Mar 23

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

ここセビージャは最近ずっと雨で(ヘレスのフェスティバル期間中もずっと雨でした!)やっと晴れましたが、明日また雨らしいので大急ぎで今日はバタ・デ・コーラも洗いました!

早速ですが前回のブログの続き、(ヘレスのフェスティバルで受講した、ホセ・ガランの障がい者フラメンコ教育クラス)です。

  • ローラのこと。

28827995_10156196772566228_9801924589798420_o_DSC4429_DSC4988今回車椅子の受講生2人のうち1人がローラ。過去のブログでも書きましたが、ローラとはこのクラス受講前からセビージャで知り合っていました。セビージャのとあるお店に入った時、そのお店で買い物をしていたのがローラでした。ショッピングカートが行き来できる大きな店ではありません。人と人とがすれ違うのがギリギリくらいの狭いお店。商品が床にまで所狭しと積んであるようなお店の通路にローラは車椅子で入っていました。身動きが取れないようだったので、商品をどかしたりして彼女が通れるように手伝っていた時になんとなく話し始め、彼女がフラメンコを踊るためにそれまで住んでいたバルセロナを引き払って、セビージャに住み始めたということを知りました。へー!勇気あるなあ!そうびっくりしたのを覚えています。その時にホセ・ガランの公演に車椅子で出演すると聞いて、そのリハーサルと本番を見に行きました。そのローラが今回のヘレスのフェスティバルのクラスにも来ていたので、一緒にクラスを受講することになったのです。

ローラとはクラスの中でセビージャナスを踊りました。車椅子の方とセビジャーナスを踊ったのは生まれて初めて。向かい合って踊るのですが、ローラは踊ることが本当に嬉しそうでした。そして車椅子での回転がうまくいかなくてみんなと同じタイミングでピタッと止まれなかった時、本当に悔しそうな顔をしていたなあ・・・。パサーダ(向かい合ってお互いすれ違う動き)の時に私はいつもの調子でパサーダをしたら、すれ違う時に自分の手がローラの胸をかすってしまった。あっごめん!と言って、ローラはあまり気にしていないようだったけど、そうか、車椅子の人とそうでない自分では高さが違うんだ。見ればわかるようなものでも、自分でやってみて初めて気づく私は本当に鈍感だ。

その後、ローラの車椅子を借りて私が車椅子に乗りセビジャーナスを踊ることになった。車椅子に乗ったのも生まれて初めて。まっすぐ前に進むことはできても、斜め方向で自分が行きたい方にはなかなか行けない。回転なんぞもっての他。すごく難しい。何度か練習するうちにやっと車椅子に座ったまま回転できるようになって、やったーと思った矢先、バランスを崩してバーンと後ろに転げ落ちてしまった。「こんなに難しいことをあなたはやっているのね、すごいね」ってローラに言ったら、ローラはこう答えました。

「私はいつも車椅子に乗っているから」

・・・その言い方がちょっと寂しそうで、私はなんて答えていいのか分からなかった。今でもあの瞬間を思い出すと心が傷む。

でもそれは私の思い過ごしなのかもしれない、とも今は思う。車椅子に乗っていることが「かわいそう」って、実は私は心の中で思っていたのかもしれない、だからそれが寂しそうに聞こえたのかもしれない。本当はローラはただ普通に事実を言ったに過ぎないかもしれない。でも私が勝手に色眼鏡で見ているからそう捉えてしまったのかもしれない。

本当に「かわいそう」な人間は私かもしれない。

  • マリア・ホセとのこと。

_DSC538428827044_10156196771266228_6198294067863968265_oマリア・ホセも車椅子で参加したもう一人の受講生だ。年齢は50代くらいかな。なんという名前か忘れたけど、バルセロナとサラゴサの間の街に住んでいて、そこからヘレスまでやってきたらしい。旦那さまも車椅子の方で、二人で5時間ずつ車を運転してヘレスまで来たとのこと。

皆でタンギージョ・デ・カディスの踊りを習っている時だった。踊りながら横移動する動きがあって、そこで先生のホセ・ガランが皆に質問した。「車椅子の人が同じように横に動くにはどうすればいい?」・・・うーん。車椅子だから車輪が動く方向に動く。前を向いていればパッと横移動することはできない。移動できたとしても車輪の向きを変えて移動して・・・ってやっているうちに他のみんなは反対方向の横に移動している。動きがリズムから遅れてしまう。ちょっと無理かなーと私が内心思った時、マリア・ホセが言った。「斜め横だったら移動できる。」

・・・あっそうか。別に真横に移動しなくちゃいけないなんて決まりはないんだ。

踊りを習っていると、時に日本では先生と全く同じ動きをしなければいけないような感じがする。(そうしないと先生に注意される時もあるしね。)でも一人一人違うんだから、その人ができるようにやったっていいではないか。そうやって踊った踊りがまちがっているなんて誰が言える?

その後また面白いことがあった。振付の中でクルっと素早く回る振付があった。いくら車椅子で回ることはできても、クルっていう感じで一瞬にして回るのは車椅子の構造上いくらなんでも無理だ。でもその、みんながクルって回る同じタイミングでマリア・ホセは、車椅子はそのまま前を向いた状態で、上半身を前に倒し頭をバサバサーっと振ったのだ。うわー!そんな動きは初めて見た!でもなんとタンギージョらしい動きなのだろう!そしてマリア・ホセの独創性!

・・・先生が、もしくはみんながやっていることができないのはマイナスなのだろうか?できないと考えるからマイナスなのであって、違うことをすればいいじゃないか。それがその人が見つけたものだったらなおさら価値がある。先生の通りに上手にできることよりも。

そしてさらにOLEだと思ったは、その動きをホセ・ガランは自分の振付にその場で取り入れたのだ。なんという柔軟性。「それもいいね」と認める先生はいらっしゃるかもしれない。でも生徒の動きを自分の振付にその場で取り入れてしまう先生って少ないんじゃないか。すごいなあホセ・ガラン。そしてそういう先生だからこそ、生徒は自由に自分の表現方法を試せるんじゃないか。

そんなことを思いながら、私は二人のようにかがんで頭をバサバサーっと振ることができずにいた。何でだろう、恥ずかしかったわけではない。いいなあって思いながら、でも何だかできない自分がいた。クルって回ることはいとも簡単にできるのに・・・。

きっとそれが私に足りないことなのかもしれない。本当はそれがあればもっと学べるのかもしれないし、もっと踊れるのかもしれない。もっと踊れるというのは、たくさんのことができたり、上手に踊れたり、ということではない。多分もっとフラメンコの根源的なもの・・・。

クラスが終わった後、マリア・ホセや他の受講生が、車椅子で踊る人の動画を見ていたので、私も覗いてみた。ちゃんとは見えなかったけど、コンテンポラリーダンスを車椅子の人が踊っているようだった。「すごいね」って言ったら、マリア・ホセははっきり言った。「確かにね。でも私が踊りたいのはフラメンコなの。70歳になっても80歳になっても構わない。私はフラメンコを踊れるようになりたい」

きっとなれると思う。マリア・ホセなら。

マリア・ホセの、踊っている時のキラキラした瞳を私は今でもはっきり覚えている。

写真:アントニオ・ペレス

※まだいくつかあるので、またブログは続けます。

2018年3月21日

Mar 20

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日本から戻ってきてアッという間に1ヶ月が経ちます。早い早い・・・

アップが遅れましたが、ヘレスのフェスティバル期間中に受講したホセ・ガランのクラス写真をアップします。非常に非常にいろいろなことを考えさせられたクラスでした。以前にもブログにしましたが、ホセ・ガランという踊り手は障がいを持った人たちにフラメンコを教えたり、彼らとフラメンコ公演をしたり、という活動を続けている踊り手です。

以前のブログをお読みになりたい方はこちら→(http://www.layunko-flamenco.com/JA/2017/12/日本語-萩原淳子のフラメンコ鑑賞記%E3%80%802017-3/

上記のブログはホセ・ガランと障がい者たちの公演リハーサルに関してですが、その本番やまた別の公演もセビージャで何度か見る機会がありました。私自身、フラメンコを始める前から「教育」に関して興味があり、今回のヘレスのフェスティバルでは、そのホセ・ガランが身体・知的障がい者を対象にクラスを開講するとのこと、また障がい者教育にたずさわる健常者、もしくは興味のある健常者も参加可能とのことでしたので、申し込んでいました。

でも、最初に言いますが、私、とっても勘違いしていたんです。

私は自分が健常者だから、どうやって彼らにフラメンコを教えるのか、というのを学ぶのかと思っていました。場合によってはホセ・ガランの助手みたいなこともするのかな?なんて想像もしていました・・・・。

違ったのです。

私が教えるんじゃなくて、私が教わったのでした。

クラスは最初の1時間15分が知的障がい者対象クラス、休憩を挟んでその後1時間15分が身体障がい者対象のクラスで、私は両方に申し込んでいました。フェスティバルが主催する他の公式クラス同様、6日間ありますが、私は初日と2日目に他のリハーサルと本番が入っていたので、3日目から参加しました。たったの4日間しか受講できなかったわけですが、本当に濃かった。毎日毎日感動の波が押し寄せてきて、泣きそうになりながら我慢してクラスを受講していました。

断片的になると思いますが、思い出しながらブログにしたいと思います。

  • ペペとのこと。

クラスに着いて初めて挨拶した受講生はペペでした。年齢は30代後半から40代前半くらい。彼は右手が不自由のようでした。全て左手で物事を行っているようなので、「お手伝いしましょうか」と声をかけましたが、その一言に私は後からすごく後悔します。気さくな彼は「いいよいいよ、大丈夫」と笑顔で言って左手と口を使ったりして器用に物事をこなしていました。そんな彼を見て、それから彼の様子を観察しました。そして私、気づいたんです。

なんでもかんでも「お手伝いしましょうか」なんて声かけるもんじゃない。その人にはできないこともあるかもしれないけど、できることだってあるんだ。障がいを持っているからって、自分が健常者だからって、知らず知らずのうちに線引きしているんじゃないかって。

そしてまた思った。

もしかして・・・「お手伝いしましょうか」って言う自分に、自己満足しているに過ぎないんじゃないかって。そういう言葉をかけさえすれば、自分はいい人のような気がするからではないか。自己満足のために言ったわけじゃないけど、自分では気づかない深層心理にそういうのがあったんじゃないか。本当にその人のために何かしたいのであれば、別の声のかけ方があったんじゃないか。もしくは声をかけずに見守るということも必要なのではないか。

さらに追い討ちをかけたのは、その後ペペがフラメンコを靴をはく時でした。ペペは靴に足を入れると、すっと横から他の受講生の女性が二人彼の足元にかがみ、彼の靴紐を結び出したのです。

その光景を見て私、本当にびっくりしました。一瞬呼吸が止まったくらい。そうか・・・例えば靴紐を結ぶということはペペにはできないんだ・・・。でもそれを自然に受け入れて彼の足元にさっとかがんで靴紐を結ぶ他の受講生と、その光景を見て固まっている私・・・。

なんなんだ私・・・。

あの時のショックから、今度は私がペペの靴紐結ぼうって心に決めて、別の日に私もさっとかがめるようになったけど、今思い出しても恥ずかしい。これまで障がいを持った人達と直接関わることが一度もなかったからかもしれないけど、自分の無知さというか愚鈍さというか、そういうものを思い知らされた最初の「事件」でした。

  • マリ・カルメンのこと

マリ・カルメンは50代くらいの女性。両手が不自由のようでした。もしかしたら言葉も。付き添いの女性2人と参加していました。マリ・カルメンに初めて会った日「Hola」と挨拶したけれど、マリ・カルメンは無表情で(そう私には見えた)私をじっと見つめただけで何も言わなかった。クラスでセビジャーナスを始めた時、クラス半分のグループに分かれて、半分は見学、半分は二人組みになって向かい合って踊る。マリ・カルメンが他の受講生と組みになって踊り始めた時、私は見学していた。マリ・カルメンは両手が不自由だから、みんなのように腕を動かすことができない。他の組がさっとパサーダ(向かい合っている二人がすれ違う)できてもマリ・カルメンはさっと動けない。ああ、どうやってマリ・カルメンはセビジャーナスを踊ればいいんだろう、って私は思って見ていた。そうしたら、よく見ると、マリ・カルメンの片手がひらひらと小刻みに揺れている。そのひらひらの動きがあまりにも美しく、私は息を飲んだ。

フラメンコ舞踊において美しい手の動きとは、手首や指をしっかり動かすことではなかったか。腕をできるだけ大きく、長く使うことではなかったか。肋骨を閉めて腹筋や背筋をしっかり使うことではなかったか・・・・そう叩きこまれた舞踊基礎中の基礎がガラガラと音を立てて崩れてゆくような、そんな美しさだった。そして、1番、2番、と毎回終わる度にマリ・カルメンは相手のほっぺたにキスをした。・・・そんな感動的なセビジャーナスを私は今まで見たことがなかった。

そしてマリ・カルメンの番が終わり彼女が私の隣に座った。他の人達がセビジャーナスを踊っている間に流れていたCDの歌を、マリ・カルメンは口ずさんでいた。そっと横顔を見たらやはり無表情に見えた。でも口ずさんでいた。「上手に」セビジャーナスを踊れる私は、そのセビジャーナスの歌詞を知らなかった。当然口ずさめなかった。

別の日には皆で即興でアレグリアスを踊ることになった。4隅にいる人達が一人ずつ即興で踊り、それを皆が真似る。その中でイニシアチブをとって踊る役がマリ・カルメンに当たった。マリ・カルメンは棒立ちになっていた。踊りの流れがそこで途切れてしまい、みんな一旦休止。その時にマリ・カルメンの付き添いの人達が、こういう風に踊れば?というように動きをいろいろやって見せた。よくあるフラメンコの動き。

でもそれを見た時私の中でバーンと何かが弾けた。いや、違う、そんなんじゃない。そういうことじゃない!!!そしてその次の瞬間言ってしまった。「マリ・カルメン!あなたが手を動かす、あの動き、とっても綺麗よ!私は大好き。それでいいと私は思う!」マリ・カルメンは私をじっと見つめた。付き添いの人達も周りの受講生もみんな黙っていた。・・・しまった、私、出しゃばってしまった・・・と後悔した。でも今思うと言ってよかったのだと思う。クラスの最終日そのアレグリアスをまた即興で踊った時、またマリ・カルメンの番になった。みんなが固唾を飲んで見守る中、マリ・カルメンは手をひらひらと動かしたのだ。あの動き。そしてクラスのみんなも手をひらひらと動かした。

クラスで伴唱してくれていたマラ・レイのアレグリアスの歌を聴きながら、私は少し泣いた。

写真:アントニオ・ペレス

2018年3月21日 次回に続く。

Mar 12

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みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

遅くなりましたが、3/5にヘレス・フェスティバルで踊らせて頂いた写真をアップします。
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第22回フェスティバル・デ・ヘレス
トリノ国際コンクール「フラメンコ・プーロ」受賞者ガラ公演
2018年3月5日
サラ・コンパニーア(ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ)

芸術監督:マヌエル・ベタンソス、モニカ・モーラ
ギター:ミゲル・ペレス、ジョルディ・フローレス、ヌチョ・ノビレ
カンテ:インマ・リベーロ、メルセデス・コルテス、マヌエル・ソト、ホセ・サルゲロ
パーカッション:カルリートス・メリノ

舞台写真:アントニオ・ペレス

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たくさんの出演者の中から実質的な「トリ」に選んで頂いたことにひしひしとした重圧を感じていた毎日でした。本番では照明(さす)が動かず、その中で長いバタ・デ・コーラで踊るのに非常に苦心しました。それでもインマの歌を存分に引き出したこと、そして観客・会場のエネルギーが自分の細胞内を駆け巡り、放たれていった瞬間があったことは感動的でした。表面的な美しさや技術云々とは全く別の次元の、点数や順位には現れない、私のソレアを踊りきったことで「トリ」の責任は果たせたと自負しています。

公演の翌日は、自分の中で悔しかった反省点を振り返り練習し直してみました。まだまだ基礎が甘い自分ではありますが、
たくさんの著名なアーティスト達にも踊りを観て頂き、暖かいお言葉を頂けたことは本当に光栄でした。
そのような機会を頂けたこと、たくさんの仲間達や共演者に助けて頂いたことに心よりお礼を申し上げます。

道のりはまだまだ続きます。今後も精進したいと思います。
ありがとうございました。

Mar 9

Cartel-Tacón-Flamenco-2018tacon09みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

3月3日に開催された「マノロ・マリンへのオメナへ公演」の写真(アントニオ・ペレス撮影)がレブリーハのフラメンコHPに掲載されました。素晴らしい写真の数々です。どうぞご覧下さい!

http://www.lebrijaflamenca.com/2018/03/vi-edicion-del-tacon-flamenco-de-utrera_homenaje-al-bailaor-sevillano-manolo-marin/

ちなみに、私も公演主催者のご厚意により、フィン・デ・フィエスタに出演させて頂きました。マノロ・マリンに師事したそうそうたるアーティスト達の中、実は私はマノロにほとんど師事していませんでした。私がセビージャに留学した2002年当初から数年はトロンボにずっと師事していたためです。時を同じくしてマノロはご自身の学校での教授活動を引退され、マヌエル・ベタンソスに引き継がれました。結局私がマノロに師事できたのは昨年の、マヌエル・ベタンソス学校で開催されたマノロ・マリンのクルシージョだけだったのです。それでもマノロ先生は私に温かく接してくださいました。

フラメンコ界って、誰に習っているか習っていないかで派閥のようなものができてしまったりしますね。できるというより、そういう見えない壁みたいのを作ってしまう人達がいる・・・。自分と同じ先生に習っている人はお友達で、そうでない人とは一線を引いてしまう人。その先生に習っている(もしくは習った)自分はエラくて(もしくはフラメンコをわかっていて)そうでない人を内心バカにする人とか。

悲しいですね。

でもフラメンコってもっと大きなものだと思うのです。好みの違いでフラメンコを分けることはできないと思うのです。偉大なアーティスト、真の先生というのはそういう分け隔てをしないのではないでしょうか。長年たくさんのアーティストに接してきて実感することでもあります。

だからほとんど師事していなかった私のような人間にもフィン・デ・フィエスタに参加させて下さり、「君も踊れ」とお声をかけて下さったマノロ先生には感謝しています。ありがとうございました。

愛好家やプロではないヒターノ達のプライベートなフィエスタに参加することは結構ありますが、逆に、今回のように著名アーティスト達が集合した舞台上のフィン・デ・フィエスタに参加させて頂いたのは初めてかもしれません。ああいう時にその人の人間性が出るんですね。「私は踊らないから、ジュンコ踊りなさい」と何回も背中を押してくれたアデラ・カンパージョ。率先して目立たない場所にそっと立っていたイニエスタ・コルテス。私の隣でニコニコ笑いかけてくれながらパルマを叩いていたマヌエラ・バルガス。自分が踊り終わった後に私の目の前にでーんと立ちふさがり知らんふりしていた、とある踊り手。(別にいいけど。笑)楽屋入りした時には「えー私は踊らないわよー」ってやる気なさそうにしていたのに、コートを脱いだら下の服装はバリバリ準備してきました!って感じの踊り手。(舞台上の踊りもそうだった。笑)自分が出る瞬間を虎視眈々と狙いつつ、フィン・デ・フィエスタ中位置を移動し、最後に美味しいところをかっさらっていった踊り手もいたし。(うまいなー。笑)間が悪かったり、長々踊っている人がいると「はい、引っ込みましょう、さよならー」とこっそりヤジを耳打ちしてきた人もいました。(笑)

結局私は踊りませんでした。あの日は実は本当に疲れていました。3月1日に出演した林結花さんとの公演の翌日2日にヘレスに移動し、その翌日3日は朝8:30集合でヘレスの舞台のリハーサル。お昼ご飯を急いで食べて、電車に乗りヘレスからウトレーラまでまた移動。本当に疲れ果てていて、このhomenaje公演に行くのを迷ったくらい・・・。でもチラシに名前を載せて頂いているし、やはり行かなくては!というわけでウトレーラ入りしました。実際、舞台の上に乗ってしまえばそんな疲れは吹っ飛んでしまうのですが、そうそうたるアーティスト達がいらっしゃったし、元々、その場で一緒にパルマを叩かせて頂くだけでも光栄ですから、踊りたいと言う気持ちはそれ程ありませんでした。せっかくの機会なので、自分が踊る云々よりもその場を楽しめたらいいなという感じ。そして想像していた以上に、このフィン・デ・フィエスタ内の人間模様、人間観察が面白かったかな。(笑)自分が踊るよりよっぽど。

なかなかいい経験経験をさせて頂きました。ありがとうございました!

2018年3月8日 ヘレスにて。

Mar 7

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

おかげさまで3/1のウトーレラでの公演、3/5ヘレスでの舞台も無事終了しました。あまりに忙しくブログ更新が追いついておりませんが・・・まずはウトレーラの公演写真をアップしたいと思います。

2018年3月1日
エンリケ・デ・ラ・クアドラ劇場(ウトレーラ)
ギター:ミゲル・ペレス
カンテ:ダビ・エル・ガジ
カンテ:モイ・デ・モロン
バイレ:林結花・萩原淳子

写真:アントニオ・ペレス

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10年程前でしょうか、スペインで踊り始めた頃は外国人が、特に東洋人がスペインで踊るということが珍しかったように思います。時代が流れ、最近はスペインにおける「日本人の」公演にお声をかけて頂くことも増えてきました。一人で踏ん張っていたあの頃には学べなかったこと、他の日本の方との共演だからこそ学ばせて頂くこともあります。結花さんありがとうございました。

フラメンコは透明。その人となりが全てだと私は思います。踊りの出来・不出来よりも、自分という人間を鍛え、培ってゆく。人としてどう生きていくのか、自分以外の人をどう大切にしてゆけるのか。

今後の課題はそこかな、と思いました。

フェイスブックにアップした動画はこちら→https://www.facebook.com/emorenopz/videos/10215873490050577/

2018年3月7日 ヘレスにて。