Dec 31

みなさんこんばんは。お元気でお過ごしでしょうか。

とうとう大晦日になってしまいました。東京でのクルシージョ(短期講習会)は一昨日、そして昨日大阪からいらした方の個人レッスンと自分の自主練習が、今年最後の仕事納めとなりました。今年も1年間元気にフラメンコに邁進できたことを嬉しく思います。皆様、本当にどうもありがとうございました!ブログを楽しみにして下さった方、本当にありがとうございます。今年もこの1年のブログを読み返し、萩原淳子の2013年を振り返ってみたいと思います。

2013年、印象の強かったこと、読者からの反響の大きかったブログは以下になります!

  • 第1位 萩原淳子在西10年記念フラメンコ公演「ハモンは皿にのせるだけでよい」

CARTEL YUNKO A4ULTIMOb cartel baja junkoULTIMOb初の舞台公演、初のスペイン人アーティスト招聘公演。自分自身のセビージャでの10年間を集約する公演は、ギター:ミゲル・ペレス、カンテ:モイ・デ・モロン、踊り:萩原淳子というたった3人だけの舞台公演にしました。本当に大変だったけど、出演者一同、大変満足しています。観に来て下さった皆様、応援して下さった皆様、誠に誠にありがとうございました!

この公演での踊りにより、各舞踊界著名アーティストの皆様とともに、「The Dance Times 」月間ダンサーベスト10に選出されました!!!!→ こちら

月刊パセオフラメンコ2013年7月号誌上に掲載された公演忘備録はこちら井口由美子氏執筆「熟成するアルテ」、小山雄二氏執筆「美味しいハモン」

なお、ブログ上では、「『ハモンは皿にのせるだけでよい』公演への道のり」として①〜⑥までブログにしてきました。「あの舞台の裏でそんなことがあったのですか!」「公演準備って本当に大変なんですね!」とたくさんのご感想を頂きました。中でも一番反響の大きかったのは、歌い手モイ・デ・モロンのビザ申請写真を準備した時のエピソード。ブログの冒頭で

【注意!今回のブログ、自分で笑ってしまいました。会社等でこっそり読んでいらっしゃる方、お気をつけ下さい】

と、太字で色を変えて警告したにもかかわらず、ある方はそう言われると余計気になって会社で読み、やはり笑いをこらえるのに必死だった・・・と。さてその問題のブログはこちら →「ハモンは皿にのせるだけでよい」公演への道のり④

  • 第2位 第33回フアン・タレガ・フラメンコ・フェスティバル出演!
  • 同じく第2位 「第1回アントニオ・ペレス写真展&同時開催フラメンコライブ」大成功!

401791_601874273170337_1607498175_n 甲乙つけがたい。どちらも私にとっては重要なこと。第33回フアン・タレガ・フラメンコ・フェスエィバルは、アンダルシア地方が誇る夏のフラメンコ・フェスティバルの中でも非常に格式の高いフェスティバル。そこに舞踊ソロ出演できたこと。カブレーロ、アルカンヘル、ヘスス・メンデスといった一流アーティスト達と同じ舞台に立てたこと。筆舌尽くし難い経験でした。

ブログとフェスティバルの写真はこちら→ 第13回〝フアン・タレガ〟フラメンコフェスティバル無事終了!

CartelCruces CartelCruces2そして、上記のフェスティバルに比べたらとってもとっても規模は小さいけれども、夫である写真家アントニオ・ペレスの第1回来日写真展と同時開催フラメンコライブをプロデュースしたこと。そして出演者やお客様からたくさんのお喜びのお言葉を頂いたこと。本当に本当に何から何まで大変だったけど、本当に嬉しかった。ライブ共演者の皆様、ありがとうございました。4日間のライブの最後にアントニオが挨拶した言葉、それはお客様には日本語には訳さなかったけど(恥ずかしかったので)今でも私の心に残っています。最大の感謝は夫に。。。

ブログと写真はこちら→ 7月12日〜15日写真展&ライブお陰様で無事終了しました!

7月12〜15日 第1回アントニオ・ペレス来日写真展写真アップ!

もし順位をつけるとしたら上記の3イベントかなあ。その他、どのブログを読んでも、ああ、あの時は・・・と思い出し、いろいろと感慨深くなります。ちなみにこのページ右下の方に「Archives」という所がありますが、そちらをクリックすると、年月別に全てのブログが保存されています。年末年始お暇な方はどうぞお読み下さい(笑)

そして毎年好評の番外編!2013年評判になった写真はこれ!(鳥取砂丘にて/写真:アントニオ・ペレス)

_DSC8623 _DSC8624

ということで、皆様のお陰で今年も健康に幸せに過ごすことができました。大変お世話になりありがとうございました!

来年も精進します!すでにいろいろニュースがありますが、それは新年にまたブログにしたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します!

皆様もよいお年をお過ごし下さいませ!

2013年12月31日 紅白を観るのか、ダウンタウンを観るのか・・・

公演フライヤー写真:アントニオ・ペレス

Dec 29
この年末に清水アキラのことを想う。
La Yunko | ブログ | 12 29th, 2013| Comments Off

Unknownみなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか。

帰国して2週間程ですが、この間相当量のクラスをしていたように思います。あまりの忙しさに、でも今日ふっと今ガーナにいる夫のことを想い、家に帰る電車の中で涙が出てしまいました。あ!っと思ったのですが涙が止まらなくなってしまってさて、困った・・・のですが、ああ、ここは東京だからきっと電車の中で誰かが泣いていてもきっと気付かれないだろう、とそのまま涙を止めませんでした。セビージャだったらすぐにでも、少なくとも5人の人が「どうしたんだ?!」と声をかけてくるけどね。でも放っておいてほしい時だってあるから、東京の無関心というのはある時には有り難いのかもしれません。

その時、はっと思い出しました。

清水アキラのことを。

モノマネ四天王の清水アキラ。顔にセロテープをはって研ナオコとかのモノマネをする清水アキラ。あの清水アキラです。

あれは数年前の、やはり寒い日のことでした。

母がその前から「あー〝清水アキラ温泉〟に行きたいよー」と言い続けていました。(本当にそういう名前の温泉は多分ないと思うので、母の造語だと思います。母の中では、「清水アキラのショーが無料で観られる箱根の温泉ホテル」というつもりだったようです。)今も清水アキラはそのホテルでショーをやっているのか・・・そのホテルの名前も忘れてしまったけれど、数年前家族でその温泉ホテルに宿泊しました。

そのホテルの宿泊客は本当に清水アキラのショーを無料で観る事ができました。私達家族は相当前から並び前の方の座席。その他のお客さんは通路を挟んだ反対側に車椅子の老婦人とその娘さんと思われる女性。中年の女性グループ。会社の設立記念日のお祝いにこの〝清水アキラ温泉〟に社員を招待した社長、その社員達。開演時間が近づくにつれ大宴会場は満席近くになってゆきました。場内熱気に包まれる中、清水アキラのモノマネワンマンショーは始まりました。おなじみの淡谷のり子、研ナオコなど、わー、あれテレビで観たーというのが生で観られるモノマネのオンパレード。誰のモノマネしているのかよく分からなくても、すごかった。他の芸人も司会者も誰もいない、あのショーをたった1人で切り盛りしている、モノマネとモノマネの間の早着替え、ドーランの完璧な塗り方、どこをとってもプロフェッショナル。聞けばその温泉ホテルで毎日ショーを行ってすでに1年以上経っていたといいます。(数年前当時)ショーを毎日やっても、ホテル宿泊客相手だからといって手を抜かないその芸人魂に私は感服しました。

でも今日思い出したことは、あの日私の心に刻み付けられたことは、そのモノマネショーではありませんでした。小休止を挟んで後のトークショー。あれは一体なんだったのだろう。

トークショーが始まり、清水アキラはマイクを片手に舞台から客席に降りてきました。そして客席通路を歩きながら私の後ろにいた中年女性グループに向かって話しかけていました。そして私のそばの通路を通り過ぎるまさにその瞬間、清水アキラが言ったのです。「いいねえ!お母さんたち!今日はダンナがいないから羽伸ばしてるんでしょ」会場全体がどっと笑いに包まれる瞬間、私は見てしまった。私の横を通り過ぎた清水アキラの向こう側にいた車椅子の老婦人が、その瞬間涙をぬぐったのを。そして同じくその瞬間、隣の娘さんと思われる女性がそっと老婦人の肩に手をかけたのを。

・・・・あの老婦人は旦那様を亡くしてしまったのかも・・・。そんな中笑いを求めてこの清水アキラショーが観られるこの温泉ホテルに娘さんと二人でやってきたのかもしれない。私は勝手に他人に人生を推測し、勝手に胸を詰まらせました。せっかく楽しい思い出を作ろうと思ってここにいるのに、清水アキラのあの一言で台無しになってしまったのではないか・・・あの発言の後そのまま通り過ぎていった清水アキラの背中を見ながら、爆笑の渦に包まれるホテルの宴会場の中で、もう私は清水アキラのトークなんて聞けなくなってしまっていました。

ところが。その客席内でのトークが終わり、清水アキラが舞台にまた立つ。そして言いました。「今からね、お手伝いしてくれる人を探すからね。うーん、じゃあね、はい、そこの通路側に座っていらっしゃる方」そう指名されたのは、なんとあの車椅子の老婦人でした。恐らく100人近くいた大観衆の中でなぜ清水アキラはその老婦人を指したのだろう。あの言葉を放った瞬間、清水アキラは老婦人と私の間の通路を通過していた。つまり、老婦人が涙をぬぐったのを清水アキラは見ていないはずだ。だってその時清水アキラはもう背中を向けていたのだから。

これは偶然なのだろうか・・・。

その老婦人は清水アキラに名前を聞かれ、「N田さん」とおっしゃるその老婦人に清水アキラは進行上必要な小道具を持たせたりしていました。N田さんは嬉々としてお手伝いをしています。そのうち清水アキラが「N田さん」に「N田!!!!ちゃんと持て!!!」とかふざけて怒鳴り出し、でもN田さんも会場も笑いの渦に包まれている・・・。

そんな中は私はずっと考えていました。これは偶然なのだろうか・・・。

そしてショーの最後に清水アキラは言ったのです。「今日はN田さんに手伝ってもらったからね、ありがとうね、そのお礼に今日のショーの録音テープをN田さんにプレゼントするよ」会場全体の拍手。N田さんも拍手。少女のようにきゃっきゃっと笑っている。よかった。N田さんが笑っている。数分前に涙をぬぐっていたN田さんが。私はやっとほっとしました。

そして確信したのです。あれは偶然でない。清水アキラは絶対に、N田さんが涙をぬぐったのを見たのだ。いや、物理的に見える位置にはいなかった。どう考えても見える位置ではなかった。それはN田さんの通路をはさんだ隣にいた私が証明する。でも清水アキラは知っていたのだ。感づいていたのだ。自分の言葉でN田さんが涙を流したことを。どうして知ったのかは分からない。でも絶対に知ったのだ。そしてその瞬間にはフォローしなかった。清水アキラは自分が気付いていないフリをして、会場をぐるっと一周してからN田さんをお手伝いに指名した。そして最後にはN田さんを笑わせた。心の底からの笑顔。少女のような笑顔。

なんという芸人だろう。それを〝芸〟という。〝芸〟とはそういうことだ・・・・

ショーが終わり、大爆笑の後の大歓声と割れんばかりの拍手が鳴り止まない中、私は一人違う世界で拍手をし続けた。ただただ拍手をし続けた。

あれは数年前の、やはり寒い日のことでした。

2013年12月29日 清水アキラ、って呼び捨てにしちゃったけどいいかな・・・

Dec 16

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

あっという間に日本に発つ日が近づいてきました。17日(火)にセビージャを発ち、18日(水)夜に日本に着きます。いつもの如くバタバタしています。(笑)月曜は出発の前日なので夫とゆっくりしようと思って一日空けていたのですが、9月から習っていたマヌエル・ベタンソスのガロティンのビデオ収録をすることになりました。それもマヌエルのスタジオでマヌエルと二人で・・・緊張します。どうしましょう。クラスで踊っている時は、結構適当にごまかしている萩原なのです、実は。でも収録となるとそうもいかない。しかもマヌエルと二人でスタジオにこもるなんて・・・今井翼くん状態です。(翼くんはセビージャでマヌエルの個人レッスンを受けているらしいです。)どうしましょう。ひえーっと思ったのですが、マヌエル本人に頼まれたら断れない・・・

マヌエルのお陰でこの数ヶ月、私の踊りは変わってきました。自分でも分かります。いや、他人は分からないかもしれないけど、自分では分かる、かな。今まで気付かなかった自分の内面の一部を、彼に習ったガロティンによって引っ張り出された感じです。だからマヌエルにはとても感謝しているし、そのご本人に収録を頼まれたらちゃんと踊らなくては。

そしてそれとは別に急に2月にセビージャで仕事の話も入り、それはよいことなのですが、今度日本から戻ってきた後、本番まで合わせをする時間がなさそう・・・とりあえずギタリストのミゲル・ペレスと一度合わせておいて音だけ録音しよう、ということになりました。それがベタンソスとの収録の後。ミゲルの自宅近くのスタジオで。

ここで用事が済めば、あとはお昼ご飯を食べてシエスタとって午後はゆっくりできます。あ!夫へのクリスマスプレゼントを買わなくては〜!もっと前から準備しておけばよいものを、いつもいろいろなことが後回しになってしまい直前にバタバタしてしまうのです。普段ぐーたらしているわけではないのにね。

だからせめてブログだけでも今のうちにアップしておきます。今回の一時帰国中の主な予定は以下です。

①12月21日〜2月14日第13回少人数制クルシージョ(東京)

②1月5日(日)、10日(金)新春エスペランサライブ出演

③1月19日(日)、2月9日(日)つくば国際美学院さん主催クルシージョ

④1月25日(土)第4回福岡クルシージョ

⑤1月26日(日)第4回大阪クルシージョ 

⑥2月16日(日)萩原淳子少人数制クルシージョ受講生有志

         第1回スタジオコンサート「Cuando los olivos bailan…」

【①③④⑤詳細】→ クルシージョ情報はこちら

【②⑥詳細】→ ライブ公演情報はこちら 

        ※10日ライブは満席間近とのことです。ご予約はお早めに!

上記の通り18日(水)夜に日本に着くまでセビージャと空を駆け回りますので、その間に頂くメールへのご返信は19日以降になります。ご了承下さいませ。

では日本でお会いできることを楽しみにしております!

2013年12月16日(月)セビージャにて。

Dec 13

418580_171809056262610_2046896861_nみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

あっという間に12月も半ば、来週火曜には日本に発ちます。帰国前でバタバタしていますが、昨日、恐ろしくフラメンコ濃度の高い踊りを見ましたのでブログにします。バルージョ(写真左)の踊りです。

バルージョ。プーロ(純粋な)フラメンコファンならきっと知っている踊り手。でも誰?という方もいらっしゃると思うので簡単に説明を。一番簡単な説明は「ファルキートのいとこ」ファルキートもその弟のファルーもバルージョもフラメンコ史上にその名を刻印した偉大な踊り手、ファルーコの孫です。(カタカナが多くてよく分かりません、という方、すみません。)

かなり前にセビージャのエル・モンテ劇場(現カハソル劇場)でファルキート、ファルー、バルージョの3人の公演を観たことがあります。もう10年近く前かな?当時からカリスマ性のあったファルキート、華のある弟のファルー。世間の注目の的はいつもその二人・・・ところが。あの公演でのバルージョのソレアを私はいまだに忘れることができません。

そのバルージョの公演。場所はセビージャの名門ペーニャ“トーレス・マカレナ”。フラメンコ愛好家達によって支えられているその場所でのバルージョの公演。うわー、やはりすごかったバルージョ。1曲目のシギリージャから恐ろしかった。彼のフラメンコ。息が詰まり鳥肌が立ちっぱなしでした。そのまま踊り続けられたら、萩原は死ぬかと。そのくらいすごかった。

休憩を挟んで2部のしょっぱなはアレグリアス。このアレグリアス、時間にしたら5分くらい?あっと言う間に終わってしまったけれど、oleの連続。涙が出そうでした。そしてカンテソロをはさんだ後のソレア。これまた恐ろしい。ただ立っているだけで、ただブラッソを動かすだけでソレア。フラメンコの固まりでした。もう、彼には「ファルキートのいとこ」なんて枕詞はいらない。一人のアーティストとして、バルージョはバルージョとしてそこにいました。

思うに、祖父ファルーコの血を一番濃く受け継いでいるのはバルージョなのではないか。でもそれでいて、ただ受け継いでいるのではない。バルージョにはバルージョの何かがある。

ファルキートの影響も受けている。でも世の中100万といるファルケーロ(ファルキートっぽく踊る、でも本物には似ても似つかない〝なんちゃってファルキート〟的な踊り手達。)とは一線も二線も一億万線も画している。

なんで素晴らしい踊り手なのだろう。バルージョ。あなたは真のアルティスタだ。

そして、フィン・デ・フィエスタ。舞台の上で観客に話しかけるバルージョ。それは謙虚で聡明な一青年でした。「自分はもう踊ってしまったから、観客の中にいるアーティストで舞台に上がりたい人は上がって下さい。」笑顔のさわやかなバルージョ。その彼に舞台に上がるよう名指しされたセビージャのフェステーロは舞台には上がりませんでした。一体、誰があんな素晴らしい踊りの後に、フィン・デ・フィエスタで踊るのか?どんなアーティストでもバルージョのあの踊りの後では面汚しになってしまう・・・

そんな中、舞台に上がったのはカルメン・レデスマでした。「恥ずかしい恥ずかしい」と言いながら。もちろんカルメンは普段はそんなことは言いません。あのバルージョの踊りの後だからこそ、カルメン・レデスマという踊り手であっても、舞台に上がるのが〝恥ずかしい〟わけです。そんな状況の中、カルメンのブレリア。やってくれました。カルメン。さすがカルメン。我らがカルメン。カルメンが最高のレマーテをした時、萩原はoleと叫びながら思わずジャンプしてしまった。(立ち見だったので)そして同じ瞬間に座席から立ち上がったのが、あのファルキート。そしてその後ファルキートも弾丸はじかれたように舞台に上がり、カルメンと二人のブレリア。

ちなみにその動画がありました。→Facebookペーニャ・トーレス・マカレナより。バルージョ公演におけるフィン・デ・フィエスタ

それにしても動画っていうのはやはり単なる情報に過ぎない。あれを生で観た後に動画を見るとがっくりしてしまう。あの時の感動はこんなもんじゃないのに、という。初めて見る人には多少は伝わるのかもしれないが。でもそれは「情報」。フラメンコの匂いや味や体温はやはり生で感じないと。

もしどこかでバルージョの踊りを観る機会があったら必ず観て下さい。

昨日の、あのバルージョの踊りを観た私と、もし観なかった場合の私とでは、きっと人生が大きく変わってくる。

あんなにすごい踊り手と同時代に生きていることに感謝します。そして昨日、あの場所で彼のあの踊りを観ることができたことにも。

あの感動は、いや、「感動」なんて言葉ではない。筆舌尽くし難い「これ」を、今もいまだに自分の身体のどこかに残っている「これ」をどう表現すればいいのだろう。このブログは一体なんのためにあるんだろう、陳腐でお粗末。

フラメンコは偉大。

2013年12月12日(木)セビージャにて。

↓ おまけ。去年の夏にバルージョのクラスを受講した時の写真。萩原はちゃっかりバルージョの横にいます(笑)

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