Oct 16

12092235_10206091456538777_2079849233_n12165911_946592492087572_1090654418_nみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

一昨日のフラメンケリーアでのライブはお陰様で無事終了しました。ご来場下さいました皆様、誠にありがとうございました!共演のエウへニオ・イグレシアス、ギジェルモ・マンサーノもありがとう!想像通り、もしくはそれ以上の即興ライブ、爆発の夜となりました(笑)

ギジェルモと共演したのは初めて。歌はすごすぎるし、見た目怖そうだし、ギジェルモの共演する踊り手はカルメン・レデスマとかコンチャ・バルガス、ペペ・トーレスとか・・・まさか自分がギジェルモと共演するなんて思ってもみなかった・・・共演はエウへニオのおすすめで。共演予定していた歌い手が出演できなくなってしまってどうしようとエウへニオに相談した所、エウへニオが「ギジェルモ好きか?」と。・・・えーーーー!!!好きもなにも、すご過ぎる。・・・・と答えると、「で、好きか?」・・・YES!・・・というわけでエウへニオがギジェルモを呼んでくれたのでした。

フィエスタなどで同じ場に居合せたことは何度かありましたが、挨拶程度しかしていなかったので個人的にはあまりよく知りませんでした。でも私が会場に着いたらすぐにギジェルモが到着。この時点で好印象。大体待ち合わせ時間の30分前には私は会場入りします。ということはギジェルモも同じ時間に到着したということ。もちろん待ち合わせ時間に来てくれれば全く問題ないのだけど、時間に余裕を持って来てくれるというのはすごく嬉しい。

なぜか日本だと、アーティストっていうのは時間にルーズと思われている節があり、また、時間にルーズな程アーティストとして格が上、という風に認識される風潮にあるようだけど、それは違うと私は思う。一流アーティスト程時間をきちんと守る。逆に時間にルーズなアーティストっていうのは、アーティスト気取りしている3流もしくは4流の人。やむえない事情で遅れてしまうというのは、何流だろうと誰でも起こりうることだから仕方がないとして、時間を守るのは人として基本、プロフェッショナルな証拠。それはフラメンコだけでなくどの仕事でも同じだと思うのだけど・・・。

まあ、そんな訳で二人とも早く着いたのでコーヒーを飲みに行く。ちなみにギジェルモはファンタ・レモン。・・・これも変な認識があるというか、アーティストというのは出演前に酒を飲む、(お酒の中でもウイスキーとか)と思っている人が結構いる。それがアーティストのしるしというか、酒を飲まないとアーティストでないというか・・・。これにも違和感ある。夜通しのフィエスタとかでお酒を飲みながら、というのはあるけれど、通常のタブラオの仕事の前でウイスキーとか飲まないよね。ビールやワイン1杯くらいならあるかもしれないけど。本当にその人がその時にウイスキーを飲みたい場合は別として、ただアーティスト気取りでカッコつけて飲んでるのだとすれば、この人大丈夫かな?と不安になってしまう。だって、お酒の力なんか借りなくてもアーティストはアーティストなんだから。

すみません、話がそれていますが、ギジェルモとはいろいろ話しました。私と共演することにした理由は、エウへニオから「絶対にジュンコの踊り、気に入るから!」と言われて、家にいても退屈だしまあ、歌うかと思ったそうです。(笑)なんと正直な人。それを本人の前で普通に言ってしまう所がまた面白過ぎる。でも変なおべんちゃらを言われるよりよっぽどいい。それからなぜかギジェルモと奥様の馴れ初めの話しになり、それも面白かったです。(プライベートなことだけど、聞いてもいないのに本人から話し出して聞いてもらいたそうだったから、ブログにしちゃってもいいよね)奥様と知り合ったのは14歳の時。知り合ったといっても、道端で見かけて、コイツはいいなと思って結婚することに決めたそう。ヒターノだから結婚は早いんだよ、と。何度もアタックしたのだけど、「あんたはブサイクだからいやだよ!」と断れ続けて、それでもしつこく何度も何度もアタックし、最終的に彼女が微笑んでオレ達は結婚したんだ、だって。30年経った今でも「あんたのしつこさに負けて私は結婚したんだ!」って奥様に言われるらしい。そんな話をされて、きゃはははーと笑っていたら、いきなり真面目になって、「おい、ちゃんと踊らないとオレは歌わないぞ」と本気で言う。ギジェルモ・マンサーノ。歌も好きだが、この「人」も好きだ。

そうこうしているうちに駐車するのに時間がかかっていたエウへニオが到着。エウへニオはネスティーを注文し(ほらね、酒じゃない)世間話をして、じゃ、ちょっと合わせをするか、と。ソレアとアレグリアス・コン・マントンを踊る予定で、まずはアレグリアスから。構成の流れを説明してちょっと歌ってもらったのだけど、それを聴いてマントンで踊るのを辞めました。(笑)こりゃー、相当の即興になるわ、と。踊り手にアレグリアスを歌うことにあまり慣れていないし、今まで共演してきた歌い手の中で一番“Salvaje(サルバッへ)”かも・・・。

“salvaje(サルバッへ)”というのは野性的なというような意味なんだけど、まあそんな感じ。歌い方がそうであったり、声質がそうであったり。その人、歌そのものがそうであったり。踊り手の意向に合わせて器用に上手に歌う歌い手とは真逆の位置にある。ここ最近の流れとして、一般的な踊り手はサルバッへでない歌い手と好んで仕事をする。なぜならその方が事前の合わせの通り歌ってくれるので、自分が舞台上で“失敗”しない安心感があるから。要するに歌が即興になると自分が歌に対応できなくて舞台上であたふたしてしまう、そういう危険に冒されない、ということ。“賢い”歌い手はそれを見越して踊り手に分かりやすい歌、歌い方をし、踊り手がつつがなく踊れて彼のその歌を気に入れば、その歌い手はまた呼んでもらえる、つまり仕事が増えるというわけ。サルバッへな歌い手はそういう“賢さ”で歌うのではなく、自分の本能のおもむくままに歌う。その時に涌き起こった歌が外に出る。当然それが事前の合わせと同じ歌、同じ歌い方になるわけがない。ただし、いや、だからこそその歌は真実。

自分が踊る時に必要なものは、何か?

そう考えると、ギジェルモと共演できたことに心から感謝しています。

本当は1曲目をアレグリアスにして2曲目をソレアにしたかった。なぜならギジェルモといえばソレアだから。でも場所がタブラオ。外国人観光客が集まる場所ではやはり明るい曲が好まれる。フラメンコ愛好家の集まるペーニャのような場所であればカンテを理解している人が多いので、むしろソレアでしめた方がいい場合もある。でもタブラオだからな・・・と思って1曲目をソレア、最後にアレグリアスにしました。

ソレアもすごかったなあ。自分が踊り始めるまでにソレアの歌を1曲聴きたかったから、そうお願いしたけど、舞台袖で聴いているうちに涙が出そうになってきた。だから後はそのまま踊っただけ。観に来て下さったお客様の中で「ソレアがすごかった」とおっしゃって下さった方がいらっしゃったけど、そりゃそうだろう。あのソレアを聴いたら、たとえ観光客であろうとカンテを知らない人であろうとその凄さに固唾を飲んでしまう。

ギジェルモのカンテソロを挟んで2曲目のアレグリアス。猛ダッシュで離れた楽屋まで戻り着替えていたので、カンテソロは聞こえず・・・すごい残念。でもきっとすごかったんだろうな・・・・そしてアレグリアスの時に舞台に立つと、あれ、なんか一人増えてる・・・。ギジェルモのお友達がなぜかパルマ席に・・・。さっきのソレア、特にエスコビージャの時のギジェルモのパルマは確かに心もとなかった部分もなきにしもあらず・・・それで助っ人で舞台に上がったのかな?みんなニコニコしてこっちを見ているので、ま、いっか。と踊り出す。サリーダが終わり歌う呼ぶ前の所で二人のパルマを聞いて悟った・・・これは大変なことになる。

・・・・すっごい走ってる・・・

ギジェルモのお友達はフラメンコな人だからパルマの音がいい。ただし二人で盛り上がっちゃってパルマのスピードがどんどん上がってゆく。・・・・これ、大変なんです、踊り手にとって。パルマに合わせて自分のスピードを上げれば、自分がバテるし、全員が走りだしたらもうなんだか分からなくなってしまう。だから走り続けるパルマを抑えようとして踊るのだけど、それは本当に大変。苦しい。全然踊りが楽しめない。こりゃまずいな、という訳で自分の踊りの中のどこのポイントを要として抑えてゆくかを、歌が入る前の1コンパスの間に頭の中でシュミレーションする。そこでしか考えられないから脳みそフル回転。歌やファルセータが始まれば即興。今考えるとあの踊りは全部即興だったか・・・1カ所皆走り過ぎて、私も制御できなくて音がバラバラになった瞬間があった・・・あわわわわーと真っ青になりそうだったけど、踊っているのはアレグリアス。お客様の前では微塵たりとも出してはいけない。(思わず顔に出てしまったかもしれないが・・・)その後のエスコビージャはなんとか乗り切り、ブレリア。なんだか分からないうちに相当盛り上がってアレグリアス終了。元々マントンを使ってアレグリアスを踊るつもりだったけど、やはりマントンなしのアレグリアスにして大正解。(笑)でもせっかくマントンを持ってきたことだし、最後のフィン・デ・フィエスタのブレリアでマントンをちょっと使って全て終了。あーなんとか終わった!

お客様、皆様大変感激されていたようでよかった・・・アーティスト達もすごく喜んでいたけど、萩原、実はいろいろな意味で大変なライブでした。でも、あのソレアで踊れたのは本当に貴重だったなあ。多分自分の限界を振り切って踊っていたと思う。そんなわけか、昨日今日とダウン。おとなしく家でじっとしてブログアップというわけです。

次回は11/5と25に再びフラメンケリーアで、そして11/27には久しぶりにペーニャ公演!セビージャ郊外の町ドス・エルマーナスにある「ペーニャ・フアン・タレガ」で踊ります。早く元気になってまたがんばろうっと。

※写真はライブにお越し下さった方から頂きました。ありがとうございます!ちなみに後ろの方に映っているのがギジェルモ。・・・なんだか笑える。ふふふ。

2015年10月17日 セビージャにて

Oct 13

12092235_10206091456538777_2079849233_nみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

今週の水曜、10/14にセビージャのタブラオ“フラメンケリーア”で踊ります。以前何度か出演した場所ですが、グアダルギビル川の側の素敵なロケーションのタブラオ。共演はギター:エウへニオ・イグレシアス、カンテ:ギジェルモ・マンサーノ になりました。すごいメンバーです。濃過ぎてどうなるのか・・・

ギジェルモとは初共演ですが、以前、別のタブラオでフィン・デ・フィエスタのブレリアで、ギジェルモの歌で踊ったことがあります。このブログでも紹介したと思いますが、こちら→https://www.youtube.com/watch?v=2iiCnRViRs4&feature=youtu.be(5分5秒くらいからスタートして下さいね。)この日、たまたまギジェルモも私もお客さんとしてタブラオに来ていたのですが、フィン・デ・フィエスタの時に出演アーティストから引っ張り出されて、歌い、踊ったのでした。あの時は、その後ギジェルモと挨拶したくらいで、まさかその数ヶ月後に共演することになるとは思ってもみなかった・・・人生って分からないもの。でも今から考えるとある意味、何かの引き合わせだったのでしょうか?不思議なものです。

ギジェルモに決まったのは昨日、おとといくらい。本当は他の歌い手のはずでした。で、久しぶりにタラントを踊ろうと思い、セビージャに戻ってきてから準備していました。それとこれまた久しぶりにアレグリアス・コン・マントン。でもギジェルモが歌ってくれることになり、タラントからソレアへ急遽変更。いやーギジェルモのソレアはいいんです。ギジェルモに歌ってもらうのにソレアを踊らないっていうのは、小樽に行ってお寿司を食べないようなもの。

ギジェルモ・マンサーノのソレア動画はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=3XnIUzMjD2A

ぺぺ・トーレスにブレリアを歌うギジェルモ・マンサーノ→https://www.youtube.com/watch?v=LQqa4xoPPvs

まあ、この動画を見て頂ければ、ギジェルモがどんな歌い手かお分かりになるかと・・・

ああ、緊張してきました。

2015年10月12日 セビージャにて。

Oct 9
先週土曜のヘレスのフィエスタ
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 10 9th, 2015| Comments Off

_DSC1092_DSC1135_DSC1181_DSC1294_DSC1362_DSC1692_DSC1895_DSC1951_DSC2010_DSC2121_DSC2191_DSC2374_DSC2724_DSC2602_DSC2620みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

先週の土曜日に知り合いのヘレスの人に誘われてフィエスタに行ってきました。ヘレスはセビージャから電車で1時間ちょっとの所にある町。フラメンコを学んでいらっしゃる方ならご存知だと思いますが、セビージャよりも規模が小さく、フラメンコ密度が高い。中でも“ブレリア”発祥の地でもあるヘレスだけに、ヘレスと言えばブレリア、ブレリアと言えばヘレス、といっても過言ではありません。(もちろん他の土地にも素晴らしいブレリアはあるけど)その独特のコンパス(フラメンコのリズム)、パルマ(手拍子)を耳にするだけでワクワクして身体中の細胞がぴちぴちする。あ〜生きていてよかったな〜と思う。セビージャに住んでいる私でも。日本人の私でも。

会場はヘレス郊外の土地にどーんと建っている別荘みたいな所で、とにかく雰囲気がステキ。中に入るだけでフラメンコが踊れてしまいそう。(気分だけなら誰でも踊れる。笑)たくさんのヘレスの人達が集まっていました。セビージャからは夫と私と私達の知り合いの3人だけだったかな?そのうち、アナ・マリア・ロペスと旦那さんのペドロ、そしてイネス・バカンもやってきました。うわー楽しみ!アナ・マリア・ロペスはヘレスでブレリアを教えていてもう30年以上にもなるベテランの先生。イネスはレブリーハの神々しい歌い手。どんなフィエスタになるんだろう!!!

各自持ち寄ったお料理をみんなで食べて、お腹いっぱいになったらフィエスタの始まり。そろそろ始まるかな?という雰囲気をすぐに察知するのがポイント。あの人がギター弾きそう、あの人が歌いそう、ってのを嗅ぎ分ける。そうしたらフィエスタの始まりそうな場所にささささーっと椅子を持って移動。これが遅れると、フィエスタ楽しめません。自然とできるフィエスタの輪の中にちゃっかり入る。もしくはその輪のすぐ後ろくらい。歌がちゃんと聴こえて、見える場所。ちなみに夫のアントニオは写真を撮るので座りません。というわけでアントニオはほったらかし、自分の選んだ場所に座ってしまう。周りの人達となんとなく話したりして楽しみ、楽しみ。

・・・ところが・・・ギターを持ち出した人がいきなりルンバを弾いて歌い出した・・・

・・・ルンバ????

・・・ヘレスのフィエスタで????

意味不明。でも一応終わるまで聞く。悪いけど大して上手くもないし、そもそもなぜルンバなのか?ブレリアではなくて?この人はフィエスタの主催者が雇ったギタリストってことなのだろうか???一応周りの人も拍手したりして、そしてまた別のルンバを歌い出す・・・なんなんじゃ、これは。そうしてしばらくルンバが続いた後、今度はセビジャーナスになった。

・・・・セビジャーナス???

・・・・ヘレスのフィエスタで???

またまた意味不明。歌われれば踊るってわけで、何人かの人達がセビジャーナスを踊り出すけど、全然面白くない。その頃には私の斜め前に座っていたアナ・マリア・ロペスが姿を消す。こりゃダメだと、離れた所にいたアントニオに合図を送りフィエスタの場から離れる。表に出てみたら誰かがお肉を焼いていたので夜食に頂く。(多分この時点で夜中12:00過ぎくらい)外にアナ・マリア・ロペスがいたので、近寄る。「ブレリア始まらないんでしょうかね・・・ルンバとセビジャーナスばっかりなんだけど」そう言うと「だから私達も外に出て来たのよ」と。そりゃそうだ。「ヘレスの人って言ってもねえ、いろんな人がいるから」、とアナ・マリア。そして「パケーラの姪っ子とかも来てるからそのうちブレリアになると思うけど、あのルンバとセビジャーナスが終わらないうちはブレリアは始まらないわね」・・・・なるほどね。じゃあ、しばらく待って、パケーラの姪っ子が歌うのを聴けたらいいかなと。

ぐるっと表を回ってまた会場に入ったら、あっブレリアになっている!というわけでまたフィエスタの輪に近づく。・・・でもなんだかイマイチ。うーん。と思っていたらイネスが立った!わーイネスが歌う!と固唾を飲んでその瞬間を待っていたのですが、聞こえてきたのはイネスの歌よりもヘレスのブレリアのパルマ・・・・

・・・違うんだよ。

イネスが歌うのはレブリーハのブレリア。ヘレスのブレリアとは全然違うんだよ。

どっちがいい悪いの問題ではない。違う。同じブレリアでも、コンパスのうねりが全然違うんだよ。なのになぜ、イネスの歌うブレリアにヘレスのコンパスでパルマがたたけるのか???

あーこんなんじゃ、イネスが可哀想過ぎる。と思ってぱっと斜め前を見たら、レブリーハのブレリアのコンパスでパルマをたたいていた人がいた。そう!そう!あなた!!!救世主のパルマとイネスの歌に耳ダンボ。でも多勢に無勢で、それらはヘレスのブレリアのパルマに消されて行く・・・あああああああああ・・・すると、どうしたことか、誰か出て来ちゃったよ・・・・、アンタ、イネスの歌で踊る気か?ダメってことはない。でもその出方で大体、その人がどのくらい踊れるのかが分かる。どれくらい踊れるかってのは、舞踊技術がどれくらいあるかということではなく、カンテをどうやって聴いて、カンテをどうやって踊るのかということ。その人は明らかに、とにかく何でもいいから踊りたくて仕方ない人。フィエスタの輪の中心に立って踊りたがるだけの人・・・あああああああ・・・そんな人にイネスの歌が汚されてゆく・・・・って言うのは言い過ぎかもしれないけど、フィエスタだからそんなこと考え過ぎなのかもしれないけど、そう思ってしまった・・・当然、イネスの歌とは全然関係ない踊りをして、イネスの歌は終わってしまう。可哀想なイネス・・・・誘われた分際でこんなこと思っちゃ悪いのだけど、このフィエスタは一体なんなんだ・・・しばらく微妙なブレリアが続き、気付いたらアナ・マリア・ロペスとイネスは完全に姿を消していた・・・そしてまたあのギタリストがルンバとセビジャーナスに戻してしまう・・・・

ここがセビージャだったら家に帰ればいいのだけど、ヘレス郊外の野原の中。車を持っていない私達は誰かが帰る時に乗せて行ってもらうしかない。あー、アナ・マリアの車に乗せてもらって一緒に帰ってしまえばよかった・・・・。しかし時既に遅し。そうこうしているうちに女の子達のブレリアが始まった。中心となって仕切っている人が多分、パケーラの姪っ子。風貌がそんな感じ。一人はすごい歌が下手なんだけど何回も出てきて歌う。パケーラの姪っ子らしき人も歌う。もう一人が上手かったなあ。さっきレブリーハのコンパスでパルマをたたいていた救世主だ。やっぱり、と感心。なーんとなくヘレスのフィエスタらしくなってきて段々面白くなってくる。そうしているうちに少しずつフィエスタの輪が小さくなる。(みんな帰っていくから。)すると、今まで周りで見ていたおじさん2人が歌い出した。一人はさっき一緒のテーブルで食事してたおじさんだ。本職は魚屋さんらしい。ヘレスのすごい所は、プロの歌い手でなくても、一般の人でもアルテの度合いが高い。もう一人のおじさんもかなりの強者だ。さっすがヘレス。そうそうそうそう、これだね!やっと出て来た、ヘレスのフィエスタ!

すると今度は私の向いに座っていたセニョーラがつかつかと寄ってきて、「アンタ、いつ踊るのよ?踊れるんでしょ?踊りなさいよ。アンタの踊りを見てみたいのよ。」と言う。出た・・・・これすごく嫌なんです。強制されて踊るの。恥ずかしがって踊らないわけでもない、もったいぶっているわけでもない。やっとまともに聴けるカンテが始まったんだ。自由に聴かせてはくれないものか。それにフィエスタのブレリアって、スイッチをポンと押されて踊るもんじゃない。タブラオで順番に踊るのとは訳が違うんだ。・・・と思いつつ、表面上はハハハ、と適当に笑ってごまかしたけど、そのセニョーラはその後ずーっと私から視線を離さない・・・。フィエスタに誘われた手前、それでも頑固に踊らないってのも失礼だしそれはそれで粋でもない。あーあーと思っていたら、さっき歌っていたおじさんがこちらを見て歌い始めたので、ここが年貢の納め時、萩原、ちょっぴり踊りました。楽しいといえば楽しいけれど、何かぶわっと自分の中から出て来たブレリアではない。ちょっと残念だったなあ。でも見ている人からすると、東洋人がブレリア踊っているという事実で驚いたり喜んだりすることもあるんですね。「Ole tú! 」とか言われたけど、真に受けない。ありがとう、とは思うけど。

そんなこんなでしばらくそのフィエスタは続き、そのうちわいわいみんな帰り出したので、ヘレス市内まで車に乗せていってもらう。この時点で朝6:00。始発の電車は7:00くらいからなので、チューロcon チョコラーテ(チューロをチョコレートにひたして食べる。朝帰りの定番)でも食べるかと思いきや、チューロはあと1時間くらいかかるとのこと。残念。飲み物だけ注文して始発電車に乗ってセビージャに帰ったのでした。

フィエスタっていろいろ。すっごい面白くで目がキラキラギラギラする時もあれば、こんな不発の場合も。後日アナ・マリアと話したら「つまんないから途中で帰っちゃったわよ」とのこと。そうだろうな〜と思いました。まあ、仕方がない。そういう時もある。

ところで、アントニオが撮ってくれた写真を見るとどれも楽しそう。・・・考えてみたら写真からは音が出ないんだよね、と二人で笑いましたとさ。

おしまい。

2015年10月9日 セビージャにて。

Oct 7

CARTEL.inddCARTEL.indd_DSC4140_DSC4981_DSC4044_DSC4563_DSC3799_DSC4729_DSC4290_DSC4391_DSC4903_DSC4889みなさんこんにちは。お元気でお過ごしでしょうか?

こちらセビージャもやっと秋らしくなってきました。といっても日本のような風情ある秋ではなく、ちょっと涼しくなってきたという感じですが。四季の移り変わりはやはり日本の方が美しいですね。趣があります。スペインは大ざっぱ。(笑)そこら辺はやはり国民性にも影響を及ぼすのでしょう_DSC5041か・・・(笑)

さて、大変遅くなりましたが、9/6(日)に大阪にて開催された「第2回アントニオ・ペレスの仲間たち en Osaka」ライブの写真をアップします。(アップしそびれていました・・・スミマセン。)もう1ヶ月経ってしまったのか、と思いつつ、まだ1ヶ月しか経っていないのか〜という思いも。

お越し下さいました皆様、ありがとうございました!共演の井上光正さん、宇根由佳さん、宇根理浩さん、森脇淳子さん、プラテアオ、ありがとうございました!お陰様で昨年同様とても楽しい時間を過ごすことができました。

東京での「人はなぜ、絵はがきの風景を探すのか?」公演のすぐ後だったので、実は私自身は調子がイマイチだったのですが、たくさんのお客様からお喜びのお声を頂き大変嬉しかったです。土地柄なのか、ライブのお客様の反応も東京と大阪では異なるみたいです。やはり関西の方がノリがいいのかな?出演者の皆さんもお客様との掛け合いを楽しむように踊っていらして、へーっと思いました。東京ではちょっと見られない雰囲気。私もガロティンを踊った時にちょっぴりまねっこしてみました。(笑)あ、そうだ。ソレアを踊る時の出番を間違えてしまったのですが、上手い具合にウケたようです。(笑)これも東京だったらそうはいかなかったかなあ?

最後のフィン・デ・フィエスタではアントニオ・ペレスもちょっぴり参加。アルテはあるがコンパスなし(笑)のブレリアで会場を湧かせてくれました。ありがとうアントニオ。それにしても、終演後に回収したアンケートの中に「最後にかわいいおじさんが出て来て面白かった」とのコメントがあり・・・・どう考えてもアントニオのことだよね、と大笑い。来年はもう少しちゃんと踊れるようになれるとよいのですが。頑張らせます(笑)

ではみなさんまたお会いしましょう。

写真:アントニオ・ペレス

2015年10月7日 セビージャにて。

Oct 4

スクリーンショット 2015-06-29 17.29.5911223768_10153664147681228_7731802607403551936_o12096067_10153664148091228_4715051584834493141_n12144820_10153664133061228_8049509975958782609_nみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

遅くなりましたが、8/30に開催された、萩原淳子クルシージョ受講生ライブの写真をアップします。共演のエミリオ・マジャ、エル・プラテアオ、どうもありがとう!そして有志出演受講生のみなさん、お疲れ様でした!人前で踊るということは大変なことで12119026_10153664133231228_9210980945955169573_nす。観るのは簡単、批
12052399_10153664135836228_7554939576995622658_o
12095095_10153664136611228_2707605744841631644_o評するのもの簡単。でも人前で踊るという責任は全く別もの。一人一人各自の人生の中で、仕事や家庭やもろもろの状況の中で準備してきた皆さん、本当によく頑張ったと思います。お疲れ様でした!

ライブ後、出演受講生お一人お一人にコメントのメールを送りました。フラメンコの捉え方というのは人それぞれだと思うので、私の意見が唯一で絶対正しい、なんてことは全く12047132_10153664137351228_8454834214834885811_n
12079285_10153664137556228_3048105585366731684_n思っていません。たくさんの考え方、意見のうちの一つとして役立つ12088022_10153664138166228_7396140093483575855_nようであれば・・・、という感じです。「よかったー、楽しかったー、勉強になったー」というのは内輪で開催するお友達同士のライブの感想。でも今回出演された有志受講生の皆さんはプロとして活動の幅を広げてゆく人、もしくはそれに準ずる舞踊技術を持っている練習生です。その彼女達がさらに少しでも成長できるように、私がお手伝いできることがあれば、と思っています。

技術的に踊れることとフラメンコを踊ることは違う。

それをはき違えると、ただ闇雲に手足やマントンやバタ・デ・コーラを振り回す踊り手になってしまう。これからもそういうことに目を向けて学び続けていってほしいと思います。もちろんすぐには結果は出ませんし、クルシージョ(短期講習会)という形態で教えている以上、私ができることには限りがある。でもその方向性で学んでいくのと、そうでないのでは全く異なると思う。だからその方向性が合っていれば私からどんどん学んで頂きたいし、方向性の合っている別の先生からもどんどん学べばよいと思います。

カンテとギターを聴くこと、理解すること、感じること。

その勉強が足りなければ、当然踊りもその通り。その勉強が足りていても舞踊技術や舞台経験が足りなければ、当然それは踊りにも出てしまう。舞踊技術や舞台経験があっても、そこに安住してしまえば肝心な部分の勉強が足りないまま、時間は過ぎてゆく。そして気付かないうちにその時間とともにこびりつく垢・・・。

今回の有志受講生のお話というよりも、私を含めたほとんど全ての人にあてはまることだと思います。だから何が大切なのかを知った上で、それを学び続けなくてはならない。

セビージャに戻ってきてもうすぐ1ヶ月になります。今、とある先生に師事しています。毎日毎日いろいろ学ばせて頂いているのだけど、その先生がおっしゃっていた言葉がいつまでも残っています。

「まともに学んでない人間は当然まともに踊らず、まともでないことをあたかもまともであるように教える。するとまともでない生徒が生まれ、その生徒がなぜかそのうち教えるようになる。さらにまともでない生徒が生まれ、世の中まともでない人間だらけになる。」

・・・・まさにその通り。

いつからこんな世の中になっちゃったんだろう。

そしてこの言葉からさらに思う事。

世の中まともでない人間だらけになると、まともでないことに愚鈍な人は、まともでないことがまともであるように錯覚してしまう。するといつの間にかまともでないことがまともになり、本来まともであることが、まともでなくなってしまうのではないか???

フラメンコが何なのか、学ぶということがどういうことなのか。

私はここで一人掘り下げていこうと思っています。

いや、「ここで」っていう言い方には語弊があるかもしれない。それはセビージャでなくてもスペインでなくてもできること。でも「ここで」しか学べないことというもの確実にある。それは目に見えない。お金では買えない。だから一見分からない、それを学んでいるのか学んでいないのか、持っているのか持っていないのか。でも確実にある。プロフェッショナルなフラメンコの踊り手というのは、それを持っていて、なおかつ舞踊技術と知識・経験のある人。フラメンコ舞踊の先生というのは、その踊り手であり(もしくは以前そうであり)なおかつそれを言葉できちんと説明できる人。私はそう定義しています。

だから学び続ける必要がある。

本当に学ぶことは尽きなくて、学べば学ぶ程学ぶ事が増えて行く。フラメンコ留学生として学ぶことと、自分が教える立場になってから学ぶことも全く違う。大変と言えば大変だけど、こんなにたくさん学ぶことが自分の人生にあるということに感謝しています。そして、その環境は自分で出来る限り作る。何でも少しずつ準備していかなくてはならないと思っています。

さあて、明日からまたがんばるぞ。

公演写真:アントニオ・ペレス

2015年10月4日 セビージャにて。