Oct 29

みなさんこんにちは。いかがおすごしでしょうか?

先日ご連絡しました、12/26(月)アルハムブラさんでのライブですが、お陰様で早々の完売となりました。ご予約くださいました皆様、誠にありがとうございました。

  • 2016.12.26(月)年末スーパースペシャルライブ en アルハムブラ(JR西日暮里駅すぐ、地図はこちら
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Baile Cante Guitarra
  • 浅見純子
  • 荻野リサ
  • 松彩果
  • 萩原淳子
  • ラ・ボテリータ
  • エミリオ・マジャ

会場同じアルハムブラさんでの1/12(木)のライブも完売間近とのことです。ご検討中の方、追加予約ご希望の方はお早めに以下ご予約先までご連絡下さいませ。

  • 2017.1.12(木)
    “アロラ公演”記念スペシャルライブ en アルハムブラ(JR西日暮里駅すぐ、地図はこちら
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Baile Cante Guitarra
  • 市川幸子
  • 太田マキ
  • 小谷野ひろし
  • 萩原淳子
  • エル・プラテアオ
  • 久保守

【時間】19:30開演
【チャージ】2500円(1ドリンク・1フード以上のご注文お願い致します。)

【ご予約・お問合せ】mibodeguita1005@me.com(久保)
 「第20回少人数制クルシージョ」(12/11〜来年1/26東京にて開講予定)受講ご予定の方は、ご予約の際に、「萩原クルシージョ受講生」と合わせてご連絡下さい。事前お振込のチャージをクルシージョ受講料と合わせて後日、萩原までお振込頂けます。)

※9月アロラ・セルバンテス劇場(スペイン・マラガ)公演で好評を博したアルティスタによる、再演スペシャルライブ!

ではお会いできることを楽しみにしております!

2016年10月29日 セビージャにて

Oct 23

image_content_18391666_20161020220452みなさんこんにちは。いかがおすごしでしょうか?

今週末のセビージャは残念ながら雨、雨、雨・・・せっかくの週末が・・・。でも楽しみにしていた公演が2つありました。一つは「Fuente Ovejuna(フエンテ・オべフーナ)」というタイトルの演劇、もう一つは「La Sirenita(ラ・シレニータ)」というタイトルのフラメンコ公演。前者は日本では「アンダルシアの嵐」という邦題でアントニオ・ガデス舞踊団が公演していたかと思いますが、今回私が観たのは演劇。今日はこの公演を観て考えたことをブログにしたいと思います。

まず「Fuente Ovejuna(フエンテ・オべフーナ)」のあらすじですが、フエンテ・オベフーナという名の村で実際に起きた話を元にした演劇作品。横暴な村の領主に苦しんできた村民たちが、花嫁となった村娘を結婚式の日に領主が略奪・暴行したことをきっかけに立ち上がり、領主を倒すという話。そして「誰が領主を殺したんだ!」と尋問されるも、村民は皆「フエンテ・オベフーナがやった!」と叫ぶ。スペイン演劇史上最も民主主義的な作品だとも言われ、その意味でも価値があるらしいのですが、この公演のチケットを速攻買ったのにはもう一つ訳があります。

なんと、この公演に出演しているのが、セビージャ郊外の「El Vacie(エル・バシエ)」というヒターノ(ジプシー)居住地区に住む本当にヒターナ(ジプシーの女性形。女性ジプシー)達8人。もちろん女優なんかじゃありません。素人です。一体素人のヒターナ8人も演劇に出演させてどうなるんだ?!とほとんどの方が思われるのでしょうが、実はこの作品はバシエのヒターナを演劇に起用した第2弾で、その前の第1弾「ベルナルダ・アルバの家」が本当に凄かった・・・・数年前に観たこの「ベルナルダ・アルバの家」では、登場人物の7人中本当の女優はたった一人で、後の6人はバシエのヒターナ。あの衝撃は今でも忘れられない。6人のヒターナ達はもちろん文字も読めないし書けない。(識字率がとても低いのです。)だからセリフは全て記憶が頼りだったといいます。素人だから演技力だけ見たら当然本物の女優には全く及ばない。でもその存在感は有無を言わせないものがありました。スペイン国内の演劇賞を総ナメにしたこのバシエのヒターナ達による「ベルナルダ・アルバの家」。さらにこの作品を有名にしたのが、これだけスペイン国内で大反響を呼んだにもかかわらず、国外では公演拒否する国が多かったとのこと。というのは、6人のヒターナ達の中には窃盗やらなんやらの罪で服役していた人もいたから。国によってはどんなに素晴らしい演劇作品だろうが女優だろうが、犯罪歴のある人間は入国させないという国もあるわけで、当然その国での公演は不可能というわけです。

話は少し逸れましたが、まあそんなこともあり第2弾の「Fuente Ovejuna(フエンテ・オべフーナ)」、本当に楽しみにしていたんです。結論から先に言うと第1弾ほどの衝撃はなかったかな・・・。やはり第1弾で大成功をすると、第2弾というのは難しい。素人の第1弾は観客からしても初めてだから、全てが驚きになる。成功しやすい。でも第2弾というのは、観客は第1弾以上のものを期待するのでハードルが高くなる。「ダイハード」や「ミッション・インポッシブル」は面白かったけど、「ダイハード2」とか「ミッション・インポッシブル2」になっちゃうと、まあ面白かったよね・・・ぐらいの感想止まりになってしまうのと同じかな?(笑)

でもこの「Fuente Ovejuna(フエンテ・オべフーナ)」を観ていて、時々自分の口が開きっぱなしになっていることに気づきました。心臓をぐあっと掴まれたまま呼吸できなくなってしまうような感覚。フラメンコではそういうことが時々ある。でも演劇だよ。あのヒターナ達の存在感。そして「Fuente Ovejuna(フエンテ・オべフーナ)」の中で演じられるその姿が実は、彼女達の本当の人生の、生活そのものであると気づかされた時。演じているんじゃないんだ。彼女達は「Fuente Ovejuna(フエンテ・オべフーナ)」という演劇を通して、彼女達の存在を、権利を、自由を主張している。本当のことなんだ。だから彼女達が起用されたのだろう。〝ただの〟女優(その人が有名だろうが大女優だろうが)には絶対に出すことのできないもの。演じていることと、その人生をそのまま生きていることの違い。

ちなみに「エル・バシエ」という地区はマカレナ地区の外れにある大型スーパー、Carrefour(カルフール)に隣接しています。以前マカレナ地区に住んでいた私は、カルフールに行く時にいつも「絶対出口を間違えちゃダメだよ!バシエの方に行ったら危ないから!」とルームメートのスペイン人に言われていました。カルフールの表通りはバスとか通っていて普通のセビージャの街並みなのですが、その裏側に行くと、本当にここがセビージャか?を疑うほどの景色が広がっています。人々は粗末なバラック小屋に住み、子供達は真っ黒で半裸裸足で走り回り、もくもくと煙があちこちから立ち上っている。うあー本当にヒターノってこういう風に住んでるんだ・・・と。(もちろんそのような住居に住んでいないヒターノもいるのでしょうが)

そもそも何で彼らがそういうゲットーみたいな所に住んでいるのか。昔はスペイン人もヒターノも皆一緒に同じ地域に住んでいたのに。差別ですよ。ヒターノ隔離政策ですよ。彼らが歴史的に背負ってきた「迫害」、それが今現代でも形を変えて続けられているわけです。それはバシエだけではない、フラメンコアーティストをたくさん輩出しているので有名な「トレス・ミル・ビビエンダ」「サン・フアン・デ・アスナルファラッチェ」なんかもそう。そんな地域が実はセビージャ郊外に、観光客には見えない所に、観光客に見せないようにいくつもある。そんな現実の中で、社会的な人種差別の中でヒターナ達は生きている。ヒターナであるという自負と尊厳を持って。だからそんな彼女達が、この「Fuente Ovejuna(フエンテ・オべフーナ)」の中で、権利と自由を求めた叫びは決してセリフなんかじゃない。セリフを超えた彼女達の「真実」なのだと思う。

そして思ったのです、フラメンコも同じなんじゃないかって。どんなに踊りが上手でも、歌がうまくても、ギターがうまくても、やはりその「真実」を持っている人にはかなわないんじゃないか。もちろん競争ではない。優劣の問題でもない。でもその「真実」があるかないかで、フラメンコというのは大きく二つに分けられるのではないかと。

じゃあ、ヒターノ達のフラメンコだけが「真実」のフラメンコなのか・・・それはどうなんだろう・・・。彼らには彼らの「真実」があって、それはそれを持っていない人が決してマネできないもの。でもそれと同様に、私には私なりの「真実」というものがあるんじゃないか。それがいったい何なのか・・・それを今言葉で説明することはできないけれど、その「真実」が私の身体から出てくるのなら、その時それを「フラメンコ」と呼んでよいのではないか・・・。
そんなことを「Fuente Ovejuna(フエンテ・オべフーナ)」を観て考えたのでした。

写真:Felix Vazquez

2016年10月24日 雨の続くセビージャにて。

Oct 23

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みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

先日興味深いクラスの依頼がありました。フラメンコを全く知らない18歳前後のアメリカ人の学生12名にフラメンコを1時間だけ教えるというもの。そもそも、なんでそんな依頼が私のところに来るわけ?・・・・でも理由を聞いて納得。なんでも彼らはセビージャにあるアメリカ人学校に留学している学生さん達らしく、文化を学ぶクラスの中で「文化のステレオタイプ化」というのをテーマに学んでいるらしい。「文化のステレオタイプ化」・・・・知りもせず深く考えもせず、その文化を先入観や固定観念で決めつけてしまうこと。例えば日本といえばサムライとゲイシャ。スペインといえば闘牛とフラメンコ。そしてフラメンコといえば、踊るのはスペイン人やヒターノ(ジプシー)。あるあるあるある、100連発。でもね、実際にはセビージャには日本人のフラメンコ舞踊家だっているんだよ〜んという現実から、ステレオタイプって何だろう?と学生さん達に考えてもらうのが狙いとのこと。なるほど、それでわたくし萩原淳子がこのクラスに抜擢されたのでした。このテーマは偶然にも実は昨年の夏に東京キッド・アイラック・アートホールで開催したソロ公演「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか?」と全く同じ。常々私が直面するテーマであり、考えていたテーマでもあり、まさにドンピシャの人選というわけで喜んでお引き受けしました。

でもその後すっごく考えた。「フラメンコを全く知らない18歳前後のアメリカ人の学生12名にフラメンコを1時間だけ教える」というのは結構難しいんじゃないか。彼らはフラメンコに興味があるわけでもなく、もちろん私に習いたいわけでなく、授業の一環として、先生が連れてきた日本人バイラオーラにフラメンコを習う。・・・というか人によっては習わされる・・・?しかも1時間だけ。これが例えば何回かクラスがあれば少しずつフラメンコの魅力を伝えていったり、積み重ねて教えることもできるけど・・・しかも18歳前後のアメリカ人なんて・・・授業中にガムをクチャクチャ噛んでたり、足を机に投げ出してリンゴ食べたりしている若者達かもよ・・・?!なんて思い、あ!!!!それこそステレオタイプな発想!!!といかんいかんと自分を戒める(笑)。スペイン人の踊り手さんにちらっと聞いてみると、「どーせフラメンコ知らないんだから、分かりやすいCDかけて踊らせればいいんだよ」とか言われるし・・・。なんだそりゃ、と思ったけど、そういう発言が出る彼女なりの見解も想像できなくはない・・・

1821377_Antonio_Mairenaどうしようといろいろ考えて、でもフラメンコであることは外せない・・・ということでアントニオ・マイレーナのCDの中に入っているタンゴ・デ・カディス(カディスのタンゴ)を音源に選んでみました。アントニオ・マイレーナ(左写真)。好き嫌いは別として、アントニオ・マイレーナを聞かずにフラメンコを学ぶということはありえないと私は思っています。もちろん他にも聴くべき歌い手はたくさんいるけど。いずれにせよ今回のクラスの学生さんがフラメンコに興味があろうが、なかろうが、フラメンコの音源を使うことは私にとっては譲れない要素。タンゴにしたのは、1時間だけ学ぶのであれば、ブレリアのように複雑な複合リズムでなく分かりやすい4拍子。ちなみに初心者がよく最初に学ぶセビジャーナスは意外と難しいと私は思っています。じゃあタンゴが簡単かといえば、実はすごく難しいのだけど、でもリズムも動きもタンゴが一番とっつきやすいかなと思ったので。

クラスではパルマからまず教えてリズムを理解してもらい、簡単な動きでそのリズムを身体で刻んでもらう(マルカール)。パッとそれができる生徒さんもいれば、全くリズムを取れない男子も約2名。こちらが教えた動きを勝手に改造して(?)自己流に面白く踊っている個性的な生徒さんもいた。まあ皆さんそれぞれだったのですが、マルカールのパターンといくつか教えて、しばらくしてから上記のアントニオ・マイレーナの音源で踊ってみる。フラメンコ舞踊的には、とかタンゴのコンパスとは・・・etc細かいことを言えばキリがないのだけど、1時間ぽっきりのクラスだし、まずは楽しんでもらおうとハレオもガンガンかけ・・・最初のうちはやらされてる感がそのまま顔に出ていた生徒さんも何人かいたけど、だんだんみんな笑顔になってきていい雰囲気。私もかなり楽しくなってきました。

特に振付をしたわけではないので、カンテ(フラメンコの歌)に合わせて先に学んだマルカールのパターンをいくつか踊ってゆく。思ったよりも余裕しゃくしゃくでついてくるので、「難しくないみたいだね」と声をかけると、一人の生徒さんがこんなことを言いました。

「動きをいつ変えるのかが難しいです。」

!!!!!!!!!

なんて素晴らしい生徒さんなんだ!!!萩原、感動。よくぞ気づいた。そこなんだよ、フラメンコは。そこにフラメンコがあるんだよ!!!

「先生によってはこの動きが何回で、その次左でその次右で・・・・と教える先生もいらっしゃるけど、私はそうは教えないの。カンテをよく聞いて。カンテのフレーズが変わる所で動きも変えているの。でも私のやっているタイミングが絶対正しいわけではないの、重要なことはカンテを聞くことなの。感じるの、あなたが。」

・・・この私の回答が理解されたのかどうなのか、分からない。でもこの本質を突いた発言には私も本質で答えなくてはならないと思ったから。

その後何回か続けて、後は二人組になって向かいあって自由にやってもらった。私がクラスで教えたマルカールだけじゃなくて、自分たちで考えたものでもいい、感じて出てきたものでもいい。重要なことは私の真似っこにならないこと。そこから自由になって自分自身の個性を光らせ始めた生徒さんが数名。あの子達はこれからも続ければなかなか味のある踊りをするようになるかもしれない。(ちなみに私がフラメンコを学び始めたのも18歳の時でしたからね、これからの人生何が起きるかわかりません。)最後の方は飽きちゃった生徒さんもいたみたいだけど(笑)、そんなこんなで1時間のクラス終了。楽しかったなあ。私の方こそ勉強させて頂きました。こんな機会を頂けて本当に感謝です。

「どうせ初心者だし、どうせフラメンコ分からないだろうし」って思うことも、ある意味初心者の生徒さんをステレオタイプ的に決めつけているのかもしれない。むしろ生半可に知識や年数だけを振りかざして上級者のつもりでいる人よりも、よっぽど本質を見抜く目を耳と心を持っているのかもしれないのだから。

教える時もそう、踊る時もそう。スペインでもそう、日本でもそう。相手が誰であろうが、フラメンコでありたい。
そう、改めて自分を振り返った1日でもありました。

クラス風景写真:アントニオ・ペレス

2016年10月23日 セビージャにて。

Oct 7

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ご報告が遅れましたが、先週金曜の「ペーニャ・ニーニョ・デ・ラ・アルファルファ」公演は無事に終わりました。ビエナル期間セビージャ市内の劇場にてたくさんフラメンコ公演があったにもかかわらず、たくさんのお客様にお越し頂きました。誠にありがとうございました!まさかの満席+お立ち見もいっぱいということで、ちょっと遅く到着された方は会場に入れなかったとのことです・・・・せっかくお越し頂きましたのに本当に申し訳ございません・・・また次の機会があれば嬉しいです。

今回のペーニャ公演では本当にいろいろなことを試され、そして学ばせて頂きました。今回は初共演のギタリストからお声をかけて頂いての出演だったのですが、まず最初の段階でいろいろ考えました。このギタリストさんとは一度も共演したことがなく、また舞踊伴奏をされているのを生で聞いた事がありませんでした。時々セビージャのタブラオで弾いていらっしゃるのは知っていたのですが・・・どうしようかなと思いつつ、実はこれまでに何度も共演依頼を頂いていたのと、今回に関してはペーニャの日にちを押さえて下さっていたので、まあ共演受けてみるか。ということになりました。ビエナル期間中ということもあり、普段ご覧頂けないお客様(地方在住の日本人の方、上海クルシージョの受講生など)にもお越し頂けるいい機会かなと思いまして。歌い手は私が選んでもいいということで、その前のフラメンケリアやアロラの公演で共演して下さったディビにお願いし、彼女から共演OKの連絡があったこともあります。ディビもそのギタリストさんとお仕事されたことがないそうですが、「感じのいい人だよ、やろう!」と背中を押して下さったので。

お声をかけて下さったのは嬉しかったのですが、実際に共演してみて、ある人の、そのギタリストの感想は・・・「経験不足」。うーん、そうとも言えるけど、そうとも言えないんじゃないか・・・・。カンテ伴奏にしても舞踊伴奏にしても、確かに経験が足りないというより、カンテも舞踊も理解していないから弾けない・・・そんな印象。本番カンテソロの伴奏を楽屋から聞いていて、こりゃディビが可哀想・・・私の踊りの伴奏にしても、前日に彼とは合わせておいたのですが、その時点でこりゃ厳しいな・・・という印象を持っていたので、彼がちゃんと弾けるように、さらに分かりやすく(私の踊りはシンプルなので、本来誰にも分かる。プロフェッショナルな人なら)変えたのですが、それでもついてこれない。私の踊りが、ということではなく、フラメンコ舞踊の伴奏をする上でのスーパー基本を知らないんじゃないか。実際、この公演を観に来てくれた友達のギタリストが「オレが替わって弾きたかった!」と悔しそうにしていたし。(できれば私もその方が有り難かった・・・)

だからそういうことを全部ひっくるめて「経験不足」という言葉でまとめられるのかもしれないけど、重要なのは、今の段階で「経験不足」か否かということよりも、その経験から学んでいるのかどうか、ということに私はあると思う。誰だって「経験不足」だ。私も含めて。このブログを読んで下さっている方は、え、セビージャで踊っているじゃないですか、と思われるかもしれないけど、セビージャにゴマンというプロフェッショナルなアーティスト達からすればそりゃ、どうひっくり返っても経験不足だ。今回のペーニャ公演にしても、もっと経験のあるプロフェッショナルな踊り手であれば、どんな条件でももっとちゃんと踊れただろう。確かにこれまでの経験でなんとか持ちこたえた部分もあったけど、(以前の私だったらズタボロになっていたに違いない)それでもどうしても動揺を隠せずにそれが踊りに出てしまった部分があったのも否めない。とはいえ、毎回毎回の経験で、少しずつでも学んでいる。それが唯一の成長の仕方だと思うから。だから「オレは30年弾いていてプロフェッショナルなのに、仕事がない、誰もオレを呼ばない。」なんて発言がどこから出てくるのか全く理解できない。唯一理解できるのは、本当にプロフェッショナルな人間は自分で自分のことをプロフェッショナルだ、なんて言わない。言う必要がないし、本当にプロフェッショナルな人は謙虚な人だから、そんな発想が露ほどもないからだ。

時を同じくして、ある人からこんな話を聞いた。私のクルシージョを受講したある生徒さんで「クラス内容が簡単すぎる」と怒っていた人がいたらしい。世の中にはいろいろな人がいることを理解しつつも、はああああああああ?である。まず、私のクルシージョでは基礎が中心で、初中級の方を対象としている。それはクルシージョ案内にきちんと記載されているので、皆さんそれを理解してお申し込みされている。もし自分のレベルが上級だと思うなら、最初から申し込まなければよいのではないか。隠しも、騙しもしていない。最初にちゃんと読まない方に責任がある。

しかし個人的にもっと問題だと思うのは、そういう人こそ、その「簡単すぎる」ことができていないということだ。

さらに問題だと思うのは、本人がそれに気付いていない。

なんでか?

・・・・謙虚じゃないからだ。

たかだかフラメンコを数年他の受講生よりも多く習っているから、ちょっとパソをとるのが早いから、自分は他人よりも上手だと思っている。そんな上手なアタシが、なんでこんな簡単なことをやらなくちゃなんないわけ?それ知ってるし。できるし。・・・・大体こんなところでしょう。でもそう思っている人こそ、できていないですよ、分かってないんですよ、知っていないんですよ。その人から見れば「簡単」なのかもしれないけど、“フラメンコ”という観点からみれば、それは「簡単」じゃないんです。難しいんです。重要なんです。だから学ばなくてはならないのに。

どうしてそう思えないのだろう?

・・・・謙虚じゃないからだ。

ちなみに、私のクルシージョには、明らかに私の目と耳から判断しても「上級」のレベルの生徒さんも初中級クラスに通っていらっしゃる。なぜ“当たり前の事”を自分よりも舞踊経験の少ない人に混じって、毎回毎回繰り返して学ぶのか?

・・・・謙虚だからだ。

違う出来事だったけど結局同じテーマに行き着くということは、それについて考えなくてはならないということでしょう。そんな1週間でした。

2016年 10月7日 セビージャにて。