みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?
先週水曜〜金曜まで行っていたバダホスの写真をアップします。バダホスはアンダルシア地方の北西、エクストレマドゥーラ(Extremadura)地方にある町です。地図で見るとポルトガルの国境近く。フラメンコはアンダルシア地方が発祥だと言われ、フラメンコ=(イコール)アンダルシアのイメージが強いですが、エクストレマドゥーラ地方のフラメンコも実は素晴らしい。しかしセビージャに住む私でもエクストレマドゥーラ地方のアーティストによる彼らの土地の歌を生で聴く機会はあまりなく、CDやYoutubeで音源を探しています。
昔のエクストレマドゥーラ地方の歌や歴史を知るにはこちら→Rito y Geografía Extremadura y Portual 「フラメンコの儀礼と地理 カンテ編 エクストレマドゥーラとポルトガル」
バダホスはポルトガルの国境に接しているため、歴史的にポルトガルのヒターノ(ジプシー)達がよく出入りしていたそうです。市場の行商人、特に家畜の売買を手がけるヒターノ達が持っていた歌というのが、このエクストレマドゥーラ地方のフラメンコの歌に多大な影響を及ぼしました。中でも有名なのがタンゴ、そしてハレオと呼ばれるこの地方独特のブレリア。それぞれ、タンゴ・エクストレメーニョ、ハレオ・エクストレメーニョと呼ばれることもあります。(エクストレメーニョとは、エクストレマドゥーラ地方のという意味)上記の動画の中では1973年当時、エクストレマドゥーラ地方のヒターノ達の多くがくじ売り、靴磨き、トラックの運転手、春になれば海岸地方のホテルなどに出稼ぎに行っていたそうです。アンダルシア地方同様に経済的に弱いエクストレマドゥーラ地方。そのような厳しい生活の中で、彼らの持つハレオやタンゴのカンテが労働の苦しみを和らげてくれていたのでした。
ヒターノの名字もアンダルシアではあまり聞かない、Saavedra, Salazar, Suarezなど。逆にアンダルシアのヒターノに多い名字、例えばCarrasco,Montoya,Vargasなどはエクストレマドゥーラ地方ではほとんど聞かれないとのことです。フラメンコのアーティストで有名なのは、上記の動画には録画されていませんが、まず歌い手のPorrina de Badajoz(ポリーナ・デ・バダホス。1924−1977)。彼の銅像(写真)が現在、バダホスの街の中心にあります。
→ポリーナ・デ・バダホス ファンダンゴ
→ポリーナ・デ・バダホス タンゴ
他の歌い手では、ポリーナの甥にラモン・エル・ポルトゲス(Ramón el Portuguez)とグアディアーナ(Guadiana)。そしてフアン・カンテーロ(Juan Cantero)、インディオ・ヒータノ(Indio Gitano)、ラ・マレル(La Marelu)など。
かなり昔のものになりますが、彼らが集結している動画はこちら。ちなみにこの動画で弾いている髪の毛もじゃもじゃのギタリストはフアン・サラサール(Juan Salazar)はポリーナの息子。
→Jovenes Flamencos de Extremadura
トニ・ガトリフの映画「Vengo」にも出演したラ・カイータ(La Kaita)も有名な現代のエクストレマドゥーラ地方の歌い手。
→映画「Vengo(ベンゴ)」で歌う ラ・カイータ
同じ監督の別の映画「Latcho Dorm」でも歌っているようです。
→映画「Latcho Dorm」で歌う ラ・カイータ
そしてカイータと共に有名な現代の歌い手、アレハンドロ・ベガ(Alejandro Vega)。さらには踊り手のエル・ペレグリーノ(El Peregrino)。
彼らをはじめとするエクストレマドゥーラ地方のアーティストがこぞって出演した公演の映像はこちら。全公演1時間、通して観られます!→「DE TANGOS Y JALEOS, RAZA FLAMENCA, Extremadura」公演
アンダルシアのフラメンコアーティストに比べるとあまり有名ではないかもしれないけれど、素晴らしいアーティスト達を生み出した街、バダホス。今まで一度も行ったことがなくて、私の中のイメージは前述の「Rito y Geografia」の映像で止まっていた・・・セビージャの人達に聞いても「バダホス?そんな所に行ってどうすんの?」みたいな反応だったので・・・(すみません、バダホスの皆さん・・・)。でも実際バダホスに行ってみたら、アンダルシアの街とそんなに変わりない。セビージャよりは小さく落ち着いている。数年ぶりに訪れた夫も「ずいぶん変わって綺麗になったなー」と驚いていました。
興味深かったのは、街の中心のすぐ近くにヒターノの居住区がある。そしてその居住区の中でも歴史的に有名なのが「Plaza Alta(プラサ・アルタ、アルタ広場)」という中心地から坂を上りきった所にある広場。バダホスのフラメンコの歴史の中で、このアルタ広場にてフラメンコが生まれ、育まれた彼らの揺りかご。昔はこの地区一帯では麻薬、売春などが頻繁にあり一般スペイン人は怖くて近づけなかったとのこと。それを「一掃」するためバダホス市役所は街の中心から離れた場所に土地を買い取り、ヒターノ達を強制退去させようとしました。時は1980年代。ところがバダホスのヒターノ達は「一般スペイン人が自分の好きな所に住む権利を持っているのに、なぜ我々ヒターノはその権利を持てないのか!」と大規模なデモをおこしたそうです。この抗議に行政側が敗北し、彼らはアルタ広場に住む権利を勝ち取ったとか。現在ではこのアルタ広場はかなり開発され、とても素敵な広場になっています。(写真)夏には屋外のフラメンコ公演やコンサートなども行われるそう。観光客ももちろんいます。
以上の話は、実際にアルタ広場に住むスペイン人女性から伺いいました。現在ではヒターノだけでなく、スペイン人も住んでいるとのことですが、当初はほとんどヒターノばかりで、街の下の方(中心地)からお友達が遊びに来る時は、ヒターノ居住区を怖がるお友達のために、彼女が街の下までお迎え、お見送りしていたとか。住み始めた当初はヒターノ達にスパイか警察かと勘違いされたらしく、車の窓ガラスを壊されたりしたそう。彼女は直接ヒターノ達の所に行って、自分はただのハモン(生ハム)売りだ!って証言して、それ以来普通に接してもらえるようになったとのことです。
確かに近づいてはいけないと言われる場所もあるそうですが(セビージャにもあります)、私もこのアルタ広場に行くのにあたり、ヒターノの居住区を通過してきました。そこで知り合ったのが清掃員のベレンさん。彼女は昔セビージャでマティルデ・コラルに習っていたそう。道端で急に踊り出してくれました。
行政での職を失ったベレンさんは午前中は清掃員、午後は年配の方々にフラメンコを教えているそうです。そしてバダホスのヒターノ状況にとても詳しいとのこと。いろいろなお話をして下さいました。残念ながら私たちが滞在していた日にはヒターノ達のフラメンコの集いがないらしく、現地のフラメンコを聴くことができなかった・・・
ちなみに、もう少し気軽にバダホスでフラメンコを楽しみたい場合は、「Meson Monsara」というバルに行ってみるといいよ、とのこと。毎週土曜のお昼にタブラオライブが開催されるそうです。現地の若手アーティストのライブや、先述の有名なアーティストも出演、またフィエスタが開催されることもあるそう。
Meson Mansara でのライブの様子はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=slmJkHFohYY
Meson Monsara のライブ情報はFBにアップされているとのこと→https://www.facebook.com/mesonmonsara/
私たちが滞在していたのは水・木・金だったので、Meson Monsaraでのライブにも行けなくて残念。セビージャからバダホスまでは行きにくいのですが(電車で5時間、バスで3時間、しかも乗り換えあり!)、いいフラメンコが聴けるならまた行ってみたいなあ。本当は現地のヒターノ達のフィエスタとかで彼らの歌を聴けるといいんだけど。。。
いつか聴けるかなあ。聴きたいなあ。。。
2017年11月14日 セビージャにて。