Apr 9
¨SOMOS JAPON¨ ⑲ イサベル・ロペス
La Yunko | Somos Japon | 04 9th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。

今日はイサベル・ロペスへのインタビュー&彼女からのメッセージです。セビージャのタブラオ「アウディトリオ・キンテーロ」出演中のイサベル。本番前の楽屋にお邪魔しました。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第19回 イサベル・ロペス

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】日本で起こっているようなことは、今まで私の人生では起こっていないの。幸い私の家族は生きているし、私も病気をしたことがない。つらい事を語りたくないのではなく、自分の人生には起きていないから語れないのよ。

【答え②】もし自分に何か起こったと想像するなら・・・・前を見ること。それ以外にないと思うわ。あとはもっとひどい状況も起こりえたはずだ、とあえて想像してみる。ただし、今の日本の状況は本当にひどい状況だから、それよりもひどいというのは想像できない・・・日本のケースには当てはまらないわね・・・・

でもあなた達の国にはすばらしい教育がある。私はこれまでに6ヶ月契約で3度日本に行ったのよ。それ以外にも何度も。だからあなた達がどんな人間なのかよく知っている。もし他の国で起こったのなら、状況はもっとひどかったに違いない。盗みや暴力がないのは、あなた達が日本人で素晴らしい教育を持っているからなのよ。

【答え③】踊り続けること。この年でまだ踊っているというのは難しいと思うのよ。時代も変わっているし。でもほら、私はまだ踊っているわよ。(笑うイサベル)

日本にも行く。メグミ・タキザワとのプロジェクトがあるの。去年それがあるはずだったのだけど延期になってしまった。そして震災もあって・・・いつの日か分からない。でも私は待っているわ。

【メッセージ(写真)】それが起きた後でも日本は地に足をつけている。自分達のアイデンティティーを失うことなく。そして毎日の仕事が役に立っているということと、彼らの根気というものに私たちが気づかされる時でもあります。そしてそれを持っているあなた達を(私たちは)うらやむべきです。乗り越える事ができるかどうか、あなた達がどういう人間なのかを世界に示すための試練。あたかもまるで何事もなかったかのように、もうすぐあなた達に会えるでしょう。 あなた達の心の中に。 イサベル・ロペス

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東京のタブラオで彼女の踊りを見てから、かれこれ15年程経つのでしょうか・・・あの時、「いつの日かぜったいにセビージャに行く!」と密かに決心していた自分を懐かしく思い出しました。

2011年4月9日  その、セビージャにて。

Apr 8

みなさんこんにちは。

今日はアンドレス・ペーニャへのインタビュー&彼からのメッセージです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第18回 アンドレス・ペーニャ

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】家族の死

【答え②】家族から助けられた。自分の好きなことをすること。私にとってはそれが踊りだった。愛情。自分の家族や友人からの。・・・・そしてパートナーからの。でも乗り越えるのに一番必要なものは時間。

【答え③】踊り続けること。公演をしたいんだ。今頭の中でイメージが浮かんでいるよ。

【メッセージ(写真)】日本、私のとても愛する土地。この非常に厳しい時に、知ってほしいことがあります。私の心と私の考えはあなた達共にいます。ここにあなた達を助け、あなた達に手を差し伸べる友達が一人います。 アンドレス・ペーニャ

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2011年4月8日 セビージャにて。

Apr 7
¨SOMOS JAPON¨ ⑰ ピラール・オガジャ
La Yunko | Somos Japon | 04 7th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。

今日はピラール・オガジャへのインタビュー&彼女からのメッセージです。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第17回 ピラール・オガジャ

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】おじの死。おじだけど、私にとっては兄弟のようだった。一緒に住んでいたの。彼が37才の時になくなった。今から5年前よ。

【答え②】“上”には別の人生がある、彼はその上から私を見守ってくれている。彼はいつも私の心の中にいる、と考えるようにしたの。

【答え③】母になること。

【メッセージ(写真)】つらい思いをしている全ての日本の方へメッセージを送ります。人生は時としてあなたを困難な時期に陥れます。あなたがどかから来ているのか、どこへ到達したいのかを決して忘れないで。愛は強く、全ての困難な障害を取り除きます。あなた達に愛を送ります。あなた達がどのような人間なのかを少しずつ示せるように。

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2011年4月7日 私も母になりたいな、と思いました。  セビージャにて。

Apr 6
¨SOMOS JAPON¨ ⑯ ホセ・ガルバン
La Yunko | Somos Japon | 04 6th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。

今日はホセ・ガルバンへのインタビュー&彼からのメッセージです。ホセは3月30日に行われた、セビージャ・アラメダ劇場でのチャリティー公演に出演して下さいました。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第16回 ホセ・ガルバン

(フラメンコ舞踊家、ホセ・ガルバン・フラメンコスタジオ主宰)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人達へのメッセージをお願いします。

【答え①】今日本で起きているようなことは、私の人生では起きていない。でも自分の人生の中での悲劇は母が亡くなった時日本にいたこと。2000年だったかな。“フクイ”にいた。2ヶ月の契約で働いていたから、途中でスペインに帰ることができなかった。母の死に目に会えなかったんだ。

【答え②】私の母の死を知った、たくさんの日本の生徒達が私に電話をしてくれた。手紙もくれた。トモコ・コバヤシ、カズミ・ヤマダ、パキータ・サトコ・クゲ、ケイコ・コジマ・パロマ、スミエ・オダ、マサコ・コジマ、ミエ・カタギリ、マルセラ・チイキ。(全員の名前をすらすら述べるホセ)マルセラはチリ人だよ。日本人と結婚して日本に住んでいる。たくさんの助けがあったんだ。ショックで落ち込み熱が出た私を日本の人たちは病院に運んでくれたんだ。私を励まして助けてくれたんだ。

【答え③】11月にケイコ・コジマ・パロマの公演で日本に行くよ。その時にはみんな落ち着いていることを願っているよ。

【メッセージ(写真)】「こんにちは。私のとても愛する日本の友人達。私はホセ・ガルバン。震災によって、そして最もひどい津波によってあなた達が苦しんでいることに大変心を痛めています。神様のご加護があなた達全員にありますように。あなた達を助けて下さいますように。私はあなた達の悲しみと共にいます。あなた達のために新しい復興と安らぎを。そして愛する人々を失ってしまった家族のために希望を。あなた達に私の愛と抱擁を送ります。ホセ・ガルバン」

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インタビューを終えた後「ホッカイドウとグンマン(萩原註:「群馬」のことと思われます。)に電話したけどつながらなかったよ。私の生徒がいるんだ。大丈夫なんだろうか・・・・」とホセが心配そうに話していました。

その方々がこのブログを読んで下さり、ホセと連絡がとれることを願います。

2011年4月6日 ホセに習ったことのある人ならきっと皆お邪魔した、懐かしいホセ宅にて。

Apr 5
¨SOMOS JAPON¨ ⑮ ミゲル・ペレス
La Yunko | Somos Japon | 04 5th, 2011| Comments Off

みなさんこんにちは。

今日はミゲル・ペレスへのインタビュー&彼からのメッセージです。ミゲルは3月26日と4月2日に行われたチャリティー公演に出演してくれました。私ともよく一緒に仕事をしてくれるギタリスト。彼のことを人間としてギタリストとして私はとても尊敬しています。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第15回 ミゲル・ペレス

(フラメンコギタリスト)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人へメッセージをお願いします。

【答え①】4〜5年前の父の死。今年1月31日に亡くなった母の死。孤独になったというよりも空っぽになってしまった。孤児になった感じ。今までつながっていたへその緒が断ち切られてしまった。(微笑みながら話すミゲル)仕事がないこととか、人生にはつらいこともたくさんあるけれど、そんなことは表面的なつらさ。両親の死こそが自分にとって本当につらいことだった。それが本当なんだよ。

【答え②】もともと自分を飾り立てるのは好きではない。でも母の死を境に、もっとお金や物質的なものに興味がなくなったんだ。興味がないというか、それを持っていたり身につけていることが自分にしっくりこない。心地よくないんだ。そして本当の友情というものの大切さが身にしみるようになった。今まで“友達”はいたよ。でも“友達”と思っていた人から裏切られたりして、傷ついた。フラメンコアーティストにはそういう人間が多いのは知っているだろう?(萩原うなずく。)みんな表面的なんだ。自分を飾ることばかり考えて。(萩原、大きくうなずく。)ある人が言っていた。「オレはカンテ(フラメンコの歌)は好きだけど、カンタオール(フラメンコの歌い手)はきらいだ」。(ミゲル・萩原共に大笑い)

母の死後、自分はものすごく繊細になっている。だから自分にとっての本当の友達を大切にしたいと強く思うようになったんだ。それは自分から探すのではない。探してもだめだよ。向こうからやって来て自然にうまれるものだから。愛と一緒。そしてそれは何かとの交換で得られるものではない。これをするから、あれがもらえるとか、そう考えて行動するのではないんだよ。

仕事の面ではとにかく闘うこと。アーティストというのは景気がいい時には稼げるけど、そうでない時は支払われないから。今は特にそういう時期だから。

【答え③】フラメンコには将来があるようで将来がない。2枚目の自分のCDを録音したいと思っている。でもダビ・ビスバル(萩原註:スペインの若手人気ポップ歌手)みたいに稼げるわけじゃないから。自分のモチベーションを上げるため。それと教授活動。自分がこれまでに学んできたことを役立たせたいんだよ。

【メッセージ】誰に罪があるかを探す時ではなく、責任をとれる人間を探す時である。そして、私たちが鏡の中の自分自身を見つめる時。 GAMBATE。

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メッセージを書き終わった後、ミゲルはこう言いました。「『鏡の中の自分自身を見つめる』というのは、普段お化粧したり髪の毛をとかしたりする時に鏡を見る見方とは違うんだ。鏡に映る自分自身の内面を見つめるということだよ。それはとても難しい。ほとんどの人ができない。ある人は言っている。「もし鏡の中の本当の自分を1分間見つめることができれば、人は泣き出してしまうだろう」。でもそれをしなくてはならないんだ。これは日本へのメッセージというより、世界へのメッセージだよ。日本で起こっていることを通して、世界中が自分自身を見つめ直さなければならないんだ。」

2011年4月5日 ミゲルの瞳の中に映る私自身から、私は目をそらすことができませんでした。 セビージャにて。

Apr 4

みなさんこんにちは。

今日はイニエスタ・コルテスへのインタビュー&彼女からのメッセージです。イニエスタは3月26日に行われたチャリティー公演に出演、また4月2日に行われた別のチャリティー公演にはお客さんとして駆けつけて下さいました。(インタビュー、写真:萩原淳子)

第14回 イニエスタ・コルテス

(フラメンコ舞踊家)

【質問①】差し支えなければ、あなたの人生の中で起きた、厳しくつらい状況について語って頂けますか?

【質問②】その状況をどのように乗り越えたのですか?

【質問③】あなたの将来のプロジェクトを教えて下さい。

【質問④】日本の人へメッセージをお願いします。

【答え①】母の死。ひざの手術。手術後長い間踊る事ができなかった。そして今は離婚したばかり。子供もいるから、自分が踊る時に子供を一人にしなくてはならないのがつらいわ。

【答え②】少しずつ闘っている。前に進んでいる。子供のために強くならなければ。

【答え③】今仕事をし始めている。でもスペインは経済危機で仕事がない。経済的な援助がないままフラメンコ公演をするのは無理よ。誰もお金を持っていないのは知っているでしょう?フェスティバルでも踊り手が出演しなくなってしまった。昔は素晴らしい踊り手が出演していたのに。踊り手を雇うお金がないから、フェスティバル主催地のフラメンコ教室の発表会みたいになっている。誰もお金を払えないのよ。そんな状況の中で将来のプロジェクトを持つのは難しい。物事は変化しないわ。でも希望を持つことで何かが変わるかもしれない。みんなで団結するのよ。

私と私の周りの人が元気でいること。そうすれば日本のためにがんばれるから。

【メッセージ】日本の全ての友人達のために。その誠実さ、そして物事をきちんと行うあなた達のために、心の全てでエネルギーを送ります。あなた達は達成できる。ありがとう、日本。お身体を大切にして下さい。

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この後イニエスタは彼女の友人であり、仙台在住のフラメンコ舞踊家「藤井かおる」さんの話しをし始めました。「カオルには小さな子がいるでしょう。『子供を連れて私の家に来なさい』と何度も言っているの。子供のことをもっと考えなくては。子供が一番なのに。私だったら子供を連れて今すぐにでもどこかへ行く。スペイン人なら誰でもそうよ。でもあなた達日本人は文化が違うのよね・・・自分のことよりも、周りの人間のことを考えるのよね。それは日本の素晴らしいところだと思うの。私はそういう日本の文化が大好きよ。でも・・・・こんな時は・・・子供を連れてどこかに行けないのかしら・・・。」イニエスタは「どうしたらいいのかしら」という言葉を何度も何度も繰り返していました。

かおるちゃんは私の友達でもあります。イニエスタの言うこともよく分かる。でもかおるちゃんがどういう人かと考えた時、仙台のご家族や友人、生徒さん達を残しておけない気持ち、復興のために自分がここで踏ん張るんだというかおるちゃんの気持ちも痛いほどよく分かります。イニエスタも頭ではきっと分かっているのでしょうが、心配で心配で仕方がないという気持ちが勝ってしまっているのだと思います。

被災地にはかおるちゃんのような方がたくさんいらっしゃるのだと思います。

遠くからだけれど、私のできることならなんでもしたい。そう切に思います。

2011年4月4日 セビージャにて。

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