Apr 29

みなさんこんにちは!いかがお過ごしでしょうか?

こちらセビージャは本日〝フェリア〟の最終日。フラメンコを習っているみなさんならご存知だと思いますが、〝フェリア〟は分かりやすく日本語に訳すと〝春祭り〟でしょうか。セビージャでは毎年大体、4月の1週間毎日開催されます。セビージャのフェリア会場(普段は空き地になっている)に飾り付けられた仮設の小屋(カセタ)が所狭しと建てられ、そこで1週間毎日踊り、歌い、飲み、食べ・・・というお祭りが行われます。

YouTube に今年のフェリアの模様がアップされているみたいです。→watch?NR=1&feature=endscreen&v=XxecOBpmUQA

フェリアの期間1週間は、多くの場合、学校や仕事は月曜から水曜まで。木曜からフェリア最終日の日曜まではお休みになる所が多いようです。フェリアの楽しみ方は人それぞれ。本当にフェリアが好きな人は1週間毎日フェリアに繰り出します。旅行会社に勤めている私の友達Pは、仕事が終わった後、即フェリア。明け方まで飲み食い踊り明かし、仮眠して仕事、また次の日もフェリア、そして仕事、フェリア・・・・これを1週間繰り返します。仕事が休みの日は一日中フェリア会場にいるのです。なぜそんなに体力があるのか・・・不思議なところ。他の友達の多くは1週間のうち何日かフェリアに行き、フェリア最後の週末はセビージャを脱出、近場の海に行く人が多いです。

ちなみに初日の月曜は〝Pescaito〟(ペスカイート)の日と言われます。フェリア幕開けの日に皆でカセタに集まってペスカイート・(フリート)、つまり魚のフライを食べます。そして夜中12時にフェリア会場の巨大な門(ポルターダ)の電飾点灯。それを祝ってフェリアの開始。

それもYouTube にアップされていました。→watch?v=9nuEHhN0IOM&feature=related

ちなみに初日の月曜はフェリアの衣装を着ないのが〝通〟。着てはいけないわけではないけれど、多くの人は衣装ではなく普段着のおしゃれで〝ペスカイート〟を食べます。衣装を着るとしたら2日目から。

セビージャのフェリアで残念なのは、多くのカセタがその持ち主と知り合いでないと入れないこと。一般に開放されている公共のカセタもいくつかありますが、楽しいのはカセタめぐり。あっちの友達、こっちの友達のカセタを周り、それぞれの場所で踊ったり飲んだり食べたり。セビージャの人が全員カセタを持っているわけではないですから(年間維持費がかかるのと、世襲的な部分も大きいので実際、カセタを持っていない人の方が多い)、知り合い総動員してそれぞれのカセタを回るわけです。

ちなみに私は今年は月曜のペスカイートの日と金曜の夜にフェリアに行きました。金曜日が楽しかったかな。雨が少し降って来てしまったのが残念でしたが。歩いていたら、「君、昨日踊ってたでしょ!すごくよかったよ!」と声をかけられ(前日の〝テ・デ・トゥリアーナ〟ライブ)その人のカセタに招待されたり。でも一番心に残ったのは、ある友達の友達のカセタで知らないおじいさんとセビジャーナスを踊ったことでした。

セビジャーナスは友達同士と踊っても知らない人同士で踊ってもとても楽しい。でも私が一番フェリアで好きなのは、〝知らないおじいさん〟から「私と踊って下さい」と声をかけられ、即興のセビジャーナスを踊ること。

セビジャーナスというと、日本ではフラメンコ初心者が習う踊りというイメージがあり軽くみられがちですが、実は奥が深い。厳密に言うとセビジャーナスはフラメンコではありませんが、フラメンコと同じくらいのアルテがあります。

で、そのセビジャーナスと踊る相手は〝知らないおじいさん〟というのがミソ。まず相手を〝知らない〟ことによって、その瞬間瞬間相手がどう出るかによって即興の踊りが生まれます。もちろん日本のフラメンコ教室で習うようにセビジャーナスは1番から4番まであります。でもその場合、教室で習った振付け通りに踊ることはありません。だから面白い。まず相手と向き合い、目を見る。日本では相手の目をじっと見つめる習慣がないけれど、ここでは見なくてはだめ。相手の目をじっと見て、でも見ているのは目そのものではなく、その目の奥にあるその人そのものを見るのです。それによって、相手がどのくらい踊れるのか、どのくらいのアルテを持っているのかをお互いに計る。動き出す前が重要なのです。だから相手を〝知らない〟というのがミソ。お互いを知っている友達同士で踊ってももちろん楽しいけれど、元々相手を知っていると、その〝掛け合い〟が〝馴れ合い〟になってしまう場合が多いから。

次に〝おじいさん〟というのがミソ。皆、若くてカッコいい男達と踊りたがるけれど・・・そうですね、確かにカッコよく上手に踊る若者もいます。確かに若者は若者だけにエネルギーがある。手足が上手に動く。しかし「オレってカッコいいだろ」という自意識過剰、「オレの方が上に立たなくちゃ」というちょっぴり男性優位主義なんかが顔を覗かせて、上手いけど〝粋〟にはならない。〝おじいさん〟というのは、多分、これまでの人生の中でそういうのがそぎ落とされて、ご本人そのもののエレガンシア(優雅さ)や粋というものに落ち着くのではないか。人としての、男としての粋。それがセビジャーナスを踊る時に、女性の前に立つ時に、ちょっと腕を上げる時に現れるのではないか。表そうと思っているのではなく自然と現れてしまう。

もちろんどこの国にも〝viejo verde〟(ビエッホ・ベルデ。エロじじい。)というカテゴリーに入る方もいらっしゃるので、そういうおじいさんは論外だけれど、そうではない前述のようなおじいさんは、目の前に立っただけで分かる。あ、この人はアルテがある。この人とは踊れる、と。

今年もその〝知らないおじいさん〟との出会いがありました。そういう出会いのもとに生まれたセビジャーナスはものすごいアルテの炸裂になります。1番から4番までそのおじいさんの目しか見ていません。踊り終わった後、私達の周りがぽっかりと空き、カセタ中の、そしてカセタの外にいた通行人がものすごい拍手をしていました。あのセビジャーナスを踊っただけで、多分来年のフェリアまでセビジャーナスを踊る必要はないでしょう。

ちなみに後でおじいさんからこう言われました。「私はパーキンソン病です。でも貴女と踊る事ができました。本当に楽しかった、ありがとう。」おじいさんはそのカセタのオーナーだそうです。友達の友達のそのまた友達つながりで勝手にカセタにお邪魔していたのでちょっと恥ずかしかったのですが、私も楽しかった。「あなたのアルテにありがとう。私も楽しかったです。」と答えて別のカセタに移動しました。

またどこかで会えるのかもしれない。でももしかしたらもう会えないのかもしれない。一期一会。だからこそ、その瞬間瞬間にお互いのアルテを探って取り出すのです。自分が持っている、もしかしたらこれまでの人生で培ってきたかもしれないもの、全てをとっぱらって、自分自身そのもので相手と向き合う。それが私にとってのフェリアの最高のセビジャーナス。来年はどんな〝おじいさん〟と出会えるのでしょうか。

2012年4月29日。 今晩12時にあがる花火でフェリア閉幕です。 セビージャにて。

Apr 21

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

お陰様で昨晩、無事にギジェーナ・コンクールの予選でタラントを踊ることができました。

ギジェーナはセビージャから車で30分程の村。村の入り口に着いた私達はペーニャの場所を人を聞こうと車を止めました。運転していたミゲルに、私が「ペーニャの住所は〝スルバラン通り4番〟らしいよ。」と言いましたが、ミゲルが道端のおじいさんにした質問は

「¿Dónde hay cante?」(「どこにカンテ(フラメンコの歌)がある?」)

するとおじいさんは、「まっすぐ行ってスーパー・ディアに着いたら右に曲がれ」と即答。一体こんな会話が世界のどこで成立するのでしょうか?なんてアルテ。なんてフラメンコ。しかもそのおじいさんは口では「右」と言いながら左を指差している。そしてその声を聞いたモイが「あいつは歌うぜ。オレと話させろ」と助手席から身を乗り出す。それを気にもとめる風でもなくぶ〜んと車を発進させるミゲル。「グラシア〜(ス)!!!」と後部座席からおじいさんに叫びつつ、果たして右なのか左なのかを心配する私は、やはり日本人。結局スーパー・ディアまで着いて左右きょろきょろしたら右手にペーニャはありました。そう、これがフラメンコ。このやり方がフラメンコなのです。アンダルシアの。

そんなのナビ使えばいいじゃん、と思うのも一つの案。間違いではない。でもフラメンコはそうではない。フラメンコの属する文化。それは全然違うもの。便利な世界に慣れきってしまっている人からは決して理解されないけれど、それがフラメンコを温めている。銀行でも郵便局でもスーパーでもバスでも何分も待たされる。ネットで情報収集するより人に聞いた方が確実。でもその情報だって自分が自分の目で確かめなければ本当に確実とはいえない。しかもその確実性はその日その時によって変わる。そんなことにたくさん振り回されて、セビージャの中を歩いてばっかり。私、踊りに来たんだっけ?歩きに来たんだっけ?とふと疑問に思うことも。そしてそれが耐えられなくて、さっさと日本に帰っていく留学生も少なくは多い。「いいな〜セビージャに住んでいて」て言う人の恐らく大半は、実際生活してみたら耐えられないのではないかな。

コンクールが行われたギジェーナのペーニャ会場。あのフラメンコの瞬間の度に、あのアンダルシアの「oooooooleeeee」があちこちから叫ばれました。そうなんだよ、それなんだよ。自分が「oooooleeeee」と感じる瞬間に、まさにその瞬間に聞こえて来る「ooooooleeeeeee」。これはアンダルシアだからこそ。長い長い歴史の中でこの文化によって温められ続けてきた人達が、温め続けたものに対する「ole」。

そしてそれを引き出したのはモイの歌でした。モイ・デ・モロン。この歌い手は、仮に人間の姿をしているだけなのではないか。そう思わずにはいられませんでした。何度も恐ろしい瞬間がありました。あのフラメンコの瞬間。その瞬間の度に・・・・いや、これはブログでは表現できない。あの歌を聴いて、私は自分が踊る必要がないと思ってしまった。結局身体は踊るためにあるのではない。私は自分がモイのように歌えない分、身体で歌っていたのだと思う。

そういう時の踊りに対して、こちらの人は「バイラ(ス)・ビエン」(踊りが上手だね)という言い方は絶対にしません。自分がどれだけ感じたのか、それをその人なりの言葉で表情で一生懸命伝えてくれます。そして抱きしめてくれる。どう考えても、抱きしめたら気持ち悪いだろ〜と思うくらい、私が汗だらだらでも。そういう文化なのです。そういう人達なのです。

あるお客さんは「カンテに対する敬意を払ってくれてありがとう」と私に言って下さいました。あの時は踊り終わったばかりできちんと思考できなくて、私は「こちらこそありがとうございます」としか言えなかったけど、つまりこういうこと。

「敬意を払わずにはいられない、この偉大なアルテに対して、あなた達の文化に対して、私の方こそ感謝します。」

帰りの車の中でミゲルが私に言いました。「今日はオレはある意味、働かなかった。あのモイの歌をジュンコが踊って、それ以外に何も必要なかった。オレは弾きながら客観的にそれを感じていたよ。あのモイの瞬間、それをジュンコが受け止める瞬間、観客が爆発する瞬間、それを楽しんだ。半分伴奏者として、半分もう一人の客観的な自分として」

そしてこうも続けました。

「オレはモイやジュンコのように瞬間的に爆発することができないんだ。自分がそうなるためには時間が必要なんだ。1曲、2曲、3曲と弾いていくうちに温まってくる。オレはそういうタイプの人間なのだと思う。」

私は答えました。「モイが爆発したのはミゲルのギターがあったからじゃないかな。そしてモイの爆発が私を誘発した。多分違うギタリストだったらそうはいかなかったと思う。3人が3人だったから今日があったのだと思う」私はミゲルとモイと一緒にフラメンコの瞬間を共有できたことに感謝しました。

ありがとう。モイ、ミゲル、フラメンコ。

明後日から1週間セビージャではフェリア(春祭り)だけれど、木曜日に踊ります。

2012.4.26// ¨テ・デ・トゥリアーナ¨ – セビージャ.  22時以降開演、入場無料

 

 

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • エル・トゥリニ
  • エル・フィティ

 

 

 

2012年4月21日 セビージャにて。

Apr 18

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

お陰様で先日のカハ・ネグラでのライブは無事終了致しました。お越し下さいました皆様、誠にありがとうございました!セビージャ在住フラメンコ・ジャーナリストの志風恭子さんのブログにライブの様子がアップされています。

「志風恭子のフラメンコ最前線」(2012年4月17日付)→noticiaflamenca.blogspot.com.es

さてさて。今日はいいことがありました。金曜日にセビージャ郊外の「ギジェーナ」という村で行われる小さなコンクールに出るのですが、私の大好きなミゲル・ペレスのギターと、モイ・デ・モロンのカンテで踊ることになりました。今日その合わせをしました。・・・・やっぱりいい!!!二人ともいい!!!そして二人の組み合わせもいい!!!最高に満喫した練習となりました。

2012.4.20// 第15回ギジェーナ・フラメンコ・コンクール 予選

 

Baile Cante Guitarra
  • 萩原淳子
  • モイ・デ・モロン
  • ミゲル・ペレス

 

ちなみに、このギジェーナのコンクールは小さいもののようです。ギジェーナでカンテのコンクールがあるのは知っていましたが、踊りのそれもあったのか、と。日本の皆さんはびっくりされますが、スペインでは(特にアンダルシアでは)カンテのコンクールが数えきれない程あります。それに比べて踊りのコンクールはものすごく少ない。フラメンコはカンテなんだ、という当たり前のことが、ここアンダルシアではやはり当たり前なのです。

・・・で、ギジェーナのコンクールですが、踊りは予選で1曲踊るのみ。1曲だけじゃその人の実力なんて分からないのだと思うけど・・・。ほんの一握りの正真正銘のアーティストであれば1曲全部を踊る必要もなく舞台に立っているだけで、椅子に座っているだけでその実力は分かるかもしれない。でも一般的にそういう人はそうそういない。1曲だけだとそれだけは踊れるけれど、それ以外はイマイチなんて人もいるわけで、また数曲踊らせると何踊っても同じように見える人というのもいる。そこら辺の実力というのが計れないのではないかな?ちなみに私がこれまで出場してきたスペインのコンクールでは予選2曲、決勝では予選で踊らなかった曲を含めて2曲、なんてことが課せられていました。予選4曲必須のコンクールもあったし・・・。

な〜んてことを考えながら、また、コンクールって結局コネのある人が優勝しちゃったりする場合が多いからねぇ・・・とも思い出し、出場するか否かずっと迷っていたのですが、結局出る事にしました。なぜなら、5月30日にセビージャでソロ公演をすることになったから。そのための踊りを用意したい。もちろん、その公演でもミゲル&モイと共演します。だからギジェーナのコンクール用に1曲準備してしまえば、それがソロ公演の準備にもなってしまう!というわけなのです。コンクール優勝を狙うのならソレアかアレグリアスを踊ればいいのだろうけど、そういう目的でもないので、上記の理由でタラントを踊ることにしました。

モイのカンテでタラントを踊るのは初めてですが、いい!!!今日の練習で歌ってくれたタラントのある一部で音程がよく聴くそれと違う部分がありました。ミゲルもその音に気付いたみたいで、ギターをその音程に合わせていました。「わざとその音程で歌っているの?」とモイに質問すると、モイはにかっと笑って得意そうに「そうだよ!」と言っていました。モイ曰く、ムルシアーナの音程の取り方をタラントで使っているとのこと。へ〜、そういうことがあるんだ。勉強になるな〜。今度はミゲルに、「その音程で歌われて、すぐにギターは合わせられるの?」と質問してみたら、「それは難しい。できるけど知っていないとできないよ」と笑い、モイも「ミゲルなら大丈夫だけど、合わせられないギタリストや、そもそもその音程に気付かないギタリストもいるよ。ひっひっひ。」と笑っていました。すごいな、この二人。ちなみに、カンテのコンクールではそういう歌い方をしてはダメとのことです。そりゃそうだ。

モイが来る前に、ミゲルとファルセータの部分などを一緒に合わせてみたのですが、これもすごい。ミゲルのギターでタラントを踊ったのは何度もあるけれど、その度に違うファルセータを弾いてくれます。どれも宝石のようにキラキラしていて、それでいて海の底のように深い。オリジナルでありながら、でもタラントの本質を失っていない。なんでこんな音楽を奏でることができるのか。音の一つ一つが細胞にしみわたってゆく。そこから無限の可能性が膨らんでゆく。

ちなみにファルセータを上手に弾くギタリストは世の中にたくさんいらっしゃいます。でも彼らの多くが独りよがりの場合が多いと思うのは私だけでしょうか?「オレって上手いだろ」「オレってフラメンコをこれだけ知ってんだぜ。」そういう「オレオレギター」を耳にすると、確かに素敵ですね・・・でも・・・だから何?と思ってしまう。その人のギターで踊ることを心が拒んでしまう。もちろん仕事だから踊るけれど。

モイのカンテにしてもミゲルのギターにしても、私の血液を沸騰させる何かを持っている。血液が沸騰しなければフラメンコは生まれない。沸騰するからフラメンコを踊ることができる。お湯が沸騰しているからおいしいパスタをゆでられるように。

あさって。あさってが本番ですが、もう、今日の合わせだけで十分学び、十分堪能しました。理由がどうであれコンクールに出る事にしてよかった。

(写真:アントニオ・ペレス。ロンダ・フェスティバル楽屋にて。)

2012年4月18日 セビージャにて。

Apr 12

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

お陰様で無事、昨晩セビージャに着きました。

日本での日々も猛烈に忙しく、また家にインターネットもなくブログの更新が遅れ申し訳ございません。

4月5日高円寺カサ・デ・エスペランサライブ、第9回少人数制クルシージョもお陰様で無事終了致しました。

ライブにお越し頂いた皆様、受講生の皆様、誠にありがとうございました。

ライブもクルシージョもたくさんの素敵な時間がありとても充実していましたが、中でもとりわけ印象に残っているのはクルシージョの最後に行った、「カンテ&ギター伴奏付き実践クラス」です。ギタリストのフェルミン、歌い手の瀧本正信さんのお陰で大変充実したクラスとなりました。

私のクルシージョは巷のそれと違い、数時間で振付けてハイ、さよなら、というクラスではありません。教える方は短時間でぱっとお金を稼ぐことができ、習う方は振付けという〝お土産〟をもらうことによってフラメンコを習ったような充実感がある。そう、習った「ような」。本当にそれでフラメンコを習っているのかな?フラメンコを学んでいるのかな?私自身これまでにそのような形態の〝即席フラメンコ(っぽい)〟クルシージョを受けたことがあったので、今大いに疑問に思います。そんなクルシージョをとっかえ引っ替え受けてフラメンコになるの????

フラメンコってなんなのだろう?

私はフラメンコを学びたい。

 

 

フラメンコ風ダンスではなくて、フラメンコを。

 

 

それだけに焦点をあてて、セビージャで10年が経ちました。(お陰様で3月1日で在西10年を迎えました。)その中で学んだこと、今も学んでいることを私はクルシージョで教えています。 だから私が教えているのは〝振付〟ではない。たとえ〝振付〟クラスであっても、〝振付〟を題材にしてフラメンコの本質に真っ向から対峙すること。

これまでのクルシージョの中で少しずつ始めた、〝振付〟クラスはマルティネーテ、マントンのアレグリアス、バタ・デ・コーラのソレアでした。それぞれのクラスにおいて、舞踊テクニカ、マントン、バタのテクニカ基本を持っていること。それぞれの歌が一体何を表現しているのか、振付けた動きには何の意味があるのか、ジャマーダとは、レマーテとは?カンテとギターを聴くということは?学ぶべきことはたくさんあります。本当にそれらに向き合ったら、きっと一生かかるくらい。いや、一生かかっても学びきれないかも。

その中で、私の言葉だけでは説明しても100%伝わらないことを、実際に歌とギターを聴く事で学んでほしい。そう思い、今回歌&ギター伴奏付きの実践クラスを設けました。瀧本さんとフェルミンには、「生徒さん達はまだ技術が足りない人も多いし、振付をきちんと踊れる人は少ない。本当はまだ歌やギターと合わせる段階ではないのかもしれないけれど、でもあえてカンテとギターを聴く重要性を学んでほしい。その観点からクラスを行いますのでよろしくお願い致します」と事前に伝えておきました。

世の中には、手足を上手に動かすことだけでフラメンコを踊っていると勘違いしている人がいます。フラメンコっぽい動きをすることで、フラメンコを踊っていると錯覚している人がいます。その勘違いや錯覚によって作り上げられた虚像が一人歩きし、同じく、フラメンコとは何か、に向き合わない人達がその虚像をホンモノだとか、プーロだとか呼んでいます。おかしな現象だと思いますが、その現象が大多数であればあるほどそのおかしさに気付かなくなってしまうのではないでしょうか。

今回の実践クラスではその問題に真っ向から取り組みました。私が渡西前、日本で学びたくて仕方がなかったこと。当時師事していたAMIさんに質問したら「そんなこと自分で考えなさい」とはねつけられたこと。でもそのお陰でセビージャで私は自分の力で掴むことができました。でもそれはフラメンコの本質から少しでも目を反らしたら、きっとするりと逃げてしまうもの。 だから一生向かい合ってゆくもの。

瀧本さんがクラスで説明して下さった言葉は、そのまま私の言葉でもありました。フェルミンがクラスの後に私に個人的に訴えていたこと。その通りでした。彼らのお陰で、私もたくさんのことを学ぶことができました。何人かの生徒さんからは「いかに自分が聴いていないかが分かった」「まさに学びたかったことを学べた」などなど、ご感想を頂きました。もちろん、なんだかピンと来ないまま終わってしまった人もいらっしゃったと思います。でもそれも勉強のうちだと思うのです。分からないということが分かったことだけも。

私は教えるからには、自分が持っているものは全て教えたいと思っています。踊る時に自分の内面を全部取り出すのと一緒。よく、教えるのと踊るのは別だと言われますが、私にとっては最終的には同じことなのです。

日本からやって来る踊り手仲間と、月曜にセビージャでライブをします。

2012.4.16 // ¨ラ・カハ・ネグラ¨ – セビージャ、 22時以降開演、入場料5ユーロ

Baile Cante Guitarra
  • 浅見純子
  • 市川幸子
  • 萩原淳子
  • 〝エル・プラテアオ〟
  • 〝エル・リソス〟
  • 久保守

※チラシは市川幸子さん作です!

なぜこんな特別企画ライブがあるのかというと・・・実は明後日、歌い手のプラテアオ&踊り手・北原由香ちゃん夫妻の結婚パーティーと、愛娘サマラちゃんの洗礼式がセビージャで行われるのです。日本からたくさんの方々がセビージャにいらっしゃいます。今回共演する浅見純子さん、市川幸子さんとはもう15年以上になるでしょうか、長いおつきあいをさせて頂いております。そんなわけで、特別企画ライブをセッティングしてみました♪

ではみなさんまたお会いしましょう。

2012年4月12日 実はまだ旅の疲れが残っています。。。明日は元気になるかな。 セビージャにて。

Apr 4

みなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

お蔭様で、3/31(土)に行われた、東日本大震災復興支援チャリティーライブ“Desde el horizonte”は無事終了致しました。当日は福島や北海道の方も含め、100名以上のお客様にお越し頂きました。誠にありがとうございました。収益の一部は義援金として寄付され、詳細は後日、主催者である藤井かおるさんのHPにて公表されるとのことです。

藤井かおるさんフラメンコスタジオのHP→www.cincopuentes.com

かおるちゃんとはもう、随分前からのお付き合いになります。10年以上かな。震災後、仙台在住のかおるちゃんのことが心配で、でも主にセビージャにいる私は何もできずもどかしく・・・・昨年の10月に石巻を訪れたのは、仙台でかおるちゃんに会うためでもありました。そして今回のライブ共演のお話を下さったのは、かおるちゃんと同じくチャリティーライブ主催者である浅見純子さんでした。純さんともお付き合いが長く・・・15年くらいになるのかな・・・。私の踊りで少しでも何かお役に立てるのだったら・・・と思い、共演させて頂くことになりました。

ライブのタイトル、“Desde el horizonte” (“地平線から”)はお恥ずかしながら、私がつけさせて頂きました。今月号の雑誌“パセオ・フラメンコ”さんに掲載されたこのライブの紹介の記事では、“仙台の地平線から”という見出しになっていましたが、私が見たのは仙台の地平線ではなく、石巻の地平線でした。何もなくなってしまって、更地になってしまって、残されたのは瓦礫の山と1階だけががらんどうのマンション、火災した南浜町の門脇小学校、玄関であっただろう場所に備えられた花。それを間のあたりにした私は、日が暮れるまでずっとそこにいました。そして思ったのです。地平線って、ずっと見ていなかったな、と。

かおるちゃんから「公演のタイトルをスペイン語でつけたい」と言われた時に、その地平線を思い出しました。もう一度、“地平線から”始めるのだと。

そしてその更地を前に、私はカマロンが歌っていたタランタを思い出していました。どんな歌詞だったか明確には覚えていませんが、確か

爪でひっかいている。小さな子供がライオンのように。鉱山の崩れでその子の父親はその下に埋まっている。

そんな内容の歌詞だったと記憶しています。もちろんそれはアンダルシアのヒターノの歴史に裏付けられたもの。だから日本人である私はその歴史にも文化にも属していないのだけれど、小さな子どもがこの石巻や他の被災地でも、同じように大地をかきむしっているのだ、と思ったら涙が止まらなくなりました。

ソレアやアレグリアスに比べて、私のタラントはまだ日が浅く、本当はまだお客様にみせる踊りではないのかもしれない。でもどうしてもタラントを、このチャリティーライブで踊りたくて踊らせて頂きました。

何年か前のペーニャ公演で、一人の歌い手がソロで歌っていた時、それを楽屋で聴いていたもう一人の歌い手が目に涙を溜めて私に言った言葉が忘れられません。

「本当のことなのよ。本当のことを歌っているのよ、フラメンコは。ジュンコ、本当のことなのよ。」

本当のこと。それが歌われてそれを弾き、それを踊る。それがフラメンコ。だから自分の中に少しでも嘘やごまかしがあったらその人の歌やギターや踊りはフラメンコにならないんじゃないか。技術や表面的なカッコ良さ、それだけを求めたり、それに惑わされて、本当のことを曇らせてはだめだ。フラメンコにおける本当のこと。自分自身における本当のこと。それを探して、大切に守って、取り出さなくてはならない。そうでなくては私が踊る意味は、多分ないと思う。

明日、踊ります。

  • 2012.4.5 // ¨カサ・デ・エスペランサ¨ – 高円寺.  20:00H. 21:15H. 入替なし

入場料5000円(要割引券、フリードリンク&タパス付)

Baile Cante Guitarra
  • 渡部純子
  • 三枝雄輔
  • 萩原淳子
  • 川島桂子
  • 片桐勝彦

立ち見の方も含めほぼ満席、と伺っております。詳細は℡:03-3316-9493(夜、カサ・デ・エスペランサ)もしくは℡:03-3383-0246(昼、セルバ)までお問い合わせ下さるようお願い申し上げます。

2012年4月4日 中野にて。