Jun 26

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャは暑いです。昨日のセビージャは48度にまでなったそうです。まだ6月なのに・・・

前回のブログでお話しました、「第14回全国アレグリアス舞踊コンクール」予選に一昨日出場しました。たくさんの方から応援のメールを頂き大変感謝しております。本当にどうもありがとうございました。

昨日は疲れ果てゾンビのようでしたが、今日はだんだん元気になり、ブログを更新できるまでに回復してきましたよ。みなさまからのお心遣いに本当に癒されたように思います。本当にどうもありがとうございました。

今年のアレグリアス・コンクール予選は5月から始まっていたようです。来週の金曜日が予選最終日らしく、その後決勝進出者には個人的に連絡があるとのことでした。私が出場した日には私の他にも3人の踊り手がいました。一人は日本からこのコンクールのためにやってきた、いぐちゆかりちゃん、もう一人は日本人の名字を持つ「リカルド」という名の男子、もう一人がコルドバの踊り手、アナ・ガルシアでした。アナはハビエル・ラトーレのお弟子さんで、ヘレス・フェスティバルのラトーレのクルシージョの時に代教をつとめています。昨年、今年とラトーレのクルシージョを受講した私とアナはちょっとした顔見知り。「ちょっと〜、なんで私と一緒の日に出場するのよ〜!!!」と私がふざけて言ったら「それはこっちのセリフよ。ジュンコ。」とお蝶婦人のような余裕の口調で、でも目の奥にはギラリと光るものが・・・ほ〜ら、コンクールの始まりです!!!

まずはコンクール出場者4人でくじ引きをし、順番を決めます。私は2番。開始22時まであと10分しかないのに、化粧がまだ終わってないよ、と思いつつ、でも大丈夫。なぜならここはアンダルシアなので、結局始まるのは22時半過ぎ。落ち着いて化粧を終わらせようと思ったら、楽屋が暑い。扇風機が2台ありましたが、扇風機というより熱風機。その撹拌された熱風の中で汗をかきながら化粧。厳しい・・・カディスは海のそばだからセビージャより涼しいと言ったのは誰だ!!!

ぶーぶー文句言いながらもあっと言う間に自分の出番。バタとマントンで初めて踊ったアレグリアス。思ったより舞台は狭くて振付けを急遽変えることに。そのせいか、あわあわ〜となってしまった所あり。マントンの動きがイマイチの所あり。でも初めてだからこんなものかな・・・と別段落ち込みもせず淡々としていました。歌い手のヘロモとハビエルは満足そうだったけど、そうかな・・・とピンと来ない私にミゲルが一言。「ジュンコ、あのアレグリアスには“ペソ”があったぞ。あれは観る人が観れば分かる」

おお!!!“ペソ”!!!私のアレグリアスの“ペソ”がある?!それはとても嬉しい一言でした。

・・・“ペソ(peso)”・・・・スペイン語の辞書を引くと、そこには「重み、体重」というような意味が載っています。フラメンコ舞踊において“ペソ”のある踊りというのは、その踊り手の体重が重いのではなく、重みのある踊り。といってもわざわざ膝を曲げて粘っこくどっしり踊るスタイルを指すのでもないと思います。説明が難しいのですが、私が人の踊りを観て、この人にはペソがある、という踊りは、その人のエネルギーが大地と天を貫いている踊り。たとえ踊っていなくても、ただ舞台の上に立っているだけでもそのエネルギーがあれば何かを伝えることができる。逆にペソのない踊りというのは、両手両足を動かしているだけの表面的な踊り。また、ペソがあるように見せかけるために、わざと手足をあまり動かさないで踊ろうとする人もいるけど、それは金メッキ。時間とともにはがれる。舞台の上に立っているのではなく、乗っかっているだけ。紙相撲みたいに。

技術的な話しをすれば、普通の衣装で何も持たないで踊る場合、ある意味「紙相撲」でも踊れる。両手両足をカッコよく動かせば、上手に踊っていることになる。なおかつ器用にフラメンコっぽい仕草とかをすれば、それをフラメンコだと見せかけることもできる。でも「紙相撲」にバタをはかせたらどうなるか?マントンを持たせたらどうなるか?まず立っていられない。というより、舞台の上に乗っかることすらできない。もしかすると私はこれまでの、マントンとバタ・デ・コーラの練習の中で技術的にペソというものを体得し始めているのではないか?

そしてここがフラメンコの難しいところでもあるが、その“ペソ”は技術だけでは会得できない。では何が必要なのか?私にはなんとなく分かっている。でもやっぱり分からないような気もする。◯◯である、と今の私には断言できないけど、それはきっと私が今まで求めて来たものとなんらかの関係があるように思う。

そしてミゲルに言われたもう一つのこと。

「ソレアの2つ目の歌の時にレマーテをしなかっただろう?」・・・・?・・・・私は自分が何をどう踊ったかあまり覚えていないけれど、言われてみれば確かに、普段サパテアードでレマーテするところをしなかった。確か最後の瞬間に手か腕を動かしたような気がする・・・そうミゲルに言うと、ミゲルはこう言いました。「いいんだ、それでいいんだ。あの歌に足のレマーテは合わない。多くの踊り手がそれをやりたがるけど、ジュンコはやらなかった。それはとても価値があることなんだ。自分では気付いていないかもしれないけれど」

それに価値があるということは私も知っている。それは時として私の踊りに起こりうることであるから。でも、ここがまたフラメンコの難しいところでもあるが、価値を持たせようとして踊っては、その価値は消え失せる。もしくは最悪、その意図が踊りを腐らせることだってある。だから、あの時のあの瞬間、私が価値ある一瞬を持ったからといって、同じことを次の機会にすることはできない。それは一瞬一瞬にして生まれるものだし、生まれないものでもあるから。

ミゲル・ペレスというギタリストから私は本当に多くのことを学んでいる。そしてそれはフラメンコの本質と直結していると私は思う。ミゲルが私と仕事をしてくれることに私は感謝したい。

今週の水曜日にはセビージャでソロ公演があります。(詳細は左のチラシ参照)コンクール予選と同じバタとマントンのアレグリアスとソレアを踊ります。野外劇場なので風が強い可能性もあり。もしかしたらバタがひっくり返るかもしれないし、マントンを頭からかぶってブルカみたいになってしまうかもしれない。でも、そんなことよりも、今回のコンクールで学んだことを生かせることができればいいと思う。もし水曜日の公演で生かせないのなら、またいつの日か。時間をかけてゆけばいいのだと思う。

2011年6月26日 セビージャにて。(写真:アントニオ・ペレス)

Jun 19

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

2011年6月24日(金)第14回全国アレグリアス舞踊コンクール予選/ペーニャ・ラ・ペルラ・デ・カディス

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • ヘロモ・セグーラ
  • ハビエル・リベーラ

 

 

 

 

 

 

 

 

    • ミゲル・ペレス

今週の金曜日、カディスで行われる「第14回全国アレグリアス舞踊コンクール」予選に出場します。スペイン人有名舞踊家も多数出場する、知名度の高いコンクール。数年前には日本人舞踊家の中田佳代子さんが、そのもっと前には松本良さんもこのコンクールで準優勝されたとのことです。

  • コンクール主催「ペーニャ・“ラ・ペルラ・デ・カディス”」公式HPはこちら→www.laperladecadiz.es

「えっ、出るの?」とこの間知り合いの人に驚かれました。「ロンダ優勝で打ち止めかと思った」・・・だそうです。今度はそれに私がびっくり。そうか、コンクールでは一つ優勝すればそれでいいという考え方もあるのか。なるほど。確かに私は昨年のロンダ・コンクールで優勝したけど、それは過去の話。何か新しいことに挑戦したい。ちょっと無理め・・・と自分で思えることでも、コンクール出場という目標を作れば“無理め”でもがんばれるんじゃないかな?そう思って、このコンクールに出場することにしました。その今の私にとっての“無理め”とは・・・バタ・デ・コーラとマントンを使ったアレグリアスを踊ること。

今回の私の目標はまず、バタ・デ・コーラ(裾の長いフラメンコ舞踊の衣装。コンクールポスター参照)とマントン(同じくフラメンコ舞踊で使われる、長いフリンジが付いた大きな布。コンクールポスター参照)のアレグリアスを自分で振付すること。自分の踊りはたいてい自分で振付しますし、振付は大好きなのですが、今回は苦戦しました。なかなか納得のいくものができず・・・でもやっとこさっとこできました。自信作です。できた振付をアデラ・カンパージョに見てもらったら「とても素敵。すごくいい。シンプルで的を得ている所が私は好き」とびっくりされましたよ。そしてアデラは「それはどうやっているの?」と私のマントンやバタの動きに興味を持ったみたいで、ちょっとアデラと一緒にやってみたりもしました。なかなかおもしろかったです。

しかし、これからが問題。これを踊らなければ。マントンとバタを両方使って踊るというのは、とにかく大変。見た目は華やかですが、ものすごい体力が必要になります。普通の衣装で何も持たずに踊ることよりも何十倍も難しい。本当の意味での身体の軸を持っていないと、何もできません。ごまかしがきかないから。逆に言えば「基礎」を持っていればできる。でもその「基礎」とはほとんどの舞踊練習生が考える「基礎」よりももっと奥深いもの。う〜む。

そしてバタとマントンにもそれぞれの「アルテ」(フラメンコの芸術性)がある。そして忘れてはならない、その人の「アルテ」。カンテとギターからどう踊りが引き出されるのか、どう引き出すのか。そのマントンで。そのバタで。その人そのもので。

そして、暑い。とにかく暑い。このセビージャの暑さの中で準備するのは大変。周りの優しい人達から「ジュンコ、顔色悪い」「休んで下さい」とかいろいろ心配して頂き、確かにそれもそうだと思い、この土日は練習を休んでみました。火曜日にはギター・カンテとの合わせがあり、金曜は本番。もう、なるようにしかならない気がしてきました。まずは踊ってみて、それからまた学べばよい。どんなに自信のある振付でも、100万時間練習したとしても、舞台にのせなければ本当の意味では学んでいることにならないから。舞台にのせて、失敗して初めて学べる。その繰り返し。その私にとっての第1歩が金曜日のコンクール予選なのでしょう。

決勝進出を狙うならば、踊り慣れているバタ・デ・コーラだけのアレグリアスを踊るのが無難なのかもしれません。そうしようかな・・・と心が揺れた時もあったけど、でも自分が踊ると決めたものを踊ることにしました。結局それが自分の踊りだから。

体調だけには気をつけて・・・。みなさんもどうぞご自愛下さいね。

2011年6月19日 セビージャにて。

Jun 11

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

2011.6.29 //  “ミエルコレス・ア・コンパス” カルトゥッハ修道院(セビージャ)21:00開演

入場料:3ユーロ

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • ヘロモ・セグーラ
  • ハビエル・リベーラ
    • ミゲル・ペレス

今週は大変、くたくたの毎日でした。今は金曜の夜。お友達の家の屋上でのフィエスタ(パーティー)に誘われましたがお断り。最近は土日もクラスを行っているので休む暇がありません。そして今月24日にはカディスのアレグリアス・コンクール出場、29日はセビージャのソロ公演 “ミエルコレス・ア・コンパス” があります。コンクールの話しはまた別の日にブログにしますので、今日は “ミエルコレス・ア・コンパス” について。

毎週水曜日にセビージャのカルトゥッハ修道院で行われるフラメンコ公演「ミエルコレス・ア・コンパス」。主に若手の踊り手が中心に出演し、時にはあっと驚くベテラン舞踊家が出演することも。これまでは入場無料でしたが、経済危機のあおりで無料での公演継続が難しくなり、今年から入場料3ユーロとなりました。といってもすごく安いと思うのですが、昨年に比べてお客さんはぐっと減ってしまいました・・・先週、先々週と公演を観に行きましたが、いい踊り手達のいい公演だったのにお客さんはまばら。すごく残念。私が踊る時にもお客さん少ないのかな・・・と心配です。

せっかくのいい公演だったのでせめてブログにしますね。

  • 6月1日 踊り:アナ・カリ

アナ・カリはグラナダの踊り手。この公演出演のためにわざわざグラナダからやって来たそうです。結論から先に言うと、来てくれて本当にありがとう。あなたの踊りはとても素晴らしかった。大好きだ!!!

アナ・カリの芸歴は恐らく長い。数年前にはベレン・マジャともよく一緒に仕事をしていた実力派。この日はタラントとアレグリアスを踊りました。まず、アナ・カリは身体的に恵まれていません。恐らく私より身長が低い。(私は154センチ)小さい踊り手が舞台に乗っている時に大きく見えることはよくあるけど、前から2列目で見ていたにもかかわらず、アナ・カリは本当に小さかった。踊りが小さいのでなく本当に身長が低い。そして手足も長くない。俗にいう日本人体型・・・でも、多分、多くの日本人の踊り手の方がよっぽどスタイルがよい。本当に申し訳ないし、私は自分の体型を棚に上げているのだけど、それが事実で、それは本人が一番よく知っていると思う。

そんなわけでタラントで踊り出した時は「ああ、残念だな・・・いい踊り手のはずなのに・・・」と思ってしまいました・・・・。でも!!!!タンゴになったら大逆転!!!彼女の土地、グラナダのタンゴ。本当に素晴らしい。これがグラナダのタンゴなのだ。アナ・カリのタンゴなのだ、と。今まで私がタンゴだと思っていたのは何だったのか。脱帽。圧巻。この踊り手はすごい。

2曲目はアレグリアス。なんと、その体型でズボン姿。女性がフラメンコを踊る時にはくるぶしまでの長いスカートをはくのが伝統的であり一般的。ズボンをはく場合もあるし、あえてスカートをはかない場合もあるけど、ズボンをはくからにはそれなりのスタイルと脚力、男性並みのサパテアードの力がないとあまり意味がない。スタイルのいい人は何を着てもサマになるけど、そうでない人は欠点をいかにカモフラージュするか、長所をどう見せるかがポイント。(私も衣装を選ぶ時にはものすごく悩みます。)スカートはその意味でデザインによっては自分の味方になってくれるけど、アナ・カリのズボンは・・・確かにグラナダの踊り手だけあってサパテアードはすごい。でも・・・まさに彼女のそのスタイルの欠点を誇張してしまっている・・・うわ〜と絶句してしまったのだけど・・・

この人のアレグリアスは・・・・OLE OLE OLE OLE OLE OLE OLE OLE OLE OLE OLE OLEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!

本当に素晴らしかった。踊りの上手な人は世の中にいっぱいいる。容姿に恵まれた人も。でも本当に心の底から「ole」が出る踊り手は一体世の中に何人いるのか?!

アナ・カリはそのうちの一人だ。実力のある踊り手というのは知っていたが、彼女のソロの踊りを生で観たのは初めてだった。世の中にこんな踊り手が存在していることが嬉しい。ペソと呼ばれる、重み、存在感。それがある。確実に彼女から地軸に向かってまっすぐにエネルギーが伸びている。そしてそこから時としてマグマが噴出する。彼女の身体を通して。カルメン・アマジャの影響を強く持っている踊り手。でもそれがただの物マネではなく、アナ・カリ自身の何かと直結している。アナ・カリの踊り。

「personalidad」という言葉がある。その人がその人であること。その人でしかないこと。日本語に訳すと「個性」になるのだろうが、「個性」という言葉とはニュアンスがちょっと違う。うまく説明できないが、それを「個性」と訳してしまうと何か違和感がある・・・。が、それ以外のぴったりくる言葉も見つからない。出る杭が打たれる文化にはその言葉は真の意味では存在しないのかもしれない・・・。が、とにかくその確固たる「personalidad」を持つ踊り手。それを持つ踊り手は一体世の中に何人いるのか?!特に若手舞踊家の中で。誰もが上手に踊る、でもそれが時としてみんな同じように見えたり、誰かのモノマネに見えたりする中で。

それにしても観客が少ない。こんないい踊りを3ユーロで観られたのに。

  • 6月8日 踊り:イレーネ¨ラ・センティーオ¨

イレーネはイタリア人。昨年のセビージャ・ビエナルのファルキートの公演の中で出演した4人の女性舞踊家のうちの一人。ファルキートに習っているだけあってとにかく脚力が強い。速くて正確なサパテアード。そんじょそこらの男性舞踊家よりもよっぽどすごい。彼女のソロ公演を観た事がなかったのでこの日もカルトゥッハ修道院へ足を運ぶ。

これまでは修道院の礼拝堂が公演会場だったが、この日から後の公演は修道院中庭の屋外舞台。セビージャでは6月はもう夏の暑さが押し寄せている。野外公演が始まるのがこの月。でもこの日は意外に涼しくて、公演中ちょっと寒かった。そしてやはりお客さんがまばら。野外だけに人数の少なさが余計に強調されてしまう・・・

イレーネは上手だった。でも残念なことにサパテアードの音を拾うフット・マイクがなかった。屋外なのに。ギターとカンテにマイクがあっても足音が聞こえないから、イレーネの良さが伝わらない・・・。すごいことしているんだろうな〜と足音を想像しながら観るしかなかった。とても残念だ。

よかったのは若手のギタリストのブレリア。モロン出身に違いない。かの、ディエゴ・デル・ガストールを輩出したスーパー・フラメンコの土地、モロン・デ・ラ・フロンテーラ。モロンのギタリストというのはすぐに分かる。あのモロンのギター。会場から「¡Viva Moroooooooon!(モロン万歳!)」という雄叫びが。やっぱりね。観客が少なくても、ここにはフラメンコを愛する人が必ず紛れているものなのだ。舞踊伴奏は残念ながら今ひとつで、それもイレーネが可哀想だった要因だけれど、彼のソロの部分はすごくよかった。その意味ではなんだかちょっと得した気分。

ところで「ディエゴ・デル・ガストール」って誰?という人、このYouTube の映像をどうぞ。必見。必聴。

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しかし・・・のんきに他人の公演を批評している場合じゃない。どうしよう!!!29日の私の公演!!!と焦りまくる私。どうしよう!!!時間が足りない!!!準備が足りない!!!ブログ更新している場合じゃないよ〜!!!

29日、私はソレアと、アレグリアスを踊ります。アレグリアスはマントンとバタ・デ・コーラの新しい振付。これが恐ろしい・・・一体どうなるのか?初出しというのはとにかく緊張する・・・しかも野外公演だ。マントンとバタには強敵の風が強い可能性が高い・・・

とにかく練習するしかない。克服できるかできないかは分からないけど練習あるのみ。「だったら無難に、今までの踊りをすればいいじゃないか」という、頭の中の“ジュンコ”が囁く。すると“もう一人のジュンコ”が、「何を言うか、失敗を恐れるな。やりたいことを貫け」と言う。さらに“別のジュンコ”が「そうだそうだ。恥かくだけで死にゃーしないよ。」と加勢する。どうなってんの。まったく。

そして練習すればいいってもんじゃない、ということも知っている。オリンピックに魔物が住んでいるように、舞台にも魔物が住んでいる。と私は思う。

不安だ・・・私の公演・・・・

そう思いつつ、明日の朝はスーパーに買い出しに行かないといけない、なんてふと思いついてしまう。。。平日は忙しくてスーパーに行けない。日曜はどこも閉まっている。土曜が1週間分の食料まとめ買いの勝負だ。しかも砂糖が切れている。いつもの買い物より1kgプラス。でもメロンも買いたい・・・あ〜〜〜。そしてさらに、今週は階段掃除当番だ。

がんばる、じゅんこ。でも今日はもう寝る。

2011年6月11日 ・・・もう土曜になってしまった・・・

Jun 6

みなさんこんにちは。

東日本大震災復興支援特別プロジェクト“SOMOS JAPON”。スペインのフラメンコ・アーティストへのインタビューと、彼らからの応援メッセージの第25回目。

今日は、マルタ・バルパルダへのインタビュー&彼女からのメッセージです。

マルタと私は数年前、クリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校のクラスメートでした。表面的な人が多いクラスの中でマルタとはよくいろいろな話しをしたものです。先日久しぶりにマルタとお茶をしたら、なんとマルタは震災の時に福岡にいたそう。国が出した飛行機でほとんどのスペイン人が“脱出”した中、マルタは日本に残ることを決心したそうです。日本人からすると「福岡は被災地から遠いから大丈夫」と思ってしまうかもしれませんが、外国人からすればどんなに被災地から離れても日本は日本。スペインのニュースで何度も何度も流された、“脱出”する在日スペイン人の映像とコメントを思い出した私はマルタの決心に心底驚きました。と、同時にそれができたのはマルタだからだ、と気付いたのです。以下、日を改めて彼女にお願いしたインタビューです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第25回 マルタ・バルパルダ

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】日本にいた4ヶ月間。1月から4月末まで。震災があったから。でも私自身がつらかったのではなく、私のことを心配する家族のことを思い、つらかった。知っているでしょう?スペインのニュースがどんなか。(萩原註:私の個人的な見解としては、スペインの報道は衝撃的であればあるほど、ニュースとしての価値が高いというような認識があります。特に映像は、日本では考えられないようなショッキングな映像がお昼間に流されることも。スペインに来たばかりの時、私はニュース映像を見ながら食事をすることができませんでした。震災に関する報道も誇張されたり、誤報に近いものもたくさんありました。)私の家族はそのニュースでしか日本を知る事ができなかったから。家族からは「帰ってきなさい」と何度も何度も言われ、私の仕事仲間は「空港が閉鎖されて日本から出られなくなる」とか「これから先もっと大きな地震が来るのよ。場所もどこだか分からない、ここかもしれない」とパニックになって叫んで飛行機に乗っていった。私はここに残るか飛行機に乗るか、決心しなければならなかった。そして決心した。でも被災地の日本人からすると、そんなことは取るに足らないことだけど。

【答え②】なぜ残ることにしたか?日本人が日本に残っていたから。スペインで同じことが起きたら、全員海外脱出してしまう。モロッコとかイタリアとか。日本人は誰も日本を見捨てなかった。私のクラスの生徒もその家族も皆残っていたから。福岡では、水も電気もそのままあったし、クラスもお店も今まで通り普通だった。何か生活に支障があるとか、クラスが閉鎖されるとかだったら私も考えたかもしれないけど、今まで通り何も変わらなかったから。みんなが普通に生活しているのに、私だけ逃げるのはおかしいでしょ?私が日本にいたのは4ヶ月間。その間私は日本人として過ごしていたの。たとえそれが“招聘された”スペイン人フラメンコ教師という立場だとしてもね。だから私は自分の周りの日本人と同じようにすることにした。

もちろん家族は最初は理解してくれなかった。スカイプで話していたの。どんなに説明しても「帰ってこい」としか言われなかった。でも日本人がこの状況をどのように我慢しているのか、どのようにして落ち着きを保っているのか、それがスペインのニュースでも流されて、それが私の家族を落ち着かせたの。(萩原註:スペインの報道では、がれきの中から自衛隊員に助けられて何度も頭を下げる老婦人の映像や、支給物資を待つ列に整然と並ぶ日本人の姿等が報道されました。どちらもスペインではあり得ない光景です。)日本人は誰もパニックにならなかった。あの冷静さ。日本社会全体が私も私の家族も助けてくれたのよ。

全てのクラスが終わった後、生徒達から「日本に残ってくれてありがとうございました」と言われた。その時、この4ヶ月は私の人生にとって特別な時だったのだと思った。

【答え③】たくさん踊ること。たくさん仕事をすること。たくさん学ぶこと。・・・・(しばしの沈黙の後)周りの人達とたくさん飲むこと(笑)。

【メッセージ】それにしても不公平。震災や津波に襲われるなんて。そんなの何もない国だってあるのに。不公平。

写真の中のメッセージ:国旗はジレンマである。フラメンコの魂に祖国や地理や国籍は存在しない。自分を進ませるその道で、私はあなた達のキスと抱擁をずっと覚えているでしょう。 マルタ・バルパルダ ♡日本

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この“SOMOS JAPON”に協力して下さったアーティストの中ではまだまだ無名に近いマルタ。でも若さの中に時としてとてつもない深淵さを垣間見せます。これから先一体どんな踊り手になるのでしょうか。

2011年6月6日 セビージャにて。

 

Jun 1

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先々週より「アレグリアス研究(講義)」をセビージャにて開講しています。この講義は私が東京のクルシージョでこれまでに行った①「アレグリアス研究カンテ編」②「カンティーニャス研究カンテ編」③「アレグリアス研究バイレ編」を元にした講座で、振付やテクニカだけで踊りを踊るのではなく、カンテとギターにどう呼応して踊るのか、ということをテーマにしたものです。

セビージャの日本人留学生の方々から依頼を受け、クラスを始めました。「日本語で講義してほしい」とのことでしたので、日本人限定の講座。これまでに4名の方が参加され、今後も人数が増えそうです。場所はセビージャの私の自宅。開講曜日は現在のところ、土日のいずれかです。受講料は人数によって変わりますので、ご興味のある方はこのホームページ「連絡先」を通してお問い合わせ下さい。

東京のクルシージョの①ではカディスの歌い手を中心にアレグリアスを聴き(CD)ギターとカンテの関連性、ジャマーダ、レマーテなどのご説明をしました。その中で、「カンティーニャスって何ですか?」という質問を多く頂きましたので②ではカンティーニャス・グループのカンテについての講義をしました。そしてさらに、①②で学んだことを踊りのDVDを観ることにより確認、実際にその踊り手がどのようにカンテやギターを聴いているのか、引き出しているのか、その3者の関連性を解説しました。セビージャのクラス内容は東京のそれと若干違いがありますが、趣旨は同じです。東京で評判の良かったこの講座、セビージャでも開講できることを嬉しく思います。

そして私の自宅でクラスを行っているためか、クラスの後は生徒さんとお茶したり、ワインを飲んだり。そのまま「女子会」に突入しています。前回のクラスの後はみなさん炸裂。笑いあり、涙ありの「女子会」となりましたよ。

セビージャにフラメンコ留学していると「いいな〜楽しそう」と思われる事が多いのですが、ただ単純に楽しいのは最初の1〜2ヶ月くらいかな?そのくらいの短期でおいしいとろこだけパッとつまみ食いして日本に帰れば「あ〜楽しかった〜」で終わるのですが、留学が長ければ長い程、いろいろなイヤ〜な面も見えてきちゃいます。それを言い出したらそれだけでブログ1年分くらいになってしまうので・・・ここでは割愛しますが(笑)、好きで学んでいるフラメンコを続けて行くこと自体に疑問を持ったり、ただここで生きていることさえつらい時もあったり。実は心の中でいろいろ抱えてたりするものなのです。私もそんなことあったなぁ、と思いながらみなさんのお話を伺っていました。

先々週、先週とセビージャでは2回(計4時間)クラスを行いましたが、生徒さんからのご質問にお応えしたり、その流れでクラス内容や教材を臨機応変に変えたりしています。次のクラスはどうなるのでしょうか。クラスの内容は毎回準備しているのですが、即興で変わってしまうのはやはりセビージャで開講しているからなのでしょうか?いずれにせよ、お互いに学び合っていければいいなと思います。どうぞよろしくお願い致します。

ではまたお会いしましょう。

2011年6月1日 セビージャにて。