Feb 27

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

水曜日に行われたカルトゥッハ修道院における「ミエルコレス・アル・コンパス」公演は大成功に終わったようです。「ようです」というのは、私としてはそんなに実感がないのですが、共演アーティストや主催者側、お客様がみなさんお喜びされていたからです。本当にありがとうございました。

当日は本当にたくさんのお客様がいらっしゃいました。その日は、セビージャ(セビージャを本拠地とするサッカーチーム)の試合がありました。重要なサッカーの試合とフラメンコ公演の時間が重なるとどうなるか・・・?事前にチケットを購入する劇場公演は別として、入場無料の催し物やペーニャ公演はガラガラになります。そのため開演時間をサッカーの試合の終了後に変更する場合もあるくらい。主催者側の方がおっしゃるには「この国でサッカーに勝つものはいない。」しかし公演30分以上前にすでに長蛇の列ができていたそう。開場とほぼ同時に満席、開演後もぞくぞくとお客さんが詰めかけていたそうです。「ジュンコ、サッカーに勝ったね!」と主催者のみなさんは大喜び。本当にありがとうございました。

踊りの方は・・・日曜のベジャビスタ公演よりはずっとよかったとは思うのですが、自分としてはまずまず・・・といったところ。次回はあの部分をああしよう、こうしようなんて考えていました。すると歌い手のヘロモ・セグーラが「ジュンコ!今日の公演はカラッホ(carajo)だったよ!だから俺は君と仕事をするんだ!」と目をきらきらさせて興奮していました。ヘロモの口からカラッホという言葉が出るときは、本当に素晴らしかった時。「すげーよかった!」みたいな意味になるでしょうか?(ちなみに「カラッホ」を辞書で引くと、別の意味が出てきます)だからその言葉を聞いた時、「今日の公演はどうも成功したようだ」と思ったのです。いまいちピンと来ていない私を見てギタリストのミゲル・ペレスが「ジュンコ、もっと自分の踊りに自信を持っていいんだよ!」と。

そう、数日前のペーニャ公演で1曲大失敗してしまった私は、その後この公演まで生きたような死んだような気分でした。次の公演がまだ1ヶ月先ならまだしも、2日しかなかったのです。「どうしよう、また失敗したら・・・」と心配がぬぐってもぬぐっても、頭から離れませんでした。「できる、できる」と自己暗示をして臨んだ公演だったのです。自信?どうしたらそんなものを持てるのでしょう?

でも公演が始まり、まず最初のカンテソロのソレアを聴いた時、何かがぱーんと弾けたのです。私は踊る前に泣いていました。そして1曲目の踊りのタラント。ファルセータ(ギターのメロディ部分)を聴いた時、本当に涙がぽろんと舞台に落ちるかと思いました。そしてその後はほとんど何も覚えていません。どうも私が踊っている最中に会場の灯りが全部消えて真っ暗になってしまったようなのですが、それも記憶にありませんでした。舞台終了後、観に来てくれた屋良有子ちゃんと里有光子ちゃんに「あかりが消えちゃったのに、全然動揺してませんでしたね!」と言われて、あ、そういえば消えた瞬間があったよね、なんて思い出しました。

2曲目はバタ・デ・コーラで踊ったアレグリアス。バタ・デ・コーラを習って随分経ちますが、1曲まるまるソロで踊ったのは今回が初めてでした。コーラで踊るのは本当に難しい。どんなに高い技術を持っていても、スタジオでものすごい練習を積んでも、本番でコーラをはくのは全然違うのです。でも挑戦したかったのです。だからコーラで踊りました。踊りがどうだったのかはタラントと同じで、覚えているようで覚えていない、覚えていないけれど覚えている。でもいずれにせよ、これからもっともっと磨いていきたいと思います。その意味で私にとっては重要な第一歩でした。

やはり大成功だったのでしょうか。公演後友達から「すごくよかった!」「そのまま踊り続けて」と携帯メッセージや電話がぞくぞくと寄せられました。本当にそんなによかったの?何が???と面食らってしまうくらい。正直、今もぴんと来ていません。でもみなさんが喜んで下さってよかった。そう心から思います。そして思うのは、もし本当に私の踊りがよかったのだとすれば、あの数日前のペーニャ公演での大失敗があったからこそなんじゃないかな?ということ。やはり私は舞台を通して何かを学んでいると思うのです。いろいろな意味で、いろいろな人にいろいろなものに感謝の気持ちを感じました。

さて、明日はセビージャ3公演第3弾。アンダルシアの日の特別公演です。詩の朗読に合わせて踊るはずだったのですがそれに加えて、タラント、アレグリアス・デ・コルドバ、ブレリア、ソレアの4曲も踊る事になってしまいました。(歌ぶりだけですが)一体どうなってしまうんでしょう。こんなに公演が立て続いて、しかも内容も共演者も毎回異なり、息つく暇がありません。でもやると決めたからにはやらねば。がんばる。

2010.2.28 // フラメンコ舞踊博物館-(セビージャ)12:00H. 入場無料 

Baile Cante Guitarra Poema
  • 萩原淳子
  • フアン・イグナシオ・スアレス
  • ゴンサロ・トロ
  • チャロ・サントス
  • フアン・カニャーダ
  • ぺパ・ブルネス
  • イサベル・レブレロ
  • マヌエル・マヌエル
  • アウレリア・ヒメネス
  • ホセ・マヌエル・ピサーラ
  • イスマエル・ピサーラ
  • フアン・レアル
  • マルコス・セラート
  • エミリオ・ペレス・ロメーロ
  • ホセ・ルイス・ゴンサレス・カセレス
  • フアン・アントニオ・モリーナ
  • フアン・オロスコ
  • マヌエル・センラ

では、また公演結果をご報告しますね。

2010年2月27日 そういえば今日からベレン・マジャのクラスが始まるんだった・・・。(それどころでない私) フラメンコフェスティバルが始まったヘレスにて。

Feb 23

2010.2.24 // 「ミエルコレス・アル・コンパス公演」カルトゥッハ修道院ーセビージャ (開演21:00、入場無料)

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • ヘロモ・セグーラ

 

  •  ミゲル・ペレス

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

日曜日の、ベジャビスタ(セビージャ郊外の街)でのペーニャ公演はお陰様で無事終了致しました。・・・と言っても本当に「無事」だったのか・・・?当日はタラントとアレグリアスを踊りましたが、1曲目のタラントが・・・・

嗚呼・・・・

最悪の出来でした・・・・本当に。

その日の夜にセビージャでエバ・ジェルバブエナ舞踊団の公演がありましたが、あまりの自分の踊りのひどさに、エバの公演中も集中できませんでした。せっかくエバの踊りをマエストランサ劇場で観ることができたのに・・・。そして昨日もショックで練習も手に着かず・・・。意識朦朧状態で街を徘徊していると、なんと、そのベジャビスタ公演を観に来て下さった方にばったりお会いしたのです。その方は以前にも私の踊りを観に来て下さっていて、ペーニャでお会いした時に「すごく楽しみにして来たんです」とおっしゃっていました。その時のこと、あのタラントを思い出し、私は開口一番に「ごめんなさい」と申し上げました・・・・。2曲目のアレグリアスは自分でも満足行く出来だったのですが、その方はなんと、タラントを観終わった後に帰られてしまったとのこと。そこまでひどすぎる踊りだったのか、ご予定があったのか伺いませんでしたが・・・・本当に申し訳ございませんでした。

どんなに練習を積んでもなぜか舞台では、それが現れないこともあります。そこが舞台の恐いところです。毎回涙を飲んで反省し次回にいかしているつもりなのですが、私はまだまだまだまだ未熟者。失敗の連続から学ばせて頂いています。その失敗の時に当たってしまった方には本当に本当に申し訳ないのですが・・・でもいつの日か、踊り手としてきちんと舞台に立てるようになりたいと思っています。こんな私ですが・・・みなさまどうぞ宜しくお願い致します。

ところで、明日はセビージャ公演第2弾です。先程ギター、カンテとの合わせをしてきました。すばらしいギタリストです。彼の名はミゲル・ペレス。本当にすばらしい。踊らずに聴いていたいと思いました。そんな素晴らしいギタリストが私ごとき踊り手と共演してくれるなんて、本当にいいんだろうか・・・と正直思います。ミゲルは今パストーラ・ガルバンと共演しているそうです。やっぱり。あんなに素晴らしいギタリストが放っておかれるわけがありません。ただ聴いているだけで素晴らしい。そして踊り伴奏も素晴らしい。素晴らしいギタリストと合わせると、自分の踊りが信じられないくらい気持ちよく楽に踊れるのです。(そしてそうでない場合・・・苦しみを味わいます・・・・)ああ、なんて私は幸運なんでしょう。こんなに素晴らしいギタリストと共演できるなんて。

歌い手は何度も共演しているヘロモ・セグーラ。ヘロモは日・月曜にエバの公演、今日火曜はラファエル・カンパージョの公演に出演します。そして明日は私と・・・なんで最後に私と共演になっちゃたんでしょう。尻すぼみですみません。ごめんね、ヘロモ。

がんばらなくっちゃ。もう公演は明日なので今さら何をどうがんばるのか分かりませんが・・・。でも気合いだけは入ってきました。ミゲルとヘロモと私とお客さんとで、フラメンコを共有できますように。一瞬でいいので、あのフラメンコの瞬間が現れますように。

ではまた・・・お会いしましょう!

2010年2月23日 久しぶりに晴れたおかげで、あちこちで洗濯機がうなるセビージャにて。

Feb 19
Tango de Pepico(タンゴ・デ・ペピーコ)
La Yunko | ブログ | 02 19th, 2010| Comments Off

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

今日のブログのタイトルは「Tango de Pepico」。先日面白いことを教えてもらったので、今日はそれをブログにしようと思います。

先日ガルシア・ロルカの作品「ベルナルダ・アルバの家」の演劇をセビージャで観ました。その演劇の中でエストレージャ・モレンテの「Tango de Pepico」が使われていました。彼女のCDに収録されているタンゴなので、聞いた事のある方もいらっしゃるかと思います。(YouTube でも「Estrella Morente -Tango de Pepico」で検索するとその歌が聞けますよ。)その歌詞と演劇の内容が一致していたので、へ〜面白い使い方だな〜と感心して聞いたのです。

舞台の後、一緒に観に行ったスペイン人の友達に「ジュンコ、あのタンゴの歌詞の意味分かった?」と聞かれました。その友達には、聴き取れないフラメンコの歌詞について質問することが時々あるので、逆に向こうから聞いてくれたのです。その歌詞の意味はばっちり分かった私は、「もちろん分かったよ〜ん。『ペペがいなくなってから、菜園に誰も水やりしなくなって、薄荷とパセリが枯れちゃった。ペペ、私を苦しめないで〜』という意味でしょ?」と得意気に答えたのですが・・・・ ちなみに歌詞は以下です。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

Desde que se fué mi Pepe

el huerto no se ha rega(d)o.

La hierbabuena no crece

y el perejil  se ha seca(d)o.

Ay Pepe mío Pepe mío ven pa(ra) acá

Que no me hagas más sufrir

que ni tampoco me hagas más llorar.

※歌詞聴き取りは私です。ちょっと違うところもあるかも?

ちなみに()の部分はアンダルシアなまりのため発音されていない、と思われます。

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

するとその友達はこう言ったのです。「あの歌にはドブレ・センティードがあるんだよ。」

・・・・・・「ドブレ・センティード」・・・・・それは難関すぎる・・・・・

「ドブレ・センティード」とは直訳すると「二重の意味」つまり一つの言葉や文章で表向きとは違う意味を含んでいる、そしてその意味の方が実は重要と説明できるでしょうか。和歌にも「掛詞」というのがありますね。それに相当するかと思います。(多分ですが。中学か高校の時に古文の授業で習った気がします。)

そしてこの歌詞の本当の意味を知る上でのポイントは「el huerto(菜園)」に「regar(水をやる)」。この裏の意味はなんと!「性交渉」を表しているんだそう。(こんなことブログにしていいのかな。まあいいか。ということで続けます。)そんな意味とはつゆ知らず、私はてっきり、ぺぺは農夫とばかり思っていました。水やりをしていたぺぺがいなくなってしまった今、自分が水やりをしなくちゃいけなくなってもう大変だわ、という意味かと。

でももう一つのの意味の方で解釈すると・・・つまりぺぺ(自分の夫、恋人、もしくは情夫?)がいなくなってしまってからというもの、私はご無沙汰で乾いちゃっているわ、ということ?ひえ〜、すごい意味。最後の2行「これ以上私を苦しめないで、そしてもう泣かせないで」というのも、それでつじつまが合います。確かに、菜園の薄荷とパセリが枯れたくらいで誰も苦しみませんよね〜。

いやそれにしても、そんなこと全然知らなかった。せっかく意味が分かるようになったと思って喜んでいたのに。やっぱり私は外国人だもんな・・・・とちょっとがっかりしていると、その友達は「アンダルシア人でもその意味を知っている人と知らない人がいるよ。例えばF(共通の友達で敬虔なカトリック信者。ものすごい堅物で有名。)は知らないと思うよ。」と言ってくれました。

なるほどね〜、じゃあ誰が知っているんだろう?と思い、その辺りに詳しそうな隣人Eを相手に早速実験することにしました。

私「ね〜ね〜、最近菜園に水やりした?」

E「先週したよ。でも今年は雨が多いからほとんどしなくて済むよ。」

と、真面目に答えてきたので

私「そっちの水やりじゃなくて、もう一つの方。いひひ。」

E「(にやりと笑って)ほぼ毎日」

なるほどね〜。こういう使い方をするのね!感心する私を後に、Eは屋上に洗濯物を干しに行きました。。。。。

それにしてもフラメンコの歌詞って奥が深い。深すぎる。外国人である私はスペイン語をまず勉強する所から始まり、なおかつフラメンコの歌詞にはアンダルシア方言とジプシーの言葉が使われているのでそれも理解しなくてはいけません。ここ数年ほど前からやっと歌詞の意味を聴き取れるようになってきて、それからフラメンコに対する接し方、感じ方、自分の踊りが随分変わったように思います。でもそれでも、まだまだ。あ〜遠い先のフラメンコ。本当に果てしない道のりなのですが、私はなぜか嬉しいのです。新しいことを知ること、そして少しずつカンテ(フラメンコの歌)を聴けるようになっている自分が。そのカンテを、その土地でその文化でその言葉でその感覚でその瞬間に理解する、感じる、共有する。少しずつそこに近づいている自分が。そしてそれと同時に、それでもまだまだ辿り着けない、深い深いフラメンコというものがこの世に存在していることが。それに出会う事のできた自分の人生が。

やっぱりフラメンコは素晴らしい!結論は必ずここに行き着くのです。

よし、セビージャ3公演まであと少し。がんばるぞ。

2010年2月19日 雨が降り続くセビージャにて。

Feb 3
カルメン・レデスマ
Hagiwara Junko | ブログ | 02 3rd, 2010| Comments Off

 みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

セビージャ3公演!と喜んでいたのも束の間、どうしよう〜どうし  よう〜と緊張と不安の毎日が始まりつつあります・・・・。1月中  は、公演は2月だ!と思っていたのですが、あれ、もう2月じゃな  いの。毎日変な夢を見てうなされたり、(先日の夢は、踊っている  私の足にE.T.しがみつき、身体が浮いてしまうというもの)やるべ  きことは分かっているのに、集中できなかったり。そして自己嫌悪  に陥ったり。本当にこんな状態で踊れるのだろうか・・・と不安で  いっぱい。舞台を控えている人は皆こんな気持ちなのでしょうか。

これではいかん!と電話をかけた相手がカルメン・レデスマ。カル  メンは私の恩師。今は習っていませんが、いつでも私の心の恩師。近所に住んでいることもあり、時々カルメンのお家にお邪魔をしています。自分の心の不安をカルメンに話すことはありませんが、カルメンといろいろ話しているとなんだか落ち着いてきたり、さらに元気になったり。今日もカルメンが用意してくれたコーヒーと、私の手みやげのチョコレートでお茶をしてきました。

本当に重要なことは、いつもカルメンに話せずにいるように思うのです。毎回、ああ、カルメンに言わなかったな・・・と思いながら家路に着きます。それでもなぜかカルメンとのおしゃべりは、私にとってとても重要なひと時なのです。何かフラメンコに関してすごく重要なことを伝授してくれるとか、そういうことではないのですが、それでも「何か」重要なことがあるのです。踊り手として、人として尊敬できる人だからこそでしょう。うわべだけのおべっかがまかり通っているこの世の中で、そういう人に出会えたというのは感謝すべき、すばらしいことだと思うのです。

これからもがんばろう。そう新たに気持ちを立て直すことができた午後でした。

2010年2月3日 セビージャにて。

(写真:アントニオ・ペレス/萩原淳子ペーニャ・トーレス・マカレナ公演を見守ってくれているカルメン・レデスマ)