Nov 30

スクリーンショット 2016-11-29 14.53.53みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

最近はバタバタと忙しく、ブログにしたいことがたくさんあるのですがなかなか時間が取れず・・・

今日もまずはお知らせです。

「第11回大阪クルシージョ」のお申し込み受付を昨日11/29(火)より開始致しました。早々にたくさんのお申し込みを頂いており、現在以下のクラスが満席まであとわずかとなっております。

  • 1/21(土)12:20〜「コンパス重視&使ってこそ身体」
  • 1/21(土)13:25〜「タンゴ振付④」

上記クラス、また他のクラスも今後お申し込みが増えると予想されますので、ご希望の方はお早めに以下詳細PDFファイルをご確認の上、

osakacursillo@gmail.com(ハギワラ)までご連絡下さいませ。

第11回大阪クルシージョ詳細はこちら→OSAKACURSILLO.VOL11

※現段階でお申し込みメールを下さった皆様には全員ご返信をしております。万が一こちらからのメールが届いていない場合は上記アドレスまでご連絡下さい。お手数ですが宜しくお願い致します。

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★第11回福岡クルシージョ★
1/22(日)小倉グラシアフラメンカ
1/23(月)博多ビークラブフラメンコにて開講!
詳細は近日中に発表します!

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★第20回少人数制クルシージョ(東京)★
12/18(日)〜1/11 開講
お申し込み受付中!最新空き状況は→こちら「クルシージョ」 にてご確認の上、layunko@gmail.comまでご連絡下さい。

では日本でお会いできることを楽しみにしております!

2016年11月30日 セビージャにて

Nov 23

みなさんこんにちは。いかがお過しでしょうか。

雨続きのセビージャでしたが、今日は晴れました!早速洗濯機をガンガン回しています!

さて、「第11回大阪クルシージョ」詳細が決まりましたので発表致します。

【日程】2016年1月18日(水)・20(金)・21(土)

【場所】スタジオホールジュン(1/18)、アルディエンテ(1/20・21)

【開講クラス】 

  • 「サパテアード原点」
  • 「コンパス重視&使ってこそ身体」
  • 「タンゴ振付」
  • 「ソレア研究」(講義)
  • 「マントン・テクニカ基礎」
  • 「バタ・デ・コーラテクニカ基礎」

【受講料金、お申込み方法等詳細】はこちらをクリック→OSAKACURSILLO.VOL11

受講生の皆様のご希望より今回より振付クラスを開始致しますが、これまで通りフラメンコそのものの基本と舞踊基礎をしっかり学んで頂くことには変わりありませんので、受講ご希望の方は上記詳細記載事項をお読みの上、お申込み下さいませ。
  • お申込み先osakacursillo@gmail.comハギワラ)

  • お申込み開始日時:2016年11月29日(火)お昼12:00

    上記メールアドレス先以外、上記日時以前のお申込みはお受付致しかねます。
    上記日時以前のお問い合わせに関してはこちら「連絡先」にてお受付致します。

※携帯メールアドレスからご連絡の場合は、上記メールアドレスからのメール受信が可能か事前にご確認お願い致します。
※これまでの受講生、お問い合わせの皆様には直接ご案内メールを送らせて頂きましたが、戻ってきてしまった方もいらっしゃいます。また今後のクルシージョ情報をご希望で、こちらからのメールが届いていない場合は 「連絡先」 までご一報下さいますようお願い致します。
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★第11回福岡クルシージョ★
1/22(日)グラシアフラメンカ(小倉)
1/23(月)ビークラブフラメンコスタジオ(博多)
も近日中に詳細発表!

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★第20回少人数制クルシージョ★(東京12/11〜1/18)
満席のクラスもありますので、こちら「クルシージョ」にて
空き状況をご確認の上、お申し込み下さい。

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では日本でお会いできることを楽しみにしております!

2016年11月23日(水)

Nov 21

スクリーンショット 2016-11-21 13.04.10みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

本日はクルシージョ情報の告知です。

★第11回大阪クルシージョ★
1/18(水)ホールジュン
1/20(金)・21(土)アルディエンテにて開講!

たくさんの方々に支えられ迎える第11回目・・・
受講生のご希望より、今回から振付クラスも開始致します。
でもただ振付を数日間でとるだけのクルシージョにはしたくない。
そんなんじゃフラメンコは学べないから・・・
フラメンコそのものの基本と舞踊基礎をしっかり学んで頂いた上での振付クラス・・・を現在、練りに練っています。

詳細は近日中に発表!
お申し込み開始後早々に定員に達するクラスもありますので、
新規の方で詳細ご希望の方は こちら「連絡先」 まで
ご連絡下さい。

★第11回福岡クルシージョ★
1/22(日)グラシアフラメンカ(小倉)
1/23(月)ビークラブフラメンコスタジオ(博多)
も近日中に詳細発表!

★第20回少人数制クルシージョ★(東京12/11〜1/18)
満席のクラスもありますので、HP「クルシージョ」 にて
空き状況をご確認の上、お申し込み下さい。

では、日本でお会いできることを楽しみにしております!

2016年11月21日 雨上がりのセビージャにて。

Nov 10
ペパ・デ・ベニート
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 11 10th, 2016| Comments Off

15003219_10154664157556228_2308538520953464092_oみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

先週末、イネス・バカンが言っていました。「叔母の具合が悪いの・・・」

えっ、ペパが・・・・と思ってうっと言葉に詰まってしまいました。イネスと別れた後、夫のアントニオが「もう長くはないんだよ」とポツリと言って、やっぱりそうなのか・・・・と・・・・そしてその2日後、天国に召されました。

ペパ・デ・ベニート。

大好きな歌い手でした。

pepabenito一番最初に彼女の歌を聴いたのは、彼女のソロCD「Yo vengo de Utrera」(写真、CDジャケット)でした。当時習っていたトロンボのクラスではペパのCDを使ってパルマやコンパスを学んでいました。なんという声なのだろう。トロンボにCDのタイトルを教えてもらって、即買いに。あの当時はまだYouTubeなんてなかったような気がします。聴きたけれれば直接聴くか、CDを買うか。そしてあのCDはもう100万回くらい聴いたかなあ。本当に素晴らしいCDですね。

そしてペパの歌を生で聴く機会がそれから数年後訪れました。あの時はもうクリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校に通っていた時でした。もう10年くらい前になるかと思います。文化庁の新進芸術家在外派遣研修員として国費留学をしていた時で、必死の時代。クラスメートにはスペイン人の実力派の若手舞踊家なんかもいて、レッスンのレベルも高かった。毎日毎日3〜4クラスも、振付もどんどん進むし、本当に必死にレッスンについて行って、あとは必死に練習して・・・土日はたまった家事をこなして(当時はもちろんまだ結婚していない)休む暇などありませんでした。

そんな毎日の中、当時その学校で教えていたカルメン・レデスマが声をかけてくれたのです。

「毎日レッスンを受けて自主練習するのも大切。でも本物のフラメンコを観て、聴かなくては」

そう言って、私を含めた日本人留学生数名を、彼女のご家族のフィエスタに招待して下さったのです。ヒターノ(ジプシー)の親戚、フラメンコアーティストがたくさん集まったそのフィエスタでは、当時の私からは想像もつかないようなフラメンコの世界が繰り広げられました。本物の。あちこちで沸き起こるフラメンコ。あの人もアーティスト!この人もアーティスト!という中で皆当たり前のように歌ったり踊ったり。そんなフィエスタに招待して下さったカルメン・レデスマは、なんと懐が広い人なのでしょう。本当にカルメンってそういう人なんです。

_DSC0854そして・・・・そのフィエスタの外れにひっそりといました。ペパ・デ・ベニートが。ペパは両足を椅子の上に投げ出して座っていました。近づいて、「ペパ、私はあなたの歌が大好きなんです、CDを何度も聞いています。」と声をかけると嬉しそうに、ニッと笑ったのを思い出します。「みんなの所には行かないのですか?」と聞くと「足が痛いから」と言っていました。「私、マッサージします!」と言って私は勝手にペパの足をマッサージというか、さすったりしてました。なんでもいいからペパの役に立てればいいと思ったのかなあ、当時の心境はよく覚えていませんが・・・

しばらくして、ペパがフィエスタの中に入り歌っていました。カルメン・レデスマが言った「本物のフラメンコ」、それでした。毎日レッスンばっかりの私達にカルメンはこれを聴かせたかったのでしょう。その後、ペパの歌でカルメンが即興で踊ったり・・・本当に夢のような世界でした。でも、あの時が生で聴いた最初で最後になろうとは・・・いつかまた聴きたいなあと思って、フィエスタを後にしたのを覚えています。でもその「いつかまた」はもう来ない。ペパは亡くなってしまった。

考えてみたら、あの時たまたまそのフィエスタに写真を撮りにきていたのが、今の私の夫、アントニオ・ペレスでした。ペパの訃報を聞いて、アントニオの膨大な写真データの中からその時のフィエスタの写真を二人で探し出しました。懐かしい。悲しい。懐かしい。悲しい・・・このブログの写真(CDジャケット以外)はその時のフィエスタのもの。本当はもっとたくさんの素晴らしい瞬間が写真に収められています。でも全部公開したところでペパは戻ってきません。

時々この写真と一緒にペパのことを思い出そう。そしてペパの残したCDを聴こう。

2016年11月10日 セビージャにて。

Nov 9

15000859_10154659767191228_9169741577890105844_o14976885_10154659767571228_7375621328458049308_o14939366_10154659768011228_8990070582843370418_o14976634_10154659769006228_5022178586432097113_o14976651_10154659769566228_4134854978598047516_oみなさんこんにちは。いかがおすごしでしょうか?

先週末はランカピーノ・チーコの歌を聞きにトレブヘーナというレブリーハ近くの村に行きました。ランカピーノ(Rancapino)という素晴らしい歌い手15000623_10154659769956228_4503207052863931214_o
がいますが、その息子さんです。27歳くらいだったかな、確か。お父さん同様、元々素晴らしい歌い手だということは知っていたけど、あの日のソレアは素晴らしかった。そしてカラコリージョ・デ・カディスという友人の歌い手を舞台に上げて(その行為も素晴らしいと思う)一緒に歌ったファンダンゴには涙が出ました。
ビエナルでの彼の歌も素晴らしかったけど、あの日はそれ以上。トレブヘーナのペーニャ・フラメンカ(フラメンコ愛好家が集まる場所)でのコンサートだったということもあるかもしれません。小さな村の、しかし大きなフラメンコ愛に満ちば場所でのフラメンコ。客席からのハ

レオ(掛け声)も何もかもが違います。同じアーティストの公演でも、やはり私はペーニャで聴くのが好きですね。

そしてそれら全てをイネス・バカンの隣で聴けたこと。イネスはレブリーハというセビージャとヘレスの間にある村の歌い手。カンテ・フラメンコ界の柱の一つとなっている「ピニーニ」一族の血を引いたプーロ(純粋な)フラメンコの歌い手です。イネスがいた私の身体の片側はずっと暖かかった。何だか一緒にいるだ14999980_10154659770381228_631114092871858088_oけで自分の身体にフラメンコが満ちてゆくようでした。イネスのフラメンコの感じ方、ハレオの掛け方は、ペーニャの愛好家の皆さんや私とは違っていました。すごく興味深かったです。例えば、オレー!とハレオをかけるタイミング。愛好家の皆さんや私は、そのオレー!のタイミングが来るまでカンテを粘って聴いている。そのタイミングが来るまで待って、待って、待って、その最後の瞬間に「オレー!」となります。だから、そのタイミングが来そうだと分かっても、声を出さない。みんな黙ってじっとカンテを聴いているわけです。でもイネスはその段階で「オレー!」と言っている。小さな声だけど、「オレー、オレー」と連続したり。フラメンコを知らない人が何も知らずにやたらめったらにいろいろハレオをかけたりすると、周りの人がシー!と黙らせたりするのですが、イネスの場合は誰もシー!とは言わない。皆イネスがいることは知っているし、それに隣にいる私でさえ、それは全くうるさくなかった。むしろ心地よい。イネスのハレオ。それから、タンゴやブレリアが始まるとパルマ(手拍子)を叩き始めたイネス。もちろん大きな音ではありません。ふっくらしたイネスの両手が重なりあう程の音。でもこれも実はご法度。パルマと言うのは楽器と同じなので、客席にいる人間が叩いてはいけないのです。何かのコンサートに行って、客席で誰かが音楽に合わせて音を出すようなもの。でもフラメンコのコンサートだと、知らない人は一緒に叩いちゃったりする場合もあるようですね。しかしこのイネスのパルマもむしろ心地よい。何だか耳が豊かになった気がしました。

14918947_10154659771856228_8703743213440267309_o14918918_10154659772431228_8656726019785246886_o14991463_10154659773016228_1150593562574941453_oそして始まる前や途中や後で、イネスがたくさんのことをを語ってくれました。信じられないくらいたくさんのこと。彼女が個人的に私に語ってくれたことのなので、その内容はブログにしませんが、全部心に響いて突き刺さりました。絶対忘れない。

私はこの土地の人間ではありません。彼らのようにフラメンコと共に生まれ育った人間ではありません。セビージャに住んで14年くらい経ちますが、でも私はこのブログを読んでくださる皆さんと同じ外国人。そんなことは知っています。
でもそれでもここで生きているんだと思いました。自分の人生の一部がここにあるのだと。

アントニオ、写真ありがとう。大切にします。

2016年11月9日 セビージャにて。

Nov 2
堀越千秋さんがお亡くなりになった。
La Yunko | ブログ | 11 2nd, 2016| Comments Off

Panorámica de Ronda

フラメンコ関係者の方はご存知かと思いますが、堀越千秋さんがお亡くなりになったそうです。マドリード在住の画家で、陶芸家、大のフラメンコ愛好家でもあり、カンテ(フラメンコの歌)も歌われていた方。

完成させた技術を壊せ、みたいな内容だったと思います。一字一句は覚えていませんが、それが、もう20年近く前、日本フラメンコ協会が主催する新人公演に初めて出演した時の私の踊りに対する堀越さんの講評でした。あの時はよくわからなかった・・・。壊しちゃったら私の踊りはどうなっちゃうんだろう、とうろたえた記憶があります。

しばらくして、ロンダから絵はがきが届きました。覚えているのは、「ロンダには最古の闘牛場があります」という内容と、なんで私の所に絵はがきを送ってくれたのだろうという疑問でした。

さらに10年くらい経って、ロンダのコンクールでソレアを踊った時に感じた、あの独特の「ぶわっ」とした感覚。自分の中で何かが壊れ、何かを壊した。でも壊れるということは、新たに何かが生まれることだった。それは壊さないと、壊れないと手にすることができない。私はそれをロンダで知った。

・・・それらが自分の中で繋がったのは今日。堀越さんの訃報を知ってさらに1日経った翌日だった。

何かを超越している人だったのだと思う。

人生はつながっている。「死」という形で途切れてしまうのかもしれないけど、でも実はつながっているのかもしれない。

今度日本に帰ったら、あの絵はがきを探してみようと思う。

2016年11月2日 セビージャにて。