Dec 13

15492189_1877788359117461_8364478614449964279_nみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか?

昨日パルマ出演させて頂きました「El Cartero canta, たきやんうたうカンテフラメンコライブ」はお陰様で無事終了致しました。お越し下さいましたお客様・共演の皆様・会場となりましたアルハムブラの皆様、誠にありがとうございました!!!

出演

カンテ:瀧本正信、金高荘子

ギター:エミリオ・マジャ

パーカッション:容昌

パルマ:小林泰子、蜂須夕子、松彩果、萩原淳子

「たきやん」こと瀧本正信さん。日本カンテ(フラメンコの歌)フラメンコ界の草分け的存在でもある歌い手さんのライブにパルマ(手拍子)で出演させて頂きました。カンテの中にはリズムを伴うもの、もしくはリズムがなく歌い手の自由でうたうものとあります。そのリズムを伴う歌の際に必要となるパルマ。ギターと歌を支える重要な役割を果たします。手を叩いているだけだから一見簡単そうだけれど、実はものすごく難しかったります。そのパルマの良し悪しで歌いにくくなってしまったり、弾きにくくなってしまったり・・・自分が踊る時もそうですね。そのパルマによってものすごく乗って踊れる時もあれば、本当に踊りにくくなってしまったり・・・それは本当に苦しいもの・・・・

今回のライブでは私を含め4人のバイラオーラ(女性舞踊手)がパルマを務めました。自分一人だけ叩いているわけではないからそれも緊張。パルマ隊の協調性というのも必要になってきますね。そしてハレオと呼ばれる掛け声。有名なのは「Oleオレ!」ですが、いいなと思った時にそれを声に出す。また盛り上がって行く時に更に盛り上げる。そのハレオがあるかないかで、そしてそのハレオのタイミングのいかんによって、歌やギターも変わってきます。だからパルマが上手に叩ければいいかという問題でもないし、ハレオもかければいいってものでもない。

うーん、難しいなあ。。。。

そして今回はパルマで舞台に立ち、踊りたい気分になったら前に来て踊る、ということも要求されていました。もちろん自分が持っている踊りの振付を踊って皆に伴奏してもらうということではありません。カンテのコンサートなのでその歌われるものを即興で踊る。だからサパテアードの部分もありません。それこそ「bailar al cante」(カンテに呼応して踊る)ということになります。本番前に合わせがありましたが、その時の歌と本番の歌は違いますし、誰がどの歌で踊るという取り決めもないですから。パルマ隊が即興で踊ったのはソレア・ポル・ブレリア、タンゴ、ブレリア。「好きな時に出て適当に踊ったらええ」って瀧本さんはおっしゃっていましたけど、結局本番ではご本人からの「踊れや〜」という熱い(?)半強制的な視線が注がれ(笑)、あれ?私ですか?という感じでトップバッターで踊ることに。最初は緊張しましたが、なぜかものすごい集中力が生まれ、それがよかったんじゃないかな?踊りながら、わ、歌と一体!という感覚が自分の中にありました。ソレア・ポル・ブレリアと言っても普段踊る時によく耳にする歌ではなく、マラゲーニャやファンダンゴの歌がソレア・ポル・ブレリアのリズムで歌われていたりしたので、普段自分が踊っているものをそのまま当てはめたらおかしなことになります。コンパスは間違っていないけど、歌と雰囲気が合わない。同じリズムを共有していても、カンテは共有できていないわけです。だからそうならないよう、「bailar al cante」にする。とてもいい勉強をさせて頂きました。

次のタンゴでは、瀧本さんのお弟子さんの金高荘子さんの歌。盛り上がってきて、おりゃっ!と踊り出たら、なんと全く同じタイミングで隣の松彩果さんも飛び出しているという・・・(笑)松さんは私が飛び出したことに全く気付いていなかったようなので、そこで私がパルマに戻ることもできたのですが、それもシャクだなと思い(笑)そのまま松さんと並び二人で即興でタンゴを踊ることに。ほんの一瞬の判断です。だから即興は面白い。今度はカンテを聞きつつ、松さんとも即興で掛け合いをする。事前に振り付けを合わせたりなんてもちろんしていないですから、瞬間瞬間で嗅ぎ取る。これも面白かったですね。即興の醍醐味!

最後はブレリア。共演陣のエミリオ・マジャやパーカッションの容昌さんも一踊り、客席にいらしたホセ大西さんも飛び入り参加。松さんのご子息で4歳のとーまくんもカホンで参加、とても楽しいブレリアになりました。そうなると自然にどんどんハレオが出るんだなー、私。自分の踊りが云々ではなく、その場にいること自体が楽しい。嬉しい。これぞフィエスタ。本当に楽しかった!!!!

こういう企画は是非また続けてほしいです。そしてもっとたくさんの方々に観に来て、聴きに来て頂きたいですね。フラメンコはカンテなんだと、それを一途に追求していらっしゃる瀧本さんの想いがもっとたくさん伝わりますように。是非第2弾を期待しています。そして欲を言えば、マルティネーテやソレアなどのカンテソロもありましたけど、もうちょっと瀧本さんのカンテソロが増えてもいいんじゃないかな、と。「たきやんうたう」ですから。

以上、ありがとうございました!!!

(写真は共演の小林泰子さんフェイスブック掲載のものを頂きました。)

2016年12月13日 中野にて。

Dec 10

みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか?

ブログ更新が前後していますが、日本に帰る前に義父母に会いにタリファという街へ行ってきました。その時の写真をアップしますね。とにかく帰る前はバタバタで、あっち行ったりこっち行ったり、セビージャの家で落ち着かなかったのです・・・ブログもなかなか更新できず・・・たまっていたものをこれから少しずつアップできればと思っています。

スクリーンショット 2016-12-10 20.16.5315288594_10154746875481228_6343615355836624330_o15289185_10154746879611228_1836503613018457867_o15392819_10154746881816228_776241190273347291_o
タリファはスペインの南、アンダルシア中でも一番南に位置する小さな街。対岸のモロッコまで14kmしかないので、晴れていると海の向こうにアフリカ大陸が見えます。タリファを境に大西洋と太平洋が分かれているのと、非常に風が強いので、カイトサーフィンのメッカ。世界中のサーファーが集まる場所でもあります。当然魚介も美味しく、特にタリファ産のマグロは非常に高級で、日本では高く売られているようです。義父母が住んでいるのはそのタリファの山の中。山ですが、麓に下りて道路を渡ればすぐに海なので、とても素敵な場所です。山の中に建てられた家は何と、義父の手造り!「北の国から」の田中邦衛並みのスゴさです!家自体も家の中も窓枠やベンチ、ブランコなんかも手造り。夫は子供の頃、その家造りを手伝わされて本当に嫌だったそうですが・・・

先週末に遊びに行った時は雨続きで残15304527_10154746883431228_4009930380764285038_o15289157_10154746884176228_3004244872354993669_o15304264_10154746884606228_3280520123303105769_o15326304_10154746884991228_964975071010847326_o15391445_10154746885571228_7344271329742866832_o

念でしたが、ちょっと雨が上がった隙に写真を撮ってみました。家の周りにはたくさんの菜園や植物が植えてあって、本当にいいなあ。そして美味しい。セビージャのスーパーや市場で買う野菜や果物と全然違うのです。こういうのを毎日育てて、収穫して食べるって素晴らしい事だなあと思います。なんて事はない、ただ炒めたりするだけなのに味が全然違うのだな。いつもの料理がいつもの料理でなくなる。何かが違う。

これってフラメンコと同じだなあと思います。見た目は美味しそうでも、豪華でも、こんなものかって味の料理もあれば、そんな踊りもある。何でもない、ただ炒めただけ、ただ塩を振っただけなのに、世界中に「う・ま・い!!!」と叫びたくなるものもある。見た目はそんなでもないかもしれない、むしろ見栄えはしないかもしれない。でも思わず「oleeeee」と叫んでしまう踊り・・・なんてことを考えてしまいました。

ここからは夫が撮ってくれた写真。やっぱりプロが撮るのは違うなあ。↓

アントニアおばさんは、義父母の家からちょっと離れた、でもやはり山の中に住んでいます。不思議な薬草で村の人の病気を治してきたおばさん。夫も子供の頃何度もお世話になったそう。テレビなんかで同じような人が紹介されると、えー本当かなー??と思ってしまうけど、この山の中に来て、アントニアおばさんとおしゃべりしていると、本当のような気がしてくる。(本当なんだろう)都会で育った私には分からない、自然と近しく生きている人にしか見えないもの、聞こえないもの、感じられないものっていうのがあってもおかしくはないのではないかな、という気がします。

それとゴーヤの写真。日本から持っていったゴーヤの種を義父母の庭に植えてもらったらなんと、本当にゴーヤが出来た!冬でもゴーヤ。タリファは風が強く冬は結構寒いのですが・・・こちらも美味しく頂きました。

今度タリファに行けるのはスペインに戻ってからだから、2月か3月かな。それまでさようなら、タリファ。

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Dec 10

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みなさんこんにちは。いかがおすごしでしょうか?

お陰様で、昨日無事日本に着きました。今回もセビージャ→フランクフルト→羽田の楽々便のはず・・・だったのですが、セビージャ→フランクフルトの飛行機が1時間近く遅れ、元々乗り換え時間の短かった次の便への乗り継ぎに間に合うか???フランクフルト空港内をダッシュしたところ、15分も余裕でゲートに着きました。さすが、小学生時代に毎年リレーの選手に選ばれていただけあります。(笑)こんな所で役に立つとはね。ふふふ。

フランクフルト→羽田はANAでした。10月31日にお亡くなりになった堀越千秋さんが表紙を描かれた「翼の王国」を1部頂いてきました。(自由に持ち帰ることができます。)この表紙画を描かれた後、「表紙の画家からのメッセージ」の原稿を書き上げられる前に体調を崩され、そのまま帰らぬ人にならたそうです。改めて、ご冥福をお祈り申し上げます。

15385445_10154766443771228_4027036268537825754_o家に着いたら、両親が新聞の切り抜きをとっておいてくれていました。堀越さんがスペインに渡られた1976年、私は生まれたんだ・・・ということを知りました。

ちゃんと生きよう。ちゃんとフラメンコを学ぼう。ちゃんとフラメンコを教えよう。なかなかちゃんとは踊れないけど・・・そんなことを思いました。

さて、今回の滞在中のクルシージョは

  • 「第20回少人数制クルシージョ」東京・12/11(日)〜1/18
  • 「第11回大阪クルシージョ」1/18(水)・20(金)・21(土)
  • 「第11回福岡クルシージョ」1/22(日)・23(土)

開講となります。東京のクルシージョは明日開講!今回も早々に定員に達し、キャンセル待ちをお願いするクラスがありましたので、追加開講クラスも新たに設けました。「大阪クルシージョ」「福岡クルシージョ」もお申し込み受付中。詳細は こちら「クルシージョ」 をクリックしてご確認下さいませ。

西日暮里アルハムブラさんにて出演させて頂く、12/26(月)・1/12(木)ライブは両日共に満席となっているとのことです。お申し込み下さいました皆様、誠にありがとうございました!

14203268_684502488371437_3606122629308208899_n上記とは別に12/12(月)瀧本正信さんのカンテコンサートにパルマ出演させて頂くことになりました。(最近決まりましたので、フライヤーには名前が載っていませんが)当日の状況で即興での踊りもあるかもしれないとのこと・・・事前の合わせなどもないので何が起こるか私もよく分かりません(笑?)が、ご出演の皆様とお客様とフラメンコを共有できればと思っています。残席はまだあるそうですので、ご希望の方は

瀧本さん:090−1898−7334
     carterodelossantosderubichi@gmail.com

アルハムブラさん:03−3806−5017
         info@alhambra.co.jp

まで直接ご連絡下さいませ。

今回の滞在は1/27までになります。どうぞ宜しくお願い致します。

その後は2/24(金)ヘレスの「グアリダ・デル・アンヘル」にてソロ出演させて頂きます。世界的に有名なフラメンコのフェスティバル、「フェスティバル・デ・ヘレス」の初日出演ということもあり緊張していますが、頑張りたいと思います!フライヤーは現在作成して頂いているところですので、詳細はまたご連絡致します。ヘレスにいらっしゃる方は是非お越しくださいませ。(日本にいらっしゃる方は応援お願い致します!)

ではお会いできることを楽しみにしております!

2016年12月10日 こたつにて、ホットカルピスを飲みながら♫

Dec 7
ミラグロス・メンヒバルへの感謝
La Yunko | ブログ | 12 7th, 2016| Comments Off

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みなさんこんにちは。いかがおすごしでしょうか?

随分前になってしまいましたが、レブリーハのペーニャへミラグロス・メンヒバルの踊りを観に行きました。ミラグロスはセビージャを代表する著名舞踊家。その優美なブラッソ(腕)やマノ(手)、上体の表現には定評があり、またバタ・デ・コーラ(裾の長いフラメンコ衣装)の名手。またクリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校で教授活動もされている有名なマエストラ(偉大な先生)でもあります。10年以上も前になりますが、私はミラグロスに2年間師事していました。当時はバタ・デ・コーラの技術を全く持っていなかったので、ゼロの状態からミラグロスのレベルの高いバタの振付クラスについて行くのは本当に大変でした。それで最初の1年間は無我夢中であっという間に終わり、2年目にしてやっとバタ・デ・コーラの技術や振付だけでなく、その芸術性をミラグロスの教えやちょっとした仕草などを通して学べるようになりました。ミラグロスから学んだことは本当に大きく深いです。バタ・デ・コーラのテクニカもそうですが、毎回クラスにはギタリストと歌い手が来ていたので、ミラグロスがどのようにカンテとギターを聴いて、それをどのように身体の動きにつなげて行くのか、というより、ミラグロスの身体がどのように反応してしまうのか、というのを毎回つぶさに観察・研究することができました。最近日本では「Bailar al cante」「カンテに呼応して踊る」なんてテーマが巷でよく聞かれますが、あの当時自分が学んでいたことがまさにそれだったのだと今思います。それを学びたくてスペインに渡り、それを教えて下さる先生に師事していた。ミラグロスの前に師事していたトロンボも、踊りのスタイルは全く異なりますが、根本のところでは同じでした。あの時期がなかったら、きっと今の私はないでしょう。(自分の過去の人生を振り返った時、どこかの時期が欠けているということはありえないのですが・・・)

尊敬し、敬愛するミラグロスのクラスのことをとある記事の中で執筆したことがあります。その文章のほんの一節だけを切り取って、私がミラグロスの悪口を書いたと、ミラグロスにその記事を渡された方がいらっしゃったそうです。ミラグロスご本人から私の元にお怒りのメッセージが届き、私はそれを知りました。突然の知らせに驚き、また非常な悲しみを覚えました。私はミラグロスに記事全文をスペイン語訳してお渡ししたいとお伝えしました。尊敬し、敬愛しているミラグロスの悪口を書こうなんて意図がある訳がない、それは誤解であるということ、むしろ逆で、私がどれほどまでにミラグロスからの教えに感謝しているかを知って頂きたかったからです。でもそれは叶いませんでした・・・。

それから数年の間、普段は普通に暮らしていても、ミラグロスの名前を聞いたり目にしたりした時、気分は灰色になりました。もうミラグロスを先生と呼べる日は来ないのだろうか、ミラグロスに師事していたという事実すら認めてもらえないのだろうか、どうしたら誤解を解くことができるのだろう、誤解はもう解けないのだろうか、私は一生誤解されたままなのだろうか・・・・、苦しかったです。あれから何度かミラグロスの踊りを観に行きましたし、劇場や街中でミラグロスをお見かけすることもありましたが、声をかけることができなかった。怖かったのです、今度は面と向かって拒絶されるであろう自分を想像すると・・・・。

何年かの歳月が流れました。レブリーハのペーニャでミラグロスが踊られるということを耳にして、ペーニャに行くこと、ミラグロスに挨拶すること、それを決めました。覚悟に近かかったかもしれません。ペーニャという場所はフラメンコ愛好家が所有する舞台付きの場所のようなところで、多くのペーニャがアーティストを呼びその公演を楽しんだりします。劇場とは違い規模も小さく、また客席との距離も近い。愛好家やアーティストとの心理的な距離も近く、舞台終了後に一緒にご飯を食べたり飲んだりすることもよくあります。だからペーニャに行くということは、ただ客席からミラグロスの踊りを見て、はい、さよならという訳ではありません。必然的に顔を合わせて挨拶することになる。だからその意味で覚悟に近かったです。あの“事件”の後、私は初めてミラグロスに話しかけるんだ、もしそこで拒絶されてもいい、それでも話しかけよう、って。

あの日ミラグロスはタンゴ・デ・マラガとアレグリアスを踊られました。ミラグロスの踊りを見ていたら当時のミラグロスのクラスや、その時のミラグロスの教えなどが走馬灯のように流れてきて止まらなくなり、そうだ、そうだ、私はこんなにもたくさんのことをミラグロスから教えて頂いたのだ、と涙が溢れてきました。その日のギタリストはいつもミラグロスに伴奏しているラファエル・ロドリゲスではなかったこともあり、しっくり来なかった部分もありましたが(ギタリストが踊りをすくい取っていなかった、もちろん)、それでもカンテとギターから生まれ出るミラグロスの踊りにoleが止まりませんでした。

_DSC3006_DSC3012終演後客席でペーニャの人たちに挨拶されているミラグロスを待って、やっと話しかけました。「私はジュンコです、数年前私が書いた文章の一部のせいであなたに嫌な思いをさせてしまった、でも文章全体で私が伝えたかったことは、あなたがどれだけ素晴らしいことを教えて下さったのかという感謝の気持ちだったのです。」それを一気に言いました。その後ミラグロスが言ってくださった言葉に私はまた涙が止まらなくなりました。

「何年前の話をしているのよ?そんなことはもうどうでもいいの。いつまでも覚えていたら顔中シワだらけになってブスになるわよ。忘れなさい。重要なことは幸せになること。あなたがやることを決めるのはあなたしかいない。誰に習ったって構わない、私に習わなくたっていいのよ、あなたが決めることだから。幸せになりなさい。分かった?」

ミラグロスは私を抱きしめてくださいました。長い年月私の中でずっと肥大化していたしこりがぽろっと取れたような感じがしました。正しくは、ミラグロスがその言葉によって取って下さったのだと思います。感謝の気持ちしかありませんでした。

私は正直な人間です。媚を売るのも、おべっかを言われるのも大嫌い。だから嘘は書かないですし、書けないです。ただ物事の捉え方や表現の仕方がまっすぐ過ぎるためか、それに拒否反応を示される方もいらっしゃるのかもしれない・・・という気もします。また、自分の意図がそのまま他人にも伝わるのかというのはとても難しいことです。こちらの意図とは全く異なる個人的な感情を重ねて文章を読まれる方もいらっしゃるでしょうし、その解釈の仕方は人それぞれだと思いますから・・・。でも誰かを傷つけようとか、おとしめようと思って自分の文章を公表することはありません。だからこそミラグロスから再び暖かいお言葉をかけて抱きしめて頂き本当に嬉しかった。この数年間、自分の中で死んでいた部分が生き返ったような感じがしました。あの日は私にとって本当に特別な日だったのです。

いろいろな人がいて自分もそのいろいろな人のうちの一人であって、一人一人考え方も表現の仕方も異なる。ほんの言葉じりによる悲しい誤解はどうしても生じてしまうのかもしれないし、誤解されないようにと思うことが逆に仇になる場合だってある。記事やブログだけでなくても、例えばメールでのやり取りなどでもそのような悲しい誤解というのは生じてしまうこともあると思う。難しいなあ・・・自分で気をつけなければいけないこともあれば、自分ではどうしようもないこともあるだろうし・・・。

いずれにせよ、私にとっての一番の表現方法は踊るということなんだと思う。結局踊りが全てを語ってくれる。上手い下手の問題ではなく、その人間の本質を。だから本質を見て下さる方、本質を感じて下さる方がきっといらっしゃるのだと思うと、やはり私は本質で踊らなくてはならないと思うのです。

そう、それもミラグロスが教えて下さったことでした。

写真:アントニオ・ペレス

2016年12月6日 セビージャにて。

Nov 10
ペパ・デ・ベニート
La Yunko | ブログ, 新着情報 | 11 10th, 2016| Comments Off

15003219_10154664157556228_2308538520953464092_oみなさんこんにちは。いかがお過ごしでしょうか。

先週末、イネス・バカンが言っていました。「叔母の具合が悪いの・・・」

えっ、ペパが・・・・と思ってうっと言葉に詰まってしまいました。イネスと別れた後、夫のアントニオが「もう長くはないんだよ」とポツリと言って、やっぱりそうなのか・・・・と・・・・そしてその2日後、天国に召されました。

ペパ・デ・ベニート。

大好きな歌い手でした。

pepabenito一番最初に彼女の歌を聴いたのは、彼女のソロCD「Yo vengo de Utrera」(写真、CDジャケット)でした。当時習っていたトロンボのクラスではペパのCDを使ってパルマやコンパスを学んでいました。なんという声なのだろう。トロンボにCDのタイトルを教えてもらって、即買いに。あの当時はまだYouTubeなんてなかったような気がします。聴きたけれれば直接聴くか、CDを買うか。そしてあのCDはもう100万回くらい聴いたかなあ。本当に素晴らしいCDですね。

そしてペパの歌を生で聴く機会がそれから数年後訪れました。あの時はもうクリスティーナ・ヘレン財団フラメンコ芸術学校に通っていた時でした。もう10年くらい前になるかと思います。文化庁の新進芸術家在外派遣研修員として国費留学をしていた時で、必死の時代。クラスメートにはスペイン人の実力派の若手舞踊家なんかもいて、レッスンのレベルも高かった。毎日毎日3〜4クラスも、振付もどんどん進むし、本当に必死にレッスンについて行って、あとは必死に練習して・・・土日はたまった家事をこなして(当時はもちろんまだ結婚していない)休む暇などありませんでした。

そんな毎日の中、当時その学校で教えていたカルメン・レデスマが声をかけてくれたのです。

「毎日レッスンを受けて自主練習するのも大切。でも本物のフラメンコを観て、聴かなくては」

そう言って、私を含めた日本人留学生数名を、彼女のご家族のフィエスタに招待して下さったのです。ヒターノ(ジプシー)の親戚、フラメンコアーティストがたくさん集まったそのフィエスタでは、当時の私からは想像もつかないようなフラメンコの世界が繰り広げられました。本物の。あちこちで沸き起こるフラメンコ。あの人もアーティスト!この人もアーティスト!という中で皆当たり前のように歌ったり踊ったり。そんなフィエスタに招待して下さったカルメン・レデスマは、なんと懐が広い人なのでしょう。本当にカルメンってそういう人なんです。

_DSC0854そして・・・・そのフィエスタの外れにひっそりといました。ペパ・デ・ベニートが。ペパは両足を椅子の上に投げ出して座っていました。近づいて、「ペパ、私はあなたの歌が大好きなんです、CDを何度も聞いています。」と声をかけると嬉しそうに、ニッと笑ったのを思い出します。「みんなの所には行かないのですか?」と聞くと「足が痛いから」と言っていました。「私、マッサージします!」と言って私は勝手にペパの足をマッサージというか、さすったりしてました。なんでもいいからペパの役に立てればいいと思ったのかなあ、当時の心境はよく覚えていませんが・・・

しばらくして、ペパがフィエスタの中に入り歌っていました。カルメン・レデスマが言った「本物のフラメンコ」、それでした。毎日レッスンばっかりの私達にカルメンはこれを聴かせたかったのでしょう。その後、ペパの歌でカルメンが即興で踊ったり・・・本当に夢のような世界でした。でも、あの時が生で聴いた最初で最後になろうとは・・・いつかまた聴きたいなあと思って、フィエスタを後にしたのを覚えています。でもその「いつかまた」はもう来ない。ペパは亡くなってしまった。

考えてみたら、あの時たまたまそのフィエスタに写真を撮りにきていたのが、今の私の夫、アントニオ・ペレスでした。ペパの訃報を聞いて、アントニオの膨大な写真データの中からその時のフィエスタの写真を二人で探し出しました。懐かしい。悲しい。懐かしい。悲しい・・・このブログの写真(CDジャケット以外)はその時のフィエスタのもの。本当はもっとたくさんの素晴らしい瞬間が写真に収められています。でも全部公開したところでペパは戻ってきません。

時々この写真と一緒にペパのことを思い出そう。そしてペパの残したCDを聴こう。

2016年11月10日 セビージャにて。

Nov 9

15000859_10154659767191228_9169741577890105844_o14976885_10154659767571228_7375621328458049308_o14939366_10154659768011228_8990070582843370418_o14976634_10154659769006228_5022178586432097113_o14976651_10154659769566228_4134854978598047516_oみなさんこんにちは。いかがおすごしでしょうか?

先週末はランカピーノ・チーコの歌を聞きにトレブヘーナというレブリーハ近くの村に行きました。ランカピーノ(Rancapino)という素晴らしい歌い手15000623_10154659769956228_4503207052863931214_o
がいますが、その息子さんです。27歳くらいだったかな、確か。お父さん同様、元々素晴らしい歌い手だということは知っていたけど、あの日のソレアは素晴らしかった。そしてカラコリージョ・デ・カディスという友人の歌い手を舞台に上げて(その行為も素晴らしいと思う)一緒に歌ったファンダンゴには涙が出ました。
ビエナルでの彼の歌も素晴らしかったけど、あの日はそれ以上。トレブヘーナのペーニャ・フラメンカ(フラメンコ愛好家が集まる場所)でのコンサートだったということもあるかもしれません。小さな村の、しかし大きなフラメンコ愛に満ちば場所でのフラメンコ。客席からのハ

レオ(掛け声)も何もかもが違います。同じアーティストの公演でも、やはり私はペーニャで聴くのが好きですね。

そしてそれら全てをイネス・バカンの隣で聴けたこと。イネスはレブリーハというセビージャとヘレスの間にある村の歌い手。カンテ・フラメンコ界の柱の一つとなっている「ピニーニ」一族の血を引いたプーロ(純粋な)フラメンコの歌い手です。イネスがいた私の身体の片側はずっと暖かかった。何だか一緒にいるだ14999980_10154659770381228_631114092871858088_oけで自分の身体にフラメンコが満ちてゆくようでした。イネスのフラメンコの感じ方、ハレオの掛け方は、ペーニャの愛好家の皆さんや私とは違っていました。すごく興味深かったです。例えば、オレー!とハレオをかけるタイミング。愛好家の皆さんや私は、そのオレー!のタイミングが来るまでカンテを粘って聴いている。そのタイミングが来るまで待って、待って、待って、その最後の瞬間に「オレー!」となります。だから、そのタイミングが来そうだと分かっても、声を出さない。みんな黙ってじっとカンテを聴いているわけです。でもイネスはその段階で「オレー!」と言っている。小さな声だけど、「オレー、オレー」と連続したり。フラメンコを知らない人が何も知らずにやたらめったらにいろいろハレオをかけたりすると、周りの人がシー!と黙らせたりするのですが、イネスの場合は誰もシー!とは言わない。皆イネスがいることは知っているし、それに隣にいる私でさえ、それは全くうるさくなかった。むしろ心地よい。イネスのハレオ。それから、タンゴやブレリアが始まるとパルマ(手拍子)を叩き始めたイネス。もちろん大きな音ではありません。ふっくらしたイネスの両手が重なりあう程の音。でもこれも実はご法度。パルマと言うのは楽器と同じなので、客席にいる人間が叩いてはいけないのです。何かのコンサートに行って、客席で誰かが音楽に合わせて音を出すようなもの。でもフラメンコのコンサートだと、知らない人は一緒に叩いちゃったりする場合もあるようですね。しかしこのイネスのパルマもむしろ心地よい。何だか耳が豊かになった気がしました。

14918947_10154659771856228_8703743213440267309_o14918918_10154659772431228_8656726019785246886_o14991463_10154659773016228_1150593562574941453_oそして始まる前や途中や後で、イネスがたくさんのことをを語ってくれました。信じられないくらいたくさんのこと。彼女が個人的に私に語ってくれたことのなので、その内容はブログにしませんが、全部心に響いて突き刺さりました。絶対忘れない。

私はこの土地の人間ではありません。彼らのようにフラメンコと共に生まれ育った人間ではありません。セビージャに住んで14年くらい経ちますが、でも私はこのブログを読んでくださる皆さんと同じ外国人。そんなことは知っています。
でもそれでもここで生きているんだと思いました。自分の人生の一部がここにあるのだと。

アントニオ、写真ありがとう。大切にします。

2016年11月9日 セビージャにて。

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