Nov 27

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャもだいぶ寒くなりましたが、お陰様で私は相変わらず元気です。

12/1(水)にセビージャでソロ公演があります。

2010.12.1 // 「オトーニョ・クルトゥラル」 -(テハール・デル・メジッソ市民センター、セビージャ)19:30H 入場無料

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • ヘロモ・セグーラ
  • ハビエル・リベーラ
  • ミゲル・ペレス

※↓「オトーニョ・クルトゥラル」についてのネット記事(スペイン語)

sevilla-otoño-cultural-en-los-remedios

「ラ・ジュンコ」出身・日本、と紹介されています。(力士みたいですね。)写真も下の方にアップされています。

「オトーニョ・クルトゥラル」はセビージャ、レメディオス地区で毎年行われる秋の文化行事です。10月から12月までコンサート、演劇、フラメンコ、ミュージカル等が計18公演。単純計算すると1ヶ月に6公演、週に1〜2公演。しかもそれが無料で楽しめます。地域の住民はもちろん、全ての人が入場無料です。(経済危機の中、文化や芸術を守る姿勢に拍手を送りたい。)フラメンコは3日間、そのうちの1日に呼ばれソロ公演をすることになりました。

今回の共演者、ギターは最近いつも一緒に仕事をしているミゲル・ペレス。この人は本当にいいギタリストなのです。ギターはうまい、舞踊伴奏も経験豊富、人柄もいい。いつも5分前行動。お金に汚くなく、もちろん麻薬なんてやっていません。(そんなの、仕事なんだから当たり前でしょ〜!と思いたいのですが、ここではいろんなアーティストがいます。困ったものです。)私はミゲルの率直で誠実な人柄が好き。裏表がなく、おべっかも悪口も言わない。結局そういう人間性がギターに現れるのだと思います。

さて、カンテは誰にするか。踊る曲はアレグリアスとティエント。まずハビエル・リベーラ。先のコルドバ・コンクールで歌ってくれました。コンクールではどちらも踊りませんでしたが、合わせの段階でものすごくいいティエントを歌ってくれたのです。あのティエントで踊りたい、ということで、まずはハビエル。

そしてもう一人の歌い手は?ここで随分悩みました。モイ・デ・モロンかヘロモ・セグーラか。全くカラーの違う二人。好みが分かれる所かもしれませんが、どちらも歌い手として一流です。う〜む。最終的にヘロモを呼びました。なぜなら、ティエントを踊るから。アレグリアスは二人ともとてもいい。もしソレアを踊るならモイを呼んでいたと思いますが、ティエントとなると後半はタンゴもあり、やっぱりヘロモかな、と。ハビエルとヘロモは長年一緒に仕事をしているし、そういう組み合わせというのも重要だからです。

よく「共演者はどうやって決めているの?」と質問されることが多いのですが、これは難しいのです。すでに共演者が決められていてそこに自分が入る場合は別として、自分で共演者を選ぶ場合は結構大変。最近ではそうでもありませんが、最初の頃は私がいきなり電話をしても「オマエ誰だ?日本人?」みたいな反応をされる可能性が非常に高かったので、誰かに紹介してもらわないと出演交渉ができませんでした。そうして少しずつ共演していくうちに、別のアーティストを紹介してもらえるようになり、自分で直接交渉できるようになり。時には逆に「自分と共演してほしい」と言われることもあったり・・・。(ありがたいことです。)

しかしいつでも自分の好きなアーティストと共演できる訳ではありません。日程、場所、出演料の関係で共演アーティストというのは変わってきます。いったん共演承諾されても、よりよい条件の仕事が入れば直前でもそちらに鞍替えする人も結構います。そうすると新たに共演者を探さなくてはいけません。またギタリスト、歌い手の間の相性というのもあるので寄せ集めればよいというわけでもないのです。共演承諾してくれたアーティストが勧める別のアーティストが自分の好みとちょっと違う場合もあるし、自分の好みのアーティストが他の共演者と相性ぴったりというわけでもなかったり・・・。そして自分との相性も。舞台で聴いて「この人と共演したい!」と思っても仕事を一緒にするにあたり、う〜む、人間性が・・・ということもあり。難しいのです。

とはいっても、最終的には自分の踊りをちゃんとしなくては。いくらいいアーティストに囲まれていても、やはりそのアーティストを率いる実力がないと。実力とは、踊りの技術的レベルの高さではなく(それは最低必須条件だけど、それを準備するのも実は大変だ)、フラメンコをどれだけ理解しているか、カンテやギターをどれだけ聴いているか、その場その場の状況判断をどれだけ迅速正確にし、彼らを引っ張っていくことができるか。これは本当に難しい。それができる時もあれば、できずに「あちゃー」という時もあります。実際は「あちゃー」の方が多いのですが、だからこそ、プロフェッショナルなアーティストと共演したいのです。彼らに救ってもらうためではなく、どこに問題があったのかはっきりさせるため。問題点を自分以外に転嫁させないため。そして自分に率直に意見を言ってくれるアーティストであれば、なおさら勉強になります。次の仕事を期待しておべんちゃらを並べたり、ギャラをもらいさえすれば後は無関心、というのではなく。

がんばろう。これまで一生懸命練習してきたけど、本当はまだ足りない気がします。多分全然足りない。でも与えられた機会を大切に、自分ができることしっかりやっていきたい。そうして積み重ねしていくしかないと思うから。

では、またお会いしましょう。みなさんもどうぞご自愛下さいね。

2010年11月27日 寒いのでけんちん汁を作りました。 セビージャにて。

Nov 20

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか。

コルドバ・コンクールは予選落ちしました。まあそうだろう、とは思っていたのですが万が一決勝進出した時のことを想定して、予選後も結果が分かるまで気合い入れたまま練習していました。我ながらバカだな〜と思いながら。でも最後まであきらめずに挑戦してよかったなと思います。応援して下さったみなさんどうもありがとうございました。

今回振付けした4曲、アレグリアス、ソレア、ティエント、ガロティンはいつの日か日本の皆さんの前で踊れる日がくるといいなと思います。ギタリストのミゲル・ペレスが「それだけ持ってたらいつでもソロ公演ができるよ!」と。そうですね。この4曲に加えてタラント、シギリージャもあります。いろいろ踊れればいいというものではないけれど、フラメンコはその曲ごとにそれぞれの色合い、響き、空気、香り、味があるのでそれらを踊りを通して感じられるのはとても素晴らしいことだと思うのです。フラメンコの持つ豊かさに万歳!!!

それと、この予選に出場した時にスペイン全国紙「エル・パイス」の記者からインタビューを受けました。その一部が記事になりましたのでここで紹介させて頂きます。

2010年11月16日付 (記事:マヌエル・J・アルベルト、 写真:F・J・バルガス)

  • エル・パイス紙の記事(スペイン語)はこちら↓

los-idiomas-de-un-arte-universal-c2b7-elpaiscom

  • 記事における写真はこちら↓

(手前茶色の衣装の踊り手さんは、同じく予選出場したイグチユカリちゃんです。私は奥にちょこっと写ってます。)

記事タイトルは「Los idiomas de un arte universalーEl Concurso Nacional de Arte Flamenco recibe participantes de nueve países.」今回のコルドバ・コンクールにスペイン以外の9つの国(アメリカ合衆国、日本、キューバ、ペルー、ブラジル、メキシコ、コロンビア、フィンランド、モロッコ)からの参加者があった、ということで、フラメンコが芸術として世界的に認知されつつある、という内容の記事です。記事が長いので、私のインタビューのところだけ訳させて頂きます。

ジュンコ・ハギワラが初めてフラメンコを聞いたのは、彼女の国、日本における新体操の試合でである。選手のうちの一人がフラメンコ・ギターを演技に使用していたのだ。幼少にもかかわらずジュンコはその音楽に魅了される。「私にとってそれは衝撃でした。それによって全てが開かれたのです。」と、ジュンコは思い出す。それからというものフラメンコは彼女の中で大きな情熱となり、2002年の渡西へとつながる。

〈中略〉

(回を追うごとに増え続ける外国人出場者の中に)“ラ・ジュンコ”というアーティスト名を持つジュンコ・ハギワラと、彼女と同じ日本人ユカリ・イグチがいた。

〈中略〉

“ラ・ジュンコ”はフラメンコ舞踊のクラスに通い、練習に励み続ける。そのかたわらペーニャやタブラオにおいて不定期で踊る。しかしまだ特定の舞踊団やグループでの専属契約はない。「人によっては、東洋人がフラメンコを踊ることに対して奇異に思う人もまだいると思います。しかし私自身が自分の頭の中でそのような障害を作ってしまっているとも思えるのです。私がすることは、自分自身の壁を乗り越える事、常に前に進むことなのです。」

この記事が出た同日、フラメンコが無形世界遺産として認定されました。フラメンコが素晴らしい芸術であり、それが世界中の国の人々の心を打つものであることには疑問はありません。その意味で今回の認定はとても喜ばしいものであると思います。しかし、そのフラメンコを取り巻く「人」はどうなのでしょうか。「フラメンコは世界遺産である!なぜならアンダルシア人だけでなく、世界中の人をも魅了する芸術だからだ」と声高に叫ぶ同じ人が、「東洋人がフラメンコを踊る?そんなわけないだろう、フラメンコはアンダルシアのものなのだから」と冷笑する現実。

もちろんそうでない人達もいます。偏見なくフラメンコそのものを愛する人達。ロンダのコンクールで私に優勝を与えてくれた審査員、そしてそのコンクールを観に来てくれたウブリケ・コンクールの司会者。予選落ちしたコルドバのコンクールでも審査員のある一人は私の踊りを最初から最後まで凝視し続けていたと聞きました。コンクールだけではありません。私の踊りを愛してくれるペーニャの人達。私には有り余るほどの「愛情」。フラメンコへの「愛情」。

でもそれと同時にそうでない人達の壁。フラメンコそのものへの愛情というよりも、「フラメンコはアンダルシアのものである=(イコール)自分達のものである」というエゴ。フラメンコが世界遺産として認定されるということは、自分達の文化が世界的に認められたということ。フラメンコが世界的に広まり、外国人がフラメンコを愛して学んでくれれば、自分達の文化に誇りを持てるだけでなく、それはアンダルシアの経済発展につながる。その意味では外国人に対してとても開いている。でもその外国人がフラメンコを踊る、歌う、弾くとなると急に閉じる。教養のある人はそれが偏見であり、差別につながるということを頭で分かっているから、それと悟られないように表面的にはうまく繕う。でもその内面は・・・

セビージャに住みその現実を目のあたりにし、自分は日本人であることで差別されているとずっと感じていた私。でもその差別感は差別されている私自身の内部にもあったことに気づいたのです。「私は日本人だから・・・」という「謙遜」。その美しい言葉の裏に隠れている「卑下」。フラメンコに対して敬意を持つことと自分を卑下することをはき違えているのではないか。自分が属する、人種や文化、そして自分自身が彼らより劣っていると、いつの間にか植え付けられていた考え。そしてそれに縛られていることすら気づかなかった自分。なぜ???疑問を持ちそこから抜け出そうとすると「出る杭は打つ」ごとく批判する人達。もしくは最初から色眼鏡で見る人達。そしてその「人達」とはアンダルシアの人だけとは限らない・・・。

フラメンコが世界遺産に認定されても、フラメンコを取り巻く「人」はそうそう変わらないと思います。残念ながら。でも私はその人達を相手に闘うつもりはありません。私が挑戦する相手は私自身だから。自分の限界を作るのは他者ではなく私自身だと思うから。もし他者が限界を作るとすれば、それを限界だと思ってしまう自分自身がいることで、結局は自分が自分で限界を作っていることに変わりはないと思うのです。

小さい頃、家庭の事情で踊りを習わせてもらえなかったけれど、踊りが将来的に私の人生の中で大きな位置を占めるだろうということは、知っていました。なぜだか分からないけど、知っていたのです。そしてフラメンコ・ギターを初めて聞いた時の衝撃。頭に雷が落ちたのです。「これだ、これだ、これだったんだ!」

今までもこれからもきっと同じように生きていくのだと思います。私を取り巻く人も環境も変わるでしょうが。それでも自分という「芯」を持っていたいと思います。そして「芯」は「心」であり「信」であり「真」であり「慎」であり「進」であり「深」でもあります。全部自分の人生に必要な言葉。

ちなみにスペイン語の「シン」は「sin」。〜なしで、という前置詞です。sin miedo, sin prejuicios, sin limites. 「恐れず、偏見や限界を持たずに」これからもフラメンコを学び続けたいと思います。

2010年11月20日 寒いですが「ヒートテック」を着ている私は他の人より薄着なのです。ふふふ。セビージャにて。

Nov 10
コルドバ・コンクール予選模様!
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 11 10th, 2010| Comments Off
みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?
私は元気です。昨日コルドバ・コンクールの予選に出場しました。予選は土曜日まで続くらしいので、予選結果はまだ分かりませんが、多分予選落ちないんじゃないかな。
私が予選用に準備した踊りは、ソレア、アレグリアス、ティエント、ガロティン。(今年から予選で4曲踊らなくてはならない、という話は前回のブログに載せましたので詳しくはそちらをお読み下さい。)コンクール会場で受付を済ませると、ある人からこんな事を言われました。「4曲全部踊らないかもしれないから、得意な曲から順番に踊った方がいいよ。」
あれ?実力が分かれば、踊りが中断されることがあるというのは聞いていたけど、それでもとりあえず4曲は踊るものかと思っていました。受付の人に確認すると「そうですね、2曲で終わるかもしれないし、3曲で終わるかもしれない。良くても悪くても審査員が踊り手の実力を審査できた段階で終わりになります。」とのこと。なるほど。ならば作戦変更。踊る順番を①ソレア ②アレグリアス ③ティエント ④ガロティンにしてもらいました。ソレアとアレグリアスは一番踊り慣れている曲。この2曲を見てもらえば私の実力は分かってもらえるはず。それでもまだ足りなければ、今回の隠し球、ティエント。この曲はまだ新しいのですが、なかなかいい仕上がりになっているのです。ひょっとすると舞台で大化けする可能性大?!それでも足りなければガロティン。でもガロティンは踊らない事になるかも・・・・な〜んて予想しながら楽屋へ。
私の出番は14番。ちなみに私の前はマリア・アンヘレス・ガバルドン。え〜、だって、この人もうプロで自分の舞踊団だって持っているでしょう。踊りの教則DVDとかも出してるし〜。何で今さらコンクールに出るわけ?しかも私の前ってことは、後に踊る私が見劣りするじゃないの〜。なんてブーブー文句言っていたら、「ジュンコ、がんばれよ〜」とモイ・デ・モロンが楽屋に遊びに来てくれました。「モイは誰に歌うの?」と聞いたら、とある踊り手の名前を挙げました。あ〜、某有名舞踊団で活躍してた人ね。う〜む。でも考えてみたら、スペイン人のプロの踊り手と同じ土俵で審査されたいから、私はそういうコンクールに申し込んでいるんだ。今さら何をごちゃごちゃ言う。望むところでないか。
なんだかんだ言ってもう本番。ミゲルとカンテのハビエル・リベーラが席に着く。そして私は素明かりの中、舞台中央へと歩く。そして止まる。客席最前列よりも前、つまり舞台とほんの目と鼻の先に審査員席。ただ立っているだけなのに身体がぐらぐらする。その時、自分がクルシージョで教えていることを思い出す。人に教えていて自分ができないなんて、そんなふざけた話があるか!心の中で自分で自分を叱責する。普段生徒さんとやっていることを今自分に課す。そう、この感覚。大地とつながってきた。私はもうぐらぐらしない。
カンテが聞こえてきた。審査員と観客が立ち尽くしている私を見ているのだろう。でも逆だ。私が彼らを見ているのだ。ソレアが充満していく全身で。
歌を呼ぶジャマーダ。しまった!いつもより早すぎるテンポで出してしまった。私は緊張している。足もがくがくだ。でもテンポを落とすことはもうできない。ギターとカンテをついてこさせる。止まる。正直言って、この出だしは失敗に近い。この瞬間、もう私の踊りは中断されるかと思った。でもそれと同じ瞬間、客席から「Ole」というため息のようなつぶやきが聞こえた。うそ?!なんで????そして歌を待つ1コンパスの間に審査員の誰かが横を向いて、隣の審査員に「Tiene arte.」(「アルテ《フラメンコの芸術性》を持っている。」)と話しかけているのも聞こえた。・・・信じられない。でも確かに聞いた・・・はっきりと。多分大丈夫・・・・踊り続けよう。
踊れば踊るほどエネルギーが無限に放出されていく。時々会場から「Ole」という声がかかるのが聞こえて来た。このエネルギーは確かに観客に伝わっている。そのエネルギーの循環が私をさらに大きく深くしていく。
私は私のソレアを踊った。舞台袖で私の踊りを見ていた人達(コンクール関係者?)が立ち上がって拍手をしている。そう、これが私のソレアなんです。何年も何年もかけてできたソレア。たくさんの歴史が凝縮されている。そしてこのソレアを私はこれから何年も何年も踊り続けるだろう。
楽屋に戻る。アレグリアスの衣装に着替えなくちゃ。アレグリアスも私の踊りだ。ソレアとは全く違うけれども、私の踊り。と、その時ミゲルが楽屋をノックした。「ジュンコ、もう終わりだ。セビージャに帰るぞ。」え?終わりって、1曲で終わり?もう審査が終わったってこと?・・・・ということは・・・・ラッキー♪早く帰れる〜♪
でもそんなことで喜んだ私はバカだった・・・後から妙なことを耳にする。私が踊り終わった直後に司会者が「これでジュンコのグループは終わりました」と客席に向かって言ったらしい。なぜ直後にそんなことが言える?それを決めるのは審査員でしょう?ということは司会者は、もともと私が1曲だけしか踊らないということを知っていた?そしてその後マリア・アンヘレス・ガバルドンは2曲踊るらしいというのも聞いた。彼女こそ1曲で実力が分かるはず・・・・そしてあの某有名舞踊団元団員も2曲踊るとのこと・・・ということは・・・・????
帰りの車の中で、ミゲルとハビエルに聞いてみた。「司会者は私が1曲で終わりっていうのを最初から知っていたみたいなんだけど・・・」ミゲルが答える。「なにか妙だ。あの踊り手(某有名舞踊団元団員)は上手いけど、何を踊っても同じなんだよ。その踊り手に2曲踊らせて、ジュンコに1曲しか踊らせないのは変だよ。」そして続ける。「アンヘレス・ガバルドンは知名度のある踊り手だから、そういう踊り手がコンクールに出場してくれたのにもかかわらず、1曲しか踊らせないというのは、コンクール側が彼女の実績や彼女自身を侮辱することになる。そういう意味で彼女が2曲踊る、というのはのはまだ分かるけどね。」「じゃあ、“某踊り手”も知名度があるから2曲踊らせてもらえて、私は知名度がないから1曲なのかな・・・」
最初から2曲踊る踊り手と1曲しか踊らせてもらえない踊り手でふるいにかけられていたということ?つまり2曲踊る踊り手は、予選通過の可能性あり、1曲の踊り手は最初から審査対象外ということ?
ミゲルは言う。「ジュンコ、コンクールは政治がからんでいるからな。訳が分からないよ。でも気にするな。予選に通れば通ったでよし、通らなければそれだけのことだ。あとは運の問題だ。」
そうなのだ。これまでいろいろなコンクールに出て来て思うこと。それだ。コルドバのコンクールというのは、スペイン人でも外国人も、プロもセミ・プロも練習生も誰にも平等に門戸が開かれている。同じように申し込めて、つまり同じようにチャンスが与えられる。でももし本当に、審査の前に1曲の踊り手と2曲の踊り手という風に分けられていたとしたら・・・入社試験で有名大学の学生とそうでない学生が、裏で実は最初から振り分けられているのと同じ・・・・でも前者の学生の方が優秀だって、なぜ最初から決めつける?知名度のない踊り手は、知名度のある踊り手より劣る?踊りを見ずになぜそれが分かる?
妙だ。妙だけど、仕方がない。もう私の予選は終わらされたのだ。でも、単に私の踊りが予選通過のレベルに達していなかったのかも。ミゲルの言う通り、考えれば考える程訳が分からない。もう仕方ないので、その話題は打ち切り。ハビエルがレブリハーノのCDをかける。カーニャかな、と思って聴いていたら、それはポロらしい。なるほど、確かに違う。カーニャとポロの違いを教えてもらった。彼らとの会話はなんでも勉強になる。3人でのりのりになって聴く。パルマをたたく。歌う。げらげら笑う。ハビエルの車の天井から星空が見える。楽しい。幸せだ。
もう一つ幸せなことがあった。ミゲルが最後に言ってくれたのだ。「ジュンコ、俺はジュンコの踊りが好きだ。上手い下手はどうでもいい。ジュンコの踊りは全部違って見える。そこがいい。」嬉しい。そしてさらに続ける。「ジュンコのティエントはいい。初めて見たけど、今まで見た事のないジュンコが見える。これからはティエントも踊れ。」そうなのだ。私も同じ事を実は感じていたのだ。ティエントを踊る時、ティエントを聴く時、私は今までに感じたことのない感覚を持つ。それはアレグリアスでもソレアでもタラントでもない。ティエントを聴く時にわき起こる感覚。そして踊る時にこんな私が実はいたんだ、という新鮮な発見。驚き。毎回毎回その発見が生まれ変わり、でもその度にこれも私なんだ、と納得していく。それをミゲルも感じ取ってくれていたんだ。とても嬉しかった。
このコンクールがなければ私はティエントを踊ることはなかったかもしれない。(今まで一度もソロでも群舞でも踊ったことがなかったのだ。)でもこのコンクールのお陰で私はティエントに出会えた。ティエントのお陰で私は私の未知の部分を引き出しつつある。そしてガロティンもね。
今朝クラスに行って、先生に「昨日コルドバのコンクールに出ました。」と報告すると、先生が「私も出ようと思ったのよ。でも4曲準備するのは間に合わないと思ってやめたの」とおっしゃっていた。人にはいろいろ事情がある。先生には先生の事情があるのだろう。私も・・・同じ理由で何度も棄権しようと思った。でも今思う。間に合わないと思ってあきらめるのと、何が何でも間に合わせること。その瞬間の状況に変わりはない。出発点は同じだ。でもどちらを選択するかによってその後の状況は変わってくる。私の場合コンクールの予選通過はどうでもいい。(先生の場合、もし出場していれば通過していただろうに・・・。)でもきっとこの経験が将来、大きな意味を持つだろう。物事は全部つながっているから。
長くなりました。眠くなりました。誤字脱字あるような気がしますが・・・ここで終わりにしたいと思います。いつも読んで下さるみなさん、どうありがとうございます。今度お会いできる時にはもっと成長しているといいな。がんばります。
2010年11月10日 クリスマスのイルミネーションが準備されつつあるセビージャにて。
Nov 7
みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか。
私は元気です。こちらセビージャも大分気温が下がりました。
2週間の日本滞在は怒濤のごとく過ぎ去りました。
東京でおこなった1週間の「第5回少人数制クルシージョ」、お陰様で無事終了致しました。
どうもありがとうございました!
そして11/3には妹の結婚式に出席。府中の大国魂神社というすてきな神社での和婚。
【大国魂神社HPはこちら】→www.ookunitamajinja.or.jp
お天気にも恵まれ、両家とも幸せいっぱいのお式となりました。
私も成人式以来の着物で出席。なかなか似合うと評判でしたので、写真をそのうちアップしますね〜
妹ももちろんとってもきれいでした。なんてったって私の妹ですから。うひひ。
次の日の朝には成田を発ち、セビージャに着きました。
へろへろ〜でしたが休んでいる暇なし。火曜にコルドバのコンクール予選に出場するので
次の日から早速、朝練。なんで私の人生はこんなんなのでしょう?いったいいつ休むのか。
(でもすぐに元気になってしまうのです。)
さて、コルドバのコンクール。スペインで最も権威のあるコンクールと言われています。
3年ごとに行われ、今年は第19回目。
【第19回コルドバ全国フラメンコ芸術コンクール公式HPはこちら】→www.flamencocordoba.com

2010.11.9 // 第19回 コルドバ全国フラメンコ芸術コンクール 予選

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • ハビエル・リベーラ
    • ミゲル・ペレス
個人・萩原淳子としては日本に帰ってよかった!!!!とっても!
でも踊り手・萩原淳子としては、日本に帰っていた2週間は痛い。とっても。
コンクール出場に向けての準備が中途半端になっています。完全なる調整不足。
こんな状態でコンクールに出るのは初めて・・・。
「棄権」・・・の2文字がずっと頭に浮かんでいましたが、次のこのコンクールは3年後。
その頃もしかしたら私も嫁に行くかもしれないし・・・(そうあってほしい)
お腹が大きくなってるかもしれないし・・・(それもとてもいい)
というわけで、今の所はフリーの身ですから、結局出場することにしました。
そして準備が中途半端のもう一つの理由。
それは、今年からルールが変わり、予選で4曲も踊らなくてはならないのです。
しかも4曲といっても、自分で好き勝手に4曲選べる訳ではありません。
コンクール側が決めた4つのカテゴリーの中から1曲ずつ。そんな踊りみたことないよ、という曲まであります。
  • グループA(ソレア、シギリージャ、マルティネーテ、タラント、ブレリア・ポル・ソレア、ブレリア)
  • グループB(アレグリアス、カラコレス、ミラブラス、ロメーラス、ロサス、カーニャ、ロンデーニャ、グアヒーラ、セラーナス)
  • グループC(タンゴス、ティエントス、ファルーカ、サパテアード、ペテネーラス、ハレオス)
  • グループD(ガロティン、ソロンゴ、ハベラス、アルボレア、サンブラ)
というわけで、私は上記の赤字の踊りを選びました。各1曲8分以内。しかもコンクールを円滑に進めるために、実力が分かれば踊りの途中でも中断させられるとのこと。ということは、「こんな踊りは見てられん!」ということであれば踊り始めてすぐに中断?もしくはその逆に、椅子から立ち上がっただけで「こ、こ、この踊り手は・・・!!!」と思わせるものがあれば、それでオッケーの中断?!すごいコンクールですね。
そしてコンクール要項を読むと、ただ単に踊りが技術的に上手ということだけではなく、それぞれの曲の特色を踊り分けられることも重要ポイントみたいです。これは難しい。スペインのコンクールのレベルで上手に踊ることも難しいのに、なおかつ踊り分ける・・・・。スペイン人のプロの踊り手でさえも、何を踊っても同じように見える人って結構多いのに・・・
難しいけどやってみよう。
途中で切られる命なら、それはそれで昇華しようではありませんか。
これまで踊りの曲ごとにあった賞も、今回はなし。優勝者一人のみの受賞です。
そんなこともあり、これはもう楽しむしかない。
やらないで後悔するなら、やって後悔した方がいい。
やってやろうじゃないの。
今回の無謀な挑戦に付き合ってくれるのは、いつものミゲル・ペレスとハビエル・リベーラ。
彼らと楽しめればそれでよし。あとはもう、どうにでもなれ。
というわけで腹は決まりました。残すは明日の彼らとの合わせ、そして明後日が本番です!
ではみなさんまたお会いしましょう。
2010年11月7日(日)全然休めない日曜日・・・でもなんだか楽しい。 セビージャにて。