Nov 24

12188727_10206200343540884_1576484019_nみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

今週の水曜にセビージャのタブラオ「フラメンケリーア」にて、金曜にドス・エルマーナスというセビージャ郊外にある町にある「ペーニャ・フアン・タレガ」で踊ります。

¨NOCHE FALAMENCA  ORILLAS DE TRIANA¨

【日時】2015年11月25日(水)21:00開演

【場所】FLAMENQUERIA(フラメンケリーア)Calle Castilla 94, Sevilla

【ギター】エウへニオ・イグレシアス

【カンテ】モイ・デ・モロン

【バイレ】萩原淳子

【入場料】9ユーロ

スクリーンショット 2015-11-22 23.37.21【日時】2015年11月27日(金)22:00開演

【場所】PEÑA FLAMENCA ¨JUAN TALEGA¨, Dos Hermanas(ペーニャ・フラメンカ・フアン・タレガ/ドス・エルマーナス)

【ギター】エウへニオ・イグレシアス

【カンテ】ぺぺ・デ・プーラ、モイ・デ・モロン

【バイレ】萩原淳子

【入場料】要問い合わせ

久しぶりのタラントと、アレグリアス・コン・マントンを踊ります!

では!

2015年11月23日 ようやく寒くなってきたセビージャにて。

Nov 22
ラファエル・リケーニ
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 11 22nd, 2015| Comments Off


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みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

昨晩セビージャのマエストランサ劇場でのラファエル・リケーニのコンサートに行ってきました。何から書いていいのか・・・コンサート中私は涙が止まらなかった。家に帰ってもずっと泣いていて昨日は泣きながら寝ました。今思い出してもまた涙が出て来そうです。

ラファエル・リケーニ。1962年セビージャ生まれ。フラメンコギターの歴史に名を残す、偉大なギタリスト。私が彼の名を初めて耳にしたのは、まだフラメンコを始めて2年半くらいの時、何も知らないど初心者の頃でした。そのど初心者にも関わらず、当時師事していたAMIさんが(正確には、当時AMIさんはセビージャに住んでいらして一時帰国の際のクルシージョに私は通っていた)、AMIさんと森下祐子さん、長谷川典子さん(現 初瀬河典子さん)の舞台に抜擢して下さったのです。東京での老舗タブラオ「カサ・デ・エスペランサ」さん25周年記念の舞台公演「LAS ENAMORADAS DE SEVILLA」でした。本当に何も知らず、踊りの振付を覚えて練習するのに必死。しかも出演者の皆さんの会話の意味が全然分からない。ちんぷんかんぷん。そのくらいフラメンコに関して何も知らなかった。でも、今ここで会話されていることはとても重要なことに違いない、当時の私はそう思って、どんな時でも、たとえそれが皆さんにとりとめのない雑談なのかもしれなくても、周りの会話や気配にアンテナを張り巡らせていました。

その時だった。ラファエル・リケーニの名を初めて耳にしたのは。

練習の合間の休憩時間にAMIさんが歌い手の瀧本さんにおっしゃいました。確かこんな言葉だったと記憶しています。

「たきやん、あのね、この間マリア・ルイサ公園を散歩していたら、本を読んでいるラファエル・リケーニを見かけたのよ。もう、私、嬉しくって、本を読むまで回復したのかなって」

その瞬間、「ラファエル・リケーニ」という人物の名が私の頭にインプットされたのを今でも覚えています。絶対この人の名前は忘れちゃいけないって。そして同時に「本を読むまで回復」・・・・という言葉を自分の頭の中で整理し始めたその瞬間、瀧本さんがおっしゃった言葉。

「その本、逆さまやったかもしれんでー」

AMIさんは「もうやだー、たきやんー、こんないい話なのになんでそういうこと言うの?」と笑いながらおっしゃっていましたが、その間私の脳みそはフル回転していました。“ラファエル・リケーニ”、“本を読むまで回復”、“その本、逆さま”???一体どういう人でどういう状況なんだ?そしてその時に、こんな声が聞こえました。(誰がおっしゃったのか覚えていない)

「もう弾くのは難しいかなあ」

・・・ここまでです。私が記憶している会話の内容は。もしかすると多少違っているかもしれません。もう20年近く前の話ですから・・・。

そう、ラファエル・リケーニが健康上の理由で舞台から遠ざかって昨年のセビージャでのビエナルで復活する(「Y Sevilla..」という公演内の演奏でリケーニはヒラルディージョ賞を受賞。)まで20年近くの歳月が経っているという。・・・なんという長い歳月なのだろう。

あの時何も知らずに彼の名をインプットした私はそれから4年間必死に働き、お金を貯めてセビージャに渡る。いろいろなことがあった。辛い事、悲しい事、それを誰にも言えなかったこと。長く留学すればするほど、短期の滞在では分からない苦しみというものが生まれる。(もちろん喜びもあるけど。)先の見えない、本当に長い間・・・そんなことを思い出しながら、昨晩リケーニのギターを聴いていました。

リケーニの音はセビージャそのものだった。どんな音がセビージャなのか?と言われても上手く言えない。セビージャの光、香り、空気それがリケーニのギターに溶け込んでいた。いや、それらがリケーニのギターを創り出していた。セビージャのありとあらゆる神々しいものが、リケーニのギターに降り注いでいるようだった。彼の音楽を全身で浴びながら、ずっと苦しくて苦しくてどうしようもなかった感情が、リケーニの音で全てが浄化されていくように私は感じました。そして同時に思った。リケーニは、凡人には絶対分かりっこない、天才ゆえの苦しみの中で20年間葛藤してきたのかもしれない。私ごとき人間がそう思うのはおこがましい。そんなことは分かっている。でも今、ここに私達の前にいる、ギターを弾いている。そう思ったら涙がとめどなく流れた。そして感謝した。ラファエル・リケーニというギタリスタがこの世に存在すること。こんな私でもそのギタリスタと同時代に生かせて頂いていること、そして今、自分がまだセビージャにいること。昨晩マエストランサ劇場にいられたこと。

あの時、AMIさんの会話で「ラファエル・リケーニ」の名を耳にした時から、ずっとそれはつながっていたのかもしれない。

昨晩の公演の名が「PARQUE DE MARIA LUISA」(マリア・ルイサ公園)だったのは偶然ではない、そう私は思っている。

本当に、ありがとう。ラファエル・リケーニ。

2015年11月22日 セビージャにて。

Nov 19
アルバロ
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 11 19th, 2015| Comments Off

arbaroみなさんこんにちは。お元気でお過ごしでしょうか。

フラメンコ関係者の皆様は既にご存知かと思いますが、一昨日にアルバロ(アギラール・デ・ヘレス)がお亡くなりになりました。長年日本に在住されたスペイン人カンタオール(歌い手)で、日本のフラメンコ界に多大な影響を与えて下さった方です。

その訃報を知ってからここ数日、アルバロのことを思い出していました。
残念ながら私は一度も共演させて頂いたこともないですし、個人的な面識も特になかったのですが、一度だけ、フィエスタで彼のソレアを聴きました。

何年か前のAMIさんの公演の打ち上げの時。
こんなソレアを歌う人が日本にいたんだという驚き。
ソレアを歌うってこういうことなんだという驚き。
あの時の誰もが息をするのも忘れてアルバロのソレアを聴き入っていたように思います。
その時の、ダビ・ラゴスのアルバロを見つめる、尊敬の念に満ち満ちた眼差し。それも忘れられない。

彼のフラメンコはきっとこうやって引き継がれていく。
一生に一度でいい、誰かの心に残るフラメンコを生きてきた証として刻むことができれば。そして引き継がれた人間は、そのアルテを大切に大切に守り、次にバトンタッチしてゆく。それが引き継がれた人間の使命。

アルバロのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2015年11月19日 セビージャにて。

Nov 13

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12191311_10153729957106228_7183082822996508990_o
_DSC1951みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

こちらセビージャはなんだかまだ暑いです。11月の中旬だというのに太陽ギラギラ、家の中では蚊がぶんぶん。今も一匹殺したところ。文章にするとちょっと怖いですが。

さて、遅くなりましたが先週の「フラメンケリーア」でのタブラオライブはお陰様で無事終了しました。たくさんのお客様にお越し頂き感謝しています。また、ちょうどスペイン旅行中だった私のおじとおばがショーを観に来てくれました。共演のゴリ・マソ、アルバロ・ラミレス、アンヘル・ファリーニャ、皆様誠にありがとうございました!

ライブの前日おじに言われた言葉がとても印象的です。

「淳子ちゃん、あなたね、人種とか民族とか関係ないの。あなたね、人間として踊りなさいよ。分かってるでしょう、だからアントニオはあなたと一緒にいるの。」

この言葉は、セビージャと日本とどちらが住みやすいかと聞かれて、「セビージャの生活の方が好きだけれど、東洋人に対する差別があるから・・・日本にいればそういう差別を受けることはないし・・・」と答えた時におじの口から出たのでした。そうなんです。おじが言う通り分かっています。でもそれを他人から言葉できちんと言われたことは初めてだったように思えます。同じ日本人でも、「セビージャで踊るっていっても日本人として踊ってるからその分楽なんじゃないの?」とか平気で言ってくる人もいます。つまり、日本人ということである程度大目に見てもらえる、もしくは踊りそのものよりも、「日本人が」踊っているということで評価されるんでしょ、ということ。もっと言うとそれを逆手にとって「日本人公演」という看板にしてしまうこともできなくはないのだから。

・・・そんなこと一度も思ったことはありませんが。あ、あるか。震災の後セビージャでのチャリティー公演の際、自分が「日本人」として踊っているという強い強い意識がありました。それぐらいでしょうか。毎回踊る時に「私、日本人なんです」とか思いません。歌とギターを聴いているだけですから、そこに「何ジン」という観点はないのではないでしょうか。そうすると何が自分に残っているかというと、自分という一人の「人間」なのだと思います。その意味でおじの言っていたことはとても正しいのだと思う。

だから「日本人なのに上手い」とか「踊りが日本人っぽくない」とか「顔は日本人だけど踊りはスペイン人」(笑)とか、それはある種の人にとっては褒め言葉なのかもしれませんが、私には違和感でしかありません。もちろん褒められているのであれば、そのお気持ちに対して感謝の気持ちは伝えますが、やっぱりどこかしっくり来ないんだよなあ・・・というのを長年ずっと思っていたのです。どうして誰もそこに気付いてくれないんだろう、と。

その意味でおじの言葉はすとーんと心に落ちました。私にとってとても大切な言葉です。

でも自分が日本人であるということを忘れているわけではありません。なぜならここに住んでいる以上、常に意識させられるから。東洋人に対する目。日常生活の中で、それからフラメンコの仕事の面でもそれは確実にあります。そして、たまにいらっしゃいますけど、自分が日本人であることを否定する人。もしくは卑下する人。そのベクトルが自分自身にだけに向けられている人もいれば、他の日本人にまで向けられる場合もある。そうなると日本人による日本人差別が生まれてしまう。スペイン人が(もしくはヒターノが)絶対正しくて日本人が日本人であるが故に間違っているとか劣っていると思い込み、自分も日本人であることを棚に上げて、他の日本人を批判したり見下したりする人。これも違うと私は思う。私の両親は日本人で、私は日本に生まれ日本の文化の中で日本人として育った。そのどこに問題があるんだ?否定しようが卑下しようが、自分が日本人であることには変わりがない。それを認めないっていうのは自分で自分のルーツを認めいてないということ。ルーツというのは日本語にすれば「根っこ」でしょ?名もない雑草にだって根はあるのにね。

それでも、それらのことを全部ひっくるめても、フラメンコの前では私はただの「人間」なんだと思う。

何年か前にセビージャのとあるタブラオのオーナーに言われたことがあります。

「君は本当に踊りが上手いよ。でも君には問題がある。君は日本人なんだよ。」

はあああああ?????

しかし即答してしまいました。

「失礼ながらお言葉を返すようですが、私が日本人であることには何の問題もありません。もしそれを問題とするなら、問題は日本人である私にあるのではなく、それを問題だと思う考え方に問題があるのではないでしょうか?」

・・・だってそうじゃん、と今でもやっぱり思うのです。

公演写真:アントニオ・ペレス

2015年11月13日 セビージャにて。

Nov 4

12184296_10206219192292091_1139959305352468410_oみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

明日11/5(木)セビージャのタブラオ“フラメンケリア”(Calle Castilla 94)で踊ります!

本日、日本からおじとおばがセビージャに来まして観光案内等ちょっとバタバタしているのですが、がんばって踊りたいと思います。久しぶりにバタ・デ・コーラのアレグリアスを踊る予定。楽しみです!

日時:2015年11月5日(木)21:00

場所:Flamenquería, Calle Castilla 94, Sevilla

踊り:アンヘル・ファリーニャ、萩原淳子

ギター:ゴリ・マソ

カンテ:エドゥ・イダルゴ

入場料:20ユーロ

では皆さんまたお会いしましょう!

2015年11月4日 やっと雨が上がったセビージャにて。

 

Nov 2

BFA_cartel01bfa04bfa02bfa06bfa12bfa13bfa05bfa08bfa09bfa10BFA11BFA14bfaみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

もう1ヶ月以上経ってしまいましたが、先月末にレブリーハでアンダルシア舞踊団20周年設立記念公演「Imágenes」を観てきました。9月に日本でも公演した作品なのでご覧になった方も多いかと思います。セビージャでは昨年のビエナルで初演されましたがその時には行けず、今回レブリーハまで足を運びました。幸運ことに、公演のゲネプロ(公演直前の劇場でのリハーサル)を見学することができました!すごく興味深かった!結論を先に申し上げると、本当の公演よりもこのゲネプロの方が面白かったです。アンダルシア舞踊団設立20周年記念ということで、これまでの歴代の監督振付作品をモチーフにしたオムニバス形式の公演。確かに素敵な公演ではあったけど、新監督ラファエラ・カラスコの采配をゲネプロで目の当たりにして、もう、脱帽。本当に凄い人なんだな、ラファエラ・カラスコは。指示に無駄がない。限られた時間の中で、どの指示に時間を割いて確認まできっちりするか、またどの指示を指示だけにして後は舞踊団員の自主性に任せるか、その判断を瞬時にしている。そしてその指示は舞踊団員にだけでなく照明、音響、映像、小道具など全てに行き渡っている。同じ舞踊団公演でも箱(劇場)が異なれば全てが変わってくる。それも一瞬のうちにしかも同時にいろいろな状況をチェックし即座に指示し采配してしまう。しかも口調がキツくない。テンパってヒステリーになんて全然ならない。独特のユーモアもあって、でもラファエラの声かけに舞踊団員からの返事がなかったりすると「私の言っていること、ちゃんと伝わっているかな?」とびしっと確認したり。すごいわ、この人。フラメンコ好きのレブリーハ在住のお友達と行ったのだけど、実はそのお友達は劇場公演というものには元々興味がない人で私についてきただけだったのですが、そのお友達も舌を巻いていました。しかもラファエラは舞踊手としても舞台に立っていたし。もちろん自分の出番はリハーサルでは踊らず、監督業に専念。本当にすごいわ、この人。

今回の作品には以前から興味を持っていました。というのは舞踊団員のオーディション内容を耳にして面白いな〜と思ったから。世の中いろいろな舞踊団のオーディションがあると思いますが、ごく一般的なのは決められた振付をその場で時間内に覚えてそれを審査員の前で踊るというもの。でも今回ラファエラ・カラスコが新生舞踊団員に求めたのは「フラメンコ」でした。オーディション用に準備していた歌い手とギタリスタと数分間打ち合わせをして、即興で数分以内のシギリージャを踊るというもの。へーと唸ってしまった。これで、踊りは器用に上手に踊れるけどカンテやギターを理解していない踊り手、コミュニケーションできない踊り手を一挙に振り落とすことができる。しかもシギリージャという曲。アレグリアスやソレアなど多少踊れる人なら誰でも持っているレパートリーではなくシギリージャ。ソレアを得意とする踊り手でもシギリージャは難しかったりするもの。それをオーディションで課すとは・・・。そこにラファエラ・カラスコの新生舞踊団に対する意気込み・方向性を見たような気がして、早く公演を観たいなあ!と思っていたのです。

ただこのオーディションで外国人舞踊家の一人が選ばれ舞踊団員になったことに関しては、いろいろあったみたい・・・。私はいいと思うのだけど・・・。アンダルシア舞踊団というのはアンダルシア州政府がアンダルシアの地名度やイメージアップのために出資している舞踊団。逆に言うとアンダルシア州がアンダルシアの宣伝のためにアンダルシア舞踊団に公演させている。だから舞踊団員はアンダルシア州に雇われた公務員みたいな存在ともいえるでしょうか。という事は当然、アンダルシア舞踊団員に支払われる出演料(お給料)はアンダルシア州民の税金からもまかなわれている。人によっては(アンダルシア州民によっては)オレが払った税金でなんで外国人舞踊家が食ってるんだ、という話になるらしい。まさかそんな考え方があるとは思いもよらず、ビックリ。オーディションで正々堂々と選ばれたのだから、アンダルシア人だろうがスペイン人だろうが、外国人だろうがいいと思うし、私は素晴らしいと思うけどなあ。外国人といっても、見た目は他のスペイン人舞踊家と遜色がない。(その点東洋人や肌の色の違う人種の踊り手は確実に不利。)ひいき目で見ていたせいもあるのかもしれないけど、実際舞台を客席から見ても彼女は光っていたと思う。フラメンコがユネスコの無形文化遺産に登録されてもう数年経っているけど、まだまだフラメンコの世界は狭いのかもしれない。フラメンコの世界というより、ある種の考え方が・・・・。

公演に関しては今回のようなオムニバス形式ではなく、一つのまとまった作品を観てみたかったというのが正直な感想。でも、まあ、舞踊団設立20周年記念公演としてこの「Imágenes」は重要な意味を持つものだったのだと思います。その20年間の中で私自身が観た作品もあればそうでない作品もある。観た事のないものは探して観てみたいなと思ったり、観た事のあるものは、ああ!!!と思ったり。でもフラメンコの舞踊団って難しいんだなと思う。フラメンコとしてみればある意味面白いけど、劇場作品にすることでフラメンコの本質が薄くなってしまう部分もある。その意味で物足りなさも感じる。舞踊団として見た時には、例えば他の国の舞踊団のレベルと比べると舞踊としてのレベルを考えるとどうなんだろう・・・と思ってしまったり。舞踊団員が一人でフラメンコを踊る時のレベルが高くても、それを国際的に活動する舞踊「団」のレベルに引き上げるのはやっぱり難しいのかなあ。あんなにすごい采配のラファエラ・カラスコでも・・・

そんなことを今回のレブリーハでの公演を観ながら思ったのだけど、じゃあ自分はそこまで踊れるのか?と言われたら、自分のことは棚にあげるしかない・・・(笑)ラファエル・カンパージョが言ってったっけ。

「批評家は踊らない」

自分が踊らないから、よくも悪くも批評できるということ。自分が踊る立場だったらそんな批評はできっこない。踊る人間にしか分からない裏の努力と苦しみもあり、踊る人間にしか持てない観点がある。だから他人の批評の前に、しっかり勉強して自分も努力しなくちゃ。

そして公演に来ているお客さんを見て思った。レブリーハのフラメンコを継承しているアーティストも、伝統的なフラメンコ愛好家もきっとほとんど誰もいなかったように思う。来ていたお客さんは恐らくレブリーハ在住の文化的なことに興味のある人、ダンスを学んでいるらしい女の子達等。フラメンコといっても、いろいろな種類、方向性がある。伝統的なフラメンコは分からない、嫌いだけど舞踊公演を観るのは好きという人もいれば、自分たちが持っている、もしくは愛している伝統的なフラメンコしかフラメンコと認めない人もいる。私はどちらも理解できるしどちらも好きだけど・・・どちらが好きかと言われれば個人的には後者の方だけど、でも踊り手として前者にも興味があるしたくさんのことを学べると思う。どちらかに属していなければいけないような雰囲気があるフラメンコの世界の中で私はなんでも吸収したいと思う。その意味で、吸収できる土台というか考え方を持てていることは自分にとってプラスだと思うし、これまでいろいろなものを吸収してきた中での「嗅覚」みたいなものも育ってきているような気がする。

それらがこれから先何年か後にきっと形になるんじゃないかな・・・。そう思うのだけど思っているだけでは形にならない。だからやはり努力が必要になる。ブログを書くことはその努力のうちには入らないと思うけど(笑)、自分の考えを整理する上で非常に役に立つ。もちろんあえて書かないこともあるから、自分の考えが全てブログに反映されている訳ではないのだけど。いずれにしても、私もがんばらなくちゃな、と思う。学ぶことも努力すべきこともたくさんあり過ぎるから。

公演写真:アントニオ・ペレス

2015年11月2日 雨降るセビージャにて。