Apr 10

30516018_1512804825515399_849244959204648971_n_DSC1934_DSC1959_DSC1949_DSC1951みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

日曜にレブリーハに行ってきました。レブリーハを代表する踊り手、コンチャ・バルガスが今年でアーティスト50周年を迎えます。それを讃える「ヒラルディージャ・フラメンカ」の授与式がレブリーハのペーニャ・フラメンカで行われました。ペーニャ会員や愛好家、フラメンコ識者で会場はぎゅうぎゅう。コンチャ・バルガスも式典の中で「これまでたくさんの賞を頂いてきたけど、今回の賞が一番嬉しい。自分の生まれた土地でその土地の人に祝ってもらえる事ほど嬉しいことはない」とおっしゃっていました。おめでとうございます!!!それにしても50年ってすごいなあ。私の人生以上の年月をアーティストとして踊ってきているのだ、コンチャは。素晴らしい!!!

その式典の後にはコンチャの息子さんクーロ・バルガスのギターと、レブリーハ出身の歌い手アナベル・バレンシアによるコンサートも行われました。アナベル・バレンシアはあまり日本では馴染みのない歌い手かもしれませんが、素晴らしい歌い手です。あの日もソレアから始まり、圧巻のマラゲーニャ、そして鳥肌と涙のシギリージャを歌いました。クーロのギターもよかったです。ごちゃごちゃ弾かない。あの溜めというか、間というか。そこに彼のフラメンコの凄味が詰まっている。そして最後のブレリアでは客席で聴いていらしたコンチャが舞台に上がり、一振り踊って下さいました。レブリーハのブレリア。レブリーハの醍醐味。それはヘレスのものともトゥリアーナのものとも全く違う。どれが一番いいとかそういう問題ではない。唯一無二のレブリーハのコンパス。本当はもう少しアナベルの歌を、そしてコンチャの踊りを見ていたかったけど、あっという間に終わってしまった・・・・。またいつか、是非!

_DSC1965_DSC1961_DSC1929_DSC1933_DSC1975そしてその後は会場となったペーニャのバルにてフィエスタの始まり。レブリーハの偉大な歌い手、レブリハーノの息子さん(多分彼はプロの歌い手ではないと思うけど)が踊ったり歌ったり。それから、やはりレブリーハの知る人ぞ知るヒターノの踊り手「エル・ビア」の息子さんのパルマと歌。あのパルマの音は一生聴いていたい音でした。セビジャーナス合唱隊のセニョーラ達も混じり、ブレリア、タンゴ、セビジャーナスと繰り広げられました。楽しかったなあ。

感動したのはその後のレブリハーノの息子さんのスピーチでした。同じくレブリーハの偉大な歌い手「クーロ・マレーナ」の息子さんがギターを弾いていたのですが、彼の肩を持ち、クーロ・マレーナを讃え乾杯をしていました。聞くところによると、レブリハーノとクーロ・マレーナはライバル関係にあったそうです。でもそれは父同士のことって、はっきり言っていましたっけ。

「レブリーハは固有のコンパスを持ち、固有のカンテを持つ。だからこそレブリーハである。」

「レブリーハのヒターノに乾杯!」

そしてその場にいた皆で乾杯。さらにはあのレブリハーノの名盤「Persecución」に収録されている歌の一部を皆で歌い出したんです。音源はこちら→https://www.youtube.com/watch?v=f8imNPPXJBA

Libres como el aire  

Libres como el viento 

como las estrellas    

en el firmamento….

もちろんヒターノでないレブリーハの人もいました。私なんてレブリーハの人間でもない、ヒターナでもアンダルシア人でもない、スペイン人でもない。でも感動して一緒に乾杯し歌ってしまいました。その数十分前のアナベル・バレンシアの歌にも感動したけど、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなってしまうほどの感動。

あの日、4月8日は Dia Intelnacional de Pueblo Gitano「国際ヒターノ・デー」とでも訳すのでしょうか。年に一度のヒターノの日でした。彼らが彼らの家族や彼らの土地に伝わる歌を代々受け継いでいく、だからこそフラメンコが存在し、存在し続けるのでしょう。

そういうものの中で私は生かされ、学ばせて頂いている。もちろんお金を払って学ぶものもある。レッスンを受けるとか、劇場公演を観るとか。でもそうでない所にこそフラメンコの本質が詰まっているのではないか。そしてそれはその土地でないと享受することができない。もちろん日本やその他外国でもそういう状況というのはあるのかもしれない。でもフラメンコはこの土地のもの。当たり前のことだけど、私はいつもそれを肝に銘じている。

03131811_4b9b56bbb601dちなみに、レブリハーノの名盤「Persecución(ペルセクシオン)」のCDジャケットはこちら

ペルセクシオンとはスペイン語で迫害の意味。ヒターノの迫害の歴史を詩と歌で1枚のCDにした歴史的な作品です。皆で歌ったのはこのCDに収録されている「CARAVANA」の一部。またこのCDでレブリハーノは「GALERA(ガレーラ)」というフラメンコの曲を創作しています。背景が背景だけに歌詞は過酷。しかしながら、フラメンコがどこから来たのかを知るためには必聴だと思います。ご興味のある方はどうぞ聴いてみて下さいね。私も久しぶりに改めて聴きました。

写真:www.lebrijaflamenca.com、アントニオ・ペレス

2018年4月10日 セビージャにて。

Apr 9
先週木曜のフィエスタ
La Yunko | 新着情報 | 04 9th, 2018| Comments Off

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みなさんこんにちは。お元気でお過ごしでしょうか?

先週の木曜に行われたフィエスタの写真をアップします。カルメン・レデスマが遊びに来て、本当に本当に素晴らしいブレリアを披露して下さいました。歌っているのはエバ・ルビッチ。その他の歌い手はホセ・カルピオ・エル・ミヒータ、イスラエル・ロペス、ギターはフアン・マヌエル・モネオ。ヘレス軍団でしたが、カルメンはカルメン。カルメン・レデスマ、ここにあり。オレー!!!

参加者のセニョーラ達もみなさん味のあるブレリアを披露されていました。なんでもないようですが、実は歌を聴いている。それが動きに現れている。派手な動きでギャフンと言わせようとするブレリアを踊る人達に見てもらいたいなー。あのシンプルさ。シンプルさの中にある個性と味。あれは年齢からくるのだろうか。私も歳をとったらもっといいブレリアが踊れるように_DSC0247_DSC0251_DSC0252なるのかな?多分歳をとればいいってもんじゃないんだろうけど。

私もちょっぴり踊りました。それまで例によって周りから「ジュンコ、踊れ、踊れ」としょっちゅう突っつかれて、(頼むよ、歌聴かせてくれよー)と内心思いつつ、「あははーそのうちねー」と笑ってごまかす。ロボットじゃないんだから、突っついてボタン押せば踊り出すわけないでしょーに。って思うのですが、毎回。(笑)

フィエスタのブレリアは出だしが肝心です。私の場合。突っつかれて、自分の気持ちが乗ってもいないのに輪の中に出て行って踊ってしまうとなかなか難しい。これだ!と勝手にスイッチが入って飛び出せるといいですね。そういうカンテが聞こえてきた時。それは歌い手にもよるし、歌にもよる。その場の雰囲気にもよる。この間のフィエスタではミヒータの歌で踊りたいなあと思っていたのですが、イスラエルが私の大好きなルイス・デ・ラ・ピカの歌を歌い出したので、電光石火のごとく飛び出した。(笑)

歌を聴くだけの時というのもあります。なんでもかんでも踊ればいいってもんでもない。ミヒータが輪の中に出て立って歌った時のあの歌の凄まじさ。そういうのは歌を尊重しなくてはいけない。そういうのを分からなくて、雰囲気を読めなくてしゃしゃり出て踊ってしまう人・・・・たまにいますが・・・この間のフィエスタではそういう人が誰もいなくてよかった。(笑)

いいカンテを聴いて、いい踊りを見て、その時間をその場でその人達と一緒に共有する。

それがフィエスタの醍醐味かなあ。

自分の踊りは気になる所でもあるんだけど・・・ああ、あれをやればよかったかなあとか、そんなことも思うのだけど・・・、結局それはどうでもいいことなのかもしれない。

写真:アントニオ・ペレス

2018年4月9日 セビージャにて。

Apr 5
ドイツ、ケルンへの旅
La Yunko | 新着情報 | 04 5th, 2018| Comments Off

29872487_10156259861066228_3954491137541791826_o29750036_10156259861081228_1178534681758075690_o29744786_10156259861196228_7653360831569045933_o29983251_10156259862071228_631433987221115316_o29749865_10156259862761228_8308306784299649810_o30167937_10156259862756228_3128546163966288984_o30072741_10156259862906228_8197307870719455587_o29749813_10156259862916228_408466472598859311_oみなさんこんにちは。お元気でお過ごしでしょうか?

こちらセビージャは来週からフェリアが始まります。ブログ更新が遅れていますが、先週のセマナ・サンタの時に行ったドイツ、ケルンの写真をアップします!

ケルンは夫、アントニオが20年近く前にコックとして働いていた町です。ちなみに、ケルンを英語表記すると「Cologne」、日本語的に読んでみると「コロン」になります。日本で使われている「オーデコロン」(香水、もしくは香水よりももう少し軽いもの)ですが、これはフランス語表記から来た「eau de cologe」のこと、つまり、「コロンの水」。ややこしくなってきましたが、ケルンはオーデコロンの発祥の地なのであります!

へー。意外な所で勉強に29983078_10156259862926228_1257584505603698857_o29982949_10156259859976228_431702640123381250_o29749722_10156259863086228_1542664081363397848_o30051705_10156259859996228_6670814647253238876_o29871606_10156259863511228_2159617612582751170_o29872555_10156259859986228_3156193432855687486_o29983205_10156259863071228_7671373393518938509_o29749253_10156259860206228_7565129333980095518_o29750145_10156259863211228_6049060309918143083_o29749722_10156259863086228_1542664081363397848_o 29744891_10156259863356228_3844921784772196882_o29749660_10156259863216228_6327660512903161760_o29744873_10156259863376228_8785775650753001161_o29750138_10156259863371228_7891311827153986813_o29749921_10156259861191228_8613851064673750725_o30073387_10156259860211228_1378325250291813404_oなるブログ(笑)

ケルンは第二次世界大戦で大爆撃を受けてから復興した街なので、建物が比較的新しい。そして移民が非常に多い。東洋人はあまり見なかったような気がしますが、アフリカや中東の地域の人たちがたくさんいました。

観光として有名なのはケルン大聖堂とホーエンツォレルン橋。(この橋の名前は未だに覚えられない)。写真では大聖堂が小さくしか写っていないですが、ゴシック様式として世界最大の聖堂だそうです。近くから見ると本当に圧巻でした。(大き過ぎてカメラに収まらないくらい。笑)

ホーエンツォレルン橋の柵にはものすごい量の南京錠がかかっています。永遠の愛を誓いここに南京錠をかけ、鍵を下のライン川に投げるのだそうです。私たちも南京錠をかけましたが、鍵をライン川に捨てるのを忘れた!あの鍵は一体どこにあるのでしょう・・・?(笑)それにしてもこれら南京錠の重みでいつか橋が落ちるのでは・・・という不安もあります。(笑)

美術館にも訪れました。ルートヴィヒ美術館と、後名前は忘れましたが二つの美術館。(ドイツ語は難しくてアルファベットから読み方が想像できない・・・)なかなか面白かったです。

食べ物は、肉・肉・肉。肉ばかりを食べていました。ウインナーは40センチくらいあり、噛むと本当にプリっと音がする!あの、子供の頃見たウインナーのCMの音と同じで感動しました。(今まだあるのか、あのCMは?笑)とにかく魚が少ないので、セビージャに戻ってから魚を大量に食べました。そういえば、昔のルームメートでドイツ人の女の子がいたけど、魚は四角い切り身の形で泳いでいると長年思っていたらしい。確かに魚屋さんとかで魚を買わなければそういう発想にもなるなー。

そしてドイツといえば、やはりビール。ビールおいしい!あのビールを飲んでしまうとクルスカンポ(セビージャのビールメーカー)が飲めなくなるなー。

アントニオが旅行前に怪我して松葉つえでの旅となったのが残念でしたが、逆にゆっくり町を歩いたりのんびり過ごせてよかったです。

旅行中にいろいろな話をしました。アントニオがセビージャでコックとして働いていた時、オーナーに騙されて人間不信になり、環境を変える必要があったこと、そしてちょうどその時にケルンでの仕事の話を持ちかけられたこと。ケルンで写真の勉強を始めたこと。その後ロンドンやフランスのリヨンでも働いたこと・・・etc。なんとなくは聞いていたけど詳しく聞いたことはなかったので、ああこの人はいろいろな国で働いてきて今のこの人につながっているんだなあと思いました。

ロンドンでは酷い人種差別にあったそうです。道を歩いていたら急に通りすがりの男たちに顔面を殴られたり、ボコボコ蹴られて殺されないようにうずくまって、そして、ハハハハーと笑いながら通り過ぎる足元を見ていたそうです・・・・。セビージャでも人種差別はあって私はこれまでに何度も悔しい思いをしたり、家で泣いたこともあったけど、そういう命に関わるようなことはなかった・・・。そういう話ってやはり体験した人にしかその辛さは分からない。だから今の私ではそんな大したことないよ、って思えるような人種差別でも、私が差別されている時にアントニオは本気で怒っているんだな、って理解できた。

人生には選択するときというのがあって、自分のことを振り返る場合、安全で安心できそうな道ではなく、どうなるか分からない道の方を何度か選んできた。今考えるとなぜそうしたのか分からないけど、それから年月が経って今アントニオと一緒にいる。
不思議だ。

でも、自分で選択できる自由に恵まれたことは本当に幸運だったと思うし、私が選択できるようにしてくれた人達に感謝したいと思う。

・・・なーんてことを考えた旅でした。

2018年4月5日 セビージャにて

Apr 1

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

こちらは今日でセマナ・サンタが終わり、次はフェリア!といった所です。セマナ・サンタ中の写真やブログはまた次回アップします。今日は以下お知らせです!
次回の一時帰国予定は7月中旬から9月上旬となります。
期間中に東京・大阪・福岡にてクルシージョを開講予定
です。
クルシージョ既受講生には詳細が決まり次第こちらから直接ご案内メールを送らせて頂きますのでもう暫くお待ち頂けると幸いです。新規の方で詳細ご希望の方は こちら「連絡先」 のフォームを通してご連絡下さい。既受講生同様のご案内メールを送らせて頂きます。
プリメラギター社さん主催フラメンコ合同発表会「プリメラの仲間たち」公演
萩原クルシージョ受講生有志出演者募集

  • 日程:9/1(土)、2(日)のいずれか
  • 場所:新宿スペースゼロホール
  • 共演:ギター(プロの方)、カンテ(プロの方)、パルマ(萩原淳子)
  • 募集内容:①萩原クルシージョ振付群舞出演(2名より受付)/②萩原クルシージョ振付ソロ出演

出演希望受講生はこちら詳細→プリメラ2018募集要項 をご覧下さい。
※これまでにクルシージョにて開講の振付クラスを受講された方を対象としますが、次回夏の東京でのクルシージョにて振付クラスの受講をご検討されている方、ご自身で振付た曲でのソロ出演をご希望される既受講生はご相談下さい。

公演エントリー受付締切:4月11日(水)

出演希望者、ご検討中の方にはその他詳細とエントリーシートの添付ファイル2点を送信しますので、お早めに こちら「連絡先」までご連絡下さい。

以上、既受講生・お問い合わせの皆様にはメールご案内しておりますが、万が一こちらからのメールが届いていない場合はご一報下さい。
クルシージョ、公演エントリーに関してご質問等もお受付致します。
ご遠慮せずにお問い合わせ下さいませ。

では夏にお会いできることを楽しみにしております!

2018年4月1日

Mar 23

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

ここセビージャは最近ずっと雨で(ヘレスのフェスティバル期間中もずっと雨でした!)やっと晴れましたが、明日また雨らしいので大急ぎで今日はバタ・デ・コーラも洗いました!

早速ですが前回のブログの続き、(ヘレスのフェスティバルで受講した、ホセ・ガランの障がい者フラメンコ教育クラス)です。

  • ローラのこと。

28827995_10156196772566228_9801924589798420_o_DSC4429_DSC4988今回車椅子の受講生2人のうち1人がローラ。過去のブログでも書きましたが、ローラとはこのクラス受講前からセビージャで知り合っていました。セビージャのとあるお店に入った時、そのお店で買い物をしていたのがローラでした。ショッピングカートが行き来できる大きな店ではありません。人と人とがすれ違うのがギリギリくらいの狭いお店。商品が床にまで所狭しと積んであるようなお店の通路にローラは車椅子で入っていました。身動きが取れないようだったので、商品をどかしたりして彼女が通れるように手伝っていた時になんとなく話し始め、彼女がフラメンコを踊るためにそれまで住んでいたバルセロナを引き払って、セビージャに住み始めたということを知りました。へー!勇気あるなあ!そうびっくりしたのを覚えています。その時にホセ・ガランの公演に車椅子で出演すると聞いて、そのリハーサルと本番を見に行きました。そのローラが今回のヘレスのフェスティバルのクラスにも来ていたので、一緒にクラスを受講することになったのです。

ローラとはクラスの中でセビージャナスを踊りました。車椅子の方とセビジャーナスを踊ったのは生まれて初めて。向かい合って踊るのですが、ローラは踊ることが本当に嬉しそうでした。そして車椅子での回転がうまくいかなくてみんなと同じタイミングでピタッと止まれなかった時、本当に悔しそうな顔をしていたなあ・・・。パサーダ(向かい合ってお互いすれ違う動き)の時に私はいつもの調子でパサーダをしたら、すれ違う時に自分の手がローラの胸をかすってしまった。あっごめん!と言って、ローラはあまり気にしていないようだったけど、そうか、車椅子の人とそうでない自分では高さが違うんだ。見ればわかるようなものでも、自分でやってみて初めて気づく私は本当に鈍感だ。

その後、ローラの車椅子を借りて私が車椅子に乗りセビジャーナスを踊ることになった。車椅子に乗ったのも生まれて初めて。まっすぐ前に進むことはできても、斜め方向で自分が行きたい方にはなかなか行けない。回転なんぞもっての他。すごく難しい。何度か練習するうちにやっと車椅子に座ったまま回転できるようになって、やったーと思った矢先、バランスを崩してバーンと後ろに転げ落ちてしまった。「こんなに難しいことをあなたはやっているのね、すごいね」ってローラに言ったら、ローラはこう答えました。

「私はいつも車椅子に乗っているから」

・・・その言い方がちょっと寂しそうで、私はなんて答えていいのか分からなかった。今でもあの瞬間を思い出すと心が傷む。

でもそれは私の思い過ごしなのかもしれない、とも今は思う。車椅子に乗っていることが「かわいそう」って、実は私は心の中で思っていたのかもしれない、だからそれが寂しそうに聞こえたのかもしれない。本当はローラはただ普通に事実を言ったに過ぎないかもしれない。でも私が勝手に色眼鏡で見ているからそう捉えてしまったのかもしれない。

本当に「かわいそう」な人間は私かもしれない。

  • マリア・ホセとのこと。

_DSC538428827044_10156196771266228_6198294067863968265_oマリア・ホセも車椅子で参加したもう一人の受講生だ。年齢は50代くらいかな。なんという名前か忘れたけど、バルセロナとサラゴサの間の街に住んでいて、そこからヘレスまでやってきたらしい。旦那さまも車椅子の方で、二人で5時間ずつ車を運転してヘレスまで来たとのこと。

皆でタンギージョ・デ・カディスの踊りを習っている時だった。踊りながら横移動する動きがあって、そこで先生のホセ・ガランが皆に質問した。「車椅子の人が同じように横に動くにはどうすればいい?」・・・うーん。車椅子だから車輪が動く方向に動く。前を向いていればパッと横移動することはできない。移動できたとしても車輪の向きを変えて移動して・・・ってやっているうちに他のみんなは反対方向の横に移動している。動きがリズムから遅れてしまう。ちょっと無理かなーと私が内心思った時、マリア・ホセが言った。「斜め横だったら移動できる。」

・・・あっそうか。別に真横に移動しなくちゃいけないなんて決まりはないんだ。

踊りを習っていると、時に日本では先生と全く同じ動きをしなければいけないような感じがする。(そうしないと先生に注意される時もあるしね。)でも一人一人違うんだから、その人ができるようにやったっていいではないか。そうやって踊った踊りがまちがっているなんて誰が言える?

その後また面白いことがあった。振付の中でクルっと素早く回る振付があった。いくら車椅子で回ることはできても、クルっていう感じで一瞬にして回るのは車椅子の構造上いくらなんでも無理だ。でもその、みんながクルって回る同じタイミングでマリア・ホセは、車椅子はそのまま前を向いた状態で、上半身を前に倒し頭をバサバサーっと振ったのだ。うわー!そんな動きは初めて見た!でもなんとタンギージョらしい動きなのだろう!そしてマリア・ホセの独創性!

・・・先生が、もしくはみんながやっていることができないのはマイナスなのだろうか?できないと考えるからマイナスなのであって、違うことをすればいいじゃないか。それがその人が見つけたものだったらなおさら価値がある。先生の通りに上手にできることよりも。

そしてさらにOLEだと思ったは、その動きをホセ・ガランは自分の振付にその場で取り入れたのだ。なんという柔軟性。「それもいいね」と認める先生はいらっしゃるかもしれない。でも生徒の動きを自分の振付にその場で取り入れてしまう先生って少ないんじゃないか。すごいなあホセ・ガラン。そしてそういう先生だからこそ、生徒は自由に自分の表現方法を試せるんじゃないか。

そんなことを思いながら、私は二人のようにかがんで頭をバサバサーっと振ることができずにいた。何でだろう、恥ずかしかったわけではない。いいなあって思いながら、でも何だかできない自分がいた。クルって回ることはいとも簡単にできるのに・・・。

きっとそれが私に足りないことなのかもしれない。本当はそれがあればもっと学べるのかもしれないし、もっと踊れるのかもしれない。もっと踊れるというのは、たくさんのことができたり、上手に踊れたり、ということではない。多分もっとフラメンコの根源的なもの・・・。

クラスが終わった後、マリア・ホセや他の受講生が、車椅子で踊る人の動画を見ていたので、私も覗いてみた。ちゃんとは見えなかったけど、コンテンポラリーダンスを車椅子の人が踊っているようだった。「すごいね」って言ったら、マリア・ホセははっきり言った。「確かにね。でも私が踊りたいのはフラメンコなの。70歳になっても80歳になっても構わない。私はフラメンコを踊れるようになりたい」

きっとなれると思う。マリア・ホセなら。

マリア・ホセの、踊っている時のキラキラした瞳を私は今でもはっきり覚えている。

写真:アントニオ・ペレス

※まだいくつかあるので、またブログは続けます。

2018年3月21日

Mar 20

28700688_10156196769831228_4984635891223975232_o28698479_10156196769816228_4506449533579394022_o28954174_10156196769821228_4945347019587284973_o28700893_10156196770926228_7125185458928822687_o28947378_10156196771256228_2722990844335988309_o28700807_10156196771271228_6950931324914173029_o28947188_10156196770901228_8070848045537364066_o28947194_10156196770931228_7608057766572692352_o28827995_10156196772566228_9801924589798420_o28827995_10156196772566228_9801924589798420_o28701644_10156196772141228_5378083562283971055_o28947205_10156196771656228_8598625790831385737_o28701542_10156196772116228_7211167401327134824_o28827044_10156196771266228_6198294067863968265_o28701144_10156196771661228_2806543742187457299_o28947378_10156196771651228_3481804791204654334_o28700948_10156196772111228_6864116358110231505_oみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
日本から戻ってきてアッという間に1ヶ月が経ちます。早い早い・・・

アップが遅れましたが、ヘレスのフェスティバル期間中に受講したホセ・ガランのクラス写真をアップします。非常に非常にいろいろなことを考えさせられたクラスでした。以前にもブログにしましたが、ホセ・ガランという踊り手は障がいを持った人たちにフラメンコを教えたり、彼らとフラメンコ公演をしたり、という活動を続けている踊り手です。

以前のブログをお読みになりたい方はこちら→(http://www.layunko-flamenco.com/JA/2017/12/日本語-萩原淳子のフラメンコ鑑賞記%E3%80%802017-3/

上記のブログはホセ・ガランと障がい者たちの公演リハーサルに関してですが、その本番やまた別の公演もセビージャで何度か見る機会がありました。私自身、フラメンコを始める前から「教育」に関して興味があり、今回のヘレスのフェスティバルでは、そのホセ・ガランが身体・知的障がい者を対象にクラスを開講するとのこと、また障がい者教育にたずさわる健常者、もしくは興味のある健常者も参加可能とのことでしたので、申し込んでいました。

でも、最初に言いますが、私、とっても勘違いしていたんです。

私は自分が健常者だから、どうやって彼らにフラメンコを教えるのか、というのを学ぶのかと思っていました。場合によってはホセ・ガランの助手みたいなこともするのかな?なんて想像もしていました・・・・。

違ったのです。

私が教えるんじゃなくて、私が教わったのでした。

クラスは最初の1時間15分が知的障がい者対象クラス、休憩を挟んでその後1時間15分が身体障がい者対象のクラスで、私は両方に申し込んでいました。フェスティバルが主催する他の公式クラス同様、6日間ありますが、私は初日と2日目に他のリハーサルと本番が入っていたので、3日目から参加しました。たったの4日間しか受講できなかったわけですが、本当に濃かった。毎日毎日感動の波が押し寄せてきて、泣きそうになりながら我慢してクラスを受講していました。

断片的になると思いますが、思い出しながらブログにしたいと思います。

  • ペペとのこと。

クラスに着いて初めて挨拶した受講生はペペでした。年齢は30代後半から40代前半くらい。彼は右手が不自由のようでした。全て左手で物事を行っているようなので、「お手伝いしましょうか」と声をかけましたが、その一言に私は後からすごく後悔します。気さくな彼は「いいよいいよ、大丈夫」と笑顔で言って左手と口を使ったりして器用に物事をこなしていました。そんな彼を見て、それから彼の様子を観察しました。そして私、気づいたんです。

なんでもかんでも「お手伝いしましょうか」なんて声かけるもんじゃない。その人にはできないこともあるかもしれないけど、できることだってあるんだ。障がいを持っているからって、自分が健常者だからって、知らず知らずのうちに線引きしているんじゃないかって。

そしてまた思った。

もしかして・・・「お手伝いしましょうか」って言う自分に、自己満足しているに過ぎないんじゃないかって。そういう言葉をかけさえすれば、自分はいい人のような気がするからではないか。自己満足のために言ったわけじゃないけど、自分では気づかない深層心理にそういうのがあったんじゃないか。本当にその人のために何かしたいのであれば、別の声のかけ方があったんじゃないか。もしくは声をかけずに見守るということも必要なのではないか。

さらに追い討ちをかけたのは、その後ペペがフラメンコを靴をはく時でした。ペペは靴に足を入れると、すっと横から他の受講生の女性が二人彼の足元にかがみ、彼の靴紐を結び出したのです。

その光景を見て私、本当にびっくりしました。一瞬呼吸が止まったくらい。そうか・・・例えば靴紐を結ぶということはペペにはできないんだ・・・。でもそれを自然に受け入れて彼の足元にさっとかがんで靴紐を結ぶ他の受講生と、その光景を見て固まっている私・・・。

なんなんだ私・・・。

あの時のショックから、今度は私がペペの靴紐結ぼうって心に決めて、別の日に私もさっとかがめるようになったけど、今思い出しても恥ずかしい。これまで障がいを持った人達と直接関わることが一度もなかったからかもしれないけど、自分の無知さというか愚鈍さというか、そういうものを思い知らされた最初の「事件」でした。

  • マリ・カルメンのこと

マリ・カルメンは50代くらいの女性。両手が不自由のようでした。もしかしたら言葉も。付き添いの女性2人と参加していました。マリ・カルメンに初めて会った日「Hola」と挨拶したけれど、マリ・カルメンは無表情で(そう私には見えた)私をじっと見つめただけで何も言わなかった。クラスでセビジャーナスを始めた時、クラス半分のグループに分かれて、半分は見学、半分は二人組みになって向かい合って踊る。マリ・カルメンが他の受講生と組みになって踊り始めた時、私は見学していた。マリ・カルメンは両手が不自由だから、みんなのように腕を動かすことができない。他の組がさっとパサーダ(向かい合っている二人がすれ違う)できてもマリ・カルメンはさっと動けない。ああ、どうやってマリ・カルメンはセビジャーナスを踊ればいいんだろう、って私は思って見ていた。そうしたら、よく見ると、マリ・カルメンの片手がひらひらと小刻みに揺れている。そのひらひらの動きがあまりにも美しく、私は息を飲んだ。

フラメンコ舞踊において美しい手の動きとは、手首や指をしっかり動かすことではなかったか。腕をできるだけ大きく、長く使うことではなかったか。肋骨を閉めて腹筋や背筋をしっかり使うことではなかったか・・・・そう叩きこまれた舞踊基礎中の基礎がガラガラと音を立てて崩れてゆくような、そんな美しさだった。そして、1番、2番、と毎回終わる度にマリ・カルメンは相手のほっぺたにキスをした。・・・そんな感動的なセビジャーナスを私は今まで見たことがなかった。

そしてマリ・カルメンの番が終わり彼女が私の隣に座った。他の人達がセビジャーナスを踊っている間に流れていたCDの歌を、マリ・カルメンは口ずさんでいた。そっと横顔を見たらやはり無表情に見えた。でも口ずさんでいた。「上手に」セビジャーナスを踊れる私は、そのセビジャーナスの歌詞を知らなかった。当然口ずさめなかった。

別の日には皆で即興でアレグリアスを踊ることになった。4隅にいる人達が一人ずつ即興で踊り、それを皆が真似る。その中でイニシアチブをとって踊る役がマリ・カルメンに当たった。マリ・カルメンは棒立ちになっていた。踊りの流れがそこで途切れてしまい、みんな一旦休止。その時にマリ・カルメンの付き添いの人達が、こういう風に踊れば?というように動きをいろいろやって見せた。よくあるフラメンコの動き。

でもそれを見た時私の中でバーンと何かが弾けた。いや、違う、そんなんじゃない。そういうことじゃない!!!そしてその次の瞬間言ってしまった。「マリ・カルメン!あなたが手を動かす、あの動き、とっても綺麗よ!私は大好き。それでいいと私は思う!」マリ・カルメンは私をじっと見つめた。付き添いの人達も周りの受講生もみんな黙っていた。・・・しまった、私、出しゃばってしまった・・・と後悔した。でも今思うと言ってよかったのだと思う。クラスの最終日そのアレグリアスをまた即興で踊った時、またマリ・カルメンの番になった。みんなが固唾を飲んで見守る中、マリ・カルメンは手をひらひらと動かしたのだ。あの動き。そしてクラスのみんなも手をひらひらと動かした。

クラスで伴唱してくれていたマラ・レイのアレグリアスの歌を聴きながら、私は少し泣いた。

写真:アントニオ・ペレス

2018年3月21日 次回に続く。

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