンティアと同じくらいの身長でよかった(笑)。

でも今回大変だったのは、同日にセビージャで自分の公演があったこと。公演時間が重なっていなかったため両方とも出演することになったのだけど、一緒に準備するのはかなり大変だった。セビージャ公演で踊ったのはガロティンとバタ・デ・コーラのアレグリアス。もちろん日本でも準備をしてはいたけれど、日本にいる時の私の生活の大半はクラスで教えているので、なかなか自分の練習時間を割く事ができない。時間があっても頭の切り替えが上手くないので(笑)自分の練習時間にクラスのことを思い浮かべて「ああ教えればよかったかな〜」とかいろいろ物思いにふけってしまい、自分の練習に集中できない。これは自分のせいですが。そんな感じで、一応準備はしていたけど、最終調整はヘレスで。

一度に3曲準備するというのは結構しんどい。2曲はまだ分かるけど。しかも3曲のうち1曲がその週から学び始めた新規の曲で群舞構成やフォーメーションも1週間後の舞台作品に仕上げていくわけだから、これは大変だった。ヘレスにいる間はほとんど練習に明け暮れた。ストレスでヘルペスが出て、顔にも吹き出物が・・・がーん。体調は崩さなかったし体力はあったけど、やはり身体はどこかでシグナルを出すものなのだと思う。でないと人間壊れちゃうよね。

とはいってもやらなきゃならない時もある。別にやる義務があってやらなきゃいけないわけではなく、自分でやると決めたことだからやる。自分で決めたからには、「できない」とか文句や弱音は吐かない。他人にも当たらない。とにかくやる。それが今回はこの時だったわけで、とにかくやりきりました。これができれば、後は大体なんでもできそうかな。また一つ山を乗り越えた、そんな気がします。

最後になりましたが、この公演に関してのブログが以下アップされていましたのでご紹介させて頂きます!

では、また次回、アントニオ・ペレスによる写真等もアップしたいと思います!

2014年3月2日 セビージャにて。