Oct 31
石巻に行きました②
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 10 31st, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。昨日のブログの続きです。

松島のホテルに1泊して、次の日また石巻に向かいました。昨日と同じように石巻駅前でタクシーを拾ったところ・・・なんと昨日と同じ運転手さん!すごい偶然!早速昨日行けなかった魚市場、水産加工場に連れていって頂くことになりました。

「今日もたくさん写真撮って下さいね。船がね、津波で乗り上げていますから、いまだにそれ残っていますから、そこ写真に撮って下さいね。」今日もものすごい勢いで説明して下さいました。「今日はこの後、女川にも行きましょう。魚市場で待っていますから。女川は市場から20分くらいで行けます。そこも見て頂きたいんです!女川は本当に壊滅してしまったんです。高台にある病院の1階、15メートルまで波が来たんですよ。だからもちろんその下の町は壊滅。壊滅ですよ。」

魚市場に着きました。やはり待って頂くのも申し訳ないのでお別れをすることに。すると運転手さんは名刺を下さいました。「写真撮り終わったら私を呼んで下さい。すぐに飛んできますから。」とても熱心な、宮城交通の運転手Kさんでした。

全壊してしまったという魚市場、水産加工工場。でも少しずつがんばっています。

満潮になると冠水するそうです。その大きな水たまりを避けながら、運転手さんが教えて下さった「陸に乗り上がった船」を探す事に。

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う...これはひどい....言葉になりません・・・

震災直後は石巻市内にまで乗り上がった船が放置されていたそうです。

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人間が作ったものなんてこんなに簡単にぐにゃりと曲げられてしまう。かもめにとってはどっちでもいいのかもしれないけど。

魚市場を後にし、先程のタクシーの運転手さんに電話しました。女川行きを勧められたけど、今日は天気も悪いし帰りがかなり遅くなってしまいそうなので、昨日行った南浜町にもう一度連れて行ってもらうことにしました。魚市場から南浜町をつなぐ大きな橋があります。その橋の上を通った時に運転手さんは教えて下さいました。「この橋の上には津波が届かなかったの。だからこの橋の上で助かった人はたくさんいるんですよ。次の日、ヘリコプターで助けられたのね。」

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南浜町に到着。昨日はほとんど人がいなかったけど、今日は復興支援の車がひっきりなしに通る。あれだけある壊れた車の山へ、さらなる車がどんどん運びこまれる。

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住宅跡を何台ものショベルカーが更地にしていく。でもここでも冠水。

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「災害復興支援隊」の皆様に本当に頭の下がる思いです。

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昨日手を合わせた同じ場所。昨日はなかったお花が供えてありました。昨日私がお供えしたのど飴はそのままになっている。迷惑ではなかったのかもしれない・・・・。今日は持参してきた別の飴をお供えしました。そしてまた手を合わせました。

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その後また同じ運転手さんに迎えに来てもらい、石巻駅前から駅前商店街へ。丁重にお礼を申し上げお別れすることに。そして、やはりその運転手さんに教えて頂いた、おいしい石巻のかまぼこのお店「白鎌」へ。商店街にも津波は達したらしく、営業しているお店とまだ閉まっているお店とありました。しかし「白鎌」はお客さんで賑わっていましたよ。試食をさせて頂いたら本当においしい。一箱を両親の元へクール宅急便で送ることに。左のかまぼこセット、宅急便代を入れて3000円ちょっと。家に帰ってから皆で頂きました。ありがとうございました。

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ぶらぶら歩いていると商店街でたくさんのキャラクター銅像を発見。石ノ森章太郎さんの美術館がある石巻は(美術館は現在閉鎖中。建物は残っていますが)たくさんのキャラクターにあふれています。なんだか元気が出てきます。

商店街にある「ヴォーグ美容室」の方とお話ししました。美容室にも浸水してきたせいで、電動椅子が全てダメになってしまったこと。でも地方に住む息子さんやそのお友達が椅子を寄付して下さり、わりと早く営業再開できたそうで、震災後2ヶ月は無料でカット、その後1500円、そして2500円、現在は通常料金でカットされているそうです。美容室の奥はご自宅。美容室2階には復興事業の業者さん達が宿泊されているらしく、業者さんの夕ご飯を作っていらっしゃいました。「ごめんなさいね。今度いらした時にはコーヒーをお出ししますね。」と優しい奥様。そしてこうおっしゃっていました。「欲を出すからこんなことになったのよね。普通に暮らしていれば普通に幸せなのにね。」柔和なお顔から発せられたそのお言葉が心にずっしりときました。

その美容室お向かいの洋品店にもお邪魔しました。洋服ちょっと、呉服ちょっと、いろいろなものが少しずつ売っています。「あなた、ここの方ではありませんね。」とお店の方はおっしゃり震災直後の石巻の写真集を見せて下さいました。昨日今日と訪れた南浜町がそこにはありました。「ここが火災した門脇小学校ですね。ここが公園だったところ。まだがれきが山のようにありました。あ、そしてここが壊れた車が山積みになっているところ。」その写真と自分が実際見て来た場所を一致させようと、私はたて続きに確認していきました。

その時別の店員さん(私と同じ年くらい)が笑っておっしゃいました。「その中に私の車もあります。」

はっとしました。何を分かった気になっているのだ。私の目の前にいるこの人は津波から生き延びた人なのだ。きっと私は何も分かっていない。私が知った事実はただの事実で、私はその外にいる。でもこの人はその事実の中で生きている。

私ができることはその洋品店で売っていた、〝I ♡ ISHINOMAKI〟と書かれた「復興Tシャツ」買うことでした。そしてそんな私にお店の方は優しく教えて下さいました。「みなさんね、『アイ・ラブ・イシノマキ』と読まれますけど、『オイ・ラブ』なんです。私達は自分のことを『オイ』と呼ぶんですよ。」

「オイ」・・・・スペイン語だと〝今日〟という意味を持つ「hoy(オイ)」。今日という日を愛せ、そう言われているような気がしました。昨日は過去、明日はまだ来ていないから分からない。分かっているのは今、今日。だから今を、今日を大切に生きる。それは私がこの9年間セビージャでの生活で学んだ、とてもとても大切なことでもありました。

2011年10月31日 セビージャにて。

Oct 30
石巻に行きました①
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 10 30th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

クルシージョ終了後、セビージャに戻る前に仙台、松島、石巻に訪れました。当初被災地に行くことはためらいがありました。ボランティアをする訳でもなく、踊りに行く訳でもなく、ただ訪れて自分の目で見たいというのは被災された方々に失礼なのではないかな・・・と思っていたので。 でもやはり訪れようと思ったのには理由があります。被災者の知り合いを持つお友達から、日赤の義援金が現物支給されているという話を聞いたからです。支給された冷蔵庫や洗濯機は大きすぎて仮設住宅には入らないとのこと。支給された方々は泣く泣くそれらをリサイクルショップで換金されているとのことでした。どうしてそんなことになってしまうのだろう。前回のクルシージョの収益金も微々たるものですが日赤に送りました。セビージャで行われたチャリティー公演収益金も最終的に日赤に届いているはず。世界各国からの義援金も。ショックでした。

日赤を責めることは簡単。でも私は私で、お金を送ったことで自分が何かの役に立てたのではないかなと、それで一安心してしまっていたのかもしれない。もちろん支援はいかなる形でも続けていきたいけど、義援金を送ったという事実で自己満足していただけに過ぎないのかも・・・そんな自分に気付いたこともショックでした。日赤じゃなくて別の団体に送ればよかったという問題ではなく、自分の問題として。

義援金を送るというのも一つの支援方法だけれど、別の形で何かできないかな。自分の足で被災地を歩き、自分の目で見て、そこから感じたことからスタートしてみようかな、と思ったわけです。場所は石巻。仙台に住む踊り手仲間の藤井かおるちゃんとまず会って、そこから石巻に移動することにしました。ただ、石巻は津波以降営業しているホテルが少ないのと、復興事業の業者さん達が主に宿泊されているため宿泊先を見つけるのが難しく、松島にホテルをとりました。

しょっぱなから私は自分の認識不足を恥じます。仙台〜石巻間は電車で1時間くらいなんだな、とネットで調べていたのですが、藤井かおるちゃんから「電車は仙台〜松島海岸駅間は通っているけど、松島海岸〜石巻は通ってないよ。線路がぐちゃぐちゃだから・・」と教えてもらったのです。そうだよね。その通りだよね。私はバカだ。ちなみに私が訪れた時は仙台〜石巻間を走る仙石線のうち、松島海岸駅〜矢本駅までが電車の代わりに代行バスが走っていました。こんな感じです。↓

代行バスは1時間に1本ほど。電車の到着と時間が合っているので乗り継ぎにはそれほど苦労しません。夕方頃にはたくさんの中高生が利用していました。バスに乗っている間に、そのぐちゃぐちゃの線路や壊れてしまった家が窓から見えました。

石巻駅に着いて・・・。さて・・・。駅は普通に見える。駅にある石巻の地図で、藤井かおるちゃんに教えてもらった被災の特にひどかった地区を確認してみました。歩いていけるのかな。よく分からないので駅員さんに聞いてみました。こんなこと質問するのも申し訳ないな・・・と思いながら。自分のやっていることが正しいのか間違っているのか分からないまま。駅員さんから「タクシーに乗った方がいいよ。運転手が丁寧に教えてくれるから」と 言われ、そのままタクシー乗り場へ。何と切り出していいのか分からないので「すみません、被災地・・・」と言ったとたん「南浜町と魚市場に行きましょう」と言われました。ものすごい勢いでした。「お客さん、今説明しますね。この駅一帯も水につかったんですよ。石巻全体ね。この商店街もね。海からだけじゃないんですよ。旧北上川からも水が来たの。だから石巻全部、ぜ〜んぶ浸水。」「お客さん、震災後来たの何回目?」「え、スペインに住んでるの?いっぱい来てるよ、外国からも日本全国からも。」「写真いっぱい撮って下さいよ。撮る所いっぱいあるから。それでみんなに知らせて下さい。石巻のこと。」

・・・そうなのか。

「そろそろ南浜町ですよ。向こうに山が2つ見えるでしょ。手前の山、あれ、がれきね。」

「え!!!」タクシーの中で響いた自分の声に私は驚きました。完全に思考が止まっていました。よく耳にしていた「がれき」。あんなに山になっているものだったのか・・・。そして南浜町に着きました。運転手さんは写真を撮り終えるまで待って下さり、次の場所まで送って下さるとおっしゃって下さいましたが、写真を撮るのにどのくらい時間を要するか分からないので、お礼を言って別れました。

南浜町。震災後火災した門脇小学校近くで降りました。

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家がぽつんぽつんとは残っている。でも何もない。震災後7ヶ月経ってぽつんぽつんと残っている家も、近づいてみると・・・住めない。

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さらに近づいてみる。

涙が出て来ました。いろいろな所で手を合わせました。何も持っていなくて、たまたま持っていたのはのど飴。それをお供えしてよいのか迷ったけどお供えしました。もう一度手を合わせました。

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そして海の方へずんずん歩いて行く。右手に見えて来たのは今度は壊れた車の山。ここでイラン人の写真家兼画家の方と出会いました。東京に長年住んでいらっしゃるそうで、震災の被害を目にし心を痛めているそう。自分はイラン人だけど、日本のために何かしたいのだ、とおっしゃっていました。

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さらにその先もう少し進むと、あのがれきの山が見えてきました。そしてそのがれきの山を抜けて反対側に出てみるとそこはもう道路になっている。しばらく歩いてみると、その場所は公園だったことに気付きました。

「がれき」と一言で言うけれど、その一つ一つに思い出がある。それを思い出せるくらいまだ形が残っているものもあれば、一体なんだったのかもう分からないものもある。でもそれは私が見ているからであって、そこに住んでいいた人が見ればやはり分かるのだろうか。それとも「がれき」と一言で片付けてしまった方がつらい思いをしなくて済むのだろうか。

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道路を渡ると防波堤が見えてきました。「たかひろ」君は今、「元気」にしているのだろうか・・・・。

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そんなに高くない防波堤。ジャンプして海を見てみました。

こんなに静かな海なのに・・・・

海を見ながら、数週間前に会った友達との会話を思い出していました。

マイホームを建てた友達、そのお友達でこれから建てようと夢を持っている友達、そして私の3人。その素敵なマイホームに招待されました。二人は普段私が思いもつかない単語を連発していました。

「珪藻土」「坪」「固定資産税」

は〜。なるほど。勉強になった。・・・・・とあの時は思ったのだけど、ここ石巻に来てそれらの言葉が、何かの符号のように、それは私には全く意味の分からないモールス信号のように、頭の中でこだましていました。

「ケーソード」「ツボ」「コテーシサンゼー」「ケーソード」「ツボ」「コテーシサンゼー」 ・・・・・・・

一生懸命、そして夢を持って建てた家もあっと言う間になくなってしまった南浜町。人は、そして私も言っていた言葉「家はいつでも建て直せる。」人の命と比べたら・・・という意味でもちろん間違いではない。でもそんな簡単な言葉で片付けられるものなのかな。家ってそんなに簡単に建つものなのかな。そして家は物体だけど物体ではない。そこにはたくさんの思い出と歴史が詰まっている。家がただの家だったらそれは家ではない。そこに人が住むから家になる。人がその家に命を吹き込むから。

思い出は心の中にいつまでも生き続ける、とも考えられるかもしれない。でもそれは同じ状況になっていないからそう言えるのはないか。もしそれが本当だとしても、本当に家をなくしてしまった人がそう思えるまで一体どれほどの時間がかかるのだろう。

そして家だけでなく命を失ってしまった人。残された人。

人間が作り出す「物体」にどれだけの意味があるのだろう。でもその「物体」がないために苦しむ人達もいる。震災後7ヶ月も経っている今でさえ。

日が暮れてきました。南浜町を後にし、松島のホテルに帰ることにしました。明日もまた石巻に来よう。

次回ブログに続く。

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2011年10月30日 セビージャにて。

Oct 24

みなさんこんにちは。ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか?

前回のブログからすでに1ヶ月以上過ぎてしまいました。途中ブログが閲覧不可能になった時期があり、何人かの方からお問い合わせを頂きました。ご迷惑をおかけし大変申し訳ございません。もしかしてサイバー攻撃にでもあったのでは?!なんて心配もしましたが、なんてことはない、ホームページ管理年会費みたいのが未払いだったのでした・・・・。会費引き落としのクレジットカードの期限が過ぎていたらしく、管理会社からカードのデータを「更新しましょう」→「更新してください」→「更新まだですか?」→「更新しないとホームページサービスを止めちゃうぞ。」→「止めるからね。」という内容のメールが届いていたみたいなのですが、私はてっきり何かの広告メールかと思っていて全部それらのメールを削除していたわけです。スペイン語なので読むのも面倒くさいし。で、閲覧不可能になってしまったわけでした。。。マドリッドにあるお客様センターのような所に国際電話をかけ、復活処理して頂き、現在は問題ないはずです。ご連絡下さった皆様誠にありがとうございました。

お蔭様で「第8回少人数制クルシージョ」が終了致しました。毎回参加されている皆様、時々参加されている皆様、今回初めての皆様、たくさんの方々に受講して頂きとても嬉しく思います。誠にありがとうございました。これまでのクルシージョでは基礎テクニカやコンパスなどを中心にクラスを行ってきましたが、今回はそれに加え、バタ・デ・コーラのソレア、マントンのアレグリアス、マルティネーテの振付クラスもスタートしました。

ただ振付をとるクルシージョが多い中、それでは振付のコレクションは増えるしその時は踊っているような気になって楽しいかもしれないけれど、本当のところはちゃんと学べていないのではないか?これは私が実際にこれまで「振付クルシージョ」を受講してきた中での感想です。だから自分のクルシージョではこれまでに基礎テクニカやコンパスを中心に、カンテやギターとの関連性、そして学び方そのものを学んで頂くようなクラスを目指してきました。そして今回の「振付クラス」も、それらを軸に振付を学び、また振付からそれらに戻って学べるようなクラスにしたつもりです。実際に受講された生徒のみなさんからも、生徒さんそれぞれの「気付き」があったようで「受講してよかった!」とのお声を多数頂きました。誠にありがとうございました。

私が教えたいことは最終的にはひとつだと思うのですが、それに至るまでに生徒さんそれぞれの考え方・学び方・舞踊経験などによって一人一人が自分にとって大切なことを学びとってゆくクラスになったと思います。毎クラスごとに、「○○さんにはこう伝えればよかったな」とか「○○の部分をもっと詳しく説明すればよかったかな」とか、そんな反省もありますが、クルシージョの回を追うごとに教える自分自身が充実し、だからクラスも充実してゆくのを感じます。まじめで明るく謙虚な生徒さん達に恵まれ、本当に幸せだとも思います。これからもよりよいクルシージョを目指してがんばりたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

次回クルシージョは来年3月上旬から4月上旬を予定しております。来年1月以降にこのHP「クルシージョ」にて詳細を発表致しますが、詳細をお早めにお知りになりたい方は「連絡先」 を通してご連絡下さい。HP上での一般案内に先駆け「先行お申し込みご案内メール」を送らせて頂きます。

ブログにする内容がまだいくつかあるのですが、本日はこれにて失礼致します。また後日更新させて頂きます。では!

2011年10月24日 中央林間ネットカフェにて。

Sep 8

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

2011.9.7 //  サラ・ラジャ・レアル - セビージャ.

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • マヌエル・ロメーロ
  • アンドレス・エルナンデス“エル・ピトゥケテ”

昨晩のセビージャ「ラジャ・レアル」でのソロ・ライブはお陰様で無事終了致しました。とてもとても楽しかったです。普段はバルなのですが、数ヶ月前からフラメンコライブが行われるようになり、留学生、地元トゥリアーナの方々、時にはアーティストもお客さんとしてやって来ます。なかなか素敵な空間でした。

踊った曲はソレアとアレグリアス。久しぶりにバタもマントンもなしの“素踊り”でした。今まであって普通だったものがなくなるとあれれ?という感じがしましたが、それはそれである意味自由も感じられたり。同じ曲を踊るにしても身にまとっているものが違うだけでこんなに感覚が違うものか、と自分でもびっくりしました。でも確かに日常生活でも、ジャージを着ている時とスカートはいている時は気分が違うし、すっぴんの時とばっちりお化粧している時でも違う。どれも全部自分なんだけど。不思議ですね。

本当に楽しいライブでした。楽しすぎて時々爆発しました。自分の踊りに関しては「あちゃ〜」というところが毎回必ずあり、まあ、人間だから仕方がないんですけど、でもそれはいつもの反省材料。でもお客さんも主催者側もアーティストも、みんな大喜びで私まで嬉しくなりました。1曲目のソレアの後、お客さんの一人がたどたどしいスペイン語で「初めてフラメンコを見ました。涙が出ました。私と一緒に写真を撮って下さい。」と声をかけて下さり私の方こそ感動したり、私の2曲目のアレグリアスで地元のアーティストが飛び入り舞台に上がりパルマたたいて下さったり、お客さんとして客席にいらっしゃった歌い手のボケロンも最後にブレリアを披露して下さったり。そういえば、テレビカメラも撮影に来ていました。インターネット上のフラメンコ番組の撮影だったらしいので、そのうちライブの様子がアップされるかもしれません。(・・・「あちゃ〜」の部分はカットされていますように・・・!!!お願い!!!)

お客さんの中にはたまたまこの時期セビージャを訪れていた、昔の留学生仲間、昔住んでいたピソ(スペインのアパート、マンション)の大家さんご夫婦、フラメンコ教室のクラスメートの姿も見えました。日本人の方もお一人。ライブが始まる前と休憩時間にご挨拶できましたが、ライブ後はお姿を見かけることができず・・・もしこのブログを読んで下さっているようでしたら、この場をお借りしてお礼申し上げます。どうもありがとうございました!

そしてあと二人、特別に感謝したい人達がいます。一人は今回のギタリスト、アンドレス。彼と知り合ったのは数年前トロンボのクラスででした。アンドレスはチリ人のギタリスト。現在はスーパー・フラメンカな歌い手エンカルナ・アニージョの歌伴奏者として大活躍しています。(エンカルナはファルキートの歌い手としても有名ですね)でも高飛車な所が全然なくて、何年も会っていなかったのにすぐに打ち解けられたのはやはり彼の人柄のおかげでしょう。いつも周りの皆をほっとさせる昔のままの笑顔を見せてくれました。

本番前日、そのアンドレスと合わせをした時のことです。彼のギターの音がとても素晴らしく聞こえたので、私は彼に「たくさん練習しているの?」と質問しました。すると彼は「そんなでもないよ。1日3〜4時間くらい。あんまり練習しすぎるのもよくないから。フラメンコに大切なものがなくなっちゃうよ。」と答えたのです。あああああああああああ、すごくよく分かる。その答えを聞いてとても納得しました。練習をたくさんすれば技術的には上達する。それはギターでも踊りでも歌でも絶対に必要なこと。プロならなおさら。でも練習すればするほどよいか、というとそうでもない。なんというか、新鮮さみたいのがなくなってしまう。練習に裏打ちされた確実性は見てとれても、その瞬間瞬間を生きる生命力みたいのに欠けてしまう。それがあるからフラメンコはフラメンコであるのに。アンドレスの言葉は本当だと思う。

そしてちょっと思った。ここ最近コンクールのことで頭がいっぱいだった私は練習のことばかり考えていたのではないかな。その割には練習できない精神状態に陥ってしまって悪循環になったり。コンクールだって本当は楽しめればいいのにね。・・・でも自分がコンクールにかける時間やお金や犠牲や・・・いろいろなことを考えるとそう簡単に「楽しめ」なんて言えない。きっと楽しめるのは、な〜んにも考えなくても生きてゆけるよほど幸運な人か、それらを全て乗り越えて超越できる強さを持っている人なんだろう。どちらでもない凡人の私はコンクールという言葉に縛られ過ぎていたのではないかな?というより、自分で自分を縛ってしまったのではないかな?

そんなことを思いながら、それを気付かせてくれたアンドレスに感謝しながら、ゆる〜りゆる〜りと自転車をこいでトゥリアーナ橋を渡っていると、橋の反対側から何か視線を感じる。ふとそちらを見ると、特徴的なシルエットが目に飛び込んできた。私は目が悪いので橋の向こう側の人の顔を判別することはできない。でもあのシルエット。もじゃもじゃ頭のもじゃもじゃひげに細身のズボン。そしてあの歩き方。舞踊伴奏大ベテランの歌い手フアン・ホセ・アマドールだ!絶対に。

彼の歩き方はYouTubeにアップしたいほど素晴らしい。それにはアルテがあふれ、一目見ただけでアーティストだと分かる。でも、「オレってアーティスト」という見せかけの雰囲気をこれ見よがしに振りまく“えせ”アーティストの歩き方ではない。うまく説明できない。でもセビージャの町中で見かけるフアン・ホセにはただただ後ろからついてゆきたくなる。拝みたくなるほどである。

そのフアン・ホセがその歩き方でこちらを見ている。橋のこちら側から「holaaaaaaaa(こんにちはあああああ!)」と叫ぶと彼は大きく手を振り返してきた。その手の振り方にもアルテがある。彼の後ろにはグアダルキビル川岸にそびえ立つ黄金の塔が光っている。その光景が一瞬流れた時に、今での100万時間の練習がすっと抜けていったような気がする。なんだかフアン・ホセのアルテのおすそわけをしてもらったみたいで、またまた感謝した。

そう、だから今回も本番前に大切なことがあった。それを教えてくれたアンドレスとフアン・ホセ。ありがとう。

きっと全部踊りにつながっていくんだろうな。私の見てるもの聞いているもの感じているもの。

2011年9月8日 暑さがぶり返してきたセビージャにて。

Sep 3

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

あの後、というのはコンクール決勝の後ですが、たくさんの方からメッセージを頂きました。喜んで下さった方、悔し涙を流して下さった方、コンクール結果に対してお怒りの方、強い励ましを下さった方・・・etc改めてどうもありがとうございました。

その決勝の模様がそのままYou Tubeにアップされています。「tongo!(八百長!)」の怒号が飛んだ表彰式もノーカットです。かなり笑えます。

  • 第14回全国アレグリアス舞踊コンクール決勝 パート1

決勝進出者:マリーナ・バリエンテ、萩原淳子、フアン・ベルムデス、ルイス・デ・ウトレーラ

自由曲部門賞:パトリシア・イバニェス

watch?v=UBqxSc0heuw ←こちらをクリックして下さい。※私の部分は00:27:45くらいから始まります。

  • 第14回全国アレグリアス舞踊コンクール決勝 パート2

ゲスト・アーティスト:フアン・デ・フアン

表彰式

watch?v=dSSqKmc_7lA ←こちらをクリックして下さい。※表彰式は最後の10分くらいです。

改めて自分の踊りを客観的に見てみると・・・課題がいっぱいです。ありすぎます・・・。

今回学んだことを、また少しずつ消化してゆければと思います。今後ともどうぞよろしくお願い致します!

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さて、次回は9月7日(水)にセビージャで踊ります。

2011.9.7 //  サラ・ラジャ・レアル - セビージャ. 22:00H.

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • マヌエル・ロメーロ
  • アンドレス・エルナンデス“エル・ピトゥケテ”

↓フェイスブックにアップされているライブのチラシ

私の写真が勝手に使われて・・・なんだかお化け屋敷の宣伝みたいになっているよ・・・・

ちなみに元の写真はこれ↓(雑誌「EUROPA JUNTA」記事:「世界遺産フラメンコ」写真:アントニオ・ペレス)

・・・・ちょっと気になりますが、まあ私は踊りをがんばるだけです♪

ではみなさんまたお会いしましょう!

2011年9月3日 セビージャにて

Aug 22

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。こちらセビージャは少し涼しくなりました。

一昨日「第14回全国アレグリアス舞踊コンクール」決勝が終了しました。たくさんの方に応援して頂き、本当に感謝しております。誠にありがとうございました!

結果は以下です。

  • 優勝:フアン・ベルムデス(プエルト・デ・サンタマリア)賞金4000ユーロ、タブラオ“コルドベス”出演契約
  • 準優勝:マリーナ・バリエンテ(セビージャ)賞金3000ユーロ、タブラオ“コルドベス”出演契約
  • 3位:ルイス・デ・ウトレーラ(ウトレーラ)賞金2000ユーロ
  • 4位:萩原淳子(日本)賞金1000ユーロ
  • 最優秀振付賞:萩原淳子(日本)

すごい風でした。風というより台風並み。カディスには海風があるのはもちろんだけれど、これは別格。空を見上げていると、音響担当の人が近づいてきました。「昨日からすごい風なんだよ。昨日はコニル(カディス近くの海沿いの村)でフェスティバルがあったけど、風の音がすごすぎてサパテアードの音が聞こえなかったんだよ。音量を上げるとハウリングしてしまうし。そして椅子が飛んで行ったんだよ。風で!」納得。あり得る。この風なら。

そんな中で始まったコンクール決勝。実際踊りの最中も風は吹き荒れ、マントンはあっちこっちに流され、シレンシオの部分ではマイクが風の音をひろい、ぐお〜とうなる。でもなぜか私は落ち着いていました。1カ所だけ「まずい!」と思った瞬間がありましたが。

踊り終わった後、たくさんのアーティスト達やお客さんが「ジュンコ、おめでとう!素晴らしかった!」と声をかけて下さいました。自分では自分の踊りに満足はしていないけど、でも傍目にはよかったのかもしれない。と思い直していると、私に伴奏してくれたギタリストのミゲル・ペレスが私の手を引っ張って小声で言いました。「賞をとるのは◯◯と××だ。ジュンコは賞なしだよ。でも君がどう踊ったか俺は知っている。そして客席にいた踊り手達も皆知っている。そのことの方が価値があるんだ。それを忘れるな。」

客席には、エル・フンコ、スサーナ・カサス、フアン・オガジャ、ピリ・オガジャ、アンドレス・ペーニャ・・・・etcそうそうたるプロフェッショナルな踊り手達がいたそうです。そして今回決勝進出できなかった踊り手達も。彼らのうちの何人かが「ジュンコ、素晴らしかった」と楽屋にまで来て言ってくれましたが、今思うとそういえば彼らの顔が皆曇っていました・・・私が賞なしになるのを彼らは既に知っていたのかもしれません。

そして、表彰式で大勢の観客の前で私がショックを受けないよう、事前に教えてくれたミゲル・ペレスに私は静かに感謝しました。

表彰式。案の定私の名前が最初に呼ばれました。コンクール規定によると賞は3位まで。順に賞金4000ユーロ、3000ユーロ、2000ユーロのはずでした。私は賞なし・・・のはずが、「4位」。不思議に思いながら壇上に上がると、なんと客席からブーイング・・・「tongo!」という声があちこちから聞こえて来たのです。・・・“tongo(トンゴ)”って・・・“八百長”ってこと???困惑気味の私に4位のトロフィーと1000ユーロと書かれた小切手が渡されました。私は全く理解できないまま、でもなんとか微笑みを作ってその場を退こうとすると、今度は別の主催者が「まだその場に残って。あなたには別の賞があるから。」と。別の賞?何ですか?それ?全く意味が分からないまま私は壇上に立ち尽くしました。

すると今度は「最優秀振付賞! ジュンコ・ハギワラ!」最優秀振付賞?そんなのこれまでのコンクールでも一度も聞いたことがない。しかもあの風のせいで半分以上即興で踊ったのに「振付賞」ってことはないでしょう。なんじゃそりゃ?それまで聞こえていた「tongo!」の声が一瞬聞こえなくなり、会場中がシンと静まりました。あの瞬間、会場全体にたくさんの「?」が浮かんでいたと思います。私は全く意味が分からないまま、自動的に振付賞のトロフィーも頂きました。

そして3位が紹介されました。「ルイス・デ・ウトレーラ!」その瞬間、先程の「tongo」の声が会場全体のシュプレヒコールに。「tongo! tongo! tongo! tongoooooooooooooooo!」(八百長、八百長、八百長!!!!)壇上に上がったルイスの目が泳いでいる。そしてそのシュプレヒコールが続く中、ルイスと私はそれぞれ3位と4位のトロフィーを手にし呆然としていました。

2位マリーナ・バリエンテ。笑顔を振りまいてトロフィーを受け取るとカメラ目線で写真に映る彼女。そして最後は優勝のフアン。まばらな拍手。しかしフアンは悪くありません。彼だって私と同じように決勝進出者として一生懸命踊っただけ・・・でもフアンは何が起こったのか察していたのでしょう。トロフィーを受け取るとそそくさと私の横に並びました。顔面蒼白でした・・・。

帰りの車の中。ミゲル・ペレスが激怒している。歌い手のヘロモ・セグーラも。ミゲルの話によると、私が入賞しないようにコンクール側に圧力がかかっていたのだそうです。“私”がというより、正確に言うと“日本人”が、です。私は驚きました。特定の踊り手を入賞させるために私がはじかれたのではなく、日本人である私が賞をとれないよう最初から仕組まれていたとは。しかしこのコンクールではこれまでの歴史の中ですでに2名の日本人が準優勝を飾っているそうです。なんでだ?むしろ日本人に“優しい”(?)コンクールかと思っていたのに。それが裏目に出ました。要するに、これ以上“日本人”を入賞させない、という圧力だったらしいのです。

なぜ、誰が、なんのために圧力をかけたのか、詳細はブログに載せられません。それにより傷つく人がいると思うから。でもその裏事情を聞いた時、私はなるほど、と思いました。よくある話です。これまでに私は日本でもスペインでもたくさんのコンクールに出場してきました。大なり小なり似たような裏事情に翻弄されてきたので、正直、またか、と思いました。

コンクール側はその上で、本来存在しなかったはずの「4位」と「賞金1000ユーロ」を私に与えたのでしょう。そして「最優秀“振付”賞」という微妙な賞も・・・。「最優秀舞踊家賞」は与えられない。「最優秀アレグリアス賞」ってのもだめ。だったらなんで4位なんだ?という話しになってくる。苦肉の策で「最優秀“振付”賞」にしたのかな。もう一つ賞をあげるから4位だけどがまんして、ということなのかな。う〜む、微妙すぎる。それにしても、その賞のトロフィーの踊り手・・・目が切れ長で東洋人みたいなんですけど。私の気のせいでしょうか???しかもそのポーズは私のアレグリアスの最後のポーズと一緒・・・これってすごい偶然???

私はゲラゲラ笑い出しました。今までの私だったら怒り狂うか、大泣きするか・・・でも今回は笑いが止まりません。「tongo!」のシュプレヒコールを思い出して。そんな波乱の表彰式になったのはきっとカディスだったから。カディスには特別のアルテがある。そんなカディスの観客にオレ!だし、そのカディスのコンクール決勝で踊った私にもオレ!4位にされちゃって、でもそれを笑い飛ばしている自分にもオレ!

結局コンクールってなんなんだろう。コンクールの“結果”がその人の人生を変えることもある。人は“結果”のみでその出場者を判断することもある。裏事情が表に出ることもあれば出ないこともある。だからコンクールには絶対出ない!という人もいる。なるほど、それも一つの選択だ。でも私にとって重要なことは、そのコンクールのために準備する“過程”。その“過程”を知る人は少ない。だからこそ重要なのだ。

多くの人や審査員に踊りを見てもらい、順位をつけられたり意見をもらうのもよい、という考えもあるかもしれないが(私もこれまでそう思っていた)でもそれは場合による。踊り手の本当の実力を見極められるのはプロフェッショナルなギタリスト、歌い手。そして自分より実力のあるプロフェッショルな踊り手だと私は思う。そのような人達の前で踊れるのであればそれは貴重な経験だ。そしてその貴重な経験は、コンクールに出ると決心し、いろいろなものと闘いながら準備してきた人間にのみ与えられる。

そしてもっと重要なのは“結果”に流されない自分を持つこと。今までの私のように、納得のいかない“結果”に落ち込んだり、自暴自棄になったりするのは意味がない。それだったらコンクールなんて最初から出ない方がいい。自分自身をだめにするだけだし、周りの人に迷惑をかける。もしくは納得のいく“結果”に溺れ、そこから抜け出せない場合。それも意味がない。自分で自分の道を閉ざすことになる。

今そう思えるのは、これまでに私自身がいろいろなコンクールに出場して、それぞれの裏事情に涙を飲んできたからこそ。そして、それは私だけではない。3位になったルイス・デ・ウトレーラ。ミゲルが言うには素晴らしい踊りだったそうだ。ルイスが本当は優勝を飾るべきだったと。そして今回、決勝進出せずに「バイレ・リブレ賞(バイレ自由部門)」を受賞したパトリシア・イバニェス。彼女だって、きっと納得していないはず。去年のアレグリアス・コンクールで同賞を受賞した(させられた)チョロにしてもそう。あのラファエル・デ・ウトレーラだって、今年のウニオンのコンクールで優勝を与えられなかった・・・

きっとこれからも私はいろいろな波に翻弄されるだろう。努力すればするほど、挑戦すればするほどその波はうずを巻く。でも逆に言えば、その波があったからこそ私は「自分」というものを持ち始めている。人間誰しも落ち込むこともあるし、自分を信じられなくなることもある。でもそれは人間なら当たり前。日本にいようがスペインにいようが、フラメンコをやっていようがいまいが、それはみんな同じ。だから今日も私は波へと漕ぎ出す。

どんぶらこ〜どんぶらこ〜

2011年8月22日 セビージャにて(写真:アントニオ・ペレス)

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